妖精に会える宿
寝苦しい夜だった。夜も更けた頃、のどの渇きを覚えてリーシャは目を覚ました。隣からオスカーの寝息が聞こえるのを確認してから体を起こす。
水を飲むためにベッドから降りようとしたとき、視界の端で何かが動くのが見えた。
(え……)
真っ暗な室内に光の玉が浮かび、ふよふよと漂っているのが見える。夢かと思って目をこするが、その光の玉は消えることなくその場にとどまっていた。
(防犯の魔道具も多めに設置したし、外からは何も入って来られないはず)
念のため、室内にはいくつかの防犯魔道具が設置してある。ドアや窓を無理矢理打ち破ろうとしたり、リーシャやオスカーを害そうとする者は入って来られないはずだ。
とすると、これは一体なんなのだろう。
(まさか、最初からこの部屋にいた?)
光はふわふわと漂ったあと、ある場所に移動をするとスッと姿を消した。リーシャがランタンに火をつけてその消えた場所を確認すると、時計技師から渡された「石」が置いてある。
光は「石」の上で消えたようだった。
「……」
リーシャはその事実を確認すると水も飲まずにベッドに戻り、ランタンを消して布団を頭まで深くかぶった。そして朝になるまで魔除けや災い除けのまじないを頭の中で唱え続けたのだった。
◆
「妖精を見た?」
「信じてもらえないかも知れませんが、本当に出たんです」
翌朝、目覚めたオスカーが見たのは目の下にクマを作ったリーシャの姿だった。リーシャはオスカーが起きるなりしきりに「妖精が出た」と繰り返す。
真っ暗な部屋の中に「光」が漂っており、それが例の石の上で姿を消したのだと言う話をオスカーは半信半疑で聞いていた。
「夢でも見ていたんじゃないか?」
「いえ、あれから一睡もしていないので夢ではないはずです」
「では、誰かが俺たちを驚かそうとして魔法を使ったとか」
「この部屋には防犯の魔道具を設置しているので外から干渉は出来ないはずです。それに、なんというか、魔法とは違う感じがして」
リーシャはそう言うと大きなあくびをした。結局あのあと一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。「また出るかも」と思うと目がさえてしまったのだ。
「自然現象というよりも、何か意志を持っているように感じたんですよね」
「気のせいではないか?」
「……だと良いんですけど」
「それで、その光はあの石の上で姿を消したんだな?」
「ええ」
二人は机の上に置いてある石に目をやった。見たところ、昨日から変化はないように思える。丸くて平べったいただの石だ。
「一体何の石なんでしょう」
光が石の上で消えたのは偶然かも知れない。だが、今までのことを総合して考えると何か意味があるように思えてならないのだ。
「今日はどうする? その石についてもう少し調べるか、何か起きる前にこの村を立ち去るか」
「……」
リーシャは決めかねていた。
不可思議な依頼人に得体の知れない「妖精」。本来ならば依頼を放棄して即刻村を立ち去るべきだ。何度もそう思っているのに、「石の正体」を知りたいと思っている自分がいる。
もちろん妖精は怖い。目に見えないのにそこにいるような気がするし、実際に昨夜それらしき姿を目撃してしまった。
良くないものとされているものが側にいると考えると体の芯から冷えるような恐怖を感じる。
だが、厄介なことにその恐怖をわずかばかり好奇心が上回っているのだ。
一人の石の愛好家として目の前に正体不明の石があるのが気になって仕方ない。魔法を焼き付けずに魔法を行使出来る原理が知りたい。加工される前の原石を見てみたい。
心の内からじわじわと染み出すように湧き出る探求心を押さえられないのだ。
(それに、この模様、どこかで見たことがあるような気がするんだけど……。思い出せない)
石の表面に浮かぶ縞模様。心の中でそれがずっと引っかかっていた。どこかで見たことがあるということは、思い出せないだけでこの石の正体を知っているということだ。
「よかったら迷っている理由を聞かせてくれ」
難しい顔をしているリーシャにオスカーが提案する。
「一人で考えるより二人で考えた方が解決出来るかもしれない」
「……そうですね。昨日も話したと思うのですが、この石の模様をどこかで見たことがあるような気がして。見たことがあるということは、私が知っている石だということでしょう? 思い出せなくて気持ちが悪いというか」
「ふむ。そういえばそんなことを言っていたな」
「ええ。この見た目ですし、宝石の類というよりは鉱物として扱われている物だと思うのですが」
「鉱物か。だとすると、普段リーシャが修復しないような鉱物なのかもしれないな」
「私が修復しない?」
「人の記憶というのは常にすべてを覚えている訳ではないだろう。普段使わない知識や記憶は頭の奥底に沈んでいるものだ。
リーシャが依頼で修復をするような宝石、鉱物であれば見た瞬間に分かるはずだ。それでも思い出せないということは、修復依頼が滅多に出ないような鉱物なのではないだろうか」
