姫騎士物語
宿の最上階にある貴賓室、その居間にリーシャとオスカー、王妃とシルヴィア、マリーの姿があった。
「長旅お疲れさまでした。イオニアからは遠かったでしょう?」
「ええ。でも飛行船で来たからあっと言う間だったわ!
私、飛行船に乗ったのは初めだったからあまりの快適さにびっくりしちゃった」
三人の長旅を労いながら久しぶりの再会を喜び合う。
シルヴィアは「おみやげ」と言って数冊の本をリーシャに手渡した。
「これは?」
「最近こっちで流行っている乙女小説よ。
見て、この表紙。
見覚えがあるんじゃない?」
シルヴィアの言葉にリーシャは怪訝な顔をする。
淡いピンク色、黄緑色、水色の表紙をした三部作のようだ。
紙製だがしっかりした作りの表紙に騎士と姫の絵が描かれている。
「この騎士……」
灰色に近い白い髪を編み上げ、銀色の甲冑を身につけた騎士がピンク色の服を着た姫にダンスを申し込むシーンが描かれている。
よく見ると騎士は女性で、黄緑色の瞳をした見目麗しい女騎士だった。
『姫騎士物語』
それが本のタイトルだ。
「それ、絶対お義姉さまがモデルですよね?」
横からマリーが口を挟む。
「これは一体?」
「一年くらい前かしら。フロリアの商人が持ってきたのよ。
何でもフロリア内製の乙女小説らしくて、貴族のご令嬢が書かれているんですって」
「フロリアのご令嬢……」
心当たりはある。
フロリアの夜会でオスカーにダンスを申し込んだとき、周囲にいた令嬢達が色めき立っていた。
オスカーとのダンスを終えた後に取り囲まれて大変だったのだ。
その令嬢達の中の一人、もしくはその話を聞いた誰かが書いたものである可能性は高い。
「どういう話なんですか?」
「顔がいい異国の皇帝に求婚されて不本意な結婚をさせられそうになった姫を流浪の姫騎士が救う話よ」
「女性同士の恋愛物語なんです!」
「へぇ……」
(なんかいろいろ混ざってる!)
ぱらぱらと本をめくるとヴィクトールによく似た雰囲気の「皇帝」が目に入る。
これまたリーシャによく似た姫騎士が皇帝から姫を取り戻すシーンだ。
「やっぱりリーシャさんがモデルよね? よく似ているし」
「……おそらく。こんな本が書かれているとは知りませんでしたが」
「リーシャさんに無断で作られた本だということ?」
「そうですね」
「まぁ!」
シルヴィアとマリーは顔を見合わせた。
リーシャを知っている者が読めばすぐに姫騎士がリーシャを元にしていることが分かる。
それほど細かい、きわどい描写が多い。
まさかそれが本人に無断で書かれたものだとは思わなかったようだ。
「私だけではなく、この皇帝とやらはヴィクトールが元でしょうね」
「ヴィクトールって偉大なる帝国の?」
「はい。顔もそっくりですし、彼もその場に居たので」
「その場って?」
「フロリア公国で開かれた私とオスカーのお披露目会ですよ」
そう言ってリーシャが王妃の方を見ると王妃は気まずそうに頭を下げた。
「本当にあの時はごめんなさい。まさか姉がそんなことをするなんて思わなかったの」
(本当かなぁ)
王妃を信じていない訳ではない。
だが、大公妃カメリアだけが悪いとはどうしても思えない。
カメリアに早とちりさせるようなことを王妃は言っている。
それを誤魔化して大公妃に責任を押しつけようとしている。
リーシャにはそう感じられてならない。
王妃もフロリアの女だ。
リーシャがリューデンの女から抜け出せないように、王妃もフロリアの血からは逃れられないはずだ。
「いえ。きっと何か行き違いがあったのでしょう。
しかしながら、この本はちょっとやりすぎですね」
リーシャはポンポンと本の表紙を叩く。
「先ほどこの本はフロリア内製だとおっしゃっていましたが」
「ええ。大公家直々に出版したものだと聞いているわ。
最近乙女小説がますます流行っているでしょう? 商売の一つとして考えているみたい」
「なるほど」
