トリヤのレストラン
「疲れた」
普段よりもずっと集中力と魔力を使う作業な上に、大勢に囲まれて質問責めだ。気疲れが凄まじい。
「午前の作業はここまでにして早めにお昼にしましょう。馬を借りてちょっと離れた場所まで行きませんか?」
「そうしよう。外の空気を吸えば気分転換にもなろう」
貸し馬を借りて少し郊外を散策する。良い天気だ。「村」は草原に点在している。のどかな草原が広がる田舎道に馬を走らせると気持ちがいい。
リーシャとオスカーはいつも食材を購入している町とは違う、少し離れた村にある食堂へ向かった。気分転換が目的ならばいつもと同じ町では意味がない。
「石の村」から少し離れた場所に小さな森がある。その森には自然干渉に関する研究をしている村があり、そこの食堂が密かに人気なのだそうだ。
「あの森か?」
草原の中に突然こんもりとした森が現れた。上空から見ると真円で不自然な形をしているのだが、地上から見ると林より少し大きな森である。
目当ての村はその中にあるという。
「トリヤの村」
森の入り口に掲げられた手書きの木製看板をリーシャが読み上げる。
「ここみたいですね」
「行くか」
森の中へ繋がる一本道を進むと、森の中心部と思わしき場所にでる。一軒のログハウスを中心とした小さな広場だ。その広場の上はぽっかりと空間が空いており、綺麗な青空が見えていた。
「トリヤのレストラン」
ログハウスの入り口にはまた手書きの木製看板がかかっている。
「村……というよりも個人の邸宅のように見えるが」
「村というのは研究棟がある集落を指す言葉だと言っていました。家の数や人数に関わらす研究棟があれば村と呼ぶと。このログハウスが研究棟として登録されているのならばここは村なのです」
「なるほど」
ログハウスの横にある小さな馬屋に馬をつないでログハウスの扉を開ける。チリンチリンと来客を告げる鐘が鳴った。
店内は普通のレストランのような内装だった。椅子と机が何組みか置いてあり、机の上にはテーブルクロスと花を生けた小さな花瓶が置いてある。
「いらっしゃい」
店の奥から若い男性が出てきた。
「こちらはレストランで間違いありませんか?」
「はい。どうぞ、お好きなお席に」
ほかに客はいないようだ。いくつかある席のうち、窓際の席を選んで座った。
「あの、メニューは」
「当店ではお任せランチのみとなっております」
「そうなんですね。では、それで」
店主はにこりと笑うと会釈をして奥へ下がる。音楽がかかっている訳でもなく、鳥のさえずりや風で葉がこすれる音だけが聞こえてくる。静かだ。
「たまにはこういうお店も良いですね」
忙しい毎日を忘れられる、どことなく非現実的な空間。ここが「隠れ家」として密かな人気を集めるのも分かるような気がした。
「穴場だな。誰に聞いたんだ?」
「フリッツさんです。たまに一人で来ているみたいですよ。羽を伸ばすのにちょうどいいって」
「あの人も苦労していそうだからな」
「たまにはこういう場所でのんびりしたくなるのでしょうね」
研究者を束ねる研究棟の管理人だ。研究者の管理から収蔵庫の管理、村の運営にかかわる事務や手続きの処理など、いつも忙しそうに動き回っている。
気苦労も多い仕事だろう。
「失礼します。こちらはサービスのハーブソーダです。自家栽培したハーブを使用しています。どうぞ」
そんな話をしていると店主が透明なガラスの水瓶を運んできた。瓶には輪切りのレモンと一緒に何種類かのハーブが入っており、氷の入ったグラスに注がれるとぱちぱちと音を立てて泡がはじけた。
とても涼やかな音色にリーシャは満足そうに目を細める。
「自家栽培とおっしゃいましたが、ここでは栽培に関する研究をなさっているのですか?」
「少し違います。僕が研究しているのは自然干渉といって、植物と意思疎通をしてよりよい環境を作る研究です」
「ほう」
「ご興味が?」
興味を示したオスカーに店主は明るい顔をした。
「よりよい環境を作るとは、具体的にはどのようなものなんだ?」
「草木が望んでいる環境を作り、より健やかに成長出来る環境を整えるということです」
「成長促進魔法ということでしょうか」
「植物そのものに作用させるという訳ではなく、土壌改良が主ですね。植物の意思をくみ取り、彼らが望むように土地を改良する。そうすれば痩せた土地であっても豊かな森を育むことが出来るのです」
「なんと……そんな魔法があるとは」
(夢のような魔法だ)
まさにイオニアに欲しい魔法だとオスカーは思った。この魔法があれば乾燥した土地でも野菜を育てられるかもしれない。森を育み水を生むことが出来るかもしれない。
「ですが、その名の通り自然に干渉する魔法ですから、自然の摂理に反するとか環境破壊だとかでなかなか良い顔をされなくて」
「なんと勿体ない」
「土地の全てとは言わず、隔離された場所に畑を作るとか、そういう使い方ならば問題なさそうですが……」
「僕もそう言っているのですが、なかなかうまく行かないのです」
「信仰と利権ですか。面倒な」
枯れた土地への支援や援助で利を得たり信仰心を集めている人間がいる。利権者だけではなく、そういう土地に物資や食料を輸出している国、商人たちは枯れた土地が潤っては困るのだ。
故に、店主――トリヤの研究はなかなか日の目を見なかった。どの勢力からも干渉を受けない賢者の学び舎にこもり、いつか研究が受け入れられることを信じてこつこつと研究を進めているのだった。
「その魔法は一般人にも使えるものなのだろうか。魔法に長けた者しか使えないとか……」
「練習すれば誰でも使えるようになりますよ」
「練習……」
ここでいう「練習」の解釈に困る。ここは賢者の学び舎だ。魔法の達人にとっての「練習」が一般人のそれと同じかどうかは分からない。むしろ、同じだとは考えない方がいい気もするが……。
「よろしければ、お食事を終えたあとに見て行かれますか?」
「是非」
「分かりました。では、まずお食事を」
シェフのお任せランチが運ばれてきた。全てトリヤの手作りらしい。ランチはワンプレートで、大きな皿に葉物野菜のサラダ、朝採れ卵を使ったほうれん草とベーコンのキッシュ、トマトソースがかけられた大きなハンバーグが乗っている。
それとは別に山盛りのパンとバター、豆がたっぷり入ったスープがついてきた。
「すごいボリュームだな」
大の男でも満足できそうな量だ。全て絶品なのだが、特にうまいのがパンだ。堅焼きのバケットで、毎朝トリヤが焼き上げているそうだ。外はカリカリで中はもちもち、バターを塗ると塩気がちょうどよくてどんどん手が進む。
「このパン、お持ち帰りできるか聞いてみましょうか」
あっという間に空になってしまったパン入れ籠を前にしたリーシャは小さな声で恥ずかしそうにささやいた。




