不思議な少女
演劇が終わると場内は万雷の拍手に包まれた。少女役の女優と男役の俳優が揃ってお辞儀をすると、出演した俳優たちが全員出て来てカーテンコールが始まった。
「なるほど、原題はこういう話なんですね」
拍手の中、リーシャはぽつりと呟いた。
「例の小説は違うのか?」
「乙女小説は幸せな結末が基本ですから、白鯨は海に帰らず主人公と幸せになっておしまいです。二人の甘い新婚生活が見所の一つですね」
「……なるほど」
「にしても、やはり実物は映えますね」
リーシャは舞台に並ぶ俳優たちの衣装を双眼鏡でじっくりと観察している。色使いや装飾が舞台映えする良い衣装だ。目の保養になる。
「あの絵を描いた方もロダの方なのでしょうか? 小説の作者といい、多才な方が多いんですね」
「画家の名前はなんと言うんだ?」
「それが、どこにも書いてないんですよね」
脚本家や舞台監督の名前はあるが、いくら探しても表紙や挿し絵を担当した画家の名前がどこにも書いていない。これでは他の作品を探すことも出来ない。残念だ。
「こんなに大きな舞台の絵を描いているのですから、普通ならば名前を記載すると思うんですけど。何か隠したい事情があるのかもしれませんね」
「事情?」
「目立ちたくないとか」
「普通、名を売りたいものなんじゃないのか?」
「本業が別にあって副業として画家をしているとか、目立つと生活しにくくなるとか。色々理由はありそうですが」
「……」
オスカーは劇場内を見渡した。「白鯨の愛し子」の愛読者だろうか。身綺麗なご令嬢たちがハンカチを片手に冊子を握りしめ涙を流しているのが多く散見される。
「まぁ、静かに生活したいのならばそれも仕方ないか」
「白鯨の愛し子」が空前のブームとなっているさなか、そのモチーフとなった村の祭のポスターや演劇に携わっているとなれば村を歩くだけでも熱い視線が注がれることになる。
もしも作者が普通の村人だったならば、それを良しとしない可能性も十分考えられる。生活に支障が出る可能性があるからだ。自分の生活を優先するならば、名前を公表しないのも選択肢の一つだ。
「私たちもそろそろ出ましょうか」
人の流れも落ち着いてきた所でリーシャとオスカーも退場することにした。出口は急な階段の下にあるので足下に気をつけながら階段を下る。
「あっ!」
ふいに、横からの衝撃を感じた。
「危ない!」
よろめいた拍子に階段から転がり落ちそうになるが、背後にいたオスカーが咄嗟にリーシャの腕をつかむ。間一髪で階段から落ちずに済んだ。
「……?」
態勢を整えたリーシャが足元を見ると、目の前には無数の紙が散らばっていた。薄暗くてよく見えないが、ぶつかった衝撃でばらまかれたようだ。
「ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」
衝撃を受けた方向を見ると、顔面蒼白になっている少女が目に入った。手には紙を挟んだ板のような物を抱え、必死に頭を下げている。
「大丈夫ですよ。拾うの手伝いますね」
「ありがとうございますッ……!」
随分と派手にばら撒いたのか、辺りを見渡すと紙は広範囲に散らばっているようだ。オスカーと手分けをして落ちた紙を拾う。
(あれ、この絵って)
紙には劇のスケッチが描かれていた。極めて簡単な、ラフな絵だが躍動感があって生き生きとしている。思わず見入ってしまったが、何枚か拾ううちに既視感を覚えた。
「あの、間違っていたら申し訳ないのですが、もしかして冊子の絵を描かれた方ですか?」
紙を拾い終えたリーシャは落とし主に手渡す際にそう尋ねた。
「えっ! ……えっと、はい」
少女は紙の束を受け取ると恥ずかしそうに小さく頷く。
「よくわかりましたね……」
「分かりますよ。貴女の絵、好きなので」
「え? え! えっ! 好き……?」
「正直に申し上げて好みでした。絵柄も、あと衣装のデザインも。素敵です」
「はひぃ! も、もったいないお言葉……!」
(はひぃ……?)