乙女小説を薬草、生花に次ぐ第三の産業として育てようとしているようだ。
となると、余計に気に入らない。
「私のお披露目会をしておいてこんな本を作るなんて。
あの晩大広間にいたフロリアの貴族が読んだら一発で私の事を書いていると丸わかりではありませんか」
「そんなに酷い内容なのか?」
荷下ろしをしていたオスカーが戻ってきた。
リーシャから本を受け取るとぱらぱらとページをめくる。
「ざっと見ただけですが、妙なところが細かいんです。
姫騎士は東方の貴族令嬢で流浪の旅をしているとか、その旅同行している少し頼りなさそうな男の存在とか」
「……まさか、その少し頼りなさそうな男とは俺のことを指しているのではあるまいな」
「さあ、どうでしょう」
挿し絵をよく見ると姫騎士の後ろに薄いインクで黒髪黒目の男が描かれている。
ただ、姫と姫騎士の邪魔になるからかぼんやりとぼかして描かれていた。
「……」
挿し絵を見たオスカーは沈黙する。
それがどう見ても自分を描いた物であると察したのである。
「姫が皇帝に求婚されるシーンなんてまんまじゃないですか」
「え!?」
シルヴィアは大きな声を上げた。
「まんまってどういうこと? リーシャさん、帝国の皇帝陛下に求婚されたの?」
「はい。あ、でもこのときはダンスを申し込まれただけなので多少誇張されて」
「オスカー! あなた、それでいいの? 帝国の強運皇帝といえばとてつもなく顔が良いって有名じゃない!
リーシャさんが盗られちゃったらどうしよう!」
「落ち着いてください、お姉さま! リーシャお義姉さまはもうお兄さまと婚約されたのですよ?」
「それはそうだけど!」
皇帝、ヴィクトール・ウィナーはシルヴィアの好みだった。
飛行船を扱うようになってからイオニアは冠の国を通して偉大なる帝国との交流を始めた。
イオニアには本格的な造船施設もなく、資材に関しても冠の国を通して取り寄せる他ないからである。
その中で冠の国の新聞を手にする機会があり、そこに掲載されていたヴィクトールの写真に心を射抜かれたのだ。
「あんなに素敵な殿方に言い寄られたら誰だって虜になってしまうわ!」
「お姉さまはずっとこうなんです。お義兄さまも呆れていますわ」
シルヴィアの夫はヴィクトールに夢中になる妻を咎める事はしなかった。
実際ヴィクトールは年を取ったとはいえ男でも見惚れる良い男だし、婦人方の間で密かに複製された写真が出回っているという噂も耳にしていたからだ。
それに、イオニアはこれから偉大なる帝国と付き合いをしていかなければならない。
イオニアの王女たるシルヴィアが帝国の皇帝に好意を持っているのは悪い話ではないと入り婿であるシルヴィアの夫も理解しているのだ。
「私はオスカーの婚約者なのでご安心ください。皇帝陛下とは何もありません。ただの仕事仲間のようなものです」
リーシャはそういうとさりげなく左手に光る婚約指輪を見せた。
「その指輪は?」
「オスカーから貰った婚約指輪です」
「婚約指輪?」
初めて聞く言葉にシルヴィアは興味津々だ。
イオニアには「婚約指輪」という概念が無い。
そもそもそれ自体レア・ルドベルトが作った新しい概念だからだ。
「最近西方の貴族令嬢の間で流行っている物で、婚約の証に殿方からいただく特別な指輪なんだそうです」
「素敵!」
マリーが目を輝かせる。
そういうロマンティックな物は相応にして乙女の心を惹きつけるものだ。
「『白鯨の愛し子』という乙女小説をご存じですか?」
「聞いたことないわね」
「でしたらこちらを是非。北方発の小説なのですが西方でも人気があるんですよ」
リーシャは収納鞄から「白鯨の愛し子」を取り出すと二人に手渡した。
「ありがとう。読んでみるわ」
シルヴィアは嬉しそうに本を受け取る。
飛行船での貨物輸送が始まったとはいえまだまだ遠方の物品は手に入りにくい。
こうして読んだことのない異国の本を入手出来るのはごくわずかな人間だけだ。