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杖の発注

 宿の朝食はすばらしい。

 目を覚ますためのコーヒーと、ふんわりとほどよく半熟に煎られた卵、新鮮な野菜で彩られたサラダに焼きたての柔らかなパン。たっぷり盛られたバターを添えて。

 塩気の利いたちょっと分厚く切られたハムがまた美味い。


 朝の光が差し込むバルコニーで優雅に朝食を楽しみながら、リーシャは昨晩オスカーから手渡された小説を楽しんでいた。

「白鯨の愛し子」という乙女小説である。


 ここより北方の町に住む作家が手がけた小説で、最近リューデンで流行っているらしい。このほかにも何冊かまとめて「土産だ」と手渡してきた。

 オスカーが乙女小説を買ってきたのには驚いたが、読んだことのない新作だったのでリーシャは大変喜んだ。


「どうだ?」


 無言でページをめくり続けるリーシャにオスカーが声をかける。


「おもしろいですよ。白鯨の化身と恋に落ちるなんてなかなかない設定ですし、文章も読みやすいです」

「それはよかった。なんでも、北の方にあるロダという町の伝承を元にした話なんだそうだ」

「もしかしたら、作者はそのロダという町の方なのかもしれませんね」

「北方出身の作家だというし、そうだろうな」


 本の最後の方でロダの白鯨伝承について少しだけ触れられている。ロダには古くから鯨を食べる文化があり、白鯨を神と崇め、年に一度感謝祭が行われているそうだ。

 「白鯨の愛し子」はその感謝祭と伝承を元に書かれたとされている。


「それにしてもこんな本、一体どこで見つけたんですか?」

「え? いや、それはだな……」


 オスカーの目が泳ぐ。ちょっとした意地悪だ。


(おそらく、昨日の用事と関係があるんだろうけど)


 昨日、「買い出し」だという理由でオスカーは別行動をしていた。一体何を買いに行っていたのか触れずにいたが、乙女小説の存在はその「買い出し」の最中に知ったに違いない。


「たまたま立ち寄った本屋で女性たちが話しているのを耳にしたのだ」


(無難な回答)


 上手く切り抜けたといっても良いだろう。


「そうなんですか」

「そうだ」


 オスカーはわざとらしく「ごほん」と咳払いをすると珈琲を口にした。


「今日も別行動しますか? 私は構いませんよ」

「いや、今日は大丈夫だ。……そいういえば、リューデンにはあとどれくらい滞在するつもりだ?」

「さあ。杖がどのくらいで出来るかまだ分からないのでなんとも。さすがに二週間くらいはかかると思いますよ」

「そうか。分かった」


 どこかほっとしたような様子のオスカーにリーシャは首を傾げた。オスカーが何を隠しているのか、皆目見当がつかない。ただ、何か時間がかかることのようだ。


「レアは用事があって来られないようなので、朝食を終えたら二人で向かいましょう」


 レアは先日頼んだローデン訪問の手続きをするために別行動だ。夕飯は王都のレストランで一緒にとる約束をしている。何でもおすすめの店があるらしい。予約を取ってくれるというので任せることにした。


 朝食を食べ終えたリーシャとオスカーは「月桂樹の杖工房」へ向かった。昨日と同じ応接室へ通され、早速目の前に杖のデザイン画が何枚か並べられる。


「昨日リーシャ様からお預かりした草案を元に作成したデザイン画です。いかがでしょうか」


 流石はプロというべきか、リーシャが手渡した図案をさらに膨らませ、洗練させたデザインに仕上がっていた。

 魔道具となる先端部分が全て金属製の物もあれば、先端まで一本の木で杖を作り、そこに金属の装飾を被せているものもある。


「レア様の仰っていたような透かしには出来ませんが、一部を覆う形での装飾ならばよく手入れして頂ければ問題ないかと存じます」

「どれもお洒落で良いですね。迷ってしまいます」

「特に気になるものはございますか?」

「そうですね……。これとか素敵だなと」


 リーシャが手に取ったのは鍵型の杖だ。先端まで全て木で作った杖に彫刻を施した金属装飾を取り付け、鍵状になっている空間の中心に風見鶏を配している。装飾部の中心で風見鶏がくるくると回る仕組みだ。

