生者の行進
昼間の、巨大な霊園の端の方に、その立派な墓はあった。
オドロオドロしい雰囲気はない。
開けた墓地には陽光が降り注ぎ、気持ちの良い風が抜けてゆく。
御影石の立派なお墓の前で、学ラン姿の少年が泣きじゃくっている。
「シズク………シズク……何で死んじゃったんだよ」
「しょうがないよナオ君、急な事故だったんだから」
セーラー服を来た少女が、少し呆れ気味にナオをなだめている。
「俺……シズクがいないとダメなんだよ……!」
「そんな事言ってさ……毎日ここに来る気?」
「……俺、毎日来るからな、シズク」
「ははは、そんなのムリだよ。でも……」
墓前で座り込むナオに対して、シズクはその立派なお墓の、墓石の横に腰掛けていた。
「少しだけ、嬉しいかな」
―――私は先週、交通事故で死んだ。つなぎで少しだけ付き合っていた彼氏のナオには、私は見えてないようだった―――
掲題
『生者の行進』
「はは……ホントに毎日来るんだ」
次の日。ナオは柄杓で水をかけ、雑巾で懸命に墓を拭いている。
「シズク、墓がちょっと汚れてるなァ」
「しょうがないよ。これから……もっと汚れていくと思う」
「まぁでもご家族だっていらしゃるよな? ちゃんとご挨拶したかったなぁ」
「……きっと来ないよ。私連れ子だったから。母さんはあの男にゾッコンで、私はジャマみたいだったし」
そう言って、シズクは御影石の墓石をポンポンと叩く。
「こんな立派な墓を立てて……きっとロクな子育てもしなかった自分への、言い訳なのね」
「まぁいいや……今、キレイにしてやるからな。シズク」
「………」
ナオは墓をピカピカにすると、額ににじむ汗をぬぐいながら、持ってきた小さな保冷バッグからミルクティーの紙パックを2つ取り出し、ストローを差して1つを墓前に供える。
「ほら、お前の好きなリクトンのミルクティー」
「! あ……ありがと」
シズクがそっと墓前に供えられた紙パックを手に取る。供えられたものだけは(実物は動かないが幻を)持つ事が出来るのだ。シズクとナオは、ミルクティーを同じタイミングで飲み始める。
「俺……言ってなかったけど、シズクが初めての彼女だったんだぜ。もう高三だし、俺けっこーチャラいのに、意外だろ??」
「ははは……分かってたよ。ナオ君はカッコつけなだけで、きっと経験ないんだろーなーって」
「シズクもきっと、俺が初めてのカレシだったろ?」
「ブー……残念でした」
「声……聞こえてるか分かんねーけどさ」
「大丈夫、聞こえてるよ」
「オレ……本当はもっとずっと前から、初めて会った時から、お前の事好きだったんだ」
「ふふ……私は……どうだったかな……」
ナオには聞こえていない。ナオはゴクゴクとミルクティーを飲み干すと、立ち上がる。
「あっ……」
「じゃあなシズク! また明日!」
「………うん」
――――場面変化。
それから、ナオは本当に毎日来た。
春にはクラスの仲間達を連れて。夏には供花にヒマワリを持って。
秋にはホカホカの焼き芋を片手に。冬には積もった雪で小さな雪だるまを作って。
そしていつも、リクトンの紙パックのミルクティーを持ってきてくれた。
―――場面変化。1年が過ぎた。
その日墓の前にやってきたナオは、リクトンのミルクティーとは別に、缶の入ったビニール袋を持っていた。
「シズク。俺、ハタチになったよ……酒、飲めるようになったんだ」
「……!」
「………最初の一杯はお前とって決めてた。見ろよ、カッケー酒見つけたんだ」
そう言って、ナオは“カシスオレンジ”の缶を取り出すと、『プッシュッ』とタブを開ける。
「そういうおバカさんなとこ、好きだよ。それに……ホントに一年以上毎日来るなんてね」
―――場面変化。
酒の缶が3本ほど置かれており、顔を真っ赤にしたナオが陽気にしゃべっている。
「でヨォ……ソイツぶん殴っちゃったワケよ……ブランキーなんか知るか、バンプ舐めンなって!」
「ははは……酔い過ぎだよ、ナオ君」
すると「フゥーーッ」と息を吐き、シズクの墓の前にかしこまって座り直すナオ。
「はは……どうしたの? 急に」
「この間さァ……大学のゼミの子と、良い雰囲気になったんだ。その子の家で飲んでたけど、周りのヤツ等が帰っちゃって……そしたらその子、手つないできてさ……」
「…………ふぅん」
少し怯えたような、その先を聞きたくなさそうな表情を浮かべるシズク。
