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極光と白鯨

「あ、社での儀式が終わったみたいですね」


 にわかに浜辺の方が騒がしくなる。どうやら社での儀式が終わり、「海開き」の儀式が始まるようだ。浜辺にはロープが張られ、観光客が海に入れないようにしている。

 流氷の上にでも上ってしまったら危険だからだろう。


 しばらくすると社から先ほどとは違う音楽が流れてきた。


(あのときエダが歌っていた歌だ)


 あの聞きなじみのない不思議な旋律。今度はアンナの声が風に乗ってロダの町へ運ばれていく。歌声は海を渡り、島の向こう側へとゆるやかに広がっていった。


 バキバキッ!


 歌が収まると海の方から一際大きな音がした。浜辺では「おおー」という観光客の歓声があがる。流氷が割れたのだ。

 浜辺の先にある船着き場から少し離れた町にある港まで、順々に流氷が割れて「道」が出来る。その光景が山の上から良く見えた。


「これが『海開き』ですか。確かにその名に恥じない景色ですね」

「まるで自然そのものを自在に操っているような……いや、魔法は自然由来の物だから当たり前か」

「いえ、島の正面だけならまだしも離れた町まで航路を通すなんて人間の業ではありません。これだけの魔法を使うにはとてつもない量の魔力が必要ですし、とてもアンナさんだけで出来るとは……」


 そう言ってリーシャがふと視線をあげると、満月に照らされた海面から何かが吹き上がるのが見えた。

 ちょうど島の裏側、浜辺からは見えない位置だ。流氷が不自然に丸く切り取られており、その中に何かがいる。


「あれは、鯨の潮吹き?」


 遠くてはっきりはみえない。一瞬だけ海面から背を出したそれは、月の光に照らされて白く光り輝いていた。


「白鯨――」


 そう呟いた瞬間、全身に鳥肌が立つ。白い背中から再び白い噴煙が上がったと思うと、夜空が急にぱあっと明るくなった。


「なんだこれは!」


 天を見上げたオスカーの手からコップが滑り落ちる。


極光オーロラです」


 宙に広がる光の帯を見たリーシャはその美しさに思わず息をのんだ。満月に雲がかかり、青や緑の帯がいっそうはっきり見える。


「これが極光?」

「ええ。これも白鯨の仕業なのでしょうか」

「白鯨? あの伝承の?」

「あそこの、島裏の丸い穴の中に白い背中が見えた気がして」

「見間違えではないのか?」

「そうかもしれません……。でも、もしも白鯨が実在したならば、この規模の魔法を使えるのも不思議ではないかもしれないです」

「というと?」

()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()、と仮定したら」

「白鯨が魔法を使ったというのか?」

「あり得ない話ではないです。鯨は知能が高く、仲間と会話が出来るそうです。海の中で音を出し、それで会話をしていると。つまり彼らは()()()()()使()()()んですよ」

「……!」


 魔法は人が神から与えられた奇跡。そう考える人も少なくはない。だが、本当に魔法は()()()()()()()なのか?

 人間以外にも「声」を使ってコミュニケーションを取る動物は沢山いる。人間には理解が出来ないだけで、彼らが独自の「言葉」を話しているのだとしたら、それを用いて魔法を使うことは可能なのではないか。


『出来ますよ。()()()()は到底無理ですけどね』


 エダのアトリエで聞いたアンナの言葉を思い出す。


(あの時は意味が分からなかったけど)


「もしも白鯨の伝承がおとぎ話でないとしたら」

「だが、白鯨の伝承は大昔の話なのだろう?」

「白鯨も巫女と同じように代を重ねているのかもしれませんよ。先祖が交わした約束を守り、ロダの人々のために海を開く。なんとも幻想的な話ではありませんか」


 遠く海を見やる。月下に照らされた穴に、もう白鯨の影はない。浜辺では儀式の終わりを告げる花火がうち上がり、人々の歓声が響いていた。


 * * *


「リーシャ、帰る前に少し話したいことがあるのだが」

「なんですか?」


 宴もたけなわ、帰り支度を始めたリーシャをオスカーは慌てて引き留めた。本日最大のイベントはこれからだ。ここで帰ってしまっては意味がない。


「そろそろ父上と母上にリーシャとの婚約のことを話そうと思っている。仮初めの契約ではなく、正式な婚約者として紹介したい」


 緊張で声がうわずったが、ついにオスカーは本題を切り出した。ポケットから指輪の入った小箱を取り出し、片膝をついてそれをリーシャに差し出す。


「俺と結婚してくれ」


 小箱の中から現れた大きなブラックオパールの指輪にリーシャは目が釘付けになった。


(蝋燭の灯りに照らされて綺麗)


