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エミリア・ロージー

「……あの、もし? 貴方も『東の花の乙女』のファンなのですか?」


 オスカーの後ろに並んでいた令嬢がおそるおそるオスカーに声をかける。


「ああ、いや。俺は彼女の付き添いで」

「お連れ様?」

「そうだ。婚約者の護衛としてここに来ているんだ」

「まぁ! 婚約者様とご一緒とはつゆ知らず、大変失礼いたしました!」

「構いませんよ。お気になさらず」


 恥ずかしそうに謝る令嬢にリーシャは微笑み返す。

 他人の婚約者に声をかけるのは下品な行為だ。慌てるのも仕方がない。

 だがオスカーに声をかけた、その勇気は賞賛に値する。


「失礼があったことをお詫びいたします。私はナタリア。『明星の箱庭』付きの楽団、その音楽監督の娘です」

「そうですか。では、お父様は今回の劇にも?」

「はい。今日はそのご縁でお招きいただきました」


 ナタリアはそういうとドレスの裾を摘んで礼をした。


「私はリーシャ。こちらは婚約者のオスカーです。イオニアの王女殿下であられるシルヴィア様とマリー様の同伴としてお誘いいただきました」

「同伴じゃなくて、家族として、でしょ!」


 リーシャの背後からシルヴィアが顔を出す。


「そうですよ、お義姉さま。他人行儀はおやめください!」

「オスカーは私たちの弟で、リーシャはその婚約者なの」

「王族の方とは知らず、私、なんて失礼なことを……」


 オスカーが王族の人間だと知るとナタリアは顔面蒼白になった。

 王族の、しかも他人の婚約者に声をかけるなどあってはならないことだからだ。


「気にしないで。私も弟ながらオスカーはいい男だと思うもの。仕方ないわ!」

「姉上……」

「ナタリアさんのお父様は音楽監督をなさっているの?」

「はい。劇団の取りまとめや調整、指揮も行っているみたいです。今回の東の花の乙女にも携わっていて、そのご縁でお招きいただいたんです」

「そう。凄いわね」

「では、私たちも観劇の際にはナタリアさんのお父様を拝見出来るということでしょうか?」

「上から見れば見えると思いますよ」

「上から?」


 ナタリアは指で空中に劇場の図面を描きながら説明する。


「舞台にはオーケストラピットというものがあって、舞台と客席との間にオーケストラが入るための窪みのようなものが設置されているんです。

 そのため一階の客席からは楽団が見えないようになっていて」

「そうなのですね」


 マリーは目をぱちくりとさせる。

 イオニアには劇場がない。マリーにとっては見るもの聞くものが全て新鮮だった。


「私も詳しい訳ではないのです。父が手がけた公演をたまに観に行く程度なので」

「でも、お好きなんでしょう?」

「……正直、あまり。箱庭でやるのは古典演劇ばかりですから、退屈で」


 そう言った後にはっとした表情で「このことは父には言わないでくださいね」とナタリアは付け加えた。


「だから乙女小説が演劇になると聞いたときは嬉しかったんです。ようやくおもしろそうな劇が現れた! って。

 父は不満みたいですが」

「そうなんですか?」


 リーシャが言うとナタリアは苦笑した。


「クロスヴェンは伝統ある演劇の街ですから、頭の固い古典派……古典演劇しか演劇として認めないような古参ファンの方々が多いんです。

 だから今まで『明星の箱庭』も古典演劇しか取り扱ってこなかった。

 今回の『東の花の乙女』はクロスヴェン領主のご息女とそのご友人方の働きかけによって実現したと聞いています。

 言い方は悪いかもしれませんが、圧力をかけた、と」

「なるほど」


(領主の娘の頼みとあれば断れないだろうな)


 頑なに門戸を閉ざしていた「明星の箱庭」への扉をこじ開けた。

 「東の花の乙女」の熱心なファンの情念は恐ろしい。


「もしも東の花の乙女が評判になれば、今後古典演劇以外の劇も上演出来るかもしれないでしょう?