「でも、ムリだった! 考えちゃうんだよな………シズクが見てんじゃないかなーってさ」
「はは……見れないから安心しなよ。私はここから出られないもの」
「一回だけ……シズクがぎゅってしてくれた事、あったよなぁ。お前は覚えてないかもだけど」
「ううん………覚えてるよ。常磐線の、我孫子駅のホームでしょ?」
「オレはてっきりキスできると思って……ガッチガチに目ぇつむっててさ……そしたらぎゅってした後は何もしてくれないのな! ははは! はは……」
「顔を真っ赤にする君が可愛くてさ……あの時は、焦らしちゃったんだ」
『――――ドサッ!』
「ナオ君!?」
「………ZZzzz」
「……ナオ君、酒弱いんだね」
「シズク……寂しいよ……」
「……!」
ナオは寝ながら、目に涙を浮かべていた。
「………ナオ君……本当に私の事、好きだったんだね」
「ZZZ……」
そう言って、シズクはセーラー服のチャックに手を掛けて、ゆっくりと服を脱ぎ、下着姿になる。
「私ももっと……君を見ればよかった。ナオ君はこんなに私を愛してくれていたのに……」
そう言って、墓前で眠るナオに体を重ねるシズク。シズクもまた、目に涙を浮かべていた。
「好きだよ……ナオ君」
―――――それから、ナオは少しずつ、お墓に来なくなった――――
―――場面変化。秋
ダウンジャケットを着こみ、墓の前に立つナオ。少し髪が茶色くなっている。
「ごめんな……大分空いちまった。4か月ぶり……くらいか」
「いいよ……親なんか一度も来ないし。ナオ君が来てくれるだけで、私嬉しいから……」
ナオは少し寂しそうな顔で、ペットボトルのミルクティーを置く。
「リクトンのミルクティー……販売終了だってさ。あれから2年だもんな……当然か」
シズクは気付く。ナオがシズクに向かってではなく、自らに言い聞かせるような独り言を話している事に。
「ナオ君……私、リクトンじゃなくていい、お供えなんかいらない……でも、私に話しかけてよ……!」
「………」
ナオは、少し寂しそうな笑顔を浮かべたままだ。
「ナオ君てば……!!」
シズクは涙をこぼしてナオに語り掛けるが、ナオにはシズクの声は聞こえていない。
「……もう、行くか」
―――場面変化。
春夏秋冬を描く。季節の移り変わりを描くが、シズクはいつも独りで墓石の横に寂しそうに座っているだけ。シズクの墓には誰も来なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーーー
ーーーー
ーー
「久しぶり、シズク」
懐かしい声に、体操座りのような体制で膝に顔を伏しているシズクがハッ顔をあげる。
「……! ナオ君!!」
そこには、大人びた顔つきになったナオの姿があった。
「ナオ君、来てくれ……」
「ここが……シズクさんのお墓?」
「・・・・・・」
ナオに少し遅れて同い年くらいの女性がやってきて、ナオの隣に立つ。
「あぁ……ごめんな、こんな事に付き合わせて」
「待ってナオ君……隣の人はだれ……“こんな事”ってなに……?」
ナオはフゥと一息つくと、シズクの方に向き直る。
「シズク……俺、仕事の都合で福岡に行くんだ……結婚もする」
「………何、それ」
「俺さ……シズクの為にって思って、墓参りに来ているつもりだった。でも……違ったんだ」
「何それ……! 全然分かんない!! 全然分かんないよ……!!」
「俺さ……最初の頃はシズクが死んじゃったのが受け止められなくて……もしかしたらシズクがここにいて、話を聞いてるかもって……思ってたんだ」
「でもそうじゃなかった。シズクはきっと、墓になんかいなかったんだ」
「墓参りってさ……残された者が、別れを乗り越える為にあるんだって気付いたんだ」
「俺は、自分の為にお前の墓に来ていた。シズクの死を乗り越えて、歩いていくために……」
「ありがとなシズク……俺、やっと乗り越えたよ」
「さよなら………今まで、ありがとう」
そしてフゥと息をつき、清々しい笑みを浮かべるナオ。そして、シズクの墓に背を向ける。
「そろそろ行くか……飛行機、乗り遅れちまう」
「待って」
「え……?」
シズクの声が聞こえた気がして振り向くナオ。
しかしナオには見えなかった。
どす黒く肥大化した肌、真っ黒に染まった大きな瞳。
爪、髪、腕。禍々しい姿へと変わり果てた、シズクがナオを覆いつくす様が。