不審な援助
日が沈んで空に星が浮かんだ頃、貴賓室では夕飯の準備がなされていた。
ダイニングテーブルを囲み談笑をする面々の前にホテルのシェフが腕によりをかけて作った料理が運ばれてくる。
趣向が凝らされ、見た目も華やかな前菜。良く濾されて舌触りの良いスープ。
それを料理に合わせて用意されたワインと共に楽しんだ。
「リーシャさんのドレス、素敵ね」
淡い緑色のイブニングドレスを身に纏ったリーシャにシルヴィアが声をかける。
「ありがとうございます。昔作った物なので流行遅れかもしれませんが……」
「流行なんて気にしなくて良いのよ。気に入っているならばそれで良いじゃない。よく似合っているわ」
シルヴィアはそういってはにかんでみせた。
(本当に気立ての良い人だ)
シルヴィアがいるといつも場の空気が明るくなる。
持ち前の明るさはもちろん、相手に対する気遣いや声かけが人一倍上手い。
竹を割ったような溌剌とした性格で周囲を引っ張っていく面倒見の良さもある。
そんな姉にオスカーは頭があがらないようだが、彼女が姉だったからこそオスカーが実直な性格に育ったのだろうというのが目に見えて分かった。
「リーシャお義姉さま、私のドレスはどうでしょうか」
少し照れた様子でマリーが問いかける。
「よく似合っていますよ。大人っぽくて良いデザインですね」
「本当ですか?」
マリーは食い気味に身を乗り出すと興奮した様子で
「実は私、大人の女性を目指しているのです!」
と言い放った。
「ぶっ」と吹き出す声が聞こえ、リーシャの横でオスカーがゴホゴホと咽せている。
飲み物がおかしな場所に入ってしまったようだ。
「大人の女性?」
マリーの口から飛び出した突拍子もない言葉にリーシャは目を丸くする。
「はい! 私ももう十五ですから!」
「イオニアでは十五になったら成人扱いなの」
横からシルヴィアが補足を入れる。
「成人と言うことは……」
「婚姻が認められる年齢になったということよ」
それまで黙って聞いていた王妃が口を開いた。
「マリーの結婚相手ってもう決まっているんですか?」
「いえ。甘やかしすぎたのか、どうもこの子は夢見がちで……」
「いつか白馬に乗った魔法騎士様が迎えに来てくれるって聞かないのよ」
さすがのマリーも恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にして俯いている。
その初な姿は夢見がちな乙女そのものだった。
マリーは信じているのだ。絵物語や乙女小説に出てくるような魔法騎士や王子がいつか自分を迎えに来ると。
物語で描かれるような運命的な出会いが待っているのだと。
ある程度年を取ってから乙女小説を嗜んだシルヴィアと異なり、マリーは一番敏感な思春期を乙女小説と共に過ごした。
乙女小説がマリーに与えた衝撃や影響は計りしれず、すっかり「生粋の乙女」として育て上げられてしまったのだ。
「まぁ、ジルベールも私もすでに配偶者がいるし、ジルベールには息子もいるからマリーは自由にさせてあげようって話になって、今の今まで婚約者も決めずに居たんだけど」
「なんだか耳が痛い話だな」
「オスカーもマリーと同じ恩恵に預かっていた訳ですし」
「……返す言葉もない」
三十後半になるまで自由を謳歌させて貰っていた分、オスカーにはマリーの「夢」を批判することは出来なかった。
ジルベールやシルヴィアのおかげで成り立っていた生活だと充分承知しているからだ。
「お兄さまもリーシャお義姉さまという素晴らしい伴侶と出会われたではありませんか。
私にもいつかリーシャお義姉さまのような素敵な方が現れると信じているのです!」
「そう言われると俺からはなにも言えんな」
「まったく、仕方のない娘ですね」
そうため息をつきつつも、王妃のマリーを見る目は優しい。
(年を取ってから出来た子だからか、特別かわいがっているんだろうな)
リーシャの目から見ても王妃やオスカー、シルヴィアがマリーを溺愛しているのは明らかだった。
だからこそ「乙女小説のような恋」を夢見ているマリーを「決められた相手と結婚をしろ」と頭ごなしに叱りつけるようなことはしないのだろう。
