懐かしい町
小さな丘から見下ろせる北方の港町。以前と何も変わらない景色にリーシャは何とも言えない気持ちを抱いていた。
『宿屋の魔動炉が壊れてしまったので直してほしい』
組合で受け取った指名の依頼だ。よくあるなんてことのない依頼だったが、封筒の裏に書かれた依頼人の住所を見て驚いた。
『トスカヤのトマス』
「トスカヤ」。記憶に新しい地名だ。数十年前に訪れたオットーとマリーの故郷。そういえば、北の方にある国だった。
(しかも、魔動炉の修理依頼なんて)
「あのとき」と同じ依頼内容にドキッとする。あれからあの二人がどうなったのかは知らない。そもそも、数十年前に依頼を受けた際にはまだオットーもマリーも生まれていなかった。
それなのに、例の一件のせいでトスカヤでの思い出はリーシャにとって苦い物となっていた。
(断ろうかな)
指名の依頼は全て受けなければならない訳ではない。都合が悪いものは組合を通して断ることが出来る。
ただ、北方を目指すリーシャたちにとってトスカヤはちょうど良い立地だった。トスカヤは魔法三国から北方へ行く、ちょうど中間にあるからだ。
(仕方ない)
リーシャは依頼を受けることにした。
どちらにせよ、もうあの兄妹も当時の依頼人も居ないのだ。恐れることはない。
トスカヤは小さな町だ。町と言うよりも村といった方が良いかもしれない。町には宿が一件しかないし、食堂も酒屋を兼ねたものが小さな物が二つだけ。
観光地というよりは漁師町で、西方では魚の産地として名が通っているようだ。
依頼主は宿屋の主らしい。手紙には丁寧に地図まで書いてある。
(ご丁寧に書いてくれてるけど、この宿知ってるんだよな)
見覚えのある名前だった。
地図に書いてある場所まで行くと見覚えのある建物が見えてくる。
「あそこです」
「豊漁亭か。縁起のいい名前だな」
正面に大きな看板が掛かった年季の入った建物だ。
(前回もここに泊まったな。ここしか宿がないから)
今となっては懐かしい思い出だ。依頼主である義眼技師、エリクの家まではここからそう遠くはなかった。ここで一泊してエリクの家へ向かったのだ。
(今、あの家はどうなっているのだろう)
オットーの話によるとエリクとその妻はすでに他界している。誰か別の人間が生活しているのだろうか。それとも――
「リーシャさん?」
背後から若い男性の声がした。はっとしてリーシャが振り返るとまだあどけなさの残る青年が両手いっぱいに食材を抱えて立っている。
「もしかして、宿の方ですか?」
「はい! ……あれ、俺のこと覚えてないですか?」
「……失礼ですが、以前どこかで?」
「トマスです! この宿の息子で、五歳の時にこの宿でお会いしたでしょう?」
「……えっ」
(そういえば、宿には一人息子が居たような)
当時の記憶をたどると確かにそれらしき子供の姿が思い浮かぶ。宿を営んでいた若夫婦の一人息子だ。名前までは覚えていなかったが、確かに青年と同じ栗色の髪をしていた。
「あー……、すみません。随分と背丈が伸びていたので分かりませんでした」
「リーシャさんは相変わらずお美しい……いや、お若いですね」
「魔道具で姿を誤魔化しているだけです。中身は順当に年を重ねていますよ」
昔の知り合いに出会ったときはそういうことにしている。いつまでも年をとらないことを不審に思われると面倒だからだ。
大抵は「若作りをしている」と恥ずかしそうに言えば納得してくれる。
「そちらの方は?」
トマスはチラッとオスカーの顔を見た。
「護衛のオスカーです」
「あ、ああ! 護衛か。そうですよね。こんなところではなんですから、中へどうぞ」
ほっとしたような表情を浮かべたトマスにリーシャはニコリと笑みを浮かべる。
(安心したような顔をするなぁ)
自意識過剰かもしれないが、トマスはリーシャに気があるように思える。再会したときのあの顔と、今の反応が根拠だ。
(とはいえ、彼に会ったのはもう二十年以上前のこと。出会った頃は小さな子供だったことを考えると、さしずめ初恋のお姉さんってところかな)
二十年以上前に出会った初恋の相手に手紙を出したら当時と全く同じ姿で現れたとなれば気持ちも高ぶろう。トマスの心情も理解できない訳ではない。
「実は、今回依頼を出したのはリーシャさんに知らせたいことがあったからで」
宿屋の中に入るとトマスは嬉しそうに胸元から金属プレートを取り出した。
「身分証ですか?」
「はい! 俺、宝石修復師に弟子入りしたんです!」
「弟子入り?」
「少し前にこの村に来た宝石修復師の先生にお願いして弟子にしてもらったんです。これで俺もリーシャさんと同じ宝石修復師になれたんだって知らせたくて」
「……では、この依頼は嘘の依頼ということでしょうか?」
