イオニアの行く末
「先ほどの母上の話、どう思う?」
自室に戻ったオスカーはリーシャに尋ねた。
「……フロリア人らしい考え方だなと思いました」
ドレスを脱ぎながらリーシャは答える。
さすがに疲れたのか、疲労困憊のようだ。
「やはりあの大公妃の妹だなと」
「ふむ」
「私がリューデン人らしい性格であるように、王妃様はフロリア人らしい性格だと思っただけです。
幼い頃に受けた教育や生まれ育った環境による影響はそう簡単に抜けるものではありませんから。
イオニアに嫁いで数十年経っても尚、王妃様はフロリア人であった。それだけのことですよ」
(フロリア人らしい、か)
もしもオスカーがイオニアに留まったままだったら、世界のことを知らぬままだったらリーシャの言葉の意味が分からなかったかもしれない。
だが、イオニアを出て様々な国を見て回ったオスカーには「フロリア人らしい」という言葉の意味がはっきりと理解出来た。
「やはり母上は魔法がある国の人間なのだな」
幼い頃から共に過ごしてきたが、オスカーはローザが魔法を使うのを滅多に見たことがなかった。
イオニアで暮らしていく子供のことを思ってか、はたまた「魔法の使用を禁じる」という言いつけを律儀に守っていたからか、王妃ローザはイオニアの気風に準じた「古い生活」をしていた。
だからローザはオスカーと同じ「イオニアの人」なのだと無意識に思いこんでいたのだ。
「ええ。そうでしょうね。魔法がない国に嫁いでも尚、王妃様は魔法がある国の人間であった。
だからこそ、魔法がない国を知らない人たちの国になるなどという表現を何のためらいもなく使えるのです」
「リーシャも気になったか」
「はい。魔法がなかった歴史を無かったことにするだなんて、いささか横暴ではないかと」
「実は俺も同じことを考えていた。母上と父上の考え方には齟齬があるように感じる」
「お兄様も同じように感じているのでは?」
「そうだろうな。母上の反応からして、兄上は母上の考えに同調していないように思える」
「ジルベールはどう考えているのか」という質問に対して王妃が見せた一瞬の間。
痛いところを突かれたような、ほんのわずかな瞬間だったが言葉を詰まらせた様子をオスカーは見逃さなかった。
ジルベールは愛国者だ。
自らが生まれ育った国を愛している。
幼い頃から王の後継として育てられ、騎士の文化を重んじつつもそれに捕らわれない柔軟さも兼ね備えている良き王太子である。
だからこそ、ジルベールがあの王妃の持論を聞いて賛同するとはオスカーには思えなかった。
「確かに兄上は魔法の導入に賛成している。だが、母上の言うようなやり方は好まないだろう」
「というと?」
「母上は『上から塗りつぶすのではなく色を馴染ませるようにゆっくりと同化させる』とおっしゃっていただろう。
だが、それは方便だと俺は思う。
魔法がない国を知らない人たちの国にするというのはイオニアの過去を否定し、無かったことにする……つまり、新しい色で上から塗りつぶすことに他ならないのではないだろうか」
「そうでしょうね」
「魔法がない国を知らないということは、騎士の文化も羊のスープも全て棄てて新しい国を作るのと同義だ。
そんな考えを兄上が受け入れるはずがない」
「新しいイオニア人。王妃様はそうおっしゃっていましたね」
古い歴史も文化も棄てて、魔法がある国として生まれ変わる。新しい時代と新しいイオニア人。
それが「イオニアの文化に沿った同化」の先にある物だとは思えない。
「新しいイオニア人。俺たちが求めているのはそんなものではないはずなんだ」
王妃との間に感じるズレ。それが何とも気持ちが悪い。
「新しいイオニア人となって初めて普通の暮らしが出来ると王妃様はお考えなのでしょうね」
「どういうことだ?」
「魔法があるのが当たり前。魔法がない時代を知らない。それはイオニアにとっては特異なことでも、外の世界では当たり前のことでしょう?
