不可解な現象
「それはそうと、依頼品を拝見してもよろしいですか?」
「もちろん。あんたに直して欲しいのはこの懐中時計だ」
女性は机の上に置いてある布の中から小さな懐中時計を取り出して見せた。一見なんの変哲もない懐中時計だが、裏蓋を外して驚いた。
大きな石が填められていたのだ。
「これは……」
「妖精時計って言ってね、古くからこの村で作られている伝統的な時計なの」
「魔道具ですか?」
「うん。その核に魔力を貯めて時計を動かすんだ。定期的に魔力を注げば動き続けるはずなんだけど、うんとも寸とも言わなくなってね。直せる?」
「時計は専門外なので、核に使われている石の状態を見るだけしか出来ませんが」
「それでもいいよ。とりあえず見てみて」
「分かりました」
石は時計から外せるようになっていた。ボタン大の茶褐色の石で、丸く整形されている。表面にはうっすらと筋のような模様が入っていた。
(なんだろう、この石)
決して美しい訳ではない。どこにでもあるような素朴な石にも見える。ただ、そんな普通の石が精密な時計を動かすような「核」になり得るだろうか。
(ぱっと見たところ魔力焼けを起こしている訳でもない。とすると、焼き付けられた魔法が損傷しているとか、時計本体が壊れているとか、理由はいくつか考えられる)
魔道具が動かない場合、その理由は様々だ。
「冠の国」で修理した発動機のように魔力の流しすぎで「核」が焼き切れていたり、核に焼き付けた魔法が損傷していたり、そもそも魔道具自体が壊れていたり。
時計に使われていた「核」は魔力焼け特有の黒ずみがない。つまり、原因は「魔力焼け」以外にある。
「核の状態を確かめたいので魔力を流してみても構いませんか?」
「もちろん」
リーシャは石を手のひらの上に乗せて魔力を流しこんだ。宝石修復師は魔力の痕跡を辿るのが得意だ。もしも石に魔法が焼き付けてあったらどこが損傷しているのか分かるはずだ。
(……え、何もない? 魔法どころか、核として加工した際の痕跡さえも見あたらない)
意外な結果だった。魔力を流しても探っても何も引っかからない。石は綺麗な、無垢の状態だったのだ。
(つまり、この石は核でも何でもない、ただの石ってこと?)
そんなことがあるのだろうか。
女性は時計を「魔道具」だと言っていたし、時計の大きさからしてほかに核が入っているとは思えない。
だが、魔法の痕跡も焼き付けられた魔法もない以上、この石は丸く削られただけのただの石である。
思いも寄らぬ状況にリーシャは困惑した。
状況的に言えば、「核」とされている石は壊れてもないし異常もない。
ただ、今まで動いていた物が動かなくなったということはどこかに異常があるのだ。石に異常がない以上、機械自体が壊れていると疑った方がいい。
そうなってしまえばリーシャに出来ることはない。
「何か分かった?」
女性の問いかけにリーシャは首を振った。
「この石自体には異常はありません。この村に時計技師の方は?」
「もちろんいるよ。言っておくけど、最初に時計技師に見せたけど、時計自体に異常は無いって言われたの。だから壊れているのは石の方だろうって」
「ですが、石には異常はないんです。むしろ、綺麗すぎるほどで……」
「どういう意味?」
「魔法の痕跡が一切ないんです。つまり、この石は元々核としては機能していなかったはず」
「じゃあなに? その石ころはただの石ってこと?」
「……そうですね」
リーシャの言葉に女性は言葉を失った。
「そんなはずはない! だって現に、あたしはずっとその時計に魔力をこめて使ってたんだよ?」
「ですが……」
「やっぱり……やっぱり妖精が抜けちゃったんだ」
「え?」
聞き慣れない言葉にリーシャが顔を上げると女性の血走った目と目があって肌が粟だった。女性は聞き取れないような大きさの声でぶつぶつと何かをつぶやくとおもむろにそこらじゅうの窓を開け始める。
「妖精が抜けたから時計は動かなくなったんだ。妖精を呼ばないと! でも妖精に連れて行かれたらどうしよう」
「ちょ、ちょっと待ってください。一体どういう」
「邪魔しないで!」
女性はリーシャを力一杯突き飛ばした。転倒しそうになったリーシャをオスカーがあわてて抱き留める。
「大丈夫か?」
「はい。でも、これって」
目の前の異様な光景に二人は呆然としていた。
女性は家の中のありとあらゆる窓を開け放ち、家の中に干していた薬草や野菜を外へ放り投げてゆく。
その場にいては危険だと判断したオスカーはリーシャを連れて家の外に避難した。
「これさえなければ妖精が戻ってきてくれる!」
ひとしきり走り回った後、女性は玄関にかけられていた大きな鐘を外して地面に投げ捨てた。そして勢いよく扉を閉めると大きな音を立てて鍵を閉めたのだった。
「……一体何が起こったんでしょうか」
あまりの出来事に、夢でも見ていたのではないかという気持ちになる。女性が豹変してからあっという間だった。まるで嵐に巻き込まれたような、そんな気持ちだ。
「あんたたち、大丈夫か?」
呆然と立ち尽くすリーシャとオスカーの背後から男の声が聞こえた。
「はい、なんとか」
「ここの人に何か用があったのか?」
「時計を直して欲しいという依頼を受けて来たのですが、それどころではなくなってしまったようで」
「外まで聞こえてたよ。悪いことは言わないから、あまりここの人に関わらない方がいい。ちょっとおかしくなっちまったんだ」
そういうと男性は二人に背を向けて去っていく。どうやら近隣住民らしい。いくつか先の家に入っていくのが見えた。
「依頼を放棄した方が良いのではないか?」
「そうですね……」
依頼主に問題があった場合、組合に報告をした上で修復師の方から依頼を放棄する事が出来る。
おそらく今あったことをそのまま組合に伝えれば依頼を放棄する事は可能だろう。
(でも、どうやってあの時計が動いていたのか気になるなぁ)
確かに、女性が豹変したのは不気味だし怖い。だが、それ以上にリーシャが気になっているのが「妖精時計」の仕組みだ。
(核としての加工がされていないただの石ころで時計が動く訳がない。かといって、何の意味もない石をわざわざ丸く削って時計の裏面に入れるとは思えない。
つまり、あの石には何か意味があるんだ。それにあの模様、どこかで見たことがあるような)
一般的に「宝石」と呼ばれるような美しい石ではない。鉱物標本として取り引きされるような珍しい色形でもない。
しかし、リーシャはあのボタン大の石に既視感を覚えていた。
「気になるのか?」
「ええ、まぁ。あの石、どこかで見たことがあるような気がして」
「本当か?」
「あの特徴的な模様が気になるのですが、はっきり思い出せないんです」
「そうか」
オスカーは考えた。
(リーシャの中にはおそらく、『依頼を放棄する』という選択肢はない。時計の仕組みのことで頭がいっぱいなはずだ。
とすると、今一番するべきことはどうしたら謎の石についての情報を得られるか考えることだろう。
確か、時計は村で作られていると言っていたな)
「リーシャ、この村の時計技師を尋ねてみないか? 材料のことなら作っている職人に聞くのが一番だろう」
「そういえば、時計はこの村の技師が作ったものだと言っていましたね」
「ああ。あの石も技師が加工したものかもしれない」
「そうですね。そうしましょう」
リーシャは開け放たれた窓を一瞥した。カーテンで中は見えないが、女性が歌っているのか鼻歌のようなものが聞こえてくる。
まずは時計工房がどこにあるのかを調べなくてはならない。二人は村を一周見て回ることにした。




