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サイン会

 「明星の箱庭」はクロスヴェン随一の国立劇場である。

 「明星の箱庭」で上演をすることは劇団関係者にとっての「名誉」とされ、ここから数多くの名優が排出されている。

 乙女小説「東の花の乙女」はクロスヴェンの名門劇団「一番星」によって舞台化され、「明星の箱庭」で上演されている。

 無名作家、それも極東の小さな島国の作家による乙女小説が原作ともあり、その異例さが話題を呼んだ。


「乙女小説なんて庶民の小説を明星の箱庭で上演するなんて……」

「大衆小説なんて下品な物は明星の箱庭にはふさわしくない!」


 そう批判する者も少なくはない。

 今でこそ貴族の間で読まれるようになったものの、乙女小説は大衆小説である。

 中には多少下品で過激な表現を伴う作品もあり、()()()()()()()はまだまだ低かった。

 しかし、若い貴族令嬢の間で流行しているのは事実。

 彼女たちを客として取り込もうと演劇として再構成し、上演されることも珍しくはなくなった。

 演劇も日々進化を続けているのである。


「今日はエミリア・ロージー先生のサイン会があるのよ。リーシャさんも一緒に行きましょう!」


 シルヴィアがそう言い出したのはとある日の朝だった。

 朝食を済ませて部屋でのんびりとしていると「サイン会」のチケットを握りしめたシルヴィアが部屋へ駆け込んできたのである。


「サイン会ですか?」

「ええ。『東の花の乙女』の作者であるエミリア・ロージー先生がいらっしゃっているんですって!

 急遽サイン会を開くことになったと聞いて慌てて使いを寄越したのよ」

「それで、無事にチケットを手に入れたと」

「そう! せっかくだし、どうかしら」


 エミリア・ロージーは「東の花の乙女」の作者である。

 生まれも住まいも来歴も、多くの謎に包まれた新人作家だ。

 デビュー作、「東の花の乙女」がヒットし一躍時の人となったエミリアが表舞台に出てくるのは今回が初めてだった。

 自作が演劇になった記念、といったところだろうか。


(エミリア・ロージーか)


 その作風、内容からリーシャの故郷である「東の国」の生まれ、もしくはその周辺の国に住んでいる人物であると思われる。


(作品自体は好きだ。でも、同郷の人間に会うのはなんだか気まずい)


 故郷にはあまり良い思い出がない。

 出来ることならば顔を会わせたくはないが……。


「そのチケット、三枚ありますが王妃様はよろしいのですか?」

「ええ。リーシャさんにどうぞって」


(こう言われたら断れない)


 王妃に譲って貰ったとなれば断る理由がない。


「分かりました。ご一緒します」

「良かった! じゃあ昼食を取ったら私の部屋に集合ね」

「かしこまりました」


 シルヴィアはリーシャにチケットを握らせると嬉しそうにリーシャの部屋を後にした。


「気が乗らないのか?」


 横で見ていたオスカーが言う。


「あまり同郷の人間には会いたくなくて。世間は狭いって言いますし、知り合いだったら嫌だなと」

「そういえばあの本の作者はリーシャの国の人間かそれに近しい人物だと言っていたな」

「本の内容や描写から考えておそらくそうだろうという程度ですが」


(特にあの翡翠の指輪の下り。石に興味がなければ知らないような局地的な風習を知っているというのが引っかかる)


 翡翠の指輪の風習は「東の国」全土で見られるような広く知られた風習ではない。

 翡翠が採れるごく一部の地域で行われている局地的なものだ。

 それを知っているということは、作者は石に詳しい人物であると思われる。

 「東の国」、「石の知識を持つ人物」。

 それらの要素が重なるとどうしても実家のことが頭にちらつく。

 世間は狭い。

 もしも作者が実家と同じような家業の者だとしたら、リーシャを知っている可能性がある。

 それがリーシャの不安の種だった。


「別に、会って困るようなことはないのですが実家にはあまり良い思い出がないので知り合いにはあまり会いたくないんですよね」

「ふむ……。今からでも姉上に断りを入れるか?」

「いえ、せっかくのご厚意ですし。それに、こんな遠くの地で知り合いに会うなんて考えすぎですよね」

「……」


 オスカーの目から見てもリーシャは明らかに気乗りがしない様子だ。


(何事も起こらなければ良いが)