 氷灯の灯りが揺らめく度に極彩色の遊色が極光のように瞬く。周囲を取り巻く真っ白なダイヤモンドもチカチカと美しい光を放っていた。

 ふとオスカーに視線をやると、不安げな目でリーシャのことをまっすぐ見つめていた。黒曜石のように真っ黒な瞳の中に蝋燭の暖かな灯りが揺らめくのが見える。


(ああ、なんてまっすぐな瞳をしているんだろう)


 凍える寒さも感じなくなるほど、心も体も温かい。心地の良い高揚感に包まれながら、リーシャは意を決したように手袋を外した。


「喜んで」


 リーシャはそう言って左手を差し出す。オスカーはリーシャの手を取ると軽く口づけをしてからその薬指に指輪をはめた。


「ずっとそわそわしてたのはこのせいだったんですね」

「ああ。上手く行くかどうか、不安と緊張でいっぱいだったよ。その指輪はどうだ? リーシャのお眼鏡に叶っただろうか」

「とても質の良い石で驚きました。今時こんなに大きくて色鮮やかなブラックオパールが手に入るなんて珍しい。天然物ですよね? 高かったのでは?」

「ああ、えーっと……」

「別に出所がどうとか気にしませんよ。単なる好奇心です」


 ニヤリと笑うリーシャにオスカーは苦笑いした。


『私の指輪を見るなり、良い石ですねって言ったんです!』


 レアに聞いた話の通りだ。リーシャにとっては指輪を貰ったことよりも「良い石」を貰ったことの方が重要なのだ。

 もちろん、それも折り込み済みだ。石についての由来は宝飾品店の主人にちゃんと聞いてある。言い間違えないように良く思い出しながらオスカーは石の由来を説明した。


「店主曰く、随分と昔に店に持ち込まれた古い指輪から外した石らしい。それを秘蔵品として店で保管していたんだそうだ」

「なるほど、中古品でしたか。それだったら普通の物よりも安く手には入りますね」

「やはり新品の方が良かったか?」

「いえ、宝石は巡るものですし石を取り外して作り直すのも珍しいことではありません。それに、最近は質のいい石が採れなくなっているでしょう? 古い物を選んだのは正解ですよ」

「店主と同じことを言うんだな」

「でしたら、その店は信用のおける店ですね。新しくて質が悪い石を高く売りつけることだってできたんですから」


 オスカーが指輪を作ったのはリューデンにある宝飾品店だ。レアが贔屓にしている店で「間違いないから」と勧めて貰った。

 石を選ぶ際に「黒い石が好ましい」と店主に伝えると、店主はいくつかの石をガラスケースから出して並べて見せたあとに店の奥から古い裸石ケースを持ってきた。


『これは昔あるお客様から買い取った古い指輪についていた石です。大きくて見栄えもしますし、遊色の入り方も申し分ありません。傷も内包物もなくとても美しい石なので、お相手の方にも喜んでいただけるかと』

『これは?』

『ブラックオパールです。オパールには様々な色がありますが、黒い物は特に貴い物とされています。まさに一生に一度の婚約指輪にふさわしい石かと存じます』

『オパールか……。確かに色も大きさも素晴らしい。だが、他人が使っていた指輪から取った石というのがどうにも気になるな』

『お客様、石というのは巡っていく物なのです。例えば母から子へ、お母様の指輪から石を外してお嬢様に合ったデザインで仕立て直すことも珍しくはありません。

 特にこのご時世、なかなかここまでの品とは巡り会えませんよ。こちらのガラスケースに並んでいる物は産出量が減り始めた頃に採掘されたものがほとんどですが、この石と比べたら質はずっと劣ります。