宝石修復師がいるのならばわざわざ依頼をする必要はない。自分で直せるはずだからだ。
リーシャが依頼書が入った封筒をひらひらと見せつけるとトマスは潔く頭を下げた。
「すみません! こうでもしないとリーシャさんに来てもらえないと思って……」
「はぁ」
リーシャは大きくため息をつくと顎下に手をやった。
(さて、どうするかな)
依頼内容が嘘であったことはこの際どうでもいい。問題はこの「偽の身分証」だ。
ぱっと見た所本物と何ら代わりのない見た目をしているが、組合を通さずに弟子になっただけで宝石修復師の身分証が発行されるなんて聞いたことがない。
宝石修復師は顧客との信頼関係が命だ。少なくとも身分証を得るには組合で試験を受けて最低限の技量があることを証明しなければならない。
「その身分証は『先生』が下さったのですか?」
「そうですよ」
「ギルドの中にある組合窓口に申請はしましたか?」
「してないですけど、何か問題でも?」
「問題というか……。手にとって見ても宜しいですか?」
「もちろん!」
リーシャはトマスから受け取った身分証を観察する。
見た目は本物そっくりで良く出来ている。だが、手で打刻をしたのだろう。文字の配置にわずかばかりのずれがある。
(とはいえ、ほんの僅か、よく見ないと分からない程度だ。作った人の腕がいい)
組合の身分証は機械を使って打刻されるのでズレがない。それに、文字の細さももう少し細いし均一だ。
だが、それだけだ。それだけしか違いがないほど良くできた偽物だった。
「ありがとうございます。本当に宝石修復師になられたんですね。驚きました」
「俺、ずっとリーシャさんに憧れていたんです! 親父は俺なんかに宝石修復師はつとまらないって言うけど、そんなことないって証明できて嬉しくて」
「おめでとうございます。お父様は身分証を見て何と?」
「ふん、って言って奥に引っ込んじゃいましたよ。俺が修復師になって悔しかったんじゃないですか」
「そうですか。身分証を得られたということは、もう修復師としてお仕事されているんですか?」
「いえ、まだ。俺は見習いなのでまだ修復魔法は使えないんです。今は先生のお手伝いをしていて、村のみんなの壊れた装飾品や魔道具を探す手伝いをしています」
「……探してどうするんですか?」
「先生が直すんです。直すところを見学するのも修行のうちだって!」
(なんか、雲行きが怪しくなってきたな)
トマスの話を聞いたリーシャの顔が曇る。話に出てくる「先生」というのがどうもきな臭い。
「先生が直すのを実際に見たことがあるんですか?」
「もちろんです! みんなの前で壊れた指輪をあっという間に直したんですよ」
(先生とやらは一応修復魔法を使えるのか)
話を聞く限りでは宝石修復師を装った詐欺師という訳ではないらしい。村人に壊れた宝飾品や魔道具がないか尋ねて無料で直す善人で、とても腕がよいと評判なのだそうだ。
(だとしたら、どうして偽の身分証を作ったりしたんだろう)
善人は身分証を偽装したりしない。
ましてや組合に所属する本物の修復師ならば、「弟子入り」なる制度で身分証を得られないことだって分かっているはずだ。
少なくとも「先生」はトマスや村人が言うような善人ではない。なにか裏があるとしか思えない。
「腕がよい修復師さんなんですね」
少しでも多くの情報を得るためにリーシャは話を合わせた。組合の信用に関わることだ。見つけてしまった以上見逃すことはできない。
「はい! そうだ、あとで紹介しますよ。先生はうちのお客さんなんです」
「そうだったんですか」
「あ、そうだ。リーシャさんたちも今日はうちに泊まっていってください。夕飯ごちそうしますよ」
「分かりました。では、お言葉に甘えて」
宿泊者名簿に記入する際、さりげなく「先生」の名前を探す。少し前から連泊しているのは「ロメオ」という男性客一人だった。
(このロメオという男が『先生』なんだろうか)
前泊地は「ロダ」――確か、流行りの乙女小説「白鯨の愛し子」の作者が住んでいる場所だ。
「こちらが部屋の鍵です」
記帳を済ませたリーシャにトマスが鍵を二つ手渡す。
「ああ、部屋は一つで大丈夫ですよ」
「え? でも」
「彼は婚約者なので」
「え!」
がチャン! という音を立てて鍵が机の上に落ちた。どうやらリーシャに婚約者がいるという事実にショックを受けたようだ。
「何か問題でも?」
「いえ! じゃ、じゃあ二人部屋をご案内しますね」
トマスは慌てて机に落ちた鍵を回収すると新しい鍵をリーシャに手渡した。
「ありがとうございます。では、また後ほど」
呆然とするトマスに優しく微笑みかけると荷物を持って階段を上がる。鍵を開けて部屋へ入ると防音魔法の魔道具を起動させた。




