リーシャのファッションショー
「では、私のアトリエへご案内しますね!」
雪かきがされた道を進み、山の上へ向かう階段を上る。村長の家があるのは小さな島で、それ自体がひとつの山だった。
山頂には白鯨を祀った社があり、その中腹を所々切り開いて家を建てている。島には村長の家族しか住んでいないのでそれで事足りるらしい。
エダのアトリエはちょうど島の裏側にあった。大きなテラスが張り出しており、なにもない海を一望する事が出来る。
「ここは私の秘密基地なんですよ~。普段はここで一人暮らしをしているんです」
暖炉に薪をくべながらエダは言う。
「凄い……。素敵なおうちですね」
リーシャは部屋を一目見るなり感嘆の声を漏らした。
暖炉の前には大きなソファーと足の低い机があり、その背後には作業用と思われる机と椅子、ミシン台が置いてある。机の上には小さな本棚が備え付けられており、服飾や装飾品に関する本がぎっしりと並べられていた。
その反対側には作りかけの服や完成品を身に纏ったマネキンがずらりと並び、その後ろには布や端切れが無造作につっこまれた大きな棚があった。
まさに創作活動のための隠れ家だ。
「ソファーに座っててください。お茶入れますから~」
「ありがとうございます」
エダの言葉に甘えてリーシャはソファーに腰をかけた。暖炉の火が暖かい。
「珈琲と紅茶、どちらがいいですか?」
「私は紅茶で」
「では、俺も同じで」
「了解ですっ!」
しばらくすると薬缶が沸く音がして、茶葉のよい香りが漂ってきた。
エダは三人分の紅茶を机の上に配膳すると、緊張した面もちでリーシャの顔をじっと見つめる。その視線に気づいたリーシャに「なんですか?」と問われると、しばしの間もじもじした後に意を決したような目で頭を下げた。
「あっ、あのあの! 今日リーシャさんをお招きしたのには実は訳がありまして! その~、あのですね? もし宜しければ~なんですけど、私の服を……その、着ていただけないかと」
「服を? えっと、つまりモデルになれと言うことでしょうか」
「はいッ!」
エダは勢いよく返事をするとその理由を語り始めた。
「あの~、ワタクシ、趣味が絵を描くこと、服を作ることなんですけど、作ってもこうしてマネキンで飾るだけ……アッ、たまにお姉ちゃんに着てもらうだけで、リーシャさんのようなお綺麗な女性に着てもらったことがなくてぇ。
あああ、別に劇団の方がお綺麗ではないとかそういう話じゃないんです! 言い方が悪かった、悪かったんですけど!
リーシャさんを見たときにああなんて美しい女性なんだ! 雪の妖精さんみたい! と、こう、なんというか、インスピレーションがビビビと沸いてきて、私の作った服をリーシャさんに着てもらいたいな~、見てみたいな~って思ったんです! ふひひっ……。
それで、この三日間で色々と準備をしたので、良かったら着て頂けないかな~って。
アッ、でも無理だったらいいんです! 無理だったら……でも、見てみたいなぁって……」
「……」
早口でまくし立てるエダにリーシャは気圧されていた。固まって動かないリーシャをよそに、エダはオスカーに向かって喋り始める。
「オッ、オスカーさんも見たいですよねぇ……? リーシャさんがかわいいお洋服を着るの。滅茶苦茶自信がある服だけ厳選したので間違いないんです! 絶対かわいいですよ? かわいいに決まってますよ?」
(正直、見たい)
エダの腕が確かなのは演劇の衣装を見て分かっている。まるでおとぎ話に出てくるような、きらきらとしていて可憐な衣装をリーシャが着たら……。
リーシャのドレス姿は歓迎会などで何度か見ているが、あれはよくある伝統的なドレスだ。エダが作るおとぎ話の服ではない。
(例えば劇に出てきた巫女の衣装。あれをリーシャが着たらとても似合うのではないか? 町娘の服でも良い。おそらく自分からは着たがらない服だろう。だが、正直見てみたい)
そんな欲求が心の底から沸いてくる。
「……」
それを悟られないようにオスカーは黙って目を閉じた。口を開けばボロが出る。黙秘するつもりだ。
「まぁ、服を着るくらいなら構いませんよ」
「本当ですか!? やったー! では早速こちらへ!」
承諾を得るなりエダはリーシャの手を引っ張って隣の部屋へ連れ込んだ。どうやらそこに服を用意してあるらしい。
