ミア・ローズヴェルト
「もう分かっているかと思いますが……」
サイン会を終えたリーシャは早々に宿へ戻るとオスカーに話を切りだした。
「おいしい菓子屋があるので一緒に行かないか」というシルヴィアたちの誘いを断り足早に部屋に戻ったのには訳があった。
それどころではないからである。
「エミリアのことか?」
「ええ。彼女はミア。私の妹です」
リーシャは眉間にしわを寄せながら断言した。
あれは自分の妹だ、と。
エミリア・ロージー。本名はミア・ローズヴェルト。
「東の国」で宝石修復を生業とするローズヴェルト家の次女で、リーシャの妹である。
一族代々宝石修復を家業としているが、幼い頃より宝石修復の才に恵まれなかったミアは「夢多き乙女」として育った。
リーシャの記憶によると、ミアは家を纏める祖母の寵愛を受けた姉に家業を任せ、修行には目もくれずに乙女趣味に精を出す毎日を送っていたという。
そんな彼女がまさか作家、それも「東の花の乙女」の作者だったとはさすがのリーシャでも想定外の事態だった。
「あれがリーシャの……。話には聞いていたが、その」
「似ていないでしょう?」
「……ああ」
「罪悪感を抱く必要はありませんよ。私も、いえ、誰が見ても同じことを思うと思います」
仮にリーシャが年相応の容姿をしていたとしても、並び立った二人を姉妹だと見抜く人は皆無に等しいだろう。
銀色の髪に黄緑色の瞳と藍色の髪に藍色の瞳。
一見血を分けた姉妹には見えない。
「正直、私には彼女がミアであるとは分かりませんでした」
エミリア・ロージーを目にした時、リーシャは「同郷人だ」と思った。
父母、そして妹と同じ、「東の国」の生まれに良くある容姿だったからだ。
「やはり作者は同郷の人間だったのか」。
そう思い、何の疑問も抱かずに顔を合わせた。
それが妹のミアだとは分からなかったからだ。
「故郷を離れてかなり経つのだろう。仕方のないことだ」
「そうなんですけど。私が家を出たのは彼女が十の頃でしたから、記憶の中のミアはもっと幼い少女だったんですよね。
背も伸びたし顔も随分と大人っぽくなっていて気づけませんでした」
「妹君も驚いただろうな」
「ええ。まさか姉がそのままの姿で現れるなんて思ってもいなかったでしょうから」
(どうして変装して行かなかったんだろう。いや、シルヴィアやマリーの手前、変装することも偽名を使うことも出来なかった。
タイミングが悪い、間が悪いとしか言いようがない)
認識阻害の魔道具を使っていればミアがリーシャに気づくことはなかったかもしれない。
「リーシャ」という名は祖母がつけた西方の名だ。
同じ響きに反応はするかもしれないが、顔が違えばどうとでも言い訳はつく。
運の悪いことに、リーシャは全く無防備な状態だった。
会場は貴族の集まる場所であり防犯対策もしっかりとなされている。
故に最低限の魔道具しか身につけていなかったし、シルヴィアとマリーが一緒だったので偽名を名乗る訳にも変装をする訳にも行かない。
もしも変装しようものなら「なぜ?」と問いつめられること必死だからだ。
その結果、リーシャはありのままの姿をミアの眼前に晒してしまった。
ミアがリーシャと別れた、数十年前そのままの姿だ。
あの場はなんとか取り繕った物の、ミアはリーシャが「姉」であると気づいているはずだ。
明日の夜観劇をするというのに気が重い。
「このままなにも起こらなければ良いのですが」
リーシャはぽつりと呟いた。
「妹君ももう大人だ。表だって騒ぎ立てたりはしないのではないか?」
「表だってはね。なににせよ、面倒なことになりました」
「出来るだけ顔を合わせないようにしたらいい」
「そうなんですけど」
(一番面倒なのは、ミアが妹であると王妃様にバレることだ)
リーシャは「お守り」のことをまだ王妃やシルヴィア達に話していない。
その状態で「リーシャがミアの姉である」「数十年前から容姿が変わっていない」ことを騒ぎ立てられたら面倒なことになる。
(普段通り若作りをしていると誤魔化すか、本当のことを言うか……)
今までも昔のリーシャを知る人間に会ったことがない訳ではない。最近だとトスカヤのトマスが記憶に新しい。
そのたびにリーシャは「若作りをしている」「認識阻害の魔道具を使っている」と誤魔化し続けてきた。
今回も同じような手段を使えばいい。
(でも、シルヴィアたちに嘘を吐くのは気が引ける)
ただ、一生誤魔化し続けることなどできない。
道すがらすれ違うだけの顔見知りとは違うのだ。
オスカーと結婚をしたらシルヴィアやマリーは家族になる。
ある程度長い時間を共に過ごすことになる。
十年、数十年経った時にリーシャの容姿が変わらなかったら?
