魔女の執念
「そういえば、賢者の学び舎に人を派遣する話はどうなったんですか?」
リーシャが王妃に尋ねると「滞りなく進んでいますよ」と王妃は答えた。
「まずは十人ほど学び舎に派遣する運びになっています。
以前より目星をつけていた魔法に関心のある者達を召集して近いうちに派遣する予定です」
「まさか、あの古老達を説得出来たのですか?」
オスカーの言葉に王妃は苦笑いをする。
「いいえ。彼らは相変わらずですよ。なので、あくまでも調査という名目で極秘裏に話を進めているのです。
特に口の堅い信用のおける者達を選びました」
「……そうですか」
「オスカー、人の思想というものはそう易々と変わるものではありません。
特に国全体に染み着いた古い思想というものは尚更のことです。
ですから私も王も、初めから彼らを説得しようなどとは考えていないのです」
「どういうことですか?」
オスカーは困惑した。
イオニアの、とりわけ年齢を重ねた重臣たちは魔法に対する忌避感が強い。
古くからの伝統である「腕と剣」を重んじ、魔法を排斥してきた先代王の影響を強く受けているからだ。
だからこそ彼らを説得するのがイオニアに魔法を導入する際の最大の壁であるとオスカーは考えてきたのだ。
それを「初めから説得しようなどとは考えていない」とは、どういうことなのだろう。
「彼らを転向させるのは無理であると、私は考えています」
王妃は言う。
「幼い頃からそれしか知らずに育った彼らに、今更新しい価値観を受け入れろと言うのは酷なのです。
彼らは『腕と剣』を誇りとして生きてきた。魔法に頼らず国を守る。生まれた頃からそれを矜持として暮らしてきた。
そんな人たちに『魔法を受け入れろ』と言うのは彼らの人生そのものを否定しているのと同じです。
受け入れられる訳がない。
ですから、彼らを説得するのは無理だと私は考えています」
「では、どうするおつもりなのですか? 重臣たちに断りもなく、彼らを無視して物事を進める訳には行かないでしょう」
「ええ。ですから、待つことにしました」
「待つ?」
「先王も亡くなり、彼らも古老と呼ばれる年になった。性急に事を進めずともいずれ時代は変わります」
穏やかな顔をする王妃にオスカーは言葉を失った。
(つまり、反対派の重臣たちが死ぬのを待つと……そう言っているのか?)
先王を支えた重臣たちももう年だ。中には病や寿命で亡くなる者も出始めている。
派閥の人数が多い分まだ大きな発言権を持っているが、この先十年、二十年もすれば大分形勢が変わってくるだろうことは目に見えている。
だからそれまで待つと王妃は言っているのだ。
(焦らずとも待っていれば必ずその機はやってくる。理屈は分かる。だが、随分と気の長い話だ)
もしかしたら王妃や王が生きているうちには成し遂げられないかもしれない。そんな話だ。
「だから派遣する者達は若者を中心に選んだ、と」
リーシャの言葉に王妃は目を細める。
「良く分かりましたね」
「私も以前同じようなことを考えたことがありました。イオニアに魔法を広めるには、魔法に対する忌避感が薄い若い世代を中心に魔法を普及させて世代交代をさせるしかないと」
「おっしゃるとおり」
王妃は満足そうな笑みを浮かべた。
「気の長い話だと思われるでしょう。でも、それが一番良いと思っているの。
そうやって長い時間をかけてゆっくり魔法を受け入れていく方が、イオニアにとっても良いことだと……」
「同感です。魔法は薬にも毒にもなりますから」
「良かった。分かっていただけて嬉しいわ」
(やはりこの人はフロリアの人だ)
とリーシャは思った。
王妃は魔法のある国で生まれた。だから分かっているのだ。魔法がイオニアにどのような変化をもたらすのかを。
幼子でも使えるような火を灯す魔法一つとってもイオニアの生活を激変させるのは目に見えている。
もしも一気に、大量の魔法が入ってきたらどうなる?