 何か予感めいた心のざわめきを感じる。


「そのサイン会、俺も一緒に行こう」

「え?」

「俺は護衛だからな。後ろに立つくらいは許されるだろう」

「……ありがとうございます」


 リーシャは僅かながらほっとしたような表情を見せた。

 緊張と不安。その両方が混ざり合って心地が悪い。

 なにはともかく、サイン会に行く準備をしなくてはならない。

 着ていく服を選ぶためにリーシャは収納鞄の蓋を開けた。



 とある高級宿の一室。その貴賓室で貴族令嬢向けのサイン会が催されていた。

 クロスヴェンを治める貴族の取りなしで特別にサイン会を開催する運びになったようで、その貴族の伝手がある「良い家柄」の令嬢にのみチケットが配布されたのだ。


「今回クロスヴェンを訪れるに当たって領主様にご挨拶をしたご縁でチケットを手配してくださったの」


 長い列に並びながらシルヴィアが小声で囁く。


「お母様は顔が利くから」

「というと、フロリア大公家の繋がりですか?」

「そう。クロスヴェン近郊にもフロリアの薬草や香草が入っているみたい」

「流石はフロリア。手広いですね」

「ね。私もびっくりしちゃった」


 クロスヴェンに滞在するに当たり、王妃ローザは領主であるクロスヴェン家へ遣いを出した。

 しばらくクロスヴェンに滞在したいこと。「東の花の乙女」の観劇をしたいこと。

 そして「実家」が世話になっていることの礼を認め、領主へ文を届けさせたのだ。

 フロリアが輸出している香草や薬草は質が高く、フロリアでしか栽培されていない希少な品種も少なくはない。

 その恩恵を受けているクロスヴェンの領主はローザの滞在を歓迎し、宿や劇場の手配など様々な便宜を図ってくれたのだ。


「それにしても、皆様気合いが入っておられますね」


 周囲を見渡してリーシャが言う。

 どの令嬢も非常に華美なドレスを身に纏い、さながら舞踏会にでもやってきたのかと勘違いしそうな有様だ。


「単なる意地の張り合いよ」

「教えていただいた通りにして正解でした」

「そうでしょ?」


 服装の相談をした際、シルヴィアは「出来るだけ目立つ格好で」と指示を出した。

 リーシャが手に持っていた大人しい色調の質素なドレスではなく、出来るだけ目を引くような「誰が見ても上等なドレスであると分かるような」服を選ぶよう勧めたのだ。


(ただのサイン会に行くのにそんなに派手な服を選ぶ必要があるのだろうか。なんて思っていたけど、これを見ると納得だ)


 どの令嬢も周囲に負けじと着飾っている。

 シルヴィアとマリーは貴族ではなく王族だ。

 そしてリーシャはその同伴、王族の婚約者である。

 

(もしも遠慮して地味なドレスを着ていたら、シルヴィアとマリーの顔に泥を塗る所だった)


 イオニアは小さな国だ。だからこそ、余計に舐められないようにしなければならない。

 少なくとも貴族の令嬢方よりも立派なドレスと宝飾品を身につけ、王族としての格を示す必要があるのだ。


(シルヴィアもマリーも見目麗しいから目立つな)


 シルヴィアはすらっとした手足に高身長、王妃よりも少し暗い色味の赤髪が似合う美人だ。

 凛とした顔立ちに濃い緑色の瞳がよく映える。

 女性としては高い背丈に合うような腰回りを絞り裾にかけて流れるようなシルエットのドレスがそのスタイルの良さを際立たせている。


 マリーは十五という年相応の可愛らしいドレスを着ている。

 全体的にふわっとした、「絵物語に出てくるお姫様」のようなドレスだ。

 少し癖のある赤髪をハーフアップでまとめ、リボンを使って作られた大きな髪飾りで留めている。

 それがあどけなさを残していて可愛らしいなとリーシャは思った。


「オスカーにも礼装を着させたのは正解だったわね」


 ちらりとリーシャの背後に目をやりつつシルヴィアは悪そうな笑みを浮かべる。


(一番目を引いているのは間違いなくオスカーだ)


 リーシャの後ろに控える「護衛」は令嬢方の注目の的だった。

 身だしなみを整えてモーニングを着用したオスカーは居心地が悪そうにそわそわしている。

 そんなオスカーに令嬢達は夢中のようだ。

 それもそのはずだ。

 まるで「乙女小説」に出てくる王子のような男が乙女小説愛好家の巣窟へ飛び込んでしまったのだから。


(まさかこんなに女性ばかりとは……)


 オスカーは内心そんなことを考えていた。

 他にも自分のような護衛や警備の男性がいるとばかり思っていたのだ。

 しかし、蓋を開けてみると会場の中は女性ばかりでオスカー以外に男性の姿は見あたらない。

 どうやら貴賓室の外や別室で待機しているようだった。

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