婚約指輪という風習
「信じられません! 何で助けてくれなかったんですか!」
宿に戻ると開口一番リーシャはオスカーに詰め寄った。もちろん、巫女の衣装の件である。
「す、すまない。見たいという欲にはあらがえなかったのだ……」
「……」
件の衣装は想像以上の物だった。真っ白で透け感のある布で作られた短い丈のドレス、それも丈が膝のずっと上という巫女らしからぬ攻めた衣装だ。
それに薄い水色のフリルやリボンが大量に付けられている。
(中でも強烈だったのがあの靴下だ)
太股まである長い靴下を下着の下に付けたベルトで止めるのだ。薄く透けた白い靴下にきらきらとしたビーズがついている。
靴下とスカートの間には素肌が見える空間があり、「この空間が良いんですよぉ~」とエダに力説された。
「あれは没にして正解でしたね。あんな破廉恥な衣装、神に仕える巫女にはふさわしくありません!」
(とても良かったと言ったら怒られそうだな)
没となった巫女の衣装は正直オスカーの好みであった。
恥じらうリーシャの姿がとても愛らしく、出来ればずっと見ていたいと思ったくらいだ。
だがそれをリーシャに伝えると「まずいことになる」という予感があったので、オスカーは「そうだな」と相づちを打つにとどまった。
そういうことは心のうちに留めておくのがちょうど良い。
「ところで、歌結びの儀まではどうするんだ? まだ時間があるだろう?」
「それなんですが、貴族用の氷灯工房を見せて頂けると言うので見に行こうかと」
「ほう」
帰り際、アンナとエダに呼び止められて「よかったら見てみないか」と誘われたのだ。
二人の商売についてレアに相談するにしろ、今ロダが貴族とどういう付き合いをしていてどういう商品が人気なのか見て欲しいとのことだった。
歌結びの儀が執り行われる白鯨祭の最終日まではまだ時間があるのでリーシャはその提案を快諾した。
工房は村の直営なので二人の父親である村長の許可があれば自由に見学しても良いそうだ。
「それにしても、よくレアが婚約指輪で商売をしていることを知っていましたね」
突然話題を振られてオスカーはドキリとした。
(なんと答えるべきか)
回答次第ではあらぬ誤解を与えるおそれがある。だが、リーシャのために婚約指輪を用意していることも、婚約指輪のことをレアに相談したこともバレる訳には行かない。
『いいですか? 絶対に、何があっても、私に相談したなどと言ってはいけませんからね!』
脳裏にレアの言葉がよみがえる。
『こういう大切なことを他の女に相談したなんて、例え相手が私であってもいい気はしませんわ。婚約指輪のことは宝飾品店で相談したことになさって。良いですね?』
つまり、男と女の問題である。
「リーシャがおばあさまの部屋に籠もっている間にレアと少し話をしてな。その時に商売の話を聞いたのだ」
「そうだったんですか」
一応納得したようだ。オスカーは内心安堵した。
「それにしても婚約指輪とは、またおもしろい商売を考えましたね。レアが噛んでいるということは、魔工宝石の婚約指輪でしょうか」
「見栄を張る貴族のために本物よりも見栄えのする婚約指輪を売っていると言っていたな」
「本物よりも……。なるほど。魔工宝石は本物より安価な上に不純物が少なくて美しいですからね。見栄っ張りな貧乏貴族にはお誂え向きかもしれませんね」
「随分と棘のある言い方だな」
「自分が婚約者からもらった婚約指輪を自慢し合っているのでしょう? 白鯨の愛し子のようなロマンチックなものとはかけ離れているなと思いまして」
(まずい)
リーシャの言葉にオスカーは口元をひきつらせた。リーシャの中での婚約指輪のイメージがあまり良くはなさそうだからだ。
「私もレアに自慢されましたが、なんというか、下品な文化だと思いませんか?」
「……そうだな」
(おかしい。聞いていたのと話が違う)
『リーシャ様は脈ありですわよ! がんばって下さいね』
レアからは確かにそう聞いていたのだが……。収納鞄の中にしまいこんだ婚約指輪を思い浮かべて冷や汗がでる。
(もしや、失敗したか?)
