作者の正体
「そういえば、あの……婚約指輪だったか?」
オスカーが口を挟む。
「あれが貴族の間で流行っているとレアに聞いたぞ」
「ああ、『白鯨の愛し子』に出てきた」
「あれは小説には出てきますが、伝承には出てこないものなんです。それが貴族の間で流行っているって……本当ですか?」
アンナは初耳だったようで目を丸くしている。
「何でも、最近流行り始めた流行だと言っていたな」
「元々ロダにあった文化という訳ではないのですか?」
「いえ、あれは本当にたまたま思いついたもので……」
「え?」
「あっ!」
アンナはハッとして言葉を飲み込んだがもう遅い。その言葉が何を意味するのか、リーシャもオスカーも即座に理解した。
「『白鯨の愛し子』の作者って、アンナさんだったんですか?」
「……はい」
リーシャの問いにアンナは渋々その事実を認めた。
「あの、出来ればご内密にお願いします」
「もちろんです。でも、どうして正体を隠しておられるんですか? 村おこしという面では『白鯨の巫女が作者だ』と明かした方が盛り上がりそうですが」
「元々あの小説は村おこしのためにおみやげ物として作ったものだったんです。乙女小説も流行っているし、物語を書くのは好きだったので父に頼まれて軽い気持ちで引き受けてしまって。
そうしたらそれが偶然出版社の目に留まって、あれよあれよとこんなことに……」
「お姉ちゃんは恥ずかしがり屋だから目立ちたくないんです。村の中を普通に歩けなくなっちゃう! って大騒ぎしてましたよ」
「だって、まさかこんなに流行るなんて思わなかったんだもの!」
はじめはロダとその周辺の町で売られていただけだったが、次第に評判となりとある編集者の目に留まった。その結果、隣国、そのまた隣国へと広がっていったのだそうだ。
ついには魔法三国にまで広がり、令嬢の間で大流行している。これはアンナにとって想定外の出来事だったらしい。
「お金もたくさん入ってきたし、村にもお客さんが来るようになって町おこしとしては大成功だったよね~」
「そうだけど、なんか恥ずかしい」
「そう? 私は嬉しいな。自分の絵がこんなにたくさんの人に見てもらえて、しかもお金まで貰えるなんて最高~。
おかげでこの家も建てられたし、画材や布も買えるようになったしッ!」
「ということは、エダさんが挿し絵を?」
「実はそうなんです! 出版社の人に言われて本に合いそうな真面目な画風にしたので気づかない人も多いと思いますけどぉ」
「そうだったのか。全く気がつかなかったぞ」
「ふっふっふ。そうでしょう? きっちり仕事して偉いって出版社の人にも誉められましたからっ!」
「白鯨の愛し子」と「劇の冊子」とでは大分絵柄が異なるので一目見ただけでは同じ画家が描いたとは分からない。
作風や用途に合わせて画風や絵柄を変えることが出来るのがエダの長所なのだと言う。
「でも、だとすると魔法三国の貴族には売り込みやすいかもしれないですね」
「どういうことですか?」
「魔法三国では貴族令嬢の間にも『白鯨の愛し子』が浸透していますし、劇中に出てくる婚約指輪も文化として定着しつつあるのでしょう?」
「茶会で自慢しあうのが流行っているとレアが言っていたな」
「でしたら、例えば『白鯨の愛し子』に出てきた婚約指輪の複製品や、『白鯨の愛し子』の装画家がデザインした指輪を作れば売れるのではないかと」
「わっ、私がデザインした指輪を貴族の方に!? でも、指輪の作り方なんて知らないですよ!?」
「それなら、一人心当たりがある。婚約指輪の取り扱いもしているようだし、金になるなら喜んで引き受けてくれると思うぞ」
「まぁ、彼女に頼むのが一番でしょうね。信用できる相手ですし、婚約指輪という商売が白鯨の愛し子からアイデアを得ているのならば断れないでしょう」
「話の展開が早すぎて頭が追いつかない!」
どんどんと進んでいく話に理解が追いつかないのか、エダは目を回しながら頭を抱える。自分の想像もしていなかった展開へ話が広がり始めたからだ。
「そのお方も貴族の方なのですか?」
「ええ。リューデンの貴族で宝飾関係の仕事をしている人です。私の遠縁に当たる女性なので、信用も出来ます」
「えっ、もしかしてリーシャさんって尊い身分の方なんですか!? た、たたた確かにお姫様みたいな人だなって思ってましたけど! どどどどうしよう! 私、なんだか大変失礼なことをしてしまったような!」
「ああ、私自身は至って普通の一般家庭で育った人間なのでご安心下さい。あくまでも遠縁ですから」
リーシャの言葉にアンナもエダもほっと胸をなで下ろした。お忍びで来ていた貴族に失礼な態度をとってしまったのではないかと内心震え上がっていたのだ。
「もしも今後商売を広げたくなったら紹介状を書くので言ってください。きっと相談に乗ってくれると思います。私からも軽く手紙で伝えておくのですぐに話は通るはずです」
「ありがとうございます。父にも良く相談してみます」
「それが良いと思います。せっかく氷灯も売れているようですし、もっと良い商売が出来ると良いですね」
「はい。このようなご縁をいただき、感謝いたします」
アンナはリーシャに向かって手を組んで祈った。「ご縁」という言葉にリーシャは優しく微笑む。縁。そう、これは縁だ。
エダの絵や作品に惚れ込んだのもあるが、せっかくこうして知り合えたのだし、少しでも力になってやりたい。
故郷のためにこうして知恵を絞り、故郷をより豊かにしたいと邁進する姿に心を打たれたのだ。
(オスカーといいこの姉妹といい、故郷のためにがんばりたいと思えるのが羨ましい。私なんて、二度と帰るものかと思ってしまうくらいなのに)
望郷の気持ちなんてどこにもない。むしろ故郷から逃げたくて旅をしている身としては、生まれ育った土地を愛し、その土地のために身を捧げる者たちがとても眩しく見えた。
だからこそ自分が出来ない分、何か別のところで彼らの力になってやりたい。そんな気持ちが芽生えていた。




