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押して駄目なら引いてみろ

作者: 神宮寺飛鳥

はーい、ごめんなさーい!


 この世に運命と言うものが存在するとしたら、それは時限爆弾みたいなもんなんだろう――。

 そう、時が来れば勝手に発動して何もかもこの世界をぶっ壊してしまう爆弾……。手にした瞬間全てを失い、何かを手に入れるのだろうか。例えばそう、それは学校の廊下に落ちていたちっぽけな消しゴム一つを切欠に次々に誘爆する事もある。

 全ての始まりはケシゴムだった。廊下を歩いていて、ケシゴムが落ちていた。それを拾ったのが俺の前を歩いていた奴ではなく、たまたま俺だったという事が既に考えてみれば奇跡のようなものだ。拾い上げたケシゴムは新品同様の代物で、未だに角がしっかりと尖っていた。

 ちなみに告白すると、俺は新品のケシゴムのこの尖った部分が大好きだった。理由は言わずもがな、使い心地が抜群だから。それ以上も以下もない。まあこう言ってしまうと別に好きでもなんでもないのかもしれない。でも使い古したケシゴムよりも新品のケシゴムの方が使ってて気持ちいいはずだ。

 ケシゴムを片手に顔を上げる。正面には次々と移動するクラスメイトたちの姿がある。当然の事だ。その時俺は正に教室移動の真っ最中――。ぞろぞろと、ざわざわと、クラスメイトたちが狭い廊下を埋め尽くしている。

 俺は考えた。当然、こいつらの中の誰かが落としたのだろうと。無根拠ではない。今朝ここを通った時には落ちていなかったからだ。いや、まあ、その時気づかなかったという可能性も、その後に他の誰かが落とした可能性もあるのだが……。


「…………まあ、いいか」


 正直、クラスメイト全員に『ケシゴム落しました?』と質問するのも馬鹿馬鹿しかった。ぶっちゃけ面倒だし、そりゃもうちょっと変な奴……いや、かなり変な奴に違いない。平穏に高校生活を過ごしたいと考えていた俺にとって、そんな目立つ行動は避けるべき案件であった。


「というわけで、とりあえず拾っておこう」


 そうして制服のズボンのポケットにケシゴムを放り込んだのが俺の運命の始まりであり、犯してしまった人生最大の過ちでもあった――。

 ケシゴムを拾ってから二週間後の放課後。夕日の差し込む教室の中、俺は身動き一つ取れない状態を強いられていた。誰も居ない無人の教室――いや、厳密には無人ではない。そこには俺が居るし……そして目の前にはもう一人。


檜山ひやま君……」


 目前に瞳があった。こんなに誰かと顔を近づけたのは幼稚園以来である。ロマンティックすぎて薄ら寒くなるような光景の中、何故かクラスの女子と二人きり。見詰め合って吐息のかかる距離。正確には、目を反らせず、逃げられなかった。彼女は両手で俺の顔を押え、正面から見る見る近づいてくるのである。

 俺は考えた。これは何だ? 何故こうなっている? 頭の中で懸命に推理した。これから何が起こる? 考えろ。考えるんだ俺。さあ考えよう〜考えよう〜でも何も思いつかなかった。

 何故? 疑念だけが頭の中を支配して行く。やがて埋め尽くされると思考は真っ白に変色した。最早何も考えられなかった。七月だっていうのに妙に背筋が冷たい。なのに妙に汗をかいていた。


「わたしの事……好き?」


「へ……?」


「好き……なんだよね?」


 何を、言っているんでしょうか。

 全く理解出来ない。最早お手上げだ。いや実際俺は既にお手上げモードだ。もう大分前から。一人で教室に残ったのが悪かったんだ。いや厳密にはホームルーム中から寝てしまっていたのだが、そんな事はどうでもいい。

 待ち伏せを食らってこのザマだ。いや、だからなんで? なんでこうなるの? 好き……? いや、“あんた誰”――ッ!?