(そう考えると、フロリアのアイリスは不幸な娘だった)
マリーの従姉妹、フロリア公国の大公女アイリスの姿が脳裏に浮かぶ。
国の利益のために誰とも知らない相手に嫁がなければならない。
覆すことの出来ない運命に従うしかない、そういう星の下に生まれたアイリスはマリーとは正反対の立場だ。
(マリーは幸運だ。もしも王妃様がイオニアに嫁がなかったら、こうして夢を見ることすら叶わなかったかもしれないのだから)
同じフロリア大公家の血が流れていても、どこで生まれるかによってこうも運命が変わってしまうとは。
リーシャはなにも知らずに無邪気に笑うマリーを見て、なんとも言えない気持ちになった。
「そろそろ本題に入っても良いかしら」
話が一段落したところで王妃が話を切り出す。
「確か、国王陛下からの言伝があると」
「ええ。オスカーからいろいろと手紙を貰ったでしょう? そのことについて報告があるの」
王妃の言葉にオスカーは姿勢を正した。
王妃の言葉は王の言葉だ。自らが進言、提案した事への回答が得られることに緊張しているようだ。
「まずは飛行船について。
以前にも手紙で伝えましたが、冠の国から迎えた二名の飛行船技師をイオニアの技師として雇うことになりました。
ただ、現時点では我が国での飛行船の建造は困難なため、中古の飛行船を購入してそれを修繕して使うこととします。
修繕に使用する場所、及び保管場所については別途検討中です。資材は冠の国から輸入をする手はずになっています」
「そのことなのですが」
手紙を貰った時から不思議に思っていた。
オリバーとモニカがイオニアに亡命したことは冠の国でも周知しているはず。
最新式の発動機を開発したオリバーを失ったのは冠の国にとっても痛手だ。
しかもそれが他国へ渡ってしまったとなれば、イオニアに対する心証も良くはないはずだ。
それなのに、亡命先に資材を融通するなんて、そんな虫のいい話があるのだろうか。
「新しく船を造れないのは分かります。イオニアには船を造るだけの鉄も、水も、金もない。
ただ、冠の国から資材を取り寄せるというのは一体どういう了見なのですか?」
「偉大なる帝国からの申し出です」
戸惑うオスカーに王妃は答えた。
「冠の国は今、偉大なる帝国の統治下にあるでしょう?
造船業は帝国の指揮下にある『ウィナー公船会社』が掌握しているのだそうです。
なので、飛行船技師の方々が我が国へ亡命したことは既に帝国に伝わっていて、彼らの工場も『ウィナー公船会社』に接収されたと聞いています。
その『ウィナー公船会社』の社長から直々に『足りない資材があれば提供可能である』と連絡があったのです」
「ウィリアム・ウィナーから?」
「いいえ、たしかヴィクトリア・バーバラという方だったような」
「聞いたことのない名前だな」
「もしかしたらウィリアムは左遷されたのかもしれません」
あれだけの醜態を晒したのだ。
皇帝の不興を買っていてもおかしくはない。
「そのバーバラ氏が資材を回してくれると」
「はい。その際、技師のお二人については一言も言及がありませんでした」
「不問に付す、と」
「そのようです」
(技術の持ち逃げをしたにも関わらずお咎めなしとは。逆に不気味だ)
二人の逃亡を把握しているはずなのに言及がないということは、些細な問題であると考えているのか。
それとも、何か別に思惑があるのか。
そのヴィクトリア・バーバラという人物がどういう人物なのか分からない以上、額面通りに受け取るのは危険だ。
「なんならば技師の派遣も厭わないと、手紙には書かれていました」
「優しすぎて怖い位だと思わない?」
シルヴィアは言う。
「今まで全く交流のなかった国に対する態度じゃないわ。こんな、望むなら何でもしてあげる……みたいな態度、どう考えてもおかしいわ」
ヴィクトリア・バーバラからの手紙が届くまで、イオニアと偉大なる帝国は接点もなく、人の行き来も物のやり取りもない、「赤の他人」のような関係性だった。
国を閉ざしていたイオニアにとってはどの国も偉大なる帝国とさほど変わらないようなものだったが、だからこそこんなに「親切」にされる謂われはない、おかしいとシルヴィアは不信感を抱いたのだ。