劇的な変化に国の文化は破壊され、それまで築いてきたものは跡形もなくなってしまうだろう。
王妃はそれを分かっているのだ。
だからこそ、長い時間をかけて少しずつ魔法を取り入れようとしている。
「以前オスカーが心配していました。魔法が入ってきたら騎士という存在は消えてなくなってしまうのではないかと」
「まぁ、オスカーが?」
王妃がオスカーの方を見るとオスカーは気恥ずかしそうに目を反らす。
「その気持ちも分からなくは無いんです。
私は生まれたときから魔法がある場所で育ちました。だから完全には理解出来ていないかもしれないけれど……。
以前イオニアでの暮らしぶりを拝見した際に、思ったんです。誰でも使えるような火起しの魔法一つでもイオニアの生活は激変してしまうと。
照明の魔道具や魔動炉、保冷庫が入ってきたら、街を照らす篝火も伝統的な塩漬けの文化も無くなってしまうかもしれないと」
「でも、それは仕方のないことだわ。古いもの、時代遅れの物は淘汰される。進歩する、発展するとはそういうことですもの」
「ええ。王妃様のおっしゃるとおりです。便利なものが入ってくれば不便な物は排除され、置き換えられる。当然のことでしょう。
ですが、少し寂しく感じたのです」
リーシャは一息つくとオスカーの方をちらりと見た。
「私は、イオニアで食べた羊のスープが好きでした。かつて遊牧民だった祖先の文化を忘れないように受け継がれた伝統的なスープ。
保冷庫がないので羊肉を香辛料と塩でつけ込み、瓶に汲みおいた貴重な水を使って振る舞うごちそう。
イオニアの歴史と文化が詰まった、イオニアそのものを表すスープだと感じました。
夜の街の、今はもう滅多に見られなくなった篝火の灯りも好きです。ガス灯や照明の魔道具とは違う、懐古的な暖かさが美しかった。
きっと魔道具や魔法が入ってきたら、あのような景色ももう見れなくなってしまう。そう考えると少し寂しかったのです」
「でも、その懐古的な風景を残すために魔法を拒否し続ける訳には行かないのよ」
「分かっています。だからこそ、王妃様は少しずつ魔法を取り入れようとされているのでしょう?」
リーシャがそう言うと王妃はぽかんとした後に「ふふっ」と笑った。
「全くこの子は」とでも言いたいような表情である。
「イオニアに文化的な変化が訪れるのは今回が二回目です。一度目は遊牧民から定住民になる際の過渡期。
遊牧生活を棄て、定住を選んだイオニアの民の生活や文化は大きく変化したはずです。
その際もおそらく、今回と同じようなことが起きたのではないでしょうか」
「そうね。きっとそのまま遊牧を続けたがった人たちもいたでしょうし、定住することに反対した人もいたはず。
それでも王の祖先は定住を選び、都を拓いて国を作った」
「当時の王は、国王陛下と同じように民のことを考えて悩んだ末に定住生活を選んだのだと……これは私の想像に過ぎませんが」
「そうでしょうね」
「結果、遊牧という文化は無くなってしまいましたが羊のスープという形でその痕跡は残ることになりました。
王妃様は羊のスープと同じように、できるだけ今のイオニアの文化を残したいと思っている。
だから一度に全てを受け入れるのではなく、水滴を一滴ずつ垂らすように、少しずつ取り入れようとしているのではないですか?」
王妃は何も言わずにワイングラスに口を付けた。
長い沈黙だ。
オスカーもシルヴィアも、マリーですらも言葉を発しない。
「私はイオニアの人間ではないから」
静かな室内に王妃のそんな呟きが聞こえた。
「先代国王の妻、先代王妃に至るまで、イオニアの王はイオニアの娘を妻とするのが慣習だったの。
私は異国の人間、それも魔法を使う国の生まれだということで白い目で見られ、後ろ指を指される毎日だった。
運が悪かった、と思ったわ。
どこかに嫁がなければならないことは分かっていたし、嫁いだ先でろくな目に遭わないだろうと覚悟はしていた。