「檜山君は、わたしの事が好き」


 そう耳元で囁き、彼女は薄っすらと笑みを浮かべた。


「当然、檜山君はわたしの事が好きだと言う……」


 しかしその目は全く笑っていなかった。まるで脅されているような気分だった。いや実際あれだ。このシチュエーションはカツアゲでもされているようなもんじゃないだろうか。

 跳んでもお金なんか持ってませんよ。バイトもしてない苦学生ですから。親のスネ齧って生きてますよちくしょう。なんだってんだ。俺が何したってんだよう。


「檜山君……」


「ひゃ、ひゃいっ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。そんな俺に、彼女はもじもじと照れくさそうにしながら上目遣いに命令した。


「そこまで言うなら、仕方が無いから付き合って下さいなさい」


 それは、最早日本語ではなかった――――ッ!!




押して駄目なら引いてみろ




 夢野 刹那――。高校二年生。当然、性別女。クラスメイト。帰宅部。容姿端麗、文武両道。交友関係、難アリ――。

 教室の最後列という最高的な列に座り、満たされる事は無くとも特に不満も無い毎日……。例えば廊下にある自動販売機に新しいジュースが入ったり、テストでヤマ張ったところがバッチリ出たりするだけの些細な幸せだけでも俺は別に満足だった。その日常はあっけらかんと崩れ去ってしまった。クラス一の美少女、夢野刹那の仕業で……。

 夢野は俺とは真逆、最前列の最悪的な席に腰を座り、黙々と教師の言葉をノートに取っている。というか、あいつがそれ以外をしている所を見た覚えがない。そもそも空気のような女だった。とりあえず、俺の印象はその程度だ。

 確かに美人だ。とても美人さんだ。人気者でも全く可笑しくない。むしろそうあるべき存在だ。だが休み時間に彼女が馬鹿笑いしている所を見た事はないし、そもそも誰かと話す事も無い。ふらりと教室から姿を消してはいつの間にか戻っている、そんな変な女。

 あの衝撃の告白から数日、俺はすっかり精根尽き果てかけていた。うんざりした気分で机の上に突っ伏す。睡魔に瞬殺されそうな思考の中、あの日の事をゆっくりと思い返した。

 日本語とは思えない謎の愛の告白の直後、俺は何も答えず悲鳴を上げてその場から逃走してしまったのである。それが物凄く失礼な事であるというのはわかっている。でもぶっちゃけ夢野の方が余程失礼だと思う。

 突然の展開に意味が判らない。俺は当然、彼女居ない歴=人生の童貞だ。女の子に興味がないわけがないが、だからと言ってそんなにがっついているわけでもない。人生山あり谷あり、平凡に生きていればそのうち可愛い女の子とお付き合いする機会だってあるはずだと未だに信じている。信じているとも。

 だというのに、あんな目に遭ってしまった。確かに、夢野は美少女だ。文句のつけようも無い。だが、その夢野の所為で俺はここ数日恐ろしい経験を強いられていた。

 ノット日本語告白の翌日……。朝、登校途中の事だった。通学路に違和感を覚えたのが全ての始まりだった。嫌な予感にゆっくりと振り返る。すると、後方10メートルくらい離れた場所にある電柱で人影が動いたのである。背筋がサーっと冷たくなり、嫌な汗が滲んだ。


「嘘……だろ……?」


 正面を向き、胸に手を当てる。いやいやいや、落ち着け俺。落ち着くんだ。そんなはずない。何かの見間違いさ! ははは、全くもう俺ってばうっかりさん――と見せかけて振り返る! 今度こそ見間違いではなかった。物陰に隠れたのは――例のキチガイ女、夢野刹那であった!

 当然、俺は猛然と走り出した。理由を語る必要があるだろうか? いや、ない! するとどうだろう? なんと夢野は物凄い勢いで俺を追跡してきたのではないか。美しいフォームでスカートをはためかせ、ウェイブした前髪の向こう、ちょっと眠そうな目が俺を見据えている。


「ヒィイイイイイイヤァアアアアアアッ!!!!」


 思わず絶叫してしまった。振り返る。俺の叫び声を聞いてあろう事か夢野は照れくさそうに頬を紅く染めて微笑んでいるではないか。もう俺は振り返らない事を決めた。人生明日だけを見詰めていけばいい。

 しかし夢野は確実に近づいてくる。俺の脚が早いとは言わないが、平均的な十七歳の男性の足の速さのはずである。夢野は見る見る追いついてくる。10メートルあったはずの二人の距離感は見る見る縮まって行く。俺は彼女の腕がどのくらいまで伸びているのかが恐ろしく、確かめたくなくて一度も振り返らずに登校した。