さすがに何かおかしいと思うのではないか。
「シルヴィアさんとマリーにお守りのことを明かすべきでしょうか」
リーシャの口から飛び出た意外な言葉にオスカーは固まった。
「お守り」はリーシャが特に隠したがっている秘密中の秘密だ。
まさかそんな言葉が出るとは思わなかったのだ。
「どうしてそう思うんだ?」
オスカーは結論を急かさずにリーシャの話に耳を傾ける。
「今回ミアのことを誤魔化せたとしても、今後イオニアで暮らすようになったら私の外見が変わらないことなどすぐに気づくでしょう?
それに、ミアがこのまま大人しくしているとは限りませんし、何か起こる前に私から話をした方が良いのかなと」
つまり、ミアに暴露される前に自分から説明をしてしまおうというのだ。
「妹君、ミアはそういう人間なのか?」
オスカーが尋ねるとリーシャは顔を歪めた。
思い当たる節がある、という表情だ。
「彼女は私のことを嫌っていましたから」
短い言葉だった。けれど、その短い音の中に様々な感情が入り交じっているのが分かる。
(俺がとやかく言うことではないが……)
オスカーにも兄や姉、妹がいる。
幸い仲は良い方だが、それでも意見が合わなかったり気持ちがすれ違うこともあった。
それを考えるとリーシャとミアの間に広がる溝というものはオスカーが思っているよりもずっと深いものなのだろう。
(俺は故郷に居た頃のリーシャを知らない。たまにぽつぽつと話してくれるようにはなったが、リーシャにとって心地の良い場所ではないことは明らかだ。
だからこそ、今更リーシャにミアと仲良くしろだとか仲直りしろだとか、そういう見当違いな説教をするつもりはない。
二人の間にあったことは二人にしか分からないし、当人の気持ちは当人にしか分からないからだ)
「リーシャの好きにすると良い。俺は口を挟める立場にはないからな」
「出来ればオスカーも、シルヴィアさんたちも巻き込みたくはなかったのですが」
「どちらにせよ、俺たちはいずれ家族になるのだ。そうなれば、リーシャのご実家と全く無縁で居るというのも無理な話だろう。
巻き込みたくはないなどと他人行儀なことは言ってくれるな」
リーシャはオスカーの言葉に嫌そうな顔をした。
結婚は家同士で縁をつなぐものである。
いくらリーシャが「縁を切った」と言ってもリーシャの実家がローズヴェルト家であることには変わりなく、婚姻関係を結ぶ際には全てを詳らかにしなければならない。
王族と結婚する以上、実家との付き合いは完全には断ち切れない。
それを改めて突きつけられたリーシャは絶望にも近い気持ちを味わった。
「そう……そうですよね。結婚するとなれば実家との付き合いは避けられない」
そう小さく呟くと収納鞄から丸められた羊皮紙を取り出す。
「それは確か、レアに貰った……」
「はい。私をルドベルト家の人間として認める、という証書です」
リーシャの手にはリューデンを去る際に受け取った「リーシャをルドベルト家の人間として認める」と書かれた羊皮紙の証書が握られていた。
マチルダの一件があり受け取るのを渋ったが、レアの助言に従っておいて良かったかもしれない。
「この数十年間、私はローズヴェルトの姓を棄てただのリーシャとして生きてきました。
実家とは縁を切り、故郷に戻らない限りこのまま関わることなく生きていけるものだと、そう考えていたのです。
でも、その考えは甘かったようです。
もちろん、自分が結婚をするなどとは頭の片隅にも置いていなかった……というのはありますが……。
実家と縁を切る。しかし結婚をする上でオスカーの身分と釣り合うだけの実家が必要。
その二つを両立させるための道具を私は手にしているとしたら」
「……本気か?」
リーシャの意図に気づいたオスカーは目を見開いた。
「そうしても良いかも、と思ったまでです」
(一体どれほど嫌な思いをしたのだろう)
眉を顰めながら証書を眺めるリーシャを見ながらオスカーはそんなことを考える。
