普通の生活
近くの町で買ってきた野菜を切り、鍋に入れる。酪農を研究している村から仕入れたという牛肉の塊を小さく切り分けて塩とコショウ、香辛料を振りかけ、しばらく寝かせたのちに野菜を入れた鍋につっこむ。
魔導炉の上に鍋を置きたっぷりの水とぶどう酒を入れてから火を着けた。
「こうして腰を据えて生活するのは久しぶりですね」
リーシャは料理をしながらリビングの掃除をしているオスカーに声をかけた。
「そうだな。鉱石温泉には一週間ほど滞在したが、普段は二、三日で町を出ることが多いからな」
「家に帰るというのがなんだか新鮮です」
朝、朝食を食べて仕事に行き、仕事を終えたら家に帰って夕飯を食べて風呂に入って寝る。そんな当たり前の生活ができるなんて思ってもいなかった。
(思わぬ副産物だな)
フリッツが用意してくれた空き屋は最近まで学生が使っていたものらしく、軽く掃除するだけですぐに使える状態だった。食器や寝具など生活に必要な物は一通り揃っており、自由に使っていいそうだ。
ずっと旅を続けてきたリーシャとオスカーにとって、宿ではなく家で過ごす日々は新鮮そのものだった。
「今日の夕飯は牛肉の煮込みとサラダ、あとはスープでいいですか?」
「ああ。任せきりですまないな」
「いえ、こうして時間をかけて料理できるのも久しぶりなので」
「そういえば初めてリーシャが料理を作ってくれたときも、もっとちゃんと料理ができればと言っていたな」
「元々料理は好きな方なので。野営だと簡易的な料理しかできないでしょう? いつかオスカーにはちゃんとした料理を食べてほしいとは思っていたので僥倖でした」
底が焦げ付かないように鍋をゆっくりとかき混ぜながらリーシャは嬉しそうに言った。
野営では乾物を使った即席料理しかできないが、今はいくらでも新鮮な肉や魚、野菜が手に入る。魔導炉つきの立派な台所に大きな保冷庫、なんて贅沢な空間なんだとリーシャは心が躍った。
「もしも旅を終えたら、こういう家で暮らすのもいいですね」
「そうだな。王宮では料理も満足にできないだろうし、王都のどこかに家を建てて暮らすのも悪くはない」
「あ、そういえばオスカーは王子様でしたね」
こうして旅をしているついオスカーの身分について忘れてしまう瞬間がある。旅をしている間は護衛のオスカーでも、イオニアに戻れば王族のオスカーだ。
そしていずれ一緒になるリーシャもそれに準じた身分になる。そう考えると、旅を終えたあとに「普通の生活」をするのは難しいかもしれない。
「気にするな。父上の跡を継ぐのは兄上だ。こうして旅ができるくらいなのだから今更外で暮らしたいと言っても誰も文句は言うまい」
「そうでしょうか」
「何か言われたら離宮だと言い張ればいい」
「なるほど」
(普通の一軒家を離宮と言い張るなんてなかなかおもしろい発想だな)
離宮と言われて思い出すのはヴィクトールの母であるラベンダーの邸宅だ。豪華な屋敷に立派な庭。王族が暮らす離宮とはあああるべきなのだろう。
だが、リーシャが望んでいるのはあくまでも「普通の家」である。もしもこの家を「離宮」だと言い張ったら……。なんともおかしな光景を想像したリーシャはふふっと小さく笑った。
「そうだ、明日は仕事を早めに切り上げて魚を買いに行きませんか?」
「構わないが、この前の町に魚屋があるのか?」
「いえ、町から少し行った所に魚の養殖技術について研究している村があるらしく、そこで美味しい魚が安く手に入ると肉屋のおじさまに教えてもらったんです」
「本当に何でもあるんだな」
魚というのだからてっきり海から採ってきた魚かと思いきや、陸上で養殖した魚だというのだから驚きだ。
「養殖と言えば、以前食べた地熱養殖とはまた違った技術なのだろうか。ここら一帯に地熱帯はなさそうだが」
「賢者の学び舎は魔法の研究施設なので、何か魔法を使った養殖をしているのでしょうね」
「同じ養殖でも方法は様々なのだな」
「宝石修復も人によってやり方は違いますし、人の数だけ発想があるということなんでしょうね」
同じ研究をしている者同士が「村」を作るのには訳がある。自分にはない発想や視点を同じ分野の研究をしている他の研究者から学ぶという意味合いもあるのだ。
「さてと」
小皿にソースを取って味見をする。野菜の甘みと肉のうまみにぶどう酒のほのかな酸味が加わっていいアクセントになっている。長時間煮詰めたソースは濃厚でコクのある味わいでうまい。
「お肉にもちゃんと火が通っているし野菜もやわらかくなってる。完成です」
「何か手伝うことはあるか?」
「では、机の上に置いてあるパンを切っていただけますか? バターは保冷庫に、パンを切る包丁はそこの引き出しに入ってます」
「分かった」
オスカーは町のパン屋で購入したパンを切り分けて皿に盛り、保冷庫からバターの入った容器を取り出して机の上に置いた。