けれど、まさか魔法がない国だなんて……」
(やはり王妃はフロリアの薬草取引の礼として売られたのか)
嫁がなければならないことは分かっていた。
嫁いだ先でろくな目に遭わないだろうと覚悟していた。
フロリアにいる間に同じような目にあっている女性を大勢見てきたのだろう。
そして、自分もいずれそうなるのだと覚悟を決めていた。
(オスカーに縋ったアイリスも同じだった。皇帝の母、ラベンダーも……。やはりあの国は好かない)
例えそれが国を守るための手段だったとしても嫌悪感を抱いてしまう。
「先代王妃は当たりが強い方でね、若い頃は毎日泣いて暮らしていたわ。
でも、私には帰る場所なんて無かったから、耐えるしかないと思ったの。
魔法を使うことも禁止され、魔道具もない。
言い方は良くないかもしれないけれど、前時代的な生活にも衝撃を受けて……。
魔道具があれば瓶に水を汲まなくても良いのにと何度思ったことか。
幸いだったのは、夫となった王太子――現国王が私を気遣ってくれたこと。
私の事を魔女だと罵る先代王妃から庇い、『魔法』の話も楽しそうに聞いてくれた。
私のために温室まで作ってくれた。
この人は他の人たちと違う。そう感じたの」
王妃は遠い目をする。
先代の王と王妃が亡くなりようやく身軽になったが、若い頃は苦労をしたのだ。
「魔女」――どこから聞いたのかは知らないが、先代王妃はよく「魔女だ」と言って王妃を罵った。
「魔女」は魔法を使う女性に対する侮蔑の言葉だ。まだ魔法が広まる前に使われていた言葉だという。
「よくもそんなに古い言葉を」と思ったが、この国にとって確かに自分は「魔女」に近しい存在なのだろうと王妃は感じた。
魔法を拒む国に異国からやってきた魔法を使う女。
それはそれで仕方がないと、否定する気も起こらなくなった。
「夫は――あの人は、いやな顔一つせずに魔法の話を聞いてくれた。こっそりと魔法を見せると喜んでくれた。
聞く耳を持った人だと思ったわ。だから言ったの。
イオニアに魔法を導入してはどうかと」
(初耳だ)
オスカーはシルヴィアと顔を見合わせる。
今まで一度も聞いたことのない話だった。
(魔法の導入は父上のお考えだとばかり思っていたが、母上から言い出したことだったのか)
だが、考えてみれば分かることだ。
魔法を遠ざけられて生きてきた父がなぜ「魔法を導入すべきだ」という考えに至ったのか。
そこへ至るまでになにかきっかけがあったはずだ。
ただ漠然と、父は祖父に比べて魔法に寛容だからだと考えていた。柔軟な考えを持っていたからだと。
(そうではなく、誰かに感化されたものなのだとしたら)
魔女――。そう言われるのもさもありなん。
息子を唆す悪い魔女。祖母である先代王妃の目にはそう映ったに違いない。
「私たちは若かったから、今すぐに何かできる訳ではないのを分かっていたわ。
先代の国王と王妃が存命のうちは意見も通らないし重臣たちも魔法を受け入れようなどという寝言には耳も貸さない。
だから待つことにしたの。
いずれ夫はこの国の王になる。古いしきたりの残るこの国でそれが覆ることはない。
それまでの辛抱だと思えば、どんな理不尽にだって耐えることができたわ」
「だからこれから先、古老たちがこの世を去るのを待つのなんて些細な事だと?」
「そうよ」
(ああ、私が生まれながらのリューデン人であるように、この人は生まれながらのフロリア人なんだな)
王妃の力強くまっすぐな瞳を見てリーシャはそう思った。
やはり王妃はフロリアの大公妃、カメリアの妹だと。
どんなに泥水を啜っても折れない強い心。フロリアの大公女という立場で培われた不屈の心を持っている。
(強い人だ)
そして、強かだと思った。
「色々あったけれど、私もイオニアという国が好きなの。
牧歌的な風景も、昔ながらの生活も、今はとても素敵な物だと思っているわ」