 私個人といたしましては、古い石、誰かが使っていた石だという理由でこの石を選択肢から外すのは勿体ないことだと思います』

『そういうものなのか?』

『失礼ながらお客様はあまり宝石に詳しくないご様子。一方、お相手の方は宝石修復師の方だと伺っております』

『その通りだ』

『でしたら一層、この石をおすすめします。お相手の方にもきっとご満足頂けると思いますよ』


 結局店主の言うとおり、オスカーは勧められたブラックオパールを購入した。レアが紹介してくれた信用のおける店だからというのもあるが、素人判断よりも専門家の言うことを素直に聞くべきだと感じたからだ。


(本当に店主の言うことを聞いて置いて良かった)


 満足げな表情で指輪を眺めるリーシャを見て、無事に事が済んだことを実感する。もしも自己判断で変な石を選んでいたらこうはいかなかっただろう。


(ああそうか。リューデンでレアと杖工房に行っていた時にオスカーが別行動をしていたのはこのためだったのか。

 あと、レアが急に婚約指輪を見せてきたのも……。なるほど、これで全部納得がいった)


 左手にハマった指輪を眺めながらリーシャは気づいた。リューデンで「月桂樹の杖工房」に行った日、オスカーは別行動をしていた。あまりに挙動不審で「なにかある」とは思っていたが、まさか結婚指輪を作りに行っていたとは。

 レアが結婚指輪を見せつけてきたのも、今思えばこの指輪が関係していたのだろう。とすると、オスカーとレアはグルだと考えるのが自然だ。


(眼の良い宝飾品店みたいだから、紹介したのはレアかな。申し訳ないけどオスカーが一人で考えたとは思えない。

 そういえば、リューデンの貴族に流行っている婚約指輪の習慣について妙に詳しかったな。レアの商売について知っていたのもそのせいか。

 とすると、この前は随分ときついことを言ってしまった)


 リーシャの脳裏に浮かぶのは先日の「婚約指輪」に関する議論だ。何も知らずに「婚約指輪」について苛烈な批判をしてしまった。オスカーがどんな気持ちで聞いていたのか想像すると少し申し訳なくなる。


「あの、先日の話ですが」

「ん?」

「貴族の習慣について話したでしょう。婚約指輪は《《下品な文化》》だと」

「ああ、気にしないでくれ。リーシャの気持ちも理解しているつもりだ。俺はただ、自分の気持ちを伝えたかったんだ。ちゃんと正式に、リーシャと婚約をしたかった。それに……」

「それに?」

「ちょっとした嫉妬心、と言えばいいのだろうか」


 オスカーは恥ずかしそうに目を逸らす。


「悪い虫がついたら嫌だと思ったんだ。翡翠の指輪ができるまで、婚約者がいるという証として身につけて欲しいという俺の我が儘だ」


(悪い虫、というのは皇帝陛下ヴィクトールのことかな。花の国でのこと、まだ気にしてたんだ。意外。オスカーって独占欲が強いんだな。でも、そういうところがちょっと可愛いかも)


 そういう内面を隠さずに素直に伝えてくれた。リーシャにとってそれが一番うれしかった。

 もちろん、婚約指輪を貰ったこともうれしい。けれども、その婚約指輪にこめられたオスカーの想いは指輪に留まっている宝石の何倍もの価値がある。


(この石はただの石じゃない。オスカーの気持ちを具現化したものなんだ)


 他者に威張り散らす為の道具でも、見栄を張るための道具でもない。心を込めて用意してくれた物だというのが何よりもうれしい。


「ふふ、そうですか。我が儘ですか」

「……だめか?」

「いえ! 最高の贈り物をありがとうございます」


 リーシャはオスカーに歩み寄ると背伸びをしてオスカーの頬に口づけをした。「あっ!」という小さな声が聞こえたが、聞かなかったふりをして背を向ける。


「さあ、女将さんも待っていることでしょうし宿へ帰りましょう」

「そうだな。夜食が楽しみだよ」


 氷灯を提げ、肩を並べながら暗い夜道を歩く。二人にとって何よりも得難い一日になった。

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