 少し期待をしているんです。クロスヴェンの演劇が変わるかもしれないって」


 ナタリアはそう言って目を輝かせた。


「まさかそんな内情があったとは。では、東の花の乙女が上演されるのは凄いことなんですね」

「はい! 天変地異が起きたような、一昔前ではあり得なかった出来事ですね」

「時代は変わるものなのね」

「おっしゃるとおりです」


(こんなに短い時間ですっかり打ち解けたな)


 楽しそうに談笑する三人を見たオスカーはふっと微笑んだ。

 同じ小説を愛読する同好の士だ。打ち解けるために多くの言葉は必要ないようだ。


「みなさんはもう観劇なさいましたか?」

「いえ、明日の夜拝見する予定です」

「そうでしたか。では劇の内容についてはあまりお話しない方がよろしいですね。楽しみを奪ってしまってはいけませんから」

「ナタリアさんはもうご覧になったの?」

「はい! 光栄なことに初日にお招きいただいて。

 原作の内容と多少の相違はありましたがとても素晴らしい劇でした!

 きっとみなさまにもご満足頂けるかと」

「それは楽しみね!」

「はい、お姉さま!」


 ナタリアの話に三人は期待に胸を躍らせた。

 演劇に親しみ目の肥えているナタリアが絶賛するくらいだ。

 クロスヴェンの粋を集めた素晴らしい演劇に仕上がっているに違いない。


「お待たせいたしました、次の方どうぞ」


 会話に夢中になっていると係の者に声をかけられた。

 どうやらサイン会の順番が回ってきたらしい。


「イオニア王国のシルヴィア王女殿下、マリー王女殿下、リーシャ様です」


 チケットと名簿を照らし合わせ、係員が「東の花の乙女」の作者であるエミリアに耳打ちする。


「長い間お待たせしてしまい申し訳ありません。エミリア・ロージーです」


 そういうと藍色の髪、藍色の目を持ち薄紫色のドレスを身に纏った女性は深々と礼をした。


(この髪色と瞳の色、やはり私と同じ国の出身なのだろうか)


 深い藍色の髪と瞳は「東の国」の出身者に多い特徴だ。

 礼を終えて顔をあげた女性と目があった。

 年は三十半ばから四十くらいだろうか。

 色の濃い、悪く言えば厚化粧をしているので判断がつかない。


「……え、()()()?」


 ぽつり、とそんな呟きが聞こえた。

 リーシャの眼前にいる女性、エミリア・ロージーは大きく目を見開いたまま動かない。


「姉さん?」


 シルヴィアが不思議そうに聞き返すとエミリアはハッとして姿勢を正した。


「ごめんなさい。そちらのお嬢さんが私の姉によく似ていたものですから」

「リーシャさんが?」

「はい。()()()()()()()()()()()にそっくりで」


 そういうとエミリアは冷たい視線をリーシャに向ける。


「他人のそら似では?」


 リーシャは間髪入れずにそう返した。

 表情一つ変えず、エミリアの目をまっすぐ見たまま微笑んでみせる。


「失礼ですが、リーシャお義姉さまが貴女よりも年上だとは思えませんわ」


 マリーはリーシャとエミリアを見比べると首を傾げた。

 見た目から考えるとどう見てもエミリアの方が年上だからだ。


「そうね。私もそう思うわ」

「……そうですよね。失礼いたしました」


 エミリアは明らかに納得の行かないような様子だが渋々謝罪をするとサインを書くために椅子に腰をかけた。


「では、早速サインを書かせていただきますわ。サインはどちらに? こちらで用意をした物か、持参されたものがあるならそちらにサインをさせて頂きますが」

「もちろん持参した本にお願いするわ!」

「この日のために初版本を取り寄せたんです!」


 マリーは恥ずかしそうに「東の花の乙女」の初版本を差し出した。

 エミリアのサイン会が行われると知り慌てて探し出した貴重本だ。


「分かりました。では、こちらに」


 エミリアは本を受け取ると表紙の内側に筆を走らせる。


「お嬢さんはどうなさるの?」

「私も本を持参したのでこちらに」


 そう言うとリーシャは手に持っていた「東の花の乙女」をエミリアに手渡した。

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