技術の進歩は食の進歩
その日の食卓には豪勢な魚料理が並んだ。養殖の研究をしている村で購入した魚を使った煮付けや揚げ物、刺身の数々だ。
リーシャは見るからにウキウキした様子で皿を並べる。町に行けば大抵の物が手に入る。賢者の学び舎では職の研究も盛んだからだ。
「ご機嫌だな」
鼻歌交じりのリーシャにオスカーは「そんなにうれしいのか?」と不思議そうだ。魚料理自体はそう珍しい物ではない。海辺の町に寄った際にいくらでも食べられるし、内地でも地熱養殖が広まりつつあるからだ。
では、何故こんなにリーシャはうれしそうなのか。
「醤油です」
リーシャは台所に置いてある瓶をオスカーに見せつけた。中には黒い液体が入っていてちゃぷちゃぷと揺れていた。
「そういえば町に出たときに何か買っていたな」
「はい! 私の故郷で使われていた醤油という調味料です。星療協会のコミュニティで夕飯を食べたときに話したでしょう?」
「確かにそんな話をしていたような」
星療協会のコミュニティ、その食堂でリチアと三人で故郷の料理について話をした際に、リーシャの故郷の食事について聞いた覚えがある。
確か、生の魚にショウユという調味料をつけて食べるとか。
(そうか、その醤油か)
つまり、これはリーシャの故郷の料理なのだ。
「その煮物はなんだ?」
「養殖カレイの煮付けです」
「煮付けというのか」
「魚を醤油や砂糖、みりんなどで甘辛く煮つけた料理です。そちらは刺身と言って、切り身を醤油につけて食べる料理です」
「この揚げ物は?」
「てんぷらです。小麦粉と卵で作った衣をつけて揚げるんです。何でも古来、西方から伝わったものが形を変えて伝えられたものだとか。塩かつゆをつけて食べてください」
料理の説明を受けたオスカーは席に着くとどれから食べようかと考えた。カレイの煮付けも気になるが、やはり刺身だ。
養殖場で泳いでいたひときわ大きなタイを買い付けた。肉付きもよく、あれを捌いて食べたらうまかろうと思っていたのだ。
「では、頂こう」
「どうぞ」
きれいな白身を一枚掬うと小皿に注がれた醤油に浸す。それをひと思いに口に入れると、濃厚な甘みと醤油の香ばしさが口の中一杯に広がった。
「うまい……」
リーシャと旅を始めてから生の魚は何度か食べた。だが、どれもアルバルテで食べたような濃いソースや油で和えたものだった。
醤油はそのソースと比べると酷くシンプルなタレだ。だが、刺身の良さをよく引き出している。
(どちらが良いと言うわけではない。アルバルテの濃厚なソースも、この醤油もどちらもそれぞれ良さがある。同じ素材でも味付け次第で大分印象が変わるな)
たとえば、一緒に飲む酒の組み合わせもどちらのソースをつけるかで変わってこよう。アルバルテ式ならば濃いぶどう酒、醤油ならばあっさりとした冷酒が良さそうだ。
「どうしたんですか?」
刺身を一口食べた途端に恍惚とした表情を浮かべて動かなくなったオスカーを心配してリーシャが声をかける。
「いや、酒が合いそうな料理だなと思ってな」
「飲みますか?」
「あるのか?」
「こういう機会でもないとなかなか開ける機会がありませんから」
リーシャは収納鞄から一本の酒瓶を取り出した。以前見せて貰った桜酒ではない。濃い茶色の透明な瓶に「雪桜」と書かれた大きなラベルが張り付けてある。
「清酒です。さっぱりとしているので飲みやすいですよ」
食器棚からグラスを取り出すとその中に酒を注ぐ。透明でサラサラとした液体がとくんとくんと音を立てて流れ落ちた。
「どれどれ」
ついで貰った酒を口に含むと驚いた。癖が無く、あっさりとしていてまるで水のようだ。
「飲みやすいので飲み過ぎないように気をつけてくださいね」
「あ、ああ」