 だがしかし、これは俺の悪夢の始まりに過ぎなかったのである。こんなもので泣きそうになっていた昨日の自分にサヨナラ! 夢野は休み時間になる度に俺の後をつけるようになったのである。放課後は朝の焼き直しのような光景が繰り返される。これを数日間繰り返し、俺はすっかり疲れ果ててしまっていた。

 夢野は物凄く足が速い。いつも振り返るのが怖かった。最近はなんだか、体力がついてきた気がするぜ。深々と溜息を漏らし、正面にチラリと視線を向ける。何故か夢野が授業中だというのに俺の方を見て笑っていた。


「か、狩られる――!?」


 青ざめた表情で震える俺の姿は正に狩人に怯えるうさぎのようだったろう……。

 昼休みになり、机の上で死んでいる俺の所に友人が集まってきた。彼等は俺の席にやって来たと同時に強く背中を叩き、


「この幸せ者〜ッ!」


 と、叫んだ。勿論何の事だかわからないが、とりあえず俺の顔を見てからもう一度よく考えてみろ。幸せな人間はこんな死に掛けた鶏みたいな顔しないぞ。


「お前、あの夢野と付き合ってるんだろ? 全く夢野もこんな冴えない男のどこがいいんだか!」


「……え? ちょ、ま……っ」


「夢野は男はおろか女とも喋らない孤高の美少女だったからなーっ! どうやって落としたんだ? コウツゥ☆」


 ははは、コイツゥ☆ ぶっ殺すぞ☆

 クラスメイトたちは散々好き勝手言って去って行ってしまった。何故俺がこんな目に遭わねばならないんだ。何度も繰り返した自問自答の答えは出ない。というか、どうしてそういう事になっているんだ? なんで? なんでなんで?

 一人で机の上で絶望していると、机に人影が差し込んだ。また誰かやってきたのかと思いうんざりして顔を上げた俺の目の前、夢野刹那の瞳があった。その距離凡そ20センチ。俺は蛇に睨まれた蛙のように目を真ん丸くして一歩も動けなかった。恐らくこの間、呼吸さえ停止していたに違いない。


「お弁当、一緒に食べてもいい?」


「え……」


「食べてもいいよね? 食べたい? 檜山君はから揚げが好き……。リンゴはいつもうさぎさんカット」


 と、一人でブツブツと何かを言いながら俺のテーブルの上に弁当箱を二つ並べる。開かれた蓋の向こう、中身を見て俺は背筋が凍りついた。勿論そこに並んでいた弁当が殺人的に下手で腐臭がしているとかそういうマンガみたいなオチではない。詰め込まれた弁当は全ておいしそうであり、まさに夢一杯! “全部俺の大好物ではないか”ッ!!!!

 首が回らなくなり、歯車仕掛けの機械人形のようにキリキリとゆっくりと俺は夢野に視線を向けた。なんで? なんで、俺の好物知ってんの……?


「檜山君は紅茶党。でも中途半端だから砂糖いっぱい、ミルクティー好き。どちらかといえば午後ティーよりリプトン」


「…………あ……ああ……あああ……」


 自然と涙が零れてきた。心が折れそうだった。出納の中身をカップに注ぎ、柔らかそうな唇が言葉を紡ぐ。


「どうぞ、召し上がれ」


 にっこりと、可愛らしい笑顔で夢野が笑った。こっちは料理と違って、殺人的な性能だった――。




「なんなんだあいつ……! なんなんだ、なんなんだよおおおおおおおッ!!!!」


 家に帰ると俺は最近ずっとこんな様子である。ベッドの上に転がっているうさぎ人形を蹴飛ばし叫ぶ。気持ちがどうにも不安定になっている。以前はこんなことしたことも無かったのに。

 両親も後れてきた反抗期とかいって最近なんだか俺を腫れ物を触るような扱いである。くそう、別に反抗期じゃねえよ。そんな目で俺を見るなああああ!!


「くそ、くそくそくそっ! 何で付き合ってる事になってるんだよ! 何で住所がバレてんだよっ!! 何で俺の弁当の好み知ってんだよ! こっえーんだよっ!!!!」


 ゲーセンのプライズで獲得して二年間大事に枕にしