学び舎の大図書館
「知らない間に随分と便利になっていましたね」
「飛行船を利用した航空便とは驚いたな。だが、考えてみれば今まで無かった方が不思議だ。馬車や船、人を運ぶ物にはだいたい荷や手紙を積んでいるからな」
「収納箱に入る大きさの物ならば重さも関係ないですし、案外飛行船と配送業は相性が良いかもしれませんね」
「そうか。飛行船には重量制限があるが、収納箱を使えばそれも解決出来るのか」
「収納箱は高価ですが、偉大なる帝国の船ならば簡単に調達出来るでしょう。投資をしてもこの副業ですぐに回収出来そうですし、皇帝は良い商売を思いつきましたね」
「冠の国を傘下に入れたのはその為か?」
「どうでしょう。冠の国が持つ造船業を握りたいという目論見はあったでしょうが、それだけならばあのままウィナー公船会社を拡大していけばいずれ達成出来たでしょうし……。
でも、正直それ以外にあの国に干渉するメリットって思い浮かばないんですよね」
冠に国にあるのは狭い土地と枯れかけた鉱山、灯火が消えかけた造船業だけだ。なぜ突然偉大なる帝国は冠の国に侵攻したのか。その謎は未だに皇帝の口から語られることはなかった。
「せっかく首都に来たのですから、図書館にでも寄って行きますか?」
「それは良いな。こんなに研究者が多い国なのだから、図書館もそれは立派な物なのだろう?」
「ここら辺では一番大きな図書館らしいですよ。誰も無料で使えるとか」
「誰でも、というのは身分に関わらず、ということか?」
「ええ。研究者でも来訪者でも、貴族でも貧民でも変わらず使えるそうです。ちなみに、賢者の学び舎は学費も無料、家賃さえ払えば良いのだとか」
「……利益という概念がないのか?」
「ギルドから幾分か仲介手数料のようなものを得ているのでしょう。学園とは名ばかりで、中身は研究者とギルドを結びつける仲介組織のようなものですから」
「なるほどな」
学びの場というよりは研究や探求の場、研究者を保護するための保護施設のようなものだ。研究者から金を取らなくても支援者からの寄付やギルドから得た幾ばくかの手数料だけで十分運営していけるのだろう。
ギルドと組合の建物から少し離れた場所にひときわ大きな建物がある。ギルドの建物も見上げるほど大きいのだが、それよりも遙かに巨大な「箱」のような建物だ。
それが膨大な数の本が納められている「図書館」だった。
全ての者に無料で公開され、誰でも利用できる。そのため、この図書館目当てに遠方から訪れる研究者も居るという。
(実は、この国に来たときから気になっていたんだよね)
組合で依頼を受けたときに「賢者の学び舎」について調べ、世界有数の図書館があるということを知った。魔法の研究者が集まる場所だ。読んだことがない宝石魔法や宝石、鉱物荷関する本がたくさんあるに違いない。
時間があったら是非立ち寄りたいと思っていた。
「リーシャ、探したい本があるのだが少し離れても大丈夫か?」
「ええ。では、閉館時間の少し前くらいにここで待ち合わせをしましょう」
「分かった」
「閉館時間」という言葉にオスカーはふっと笑った。リーシャはどこかそわそわしている。長居するつもりだ。そう感じた。
「では」
オスカーと別れるとリーシャは早速宝石に関する本がある書架へ向かった。入り口にある受付で探したい本を訪ねるとどこにあるのか教えてくれる。場所を記した紙をもらうと、それを頼りに階段を上がる。
大きな書架3個分、それが宝石と宝石魔法に関する本の量だった。
「これは素晴らしい」
その三分の二は読んだことがあるものだったが、残りは読んだことのない比較的新しい本や貴重な書だ。
「うーん、時間がないからどれを読むか選ばないと……」
本当ならば全部読みたい。だが、全部読むには結構な時間がかかるのであきらめよう。数ある未読の書の中から何冊が厳選して借りることにした。