一人残されたオスカーは静かに目を閉じる。一体どんな服を着せられるのか、期待と妄想で胸がいっぱいだった。
* * *
「ではでは! ただ今よりリーシャさんのファッションショーを開催します!」
ソファーの脇に立ったエダが声高らかに宣言する。オスカーは期待に満ちたまなざしで拍手した。
「まずはこちら! ロダの伝統的な町娘の服をアレンジした一品です! ポイントは少し短めに整えたスカートと、エプロンに施した刺繍! ウエストのリボンもワンポイントで最高! では、どうぞ!」
かけ声とともに奥の扉が開いた。
「……!?」
そこに立っていたのは膝丈よりも少し短いワンピースにエプロンをした三つ編み姿のリーシャだった。
「スカートの下にはパニエを履いているので~、一般的な伝統衣装よりも膨らんでいてかわいいんですよぉ! せっかくなので髪もおろして三つ編みにしてみました! 髪飾りもレースがついていて似合うでしょ?」
「……少し乙女趣味すぎませんか?」
「それが良いんじゃないですかっ!」
リーシャは恥ずかしそうに髪をいじる。普段履かない短い丈のスカートが気恥ずかしいようだ。
「どうですか?」
「……よく似合っているぞ」
オスカーは澄まし顔で答えた。
(似合っているどころではない。目の毒だ)
「こんな町娘がいてたまるか」と言いたいところをぐっとこらえる。リーシャが動くたびにスカートがふわふわと揺れ、腰に結われた大きなリボンが蝶々のように舞うのがなんとも愛らしい。
透明で柔らかな布を幾重にも重ねて作ったリボンは存在感があり、目を引く。
フリルが多めについた真っ白なエプロンにはロダの伝統的な刺繍が施されておりかわいらしい。
(なにより、恥じらうリーシャが良い)
普段の凛とした姿からは想像も出来ない、乙女趣味の服を着て恥ずかしそうに顔を赤らめるリーシャがとても良い。
オスカーは心の中でエダに万雷の拍手を送った。
「では、次のお洋服を準備するので少々お待ちください」
エダは再びリーシャを隣の部屋へ連れて行くとバタンと扉を閉めた。
一着目から想像以上の出来だ。オスカーは二人の姿が見えなくなったのを確認すると、顔を手で覆って「ふー」と大きく息を吐いた。
一体次はどんな衣装で登場するのだろう。ばくばくと大きな音を立てる心臓を落ち着かせるために紅茶を飲んで気を紛らわせる。
「お待たせしました! お次はこちらです!」
しばらくすると再び隣の部屋へ通じる扉が開いた。
「乙女小説に出てきそう!? 男装の姫騎士をイメージした作品です! リーシャさんに似合いそうなので選んでみました! では、どうぞ!」
扉の奥からコツコツと靴音が聞こえ、乗馬服を着たリーシャが出てくる。鮮やかな群青色の表地と燕尾の部分から見える真っ赤な裏地とのコントラストが見事だ。
裏地にはストライプの入った生地が使われており、胴から腰にかけてきゅっと引き締まったシルエットが美しい。
真っ白なキュロットに黒のブーツ、手には鞭を持ち、髪を編み込んで後ろにまとめた上から大きな石がついた派手髪飾りでまとめている。
先ほどの服と比べると地味な作りだが、胸元のコサージュや袖口や裾の装飾などで華やかさを補っているようにみえた。
「この服はいいですね。動きやすいですし、派手すぎないのがちょうどいいというか。結構好きです」
「オスカーさんは先ほどの服とこの服、どちらが好みですか?」
「む……。そうだな」
エダの問いかけにオスカーはものすごい早さで思考を巡らせた。
(先ほどの服の方が好みだが、正直に伝えるとリーシャは嫌がるだろう。リーシャが気に入っているのはこの乗馬服のようだから、そう答えるのが正解だろうか)
「どうせさっきの服の方が好みなんでしょう?」
オスカーが答えを弾き出す前にリーシャが指摘する。
「顔に出てますよ」
「何だと? そんなはずは……」
「ほら、やっぱり」
「……なんかすまん」
「まぁ、いいですよ。他人の趣味を否定する権利は私にはありませんし。でも、やはりこちらの方が私の好みですね」
そういって姿見鏡の前でくるりと回ってみせる。よほど気に入ったようだ。
「では、三着目に行きましょう! 次が本命です。少し時間がかかるのでのんびりお待ちください~」
三度隣の部屋に消えていく二人を見送った後、オスカーは煩悶した。
(対応を間違えてしまったか?)
