おいしそうな食事
「寒かったでしょう。もう大丈夫。温かい食事を用意しましたからね。召し上がってください」
森の奥深くにある小さな小屋の中、リーシャとオスカーは富豪も驚くような豪勢な食事に囲まれていた。
作りたてなのだろう。湯気が立ち上るおいしそうな匂いがするスープに森の獣を捌いてちょうどいい柔らかさに焼いたステーキ、極彩色のキノコと山菜をふんだんに使ったソテーに川魚を使ったジュレ。
机に並べきれないほどの料理が次から次へと運ばれてくる。
「さあ、冷めないうちに」
女性はリーシャの前に置いてあるグラスに酒を注ぐと食事をするよう促した。
(ああ、なんておいしそうな料理なんだろう)
部屋いっぱいに充満した食欲を刺激する匂いに頭がくらくらする。今まで感じたことのない、「食べなければ」という焦燥感に刈られてリーシャはスプーンを手に取った。
「リーシャ……!」
スープを一匙掬って口に運ぼうとした瞬間、横から伸びたオスカーの手がリーシャの手首を捕らえる。
「食べないんですか? こんなにおいしそうなのに」
あたまがくらくらするほどの強烈な香り。しびれとも吐き気ともとれない不快感に苛まれながらも、オスカーはリーシャの手を離そうとはしなかった。
(この食べ物は、まずい。リーシャが平然としているのはお守りのせいか? だが、なにか、何か様子が……)
体が痺れてきたのか、うまく頭が働かない。
普段ならば、普段のリーシャならばこの状況に違和感を覚えるはずだ。むしろ、オスカーよりも先に「おかしい」と忠告をしてくるはずなのだ。
だが、今のリーシャはそんなそぶりを一切見せずになんのためらいもなく食事を口にしようとしている。
(急に夜になり、音も立てずに背後に現れた女……、あらかじめ用意されていた奇妙な料理……。全てがおかしいはずなのに、リーシャは……。躊躇うことなく女について行き、食事をしようとしている。この状況は非常にマズイ)
力が入らなくなる体を奮い立たせ、オスカーは身を起こして剣を引き抜いた。そしてテーブルの上にある食事を力一杯凪払うと、そのままリーシャに多い被さるようにして倒れ込んだ。
(体が動かん)
「オスカー!? どうしてこんなことを……」
自らの体の下で訳も分からず混乱するリーシャを抱きしめようとするも、最早オスカーの体は指先程度しか動かない。
リーシャが抱き起こした際に女の姿を認めると、薄ら寒い笑みを浮かべる女の顔が目に入った。
(ああ、どうして俺は肝心なときに)
一層匂いが濃くなったように感じた瞬間、オスカーの意識は川底に沈むように消えていった。
◆
「一体どうしたんでしょう。いきなり料理を凪払うなんて、オスカーらしくない」
「体調が優れないのでしょう。あちらにベッドがあるので移動させましょう」
意識を失ったオスカーを心配するリーシャを後目に女性は隣の部屋へオスカーを運び入れた。窓もなく、真っ暗な部屋の中にオスカーを寝かせるとリーシャに気づかれないようにそっと外から鍵をかける。
「今片づけますからね。食事は作り直しましょう。お酒でも飲んで待っていてください」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたガラスのグラスに黄金色の酒がとくとくと注がれていくのを眺めながら、リーシャはぼんやりとオスカーのことを考えていた。
(オスカーはなぜ、あんなことをしたんだろう)
机の上いっぱいに並べられた料理を剣で床に払い落とすなどもったいない。普段のオスカーならあんなことはしないはずだ。
(なんだか、あたまがぼんやりする)
今まで食べたどんな食べ物よりも食欲をそそられる魅惑的な匂い。嗅いでいるだけで幸福感で満たされて、なにも考えられなくなる。
(もったいない。なんでたべさせてくれなかったんだろう。はやくたべたい、はやく)
厨房から聞こえてくる物が焼ける音と香ばしい匂いに目がちかちかする。喉の乾きを癒すために目の前に置かれたグラスに手を伸ばし口に運ぼうとした瞬間、オスカーに捕まれた右手がズキッと痛んだ。
「……」
袖をめくってみると、手首が赤くなっている。
(そういえば、オスカーにこんなに強い力で掴まれたことないな)
手を掴まれた時のオスカーの表情、何かを訴えかけるような目が脳裏に浮かんだ。
「……」
リーシャは口元まで運んだグラスを机においた。なんとなく、飲んではいけないような気がしたのだ。
冷静になって部屋の中を見渡してみると不思議なことに気がついた。先ほどまで床に散乱していた料理や皿が跡形もなく消えていたのだ。
(確か、あの人が片づけていたのは机の上だけのはず)
床は手つかずだった。それなのに、染み一つ無い状態に戻っている。
厨房の方に目をやると中の明かりに照らされてゆらゆらと揺れる影が見えた。
(1、いや、2……複数いる。守人だけではないのか。思えば、私たちが家に入った時にはすでに料理は机の上に並んでいた。私たちがここに来ることを分かっていた?)
リーシャは無意識にズボンの裾を触った。ズボンの裾にはいざというときのためのナイフが隠してある。危機を感じたときにそれを触って確認する癖があるのだ。
「あら、飲まないんですか?」
厨房にいたはずの女性はリーシャの真向かいに立っていた。手に持っていた大きな皿をゴトッとテーブルの上に置く。大きな鳥の丸焼きからは香草の強い香りがした。
「すみません、彼が心配で食欲がなくなってしまって」
「それは残念」
女性はリーシャの対面に腰をかけるとどこからか取り出したグラスに酒を注いで口に運んだ。




