風魔法の活用法
「せっかくだし、購入した氷灯を使いましょうか」
リーシャは収納鞄から氷灯を取り出すと中の蝋燭に火を灯した。ガラス越しに見る蝋燭の明かりはぼんやりとしていて暖かい。
「暖かい茶もあるぞ。飲むか?」
「準備万端ですね」
「宿を出る前に女将に頼んで用意して貰ったんだ。夜は一層冷えるからな」
ベンチに二人並んで腰を掛けると、オスカーは鞄の中から保温容器を取り出した。簡易魔法が焼き付けてあるので魔力を通せば温め直せる便利な水筒である。
「あー、沁みる」
湯気が立ち上るコップに口を付け、リーシャはぶるぶると体を震わせた。
ローデンで購入した毛皮の外套に温石を入れているとはいえ寒い物は寒い。あつあつのお茶が良く沁みる。
そんなリーシャの様子をオスカーは別の意味で奮えながら見ていた。その震えは寒さからではない。緊張からだ。
(儀式が終わったらリーシャに結婚を申し込む)
ポケットの中にある婚約指輪を指で触る。ここへ来るまでにも落としていないか何度も確認したものだ。
緊張を悟られないように表情を取り繕うにも一苦労だ。挙動がぎくしゃくしないように繰り返し深呼吸をした。
「どうしたんですか?」
だが、明かに様子がおかしいオスカーにリーシャが気づかない訳がない。真っ青な顔をのぞき込んで不可解そうにそう尋ねたが、オスカーは「なんでもない」「大丈夫だ」と繰り返すばかりだ。
(いや、なんでもない訳がないんだけど)
誰がどう見てもおかしい。どことなくそわそわしているし、咳払いをしたり手をもじもじとさせたり落ち着きがない。
「体調が悪いとか?」
「そう言うわけでは」
「寒いですか? まだ予備の温石ありますよ」
「いや、大丈夫だ」
「……」
「……」
二人の間には何ともいえない空気が流れた。
貸し切り状態で他に客がいないのもあり、周囲はしんと静まりかえっている。
(ま、まずい……)
オスカーは内心焦っていた。
ここでネタバラシをする訳には行かない。かといって、このままごまかし続けるのもつらい。リーシャは確実に「何かある」と勘付いている。
(早く始まってくれ)
じーっとオスカーの顔を見つめるリーシャの視線に心を痛めながらオスカーは心の中で強くそう願った。
その願いが届いたのか、町長の島から大きな花火があがる。どうやら歌結びの儀がはじまるようだ。
村長の島の頂上にある社には煌々と松明が焚かれている。中の様子を伺い知ることは出来ないが、社で奏でられている音楽が風に乗って聞こえてきた。
「こんな遠くでも聞こえるものなんだな」
リーシャ達がいる山と村長の島とでは結構距離がある。それでもはっきりと音が聞こえる様子にオスカーは驚いた。まるですぐそばで聞いているような感覚だったからだ。
「おそらく風魔法で流しているんでしょうね。ほら、さっきまで風なんて吹いていなかったでしょう?」
「そういえばそうだな」
「風魔法にはこういう使い方もあるんです。上手く使えばずっと離れた山の向こうまで声を届けることだって出来るんですよ」
「万能だな」
「この万能さが旅人にお勧めの魔法である理由の一つですね」
風を使って音を届ける。簡単な仕組みだが応用が利く便利な魔法だ。
「逆に風をこちらに向けて吹かせれば集音も出来るんですよ」
「遠くの音を拾うことが出来るということか」
「悪く言えば盗み聞きが出来るということです。危ない場所に居るときに便利ですよ」
「いきなり物騒な話になったな」
「覚えておくにこしたことはないでしょう?」
「それはそうだが」
「オスカーにもちゃんと風魔法を教えないといけませんね」
「正直、使えるようになる気がしないんだが……」
これまでも何度かリーシャに魔法を習ったことがあったが、どれも上手く行かなかった。三十年以上魔法を使わずに生きてきたので「魔法を使う」という感覚が良くわからないのだ。
魔力を流せば使える魔道具はかろうじて使えるようになったが、「言葉」を使う魔法は未だに一度も使えた試しがない。
こればかりはもうどうしようもないとオスカー自身諦めつつある。それでもリーシャは根気強くオスカーに魔法を教えようとしている。
魔道具がない状態、武器がない状態での切り札として「言葉」の魔法は活きるからだ。
「あと六十年も生きれば使えるようになりますよ」
「気が遠くなるな」
「旅が終わったら賢者の学び舎で初心者講習を受けるという手もあります」
「うむ」
時折こうしてリーシャは「賢者の学び舎」の話をする。決まって「旅が終わったら」「余生は」という枕詞がつくその話は、おそらく本心からの願望なのだろうとオスカーは考えていた。
学び舎にいた頃のリーシャはとても活き活きしていた。大好きな魔法のことだけを考えられる場所。魔法を愛する人しかいない世界。誰にも干渉されずに自分の研究を続けられる国。
リーシャにとって「賢者の学び舎」は魔法に明るくないオスカーが思っている以上に理想的な土地、理想的な終の棲み家なのだろう。
オスカーと結婚をしたらリーシャは今ほど自由ではなくなる。王族としての仕事、魔法師としての仕事をこなさなくてはならなくなるだろうし、今のように世界を渡り歩くようなことも出来なくなるだろう。
だからこそ、役目を終えたそのときはリーシャの好きなようにさせてやりたいと思うのだ。
リーシャが学び舎に移り住みたいというのならばそれで構わない。国には兄のジルベールと姉のシルヴィアがいる。兄には息子もおり、オスカーとリーシャが国の行く末を心配する必要はない。
それを叶えてやることが、オスカーがリーシャに出来る一番の恩返しであると感じていた。