魔法がある土地からやってきた王妃様にとって異常なのはイオニアの方で、新しいイオニア人こそが普通なのです。
だからこそ、歴史や文化を上塗りすることに躊躇がない。むしろそうして初めて正常な状態に戻せると考えているのではないでしょうか」
「……それが魔法がある国に生まれた人間の考え方なのか?」
「必ずしもそうだとは限りませんが」
「……そうか」
「こればかりはどうしようもない、感覚の差だと思いますよ」
リーシャはそういうとため息を吐いた。
(どちらの気持ちも分かる。王妃の考えも、オスカーの考えも)
王妃にとってはイオニアを「正しい形」にしてあげるという意識なのかもしれない。
フロリアから嫁いできて強いられた不便を解消する絶好の機会だ。
いや、絶好の機会というよりも虎視眈々と待ち望んだ機会がついに訪れた、とも言うべきか。
うら若い娘が「魔女」と蔑まれ、後進的で原始的な生活をしながら数十年耐え続けた。
魔法を導入し、時代遅れな風習や慣習を棄てた「新しい国」として作り替える。
その野望をかなえる為、どんなつらい出来事も堪え忍んだ。
(正直言って、常軌を逸している。すさまじい執念だ)
その執念もフロリアの大公女ならではの物なのだろうとリーシャは考えていた。
幼い頃から「道具」として売られていく姉妹や親戚の娘を数多く見てきたはずだ。
フロリアの大公家に生まれたからにはそういうものなのだと「教育」され、古い国に嫁がされたのも仕方のないことだと、「魔女」だと虐げられるのも仕方のないことなのだと受け入れてきたのだろう。
それ故に、自らの理想を実現することへの執着、とりわけ魔法がある国の文化へ塗り替えることへの執着が人一倍強いのかもしれない。
先代の王と王妃が亡くなるまでそんなことはおくびにも出さず、機が訪れるまで大人しくしていたのは流石だ。
「リーシャはどう思う」
オスカーはリーシャに問いかけた。
「リーシャも魔法がある国の生まれ、つまりは母上と同じ立場の人間だ。忌憚なき意見を聞きたい」
「私は、古い文化は残すべきだと思います」
リーシャははっきりと答えた。
「王妃様が行おうとしているのは文化の浄化に他なりません。文化の同化、すなわち、イオニアを魔法がある国の文化に同化させる……と。
そうではなく、今のイオニアの文化を残しつつイオニアの生活に合った形で魔法を取り入れていくのが最適かと」
「羊のスープだな」
「そうです」
技術の発展に伴い使われなくなった物を捨て去るのではなく、他の形で継承していく。
祖先の歩んできた足跡や誇りを否定するのではなく語り継いでいく。
例え魔法を受け入れたとしてもイオニアが大切にしてきた物を手放す必要はないのではないだろうか。
「魔法がない国だった。それは決して恥ずべきことではない。私はそう思うんです。
上から塗りつぶして消さなければならない、なかったことにしなければならないような物ではない。
遊牧の文化も騎士の文化も、イオニアにとっては魔法よりも大事なものだった。
それで良いではありませんか」
「恥ずべきこと、か」
「言葉が過ぎたようでしたら申し訳ありません。ただ、『魔法を知らない国だったことを知らない国になる』ことを肯定するということは、そういう意味なのかなと」
「そうだな。なかったことにするということは、そういうことだろう」
オスカーは静かに目を閉じた。
(それを良いものだと思っているならば、なかったことなどにはしない。母上にとって今のイオニアは語り継ぎたくないほど恥ずかしい物なのだろうか)
分からない。
己を産んだ、血のつながった母親だというのに王妃の考えが分からない。
「ただ、先ほどもお話したように何世代もかけて慣れていくしかないというのはその通りだと思います」
「ああ、それは分かっている。魔法肯定派と反対派とで分断が起きているならなおさら……だ」
「魔法反対派の方々がご存命のうちはなかなか魔法を広めることも出来ないでしょうから、長い目で見る必要があるでしょうね」
「そう性急にことを進めるつもりはない。俺とて魔法の拾得に苦労しているのだ。頭の固い古老に魔法を使え、理解しろといっても無理なことは十分承知している」
魔法は大人になればなるほど身につきにくくなる。
魔力の量も減少するし、頭が固くなって感覚がつかみにくくなるのだ。
そのため、既に成人してから時間が経った大半のイオニア人が魔法を拾得するのは難しいだろうとオスカーは察していた。
言葉を使う魔法は難しい。使えても魔道具程度だろう。
「だからこそ若い世代、そしてこれから生まれてくる子供たちにイオニアの未来を託そうと――」
「そこまでは王妃様と同じ考えです」
「そうだな。終着点は違えども、向いている方向は同じだ」
それがもどかしい。
「根本的な考え方が異なっているようなので説得するのは難しいかもしれませんね」
「……うむ。近々兄上に文を送ろうと思う」
「それが良いでしょう。ただし、王妃様に気取られぬようにした方が良いかもしれません」
「そうだな。内密に……ロランにでも文を持たせよう」
ロランはオスカーに心酔している。
オスカーの頼みとあらば確実にジルベールへ手紙を届けてくれるだろう。
「悩み事がつきませんね」
リーシャは「やれやれ」と言った様子でベッドに腰をかけると膝の上をぽんぽんと手で叩いた。
「まさかこんな悩みが出来るとはな」
オスカーはリーシャの膝の上に頭を置いてごろりとベッドに横たわる。
想定外だ。王妃があんなことを考えているだなんて思わなかった。
「だが、リーシャには感謝をしている」
「感謝?」
「俺を外に連れ出してくれただろう。おかげで母上の話に疑問を抱くことが出来た。昔の俺だったら面倒だと言って話すら聞かなかっただろうから」
「なるほど」
「政には興味がなかったからな。そういうことは兄上の領分だったし……まさか自分がこうして頭を悩ませることになるとは思わなかったよ」
「それは成長したということなのでは?」
「そうなのか?」
「多分」
リーシャはオスカーの額に手をひたりと当てる。
そしてそのまま何度か頭を撫でるとオスカーは恥ずかしそうに「子供扱いしてないか?」と尋ねた。
「私の方が年上なので。たまには甘やかそうかなと思いまして」
「……うむ」
リーシャの細い指が髪を梳く感覚が心地よい。
(たまには悪くないか)
少し気恥ずかしさを感じながらも、オスカーは抵抗することなくリーシャに身を任せた。