「だからそれが完全に失われないように、少しずつ同化させようというお考えなのですよね?」
「そうね。上に塗り重ねるのではなく、ゆっくりと馴染んで生活の一部になっていくような。
出来ることならばイオニアの文化に沿った形で同化していくのが望ましいと考えているわ」
「イオニアの文化に沿った形で」。
魔法を段階的に取り入れることにより、イオニアにゆるやかな変化をもたらそうという考え方だ。
めざましい発展を目指している訳ではない。
魔法が文化の一部となるように時間をかけてゆっくりと取り込んでいく。
「でしたらやはり、魔法が流入した後に生まれた世代に託すしかないでしょうね」
「魔法がある世界に生まれた新しい世代――新しいイオニア人、と呼ぶべきかしら」
「新しいイオニア人」――何とも不思議な言葉だった。
「魔法を知らない古い世代と、魔法があるのが当たり前となった新しい世代の間には必ず確執が生まれます。
常識も、文化も、生き方も全く違う。
魔法がある世界に馴染める者とそうでない者、同じイオニアの民であってもある程度の隔たりが生まれてしまうでしょう」
「仕方のない事よ。それでも私たちは、魔法を受け入れなければならない。
時代に取り残されないために、古い者達を切り捨てる覚悟をしなければならないわ」
「いずれ古きものは淘汰され、新しい時代の人々しかいない世界になるでしょうね」
「ずっと先の話になるわ。その頃には私たちはもうこの世にいない。古老たちも、魔法がない時代を知らない人たちの国になるの」
(それは、文化の浄化ではないのだろうか)
リーシャは違和感を覚えた。
王妃の言っていることは正しい。
魔法が広まる前、まだ戦争があった時代。騎士が国を守っていた、守れていた時代は終わった。
魔法が広まり魔法を使うことが当たり前になった今、魔法がない、魔法を知らないことは「時代遅れ」となり、イオニアは世界から取り残されることとなった。
現状を打破し、国をより繁栄させるためには魔法の導入は急務であり必須である。
それはリーシャもよく分かっているし、魔法を知る若い世代が大人になって初めてイオニアに魔法が定着するだろうという考え方は同じだ。
だが、王妃の口振りに何とも言えない違和感を覚えた。
(魔法がない時代を知らない人たちの国になる。果たしてそれはイオニアと呼べるのだろうか)
どこか心の中に引っかかる。
イオニアの民を外の世界の常識と同化させる。
イオニア独自の文化として昇華させるのではなく、同化。
古い者達を切り捨てた、新しい世界。
「素敵でしょう?」
同意を求める王妃にリーシャは返事をする事が出来なかった。
(何か違う)
同じ意見を共有しているはずなのに、どこかでそう感じている。
「兄上はどうお考えなのですか?」
言葉を失ったリーシャの代わりにオスカーが口を開いた。
「ジルベールには後を頼むと伝えてあります」
「それは……兄上も賛同しているという意味でしょうか」
「あの子にならば任せられると陛下もおっしゃっています」
(つまるところ、兄上との間に意見の相違があると)
王妃の返答には一瞬の間があった。ほんの一瞬、王妃が言葉に詰まったのをオスカーは見逃さなかったのだ。
(一度兄上と話をした方が良さそうだな)
シルヴィアの方を見ると何か言いたげな目をしている。
さしずめ同じようなことを考えているのだろう。
「分かりました」
ここは一度引き下がるべきだ。
これ以上は追求すべきではない。
そう考えたオスカーはリーシャに目線を送る。
「先の長い話ですから、これからじっくり考えていけばいいわ」
王妃はそういうと新しいグラスにワインを注ぎリーシャに手渡す。
「イオニアの未来に乾杯しましょう」
「……はい」
「では、久しぶりの再会とイオニアの未来に。乾杯」
そういうと王妃は杯を高く掲げた。