自分は選択を間違ってしまったのだろうか。そんな嫌な考えが頭をよぎる。やはり直接「翡翠の指輪」を探した方が良かったのだろうか。
(いや、待て。リーシャは今、なんと言った? 『白鯨の愛し子のようなロマンチックなものとはかけ離れている』と、そう言わなかったか?
つまり、リーシャが求めているのは自慢するための道具ではなく、ただ単純に愛の証としての婚約指輪なのだ。
貴族が見せ合うような政治の道具ではなく、乙女小説に出てくるような……それこそ白鯨が少女へ手渡したような、心のこもった贈り物を求めているのだ。
とすると、やはり渡す場所や場面も考えなくてはならない)
第一候補は歌結びの儀が行われる夜だ。
話を聞くに、「愛の聖地」とするために様々な装飾や催し物が行われるらしい。少し気恥ずかしいが、結婚を申し込むのに申し分ない機会だ。
「貴族にとって装飾品や宝飾品は物差しなんです。自分の家がどれほど栄えているか、相手の家にどれくらい余裕があるのか。
いつも同じ宝飾品ばかり身につけていれば『宝飾品を買う余裕がない』のだと思われかねませんし、流行りのデザイナーや名のある彫金師が作った宝飾品を身に纏えば羨望の的になる。
身につけている宝飾品を見れば財力を計る指標になりますし、婚約指輪もその一つなのでしょう。
だからこそ彼らはこぞって良い宝石を求め、より良い宝飾品を作ろうとする。
宝石修復師という仕事はそのおこぼれに預かっているし、そうした貴族社会のおかげで職を得ていると言っても過言ではありません。
もちろん、私だって貴族の方とご一緒する際は場にふさわしい格好をして立派な宝飾品を身につけます。それが自分の身を守ることにもなるし、自分の立場を脅かされないようにするためには必要なことだからです」
リーシャの言葉にオスカーはいくつか心当たりがあった。「花の国」で夜会に参加する時やリューデンでマチルダに会いに行く際のことだ。
リーシャは常にその国の流行やしきたり、伝統を調べて自分の立場と相手の立場を考慮した服装を選んでいた。服に合わせる宝飾品もその国、面会する相手の好みや考え方に合わせて選び、髪型から爪の色まで侍女に相談しながら慎重に決める。
端から見ていたオスカーが「こんなに神経質になる必要があるのだろうか」と思ったほどだ。
だが、リューデンに行った際にその意味が痛いほど分かった。
マチルダに挨拶をするためにリュドッセン城へ赴いた際、城の侍女や召使いはオスカーを無碍に扱った。
「魔法がない国」の生まれである上にリーシャの護衛という立場、それに加えて着古した薄汚れた服を身につけているのを見て「厚遇するに値しない人物」だと値踏みをしたからだ。
だが、オスカーが正装に着替えるとその態度は一変し、侍女も召使いもオスカーと廊下ですれ違うと立ち止まって恭しく頭を下げるようになったのだ。
着替えたオスカーとすれ違った際に侍女の眼の色が変わるのを見た時は「ここまであからさまに態度が変わるのか」と驚いたものだ。
マチルダと面会したした時はもっとあからさまだった。マチルダはオスカーがリーシャの婚約者だと知ると顔も見ずに胸の勲章を確認した。そして、正装の隅々までじっと眺めると渋々納得したような表情を浮かべたのだ。
つまり、貴族社会とそれに追従する人々にとって「人の見た目」は人柄以上に大事だということだ。
自分の立場を表し、他人との位置をはっきりさせるためにはそれ相応の格好をしなければ「舐められる」。
長年貴族や王族、富豪相手に商売をしてきたリーシャはそれを嫌と言うほど知っていた。
だからこそ、どんな人物と出会ってもすぐに対応出来るように趣味でもないドレスや宝飾品を大量に持ち歩いているのだ。
「ですが、個人的にはやはり、宝飾品や宝石を見栄を張るための道具として使うのは好きではないのです」
「リーシャは石を愛しているからな」
「……まぁ、そうですね。好きなものを消耗品のように扱われるのはいい気がしません。修復師に直させるならまだしも、壊れたら廃棄してしまうような人もいますから」
リーシャは不服そうにつぶやいた。
「宝石は貴重なんだろう? 壊れたからといって捨ててしまう人がいるのか?」