おそらく、あの「間」がいけなかったのだ。とっさに答えを出せずに一瞬間が出来てしまった。それを見たリーシャは「やっぱり」と思ったのだろう。
(だが、やはり一着目は衝撃的だった……)
あれを見た瞬間、体中に衝撃が走った。こんな衝撃は鉱石温泉で部屋着に着替えたリーシャを見て以来だろうか。
普段きっちりとした服ばかり着ているので、そうでない服を着たときの破壊力が凄まじい。頭の中に焼き付いて離れない。瞼を閉じるとあの恥ずかしそうなリーシャの姿が浮かんできて悶々としてしまう。
「お待たせしました!」
どれくらい時間が経っただろうか。大きな音を立てて扉が開き、エダが興奮した様子で飛び出してきた。
「本日の目玉! 派手すぎて没になった巫女服がこちらです!」
エダのかけ声と共に純白のドレスを身に纏ったリーシャが出てきた。
「―――」
リーシャの姿が目に映った瞬間、オスカーの悶々とした気持ちはすべて吹き飛んだ。
「……美しい」
真っ白な絹とレース、オーガンジーをふんだんに使った美しいドレスに、レースで作ったケープを身につけている。
胸元には青や紫に光る大きなビーズを使ったネックレス、手には青紫と白い花で作られたブーケ、髪の毛には銀色と青色の髪飾りに白いベールをつけ、複雑そうな表情で立っている。
「これ、本当に巫女服なんですか?」
至極真っ当な質問にエダは「えへへ」という顔をした。
「おねえちゃん曰く、どこが巫女服なんじゃい! こんなん儀式で着れんわ! 却下! だそうです」
「どう見ても婚礼衣装でしょう……」
「巫女は白鯨のお嫁さんみたいなものなので良いんです! ……ダメですか?」
「神聖な儀式に使うには華美すぎる気がします」
スカートにはレースやビーズ、刺繍がふんだんに使われていてきらきらと光り輝いている。リーシャはあまりにも豪華な仕様に面食らっているようだ。
「でもでもぉ、今までで一番の力作なんですよ? 作るのにも凄く時間がかかったし、お金だって……あっ、ロダって北の外れの方にあるので布の取り寄せにお金がかかるんですよ! だから思った以上に予算がかかってしまって大赤字! でも悪くはないですよね?」
「シルエットも美しいですし、こんなにボリュームがあるのに動きやすいのが良いですね。スカートのビーズも粉雪みたいにきらきら光って綺麗です」
「そうでしょう! 結構こだわって作ったんですよぉ! いや、リーシャさんの銀の御髪に絶対似合うなと思ったんですッ! あー、嬉しい。美しい。作者冥利に尽きます。拝みたい」
リーシャとエダがドレスについて議論を交わしている間、オスカーはただぼーっとリーシャの姿に見とれていた。
さきほどの伝統衣装のことなどすっかり忘れてリーシャのドレス姿に釘付けになっている。
(まるで雪の精のようだ)
リーシャの言うようにどう見ても婚礼衣装だが、銀色の髪と白い肌も相まってさながら童話に出てくる雪の妖精のように見える。
もしもこのドレスで夜会にでも行ったものなら男も女も皆リーシャに夢中になってしまうだろう。
(それはいかんな)
特にヴィクトールのいる夜会には絶対に連れていけない。愛する人がほかの男に熱意を向けられるのはあまり嬉しくはない。
「オスカー、どうですか?」
リーシャがオスカーの目の前でくるりと回ってみせる。スカートとベールがふわりと舞って美しい。
「とても似合っているぞ。似合いすぎていて他の者に見せせるのがもったいないくらいだ」
「え?」
「あ、ああ! いや、何でもない。忘れてくれ」
(耳まで赤くなってるし)
「そういうところが可愛いのだ」とリーシャは内心ほくそ笑んだ。
(少しからかってみるか)
こうも初な反応を見せられると少々意地悪したくなる。
リーシャはオスカーの隣に座るとそっと耳元に口を近づけて囁いた。
「私たちの結婚式でも、こういう素敵なドレスを着れると良いですね」
オスカーは一瞬目を見開くと驚いた様子でリーシャの方へ振り向く。リーシャはにこりと笑うとさっと席を立って着替えに戻った。
(心臓に悪すぎるぞ……!)
先ほど以上に心臓が大きく鼓動している。かーっと顔が熱くなっているのが分かり、額からは汗が出てきた。
(だが、結婚式。結婚式か)
立場上、いずれは故郷のイオニアで式を挙げなければならない。国民や臣下へのお披露目でもあるからだ。
それにはまず、王である父親へ報告しなければならない。オスカーはまだリーシャとの関係を父母に報告していなかった。
おそらく、勘の良い母や姉妹にはバレているだろう。だが、そういうなんとなくの成り行きではなく、正式な報告をすべきだとオスカーは考えていた。
それにはまず、リーシャへ正式な結婚の申し込みをしなければならない。
(ロダにいる間に必ず、リーシャに結婚を申し込まねば)
白鯨祭が終わる日までに結婚を申し込む。
そう期限を決めておかねばいつまでも引き延ばしてしまう気がする。
せっかくリューデンで婚約指輪を作ったのだ。ここまできてなぜためらう。
(リーシャが俺の妻に……)
先ほどの婚礼衣装姿を見てようやく実感が沸いてきた。やはり婚約相手と結婚相手とでは違うのだ。リーシャを妻に、正式に家族となるのだと思うとなんと表現すればよいのか分からない「熱」のようなものが体の心から沸き上がってくる。
それがなんとも嬉しくて、心地よかった。