顔を真っ赤にしながら何度もあたまを下げる少女にリーシャは啞然とした。
相手の容姿を改めてよく観察するとボサボサの髪に前髪で隠れた目元、絵とは対照的にところどころに毛玉が目立つ暗い色味の地味な服を着ている。
なんというか、冊子の絵の雰囲気とあまりにもかけ離れている。
(いや、人を見た目で判断してはいけない)
美しい物を作る人が美しい容姿をしているとは限らないし、見にくい物を作る人が醜いとは限らない。自分の想像と違ったからと言って落胆したり裏切られたような気持ちになるのはあまりにも身勝手で失礼だ。
「劇の衣装は全てあなたがデザインをなさったんですか?」
「あっ、ハイ。劇団の服飾担当の方とやりとりをして、作るのは劇団員の方に任せて、私は絵を描いただけなんですけど」
「そうだったんですか。冊子の絵がそのまま表現されていてとても素敵な衣装でしたよ。他にも洋服のデザインをされたりしているんですか?」
「エッ、あー、えっと、趣味で……。趣味で色々作ったりしてて。でも特に売ったりとか、そういうのはしてないんですけど。私はこんなんなので、お姉ちゃんに来て貰ったりとか~」
そう言った後に少女はピタリと動きを止めた。
そしてリーシャを上から下までじろじろと眺めると一人で赤くなったり白くなったりしながら思考を繰り返し、意を決したように口を開いた。
「あの~、よ、良かったらうちに来ます? 他にも色々お洋服があって~……。アッ! 無理にとは言わなくて、興味があったらなんですけどッ!」
「え?」
あまりにも突然の提案だ。リーシャは困惑した。
まだ出会って数分、しかも互いに名乗ってすらいない相手に唐突に自宅へ招待されたのだ。
(どうしよう)
正直、興味はある。
どんな場所で絵を描いているのか、他にどんな服を作っているのか、興味がない訳ではない。ただ、あまりにも話の展開が急すぎて思考が止まってしまったのだ。
「こんな機会滅多に無いだろうし、興味があるなら行ってみたらどうだ? 彼女の絵、好きなんだろう?」
悩むリーシャの背中をオスカーが押した。こういうときに必要なのは鶴の一声、きっかけだ。リーシャはハッと我に返ると「分かりました。お邪魔します」と返答した。
「や、やった! じゃあ、準備があるので三日後に! 宿泊先はどこですか? 迎えに行きますから!」
「中心部から少し離れた場所にある民宿です。えっと……ここです」
リーシャは懐から取り出した地図を指さしてみせる。
「ああ! 分かりました! では、こちらにお迎えに参りますッ! では!」
「ちょっと待ってください! 帰る前にお名前を教えて頂けませんか?」
「アッ! ごめんなさい! エダと申します!」
「私はリーシャです。では、三日後に」
「はい!」
何とも勢いのある娘だ。バタバタと小走りに劇場から出ていく後ろ姿を見送った後、リーシャとオスカーは顔を見合わせた。
「なんだか不思議な方でしたね」
「……そうだな。でも良かったじゃないか。工房を見せてもらえるなんてそうそうない機会だろう」
「はい。実際に近くでお洋服を見せていただけるようなので楽しみです」
リーシャは楽しそうに「ふふっ」と笑う。
「月桂樹の杖工房」もそうだが、職人の工房を見て回るのは楽しい。彼らが使っている道具や材料を眺めているだけで心が躍るし、工房に充満している「匂い」を嗅ぐとどきどきする。
旅をしているため物作りとは縁遠くなってしまったが、実家にいる頃は練習で作った魔工宝石で小さな装身具を作るのが趣味だった。
その心根は今も変わらず、手工芸には心引かれる物がある。
(楽しみだな)
三日後が待ち遠しい。思わぬ出会いに浮かれた様子で劇場を後にした。