リーシャの忠告通り、口当たりもよくどんどん飲んでしまいそうだ。気をつけなければならない。
「この煮付けという料理もうまいな。身がこんなに柔らかくなるとは」
「焼き魚とはまた違うでしょう? 濃いめの味付けがまたお酒に合うんです」
「うむ」
リーシャの言うとおりだ。刺身とはまた違う、甘辛い味付けが良い。その隣にあるてんぷらも揚げ物にしては随分と軽い。そこら辺の酒場で出される揚げ物の衣とは違う。最初は塩で食べるなんて物足りないだろうと思っていたが、塩で十分だ。
「これがリーシャの故郷の味か」
「ええ。私も久しぶりに食べました」
醤油がないと作れない料理だ。西方域で醤油を手に入れるのは難しい。故郷から近い東方を旅している時は度々手に入れることは出来たが、大陸中部をすぎたころから手に入らなくなった。
賢者の学び舎がこんなにも豊かだったのは意外だった。まさか醤油まであるとは。
「どうですか?」
「うまい。俺は好きだ。気に入った」
「それは良かった」
その言葉を聞いたリーシャはうれしそうだ。いつかオスカーに食べさせたいと思っていたのだ。良い機会に恵まれた。
「それにしても、養殖の研究すごかったですね」
「魔法を使った水の浄化システムだったか。非常に興味深かったな」
リーシャたちが魚を購入したのは陸上養殖の技術を研究している村だった。陸上での魚の養殖というと地熱を利用した養殖が有名だが、この村では地熱がない場所でも魚を養殖出来るような設備を研究・開発している。
具体的に言うと水を浄化する魔道具と温水を作る魔道具、それを一回の魔力補充で出来るだけ長く稼働させる研究だ。
「水を浄化する魔法自体は珍しいものではありませんが、常時発動状態を保つのは難しい。魔力を貯蓄して出来るだけ長く発動させる工夫が必要です」
「特別な核を使っていると言っていたか」
「魔工オパールを利用した核だとおっしゃっていましたね。オパールには吸水の性質があり、水と同様魔力も吸収してため込むことが出来るとか」
「実用化すれば夢がある話だな」
オパールは強い宝石ではない。どちらかと言えば傷つきやすく、もろい。そのため、核として使うには向いていない宝石だった。
常に魔法を発動させる場合、それだけ核に負荷がかかる。魔力焼けでダメになる可能性も高く、非常に難易度の高い課題だった。
「現実的なのはオパールと別の宝石との混合核でしょうね。オパールにかかる負荷や熱をそちらで相殺、または肩代わりするのが良さそうですが……どの石と組み合わせるのが最適か。硬度が極端に異なる石同士だと簡単に壊れてしまいそうですし」
「今のところは単一の核でやっているそうだが」
「魔力の貯蓄実験の段階らしいので、応用的な話はこれからでしょうね。でも、是非うまく言ってほしいです。あの魔道具が完成すれば、どこにいても新鮮な魚が手に入りますから」
内陸部を旅しているとなかなか新鮮な魚を食べられない。それを改善することができる画期的な発明だとリーシャは感動していた。
「あの養殖の良いところは、寄生虫の心配がないことです。どんな魚でも安心して刺身に出来る。最高だと思いませんか?」
「ああ、天然物だとそういう心配があるのか」
内陸育ちのオスカーは知らなかったようだが、自然の中で育った魚には寄生虫がいることがある。特定の種類の魚には特に寄生虫が多くついており、到底刺身で食べられるような代物ではないのだが、完全養殖ならばその心配が一切ない。なんと素晴らしい技術だ。
「私は当たったことがないのですが、寄生虫が胃に噛みつくと大変なことになるそうです」
「寄生虫が……胃に!?」
その景色を想像すると胃が痛くなる。
「養殖技術の普及を願うよ……」
オスカーはきゅっと目を瞑ると祈るような仕草を見せた。