 杖の下部にも金属装飾が施されており、接地時の汚れや衝撃にも耐えられるようになっている。


「こちらは職人も一押しのデザインです。特にこの飾りの部分に力を入れていると申しておりました」

「これは……月桂樹ですか?」

「はい。我がリューデンのシンボル、月桂樹の葉を取り入れております。古典柄ながらも人気が根強い意匠です。伝統文様と言っても良いでしょう。杖に詳しい方ならば、すぐにリューデン製の杖であると分かるでしょうね」

「なるほど」

「お気に召しませんか?」


 ロルフはリーシャの顔が曇ったのを見逃さなかった。


「いえ、その、私はリューデンの人間ではないのでそこまで月桂樹に思い入れがなくて」

「おや、そうだったのですか? 私、てっきり……」


 灰色に近い銀髪に黄色みがかった黄緑色の瞳。「ルドベルトの大事な客人」だと紹介状に書いてあったのでてっきりリューデンの貴族だとばかり思っていたロルフは目を丸くした。

 どこからどうみても、誰が見てもルドベルトの人間にしか見えないからだ。


「これは失礼いたしました」

「いえ、生まれが異国だというだけで、祖先はこの国の生まれなので……。この容姿だと分からないですよね」


(なるほど、ルドベルト家の血を引いているというのは見当違いではなさそうだ)


 リーシャの話を聞いたロルフは思案した。

 彼女の表情から察するに、リーシャはあまりリューデンに良い印象を持っていないようだ。では、この「月桂樹」のデザインは好ましくはないかもしれない。

 だが、せっかく気に入ってくれたのだ。何か良い、この杖を選ぶ()()()()があればよいのだが……。


「月桂樹にはもうひとつ、別の意味があるのをご存じですか?」

「なんでしょう」

「お守りです」

「お守り?」

「はい。リューデンでは、古くから親しまれる月桂樹をお守りとして用いる習慣がありました。まだ戦争があった時代には戦地へ赴く子供に月桂樹の葉を入れたお守り袋を持たせ、服には月桂樹の葉を模した刺繍を施したとされています。

 今でも、出稼ぎや嫁入りなどで遠くへ行く家族や友人に月桂樹のお守りを持たせる習慣が残っているのです。

 リーシャ様は旅をしておられると伺いました。その旅の成功と安全を祈念するお守りとして、月桂樹の装飾はふさわしいものであると私は考えております」

「……」


 リーシャは服の上から石榴石のペンダントをぎゅっと握りしめた。旅をする中で祖母の「お守り」には何度助けられたことか。

 祖母の生まれた地で、杖に守りの飾りを施すのは悪くはないかも知れない。


「これが気に入ったんだろう?」


 迷うリーシャの背中をオスカーが押す。


「いい意匠じゃないか。なんといったって縁起がいい。リーシャとおばあさまに縁のある文様だ。きっとリーシャを守ってくれるに違いない」

「……」


 デザイン画と見つめ合いしばし考えた後に、リーシャは首を縦に振った。


「分かりました。これでお願いします」

「かしこまりました」

「完成するまでにどれくらいかかりそうですか?」

「そうですね、早くても三週間はかかると思います」

「承知しました。これからグロリアに行く予定ですので、ゆっくりで構いません。それ以降はルドベルトの屋敷に滞在していると思うので、完成したらルドベルトの屋敷までご連絡下さい」

「かしこまりました」


 ついに杖の仕様が決まった。代金はルドベルト家が持つというので最初は気後れしていたが、こうして完成図が見えてくると胸が高鳴る。

 昔から一本作りたいと思っていたのだ。その一本を作るために金は惜しまないと決めていた。


 まさかこうしてじっくりと理想を突き詰めた杖を作ることが出来るとは思わず、リーシャは満面の笑みで「月桂樹の杖工房」を後にした。

 これまでの嫌なことが全て頭の中から吹き飛んでしまったようだ。


「良かったな。俺には杖のことはよく分からないが、良い杖が出来そうなんだろう?」

「はい。まさかあそこまでじっくりと選ぶことが出来るとは思わなくて。今から完成が楽しみです」


 賢者の学び舎でリューデンの杖職人の評判は聞いていたが、期待以上だった。せっかく理想の一本を作るのだからせかすつもりはない。納得いくまで時間をかけて作ってほしいとロルフに職人宛の言づてを頼んだ。

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