(「宝石魔法大全」「魔工宝石の歴史」「最新! 世界の現役鉱山」「魔道具と核」「鉱石採取のすすめ」「珠玉の鉱物標本」……。いろいろあるなぁ)
気になる本を何冊か手にとってぱらぱらとページをめくる。本自体は読んだことが無くても、目新しい内容ではなく棚に戻す。その繰り返しだ。
「ん?」
ふと、一冊の本が目に付いた。
「リューデンの魔工宝石」
読んだことがない本だ。本棚から抜き取って本を開く。
「……」
しばらく目を通した後、本は棚に戻されることなくリーシャの手に留まった。
* * *
夕方、閉館時間が迫った頃にリーシャはオスカーと合流した。
「探していた本、ありましたか?」
「ああ。水魔法についての本を何冊か借りたよ」
「水魔法ですか。そういえば、賢者の学び舎には水魔法の村もあるのでしょうか?」
「どうだろうな。水魔法というのはよくある魔法なのか?」
「風魔法のように基本的な魔法の一つですね。水辺の地域では一般的に使われていますし、何かと便利なので旅人の必須スキルの一つですよ。私も少しなら使うことが出来ます。ほら、野営の時に皿を洗ったりしているでしょう?」
「ああ。あれは水魔法で行っていたのか」
「ええ。洗いものとか風呂とか、口に入れないものには水魔法を使うことが多いですね。飲料水もただではないですし、水魔法で生成した水ならば最低限の清潔さは補償されていますから」
リーシャはそう言うと「水よ、我に恵みを与え給え」といって指先に小さな水球を浮かべて見せた。
水は高価なものだ。川や湖などの水源近くの集落以外では「口にすることが出来る清潔な水」を得るのには金が要る。
水魔法の研究が進んでから、水の清潔さは随分と向上した。精錬魔法で淀んだ水や川の水から不純物を除去し、煮沸した上で瓶に詰める。
大抵の馬車が通っている拠点でいつでも飲料水が手にはいるようになり、傷んだ水で体を壊す心配がなくなった。
とはいえ、水の値段は土地によって様々であるし、収納鞄を持っていない旅人にとって水が入った重い瓶を何本も持ち歩くのは現実的ではない。
そこで、大抵の旅人は自分が飲むだけの最低限の飲料水を瓶で調達し、口に入らない部分に使う水には水魔法を使うのだ。
「最低限の清潔さというのは?」
「寄生虫がいない、触れてもまぁまぁ安全な水ということです。浄化されていない川や池の水を飲むよりはましという程度ですよ」
「だが、乾いた土地では使えないんだろう?」
「はい。水魔法による水の生成は空気中の水分をかき集める、いわば人工的な雨のようなものですから。そもそも空気が乾いているような乾燥地帯ではあまり使えません。
逆に雨期があるような湿潤な土地では使い放題ですが」
「うむ……」
水魔法の弱点、いや、欠点はそもそも水が存在しなければ使えないということだ。水魔法とはなにもない所に水を生み出す魔法ではなく、水を操る魔法だからだ。
「魔法というのは便利そうで不便だな」
「魔法は万能ではありませんからね。でもその制約の中でなにが出来るのか……と考えるのが楽しいんです」
リーシャはそう言って目を輝かせる。魔法の探求者というのは皆このような顔をするのだろうか。制約の抜け穴を探し、出来ないことを可能にする。
そんな夢を見て、この賢者の学び舎に数多の研究者たちが集っているのだと思うと、オスカーも魔法という底知れぬものの深淵を覗いてみたくなった。
「リーシャ、俺も魔法を学んでみようと思うのだが」
「水魔法ですか?」
「ああ。自分が使えた方が何か思いつくかもしれないからな。教えてくれるか?」
「もちろん!」
ぱぁっと明るい顔をしたリーシャは嬉しそうに首を縦に振る。オスカーに魔法を教えることが相当嬉しいようだ。
「では、帰りましょうか」
「ああ」
めぼしい本を手に入れた二人は馬を走らせて家に帰る。明日はいよいよ修復作業の最終段階だ。今日はゆっくりと休んで早めに床につくことにした。