「正確には売却ですね。修復師組合ではそういう宝飾品の買い取りも行っているんです。直して売れそうなら修復して販売、売れなさそうなら分解して修復素材のストック行きです。
売りに来るのは大体が貴族ですよ。社交シーズンごとにごっそりと……。中には傷一つついていないものを『一回身につけたから』という理由で売りに来る人もいるくらいです」
「なんだそれは」
「同じ宝飾品を何度も身につけていると『新しい宝飾品を買う金もない』のだと馬鹿にされるのだとか。売ったお金で新しい石や中古の宝飾品を買っていくみたいです」
「信じられん……」
「そういう方々は宝飾品や宝石に愛着なんてないんですよ。壊れたり飽きたらそれで終わり。他人に馬鹿にされないように自分を大きく見せるための道具でしかないんです。
大抵のご令嬢にとって、婚約指輪もその延長だと思いますよ。他の令嬢よりも優れた婚約者を得た証としての意味合いが強いのでは?」
「……否定できないな」
レアの商売はまさにそこに付け込んだものだ。見栄を張りたいが本物の宝石を買う金がない貴族相手に本物よりも美しくて大きい魔工宝石を比較的安価な値段で売りつける。
婚約指輪に「他者と張り合うための道具」としての付加価値をつけ、令嬢に競わせることによって需要を生み出し、そこからあぶれた者に「安くて見栄えが良いものがある」と声をかける。
令嬢方にとっては貰った指輪が「本物」か「魔工宝石」かなんて関係ないのだ。一般人では見分けもつかないし、ぱっと見たときに大きければそれでいい。
流行りの小説を利用して婚約指輪という文化を作り上げ、それにうまく乗って利益を出す。それ自体は悪いことではないが、正直言って綺麗な商売ではない。
「だが、貴族の中にだって宝石を愛する人々はいるのだろう?」
「もちろん。宝石を修復するのだって安くはありません。指名依頼ならば少なくとも金貨数十枚、下手したら百枚以上の依頼料がかかります。
正直、それだけのお金があれば新しい宝飾品を買えるんです。でも、新しい物ではなく、どうしてもそれを直したい。そういう人たちだっているんです。
それこそ、私たちが最初に依頼を受けたリベルタ商会の奥様とか」
「ああ、確かエメラルドの……」
「ええ。旦那様から貰った大切な指輪だと仰っていたでしょう。私は、ああいう風に宝飾品を大切にして欲しいと思っていて。
夢を見すぎですよね。でも、修復師として依頼人の思い出や想いに触れる度にこうして大事に愛されている宝石や鉱物は幸せだなって思うんです。
祖母の蒐集物も同じです。別に取り返したいとか買い戻したいとかではなくて、今の所有者の元で大事にされているならそれでいいやって」
「リーシャは優しいな。つまり、婚約指輪もそうあって欲しいということだろう?」
「……まぁ、そうですね」
他者をあざ笑うための道具ではなく贈る人間と贈られる人間にとっての思い出の品であって欲しい。それが指輪にとって、そこに留められた宝石にとって一番しあわせなことであるとリーシャは考えている。
だからこそ、貴族の間で流行っている婚約指輪の風習が好きではないのだ。それが貴族にとって必要なことであり、ただの商売であると分かっていても良い気がしない。
(良かった。それならば俺が用意した指輪を受け取って貰えるかもしれない)
リーシャの意図を理解したオスカーは内心ほっと心をなで下ろした。
オスカーが指輪を用意したのは自分の地位や権威をひけらかす為ではない。正式にリーシャを妻に迎えることへの決意表明と、翡翠の指輪の調達が滞っていることへの詫びだ。
もちろん、リーシャが言うような「貴族的な意味」を持ち合わせていない訳ではない。
婚約指輪を贈るのは公の場で「婚約者」として紹介した際にリーシャに恥をかかせない為でもある。だが、それはヴィクトール・ウィナーへの対抗心、つまりは嫉妬の意味合いが強いのだ。
(素直に理由を話せば、リーシャも納得してくれるだろう)
リーシャは聡い。いきなり婚約指輪を差し出したからと言って訳も聞かずにはねつけたりはしないだろう。
(予定通り、祭りの最終日に渡そう)
決行は歌結びの儀がある祭りの最終日だ。荷物に隠した指輪のことを思いながら「まだ日数があるにも関わらずこんなに緊張するものか」とオスカーは戦々恐々とした。