そこにリーシャがシチュー皿に盛った牛肉の煮込みを運んでくる。新鮮な野菜で作ったサラダと干した魚で出汁をとったスープも食卓に並んだ。
「いただきます」
「いただきます」
スプーンで肉を掬って口へ運ぶ。じっくりと煮込んだ肉が口の中でほろりとほどけた。長時間煮込んでもうまみが抜けない。いい肉だ。
「ああ、うまい。うまいな」
オスカーが噛みしめるように呟いた。いつもの野営飯もいいが、こうして手間暇かけた料理は別格だ。王宮で食べていたような最高級の食材を使っている訳ではないが、どこか心がホッとするような……。
「……家庭の味」
そう、確か庶民の家庭ではそう呼ぶ。イオニアの羊のスープも家庭ごとに味が異なるらしい。代々その家に伝わる「家の味」。きっとこういう味のことを言うのだろう。
「家庭の味ですか?」
オスカーのつぶやきにリーシャは興味を示した。
「きっと家庭の味とはこういうことを言うのだろうなと思ってな」
「というと?」
「王宮では料理人が作った食事ばかりだったからな。母上も姉上も、もちろん父上も兄上も台所に立つ機会などなかった。だから家族が作った手料理……家庭の味という物を知らないのだ」
「……なるほど」
(家族……)
オスカーの「家族」という言葉にリーシャは少し恥ずかしそうに目を伏せる。互いに思いを確かめ合い、同じ屋根の下で暮らし同じ布団で眠る。
そう、家族だ。家族と言って差し障りない関係だ。
「こんな物でよければいくらでも作りますよ。料理は嫌いではないですし、オスカーは美味しそうに食べてくれるので作りがいがあります」
「ありがとう。リーシャの料理は何でも美味しいからな」
「ふふっ、口元、ついてますよ」
はっとした表情で口元についたソースをナプキンで拭うオスカーをリーシャは微笑ましく眺めている。
(家庭、か。もしも旅が終わって一所にとどまる時が来たら……)
もしもオスカーが生きているうちに旅が終えられたら。リーシャには「寿命」という期限がない。「お守り」を身につけていればどんな怪我も病も治ってしまうからだ。
だが、オスカーは違う。怪我もすれば病気にもなるし、年も取る。
リーシャが旅を急ごうとしているのはそのせいだ。一人気ままに旅をしていた時は「急ごう」などと考えたことはなかった。
だが、オスカーと旅をしてその先のことを考えるとなると、とたんに時間が惜しくなる。
(できれば、今回の依頼も早く終わらせたい)
研究者たちが匙を投げだした依頼ともあって、修復にはまだ時間がかかりそうだ。なにせ手作業で破片を組み立てているのだ。破片の組み合わせが分かったら一つ一つ修復魔法でくっつけていかなければならない。
(先が長そうだ)
「どうした。手が止まってるぞ」
食事をする手を止めて浮かない顔をしているリーシャにオスカーは不思議そうに声をかける。
「何か気になることでもあるのか」
「いえ、今回の依頼はまだまだ時間がかかりそうだなと思いまして」
「久しぶりにのんびりできて良いじゃないか」
「それはそうなんですけど……」
確かに、こうしてゆっくりと生活できるのは悪くない。この依頼が終わればまた旅が始まる。そうなれば次にゆっくりできる機会がいつ巡ってくるかは分からない。
「のんびりできるのは悪くないです。でも、なんだか時間が惜しいと思ってしまって」
「ふむ」
(何故そんなに時間を急いているのだろう)
リーシャには時間がたっぷりあるはずだ。だからこそ、たまにはこうしてゆっくりと過ごしても良いのではないか。リーシャが急ぐ理由をオスカーはいまいち理解できなかった。
「修復にはあとどれくらいかかりそうなんだ?」
「順調に行けば早くて一週間、遅くて二週間くらいでしょうか。まだ組立に時間がかかりそうなので……」
「たしかに、二人がかりで取り組んでもあと数日はかかりそうだからな」
「焦ってミスをしても大変ですし、仕方がありません」
細かい破片が多く、一つ一つぴたりとくっつく破片同士を見つけるのは思いの外大変だ。集中力を保つために休憩を挟みながら午前と午後、夕方には作業を切り上げて夜には家に帰るようにしている。
間違った破片同士をくっつけてしまうと大変なので作業はとにかく慎重に、牛歩のような進み具合だ。急ぎたいのにそうできない。それがリーシャをやきもきさせる原因でもあった。
「急いで仕損じるよりも少し時間がかかったとしても確実な方が良いだろう。急がば回れというやつだ」
「……そうですね」
冷静さを欠くのは良くない。焦るあまり普段しないような失敗をしてしまうかもしれない。急いてはことを仕損じる。
リーシャはふぅと小さく息を吐くと冷め初めて温くなった煮込みを口に運んだ。
「少し焦りすぎていたようです。ありがとうございます。まずは目の前の依頼に集中しなければ」
「明日も朝から行くか?」
「はい」
とりあえず明日もいつも通り早朝から研究棟へ赴くことにした。