「なるほど」
つまり、宝石修復師組合に依頼が来るような高価な宝石や鉱物ではないということだ。
「思い出せないのならば考えていても仕方ない。とりあえず朝食を食べに行かないか?」
「そうですね」
オスカーは「気分転換にもなるだろう」とリーシャを朝食会場へ誘った。宿の一階には大きなレストランがあり、宿泊者はそこで朝食をとることが出来るのだ。
「おはようございます。ご朝食でございますか?」
「はい」
「只今レストラン内が大変混雑しておりまして、もしよろしければ相席をして頂くことは可能でしょうか?」
レストランへ着くとウェイターが申し訳なさそうに相席の提案を持ちかけてきた。レストラン内を見回すと確かに空いている席が見あたらない。大盛況だ。
「分かりました。問題ありませんよ」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
リーシャとオスカーが案内されたのは窓際の四名掛けのテーブルだった。すでに二名先客がおり、机には沢山の皿が並べられている。
ウェイターが事情を説明すると、席に着いていた老夫婦は快く相席を認めてくれた。
「申し訳ありません。相席をさせて頂きます」
「いいのよ。あら、ごめんなさいね。お皿を広げすぎちゃって。今片づけるから」
少しふくよかなご婦人は恥ずかしそうに立ち上がると自分たちの方に皿を寄せた。皿の上にはオムレツやソーセージ、牛肉の煮込みなどが載っており、ビュッフェを満喫している様子が見て取れる。
「凄い数の人ですね。こんなに混んでいるとは思いませんでした」
「今流行りの宿だからね。私たちもずっと前に予約してようやく来れたんだよ」
「流行りの宿ですか?」
「あら、ご存じないの? 有名なのよ。妖精に会える宿だって」
「……え?」
耳を疑うような言葉にリーシャは目をぱちくりとさせた。
(妖精に会える宿?)
初耳だ。この宿を紹介してくれた時計職人は一言もそんなことを言っていなかった。いや、むしろ「あそこは安全だから」と言っていたような気がする。
(まさか、だまされた? いや、何のために?)
「でも本当だったわ。私、今朝見たのよ。妖精を!」
混乱するリーシャを後目に婦人は嬉しそうに語る。
「それは凄いな。一体どういう姿をしていたんだ?」
「丸い光の球が浮いていたの。旅行会社で見せてもらった宿泊者の体験談にも同じ事が書いてあったから妖精に違いないわ!」
「幸運だったよ。あれを見ると幸せになると言われているからね」
「妖精を見ると幸せになるんですか? 悪いものではなくて?」
「あら、妖精は良いものなのよ? 幸運を運んできてくれるって有名なんだから」
(一体どう言うこと?)
婦人の口から出てくるのは昨日村人に聞いた話とは正反対の妖精像だった。詳しく聞いてみるとこの宿は近年出来た観光宿で「妖精に会える宿」として有名なのだという。
フラドールは元々知名度の低いただの田舎町だったが、地元の妖精伝承に目を付けた商人が土地を買い取り「妖精に会える宿」を建てた。
そして「妖精を見ると幸せになれる」というふれこみで各地に売り込んでいるのだそうだ。
「最初に聞いたときは半信半疑だったけど、おもしろそうだから申し込んでみたの」
「ずっと先まで予約がいっぱいだと言われた時は驚いたよ。こんな田舎の宿がそこまで人気だとは思わなかったからね」
「そうなんですね。私たちは飛び込みだったので、そんなふうになっているとは知りませんでした」
「飛び込み? それは幸運ね。本来なら旅行社を通さないと申し込めないのよ」
「旅行社?」
「ロドニー旅行社だよ。宿の予約は全てここが請け負っているんだとか」
「なるほど」
リーシャは老夫婦の衣服に目をやった。比較的簡素な旅装だが、退色もなく解れもない上質な布で出来ている。婦人の胸元には一粒ながら一目で質がよい物だと分かる金剛石が揺れており、紳士の腕には高級そうな腕時計がはまっている。
(つまり、富裕層向けの完全予約制の宿ということか)
思い返してみれば、宿の料金は決して安いものではなかった。夜になれば灯りがほとんどなくなってしまう村の中で野営するのは避けたいという思いから何も考えずに支払ってしまったが、この土地の相場を考えると安くはない。
周囲の人間を観察しても、皆上等な服や靴を身につけている。部屋の内装にしてもそうだ。品のある設えによく手入れされた装飾品。今思えば心当たりはいくらでもあった。
「今日はこれからどうされるんですか? 村の観光とか?」
「観光なんてしないわ。どうせ何もない場所だし、宿でゆっくりするの」
「何もない訳ではあるまい。たとえば土産物屋を見て回ったり、食事をしたり……」
「食事ならこのレストランでいつでもとれるからね。土産物だってほら、そこの店で沢山売っているじゃないか。わざわざ外に出る必要はないんだ。私たちはこの宿を楽しみに来ているからね」
老夫婦は無邪気に笑う。何も悪気はない、素直な言葉だった。