あのリーシャがルドベルト家に身分を移そうとするなんて余程のことだ。
養子か復籍か、どんな方法にしろリーシャがルドベルト家に入れば必然的に跡目争いに名乗りを上げることになる。
ルドベルト家、ひいてはリューデンでは魔力や魔法の技量が一番優れている者に従う習慣があるからだ。
今のルドベルト家の当主、マチルダは高齢だ。
彼女が亡くなれば息子のランベールが跡を継ぐ予定だが、彼の実力がリーシャの下であることは言うまでもない。
ランベールは息子のドナに跡を継がせたいと考えており、そのためにリーシャに土下座までしたくらいだ。
リーシャがルドベルト家に身分を移すとなれば一悶着あってもおかしくはない。
そんな面倒事を被ってまで実家と縁を切りたい理由がリーシャにはあるのだ。
オスカーはそう感じた。
「どちらにせよ、明晩ミアと顔を合わせる可能性もありますし今日のうちに事情を話しておかないと」
「では、夕食のあとに時間を作って貰えるよう取り計ろう」
「ありがとうございます」
平静を装ってはいたがリーシャの内心は穏やかではない。
(本来ならばもっと時期を見計らって話したかった)
お守りのことも年齢のこともいつか話さなければならないと思っていた。
出来るなら旅が終わってから、お守りがその役目を終えてから話したかった。
今日話さなければならなくなったのは完全に想定外の出来事だ。
(特に王妃には知られたくなかったのに)
魔法に知見のある人物であれば「お守り」の価値が人目で分かるだろう。
あんな会話をした後だ。どうしても王妃には秘密にしておきたい。そんな気持ちが芽生えてしまう。
「浮かない顔をしてるな。まだ心配事でもあるのか?」
「……出来れば王妃様にはお守りのことを知られたくはないなと」
(ふむ)
「それもそうか」とオスカーは思った。
先ほどの会話で王妃との間には「魔法に対する認識の差」があることが痛いほど分かった。
自分と見識の違いがある相手に命に関わる秘密を明かすなど気が進まないに決まっている。
「では、ひとまず姉上とマリーにだけ相談してみるというのはどうだ?」
「ですが、もしもミアが王妃様の前で何か喋ったら」
「事前に相談しておけば二人がなんとかしてくれる。
姉上も母上の考えに賛同している訳ではなさそうだし、うまく取り繕ってくれるだろう」
「……」
(確かに、シルヴィアとマリーならばうまく話を逸らしてくれるかもしれない)
サイン会でミアに「姉さん」と呼ばれたときもそうだった。
きちんと事情を説明すれば協力してくれるだろう。
「……分かりました」
「では、早速二人に伝えてこよう」
「用向きは明日劇場に着ていくドレスのことで相談があると、そうしてください」
「承知した」
約束を取り付けるために部屋を出ていくオスカーの後ろ姿を見送りながらリーシャは大きなため息をつく。
(まさかこんな所で妹と会うなんて)
世間は狭い。
(ミアとはもう二度と会わないと思っていたけど)
会わない。いや、会いたくなかった。
そう表現した方が正しいかもしれない。
「姉さん」と呼ばれたとき、一瞬にして肝が冷えた。
容姿こそ変わっていたが、数十年前とさほど変わらない聞き慣れた声が耳に入ったからだ。
だからすぐに目の前にいる厚化粧の女が「妹」であると分かった。
女がミアであると理解した瞬間、周りの音が聞こえなくなり、その直後頭の上まで一気に血が上るのを感じた。
まるで幻を見ているような不思議な感覚だ。
(あのときよく自分を保てたものだ)
それをミアに悟らせないように、一呼吸おいて平静を装った。
長年、旅の道中で身についた「勘」に助けられたと言っても良い。
「二人にどう説明しようかな」
シルヴィアとマリーを信用していない訳ではない。
だが、不老不死に近い効果を持つ魔術道具の存在を明かすのはリーシャにとってあまりにも危険を伴う行為だった。
特にあの王妃と近い二人だ。ふとした拍子に王妃の耳に入りかねない。
情報をどこまで、どのように明かすか。
それが一番の問題だった。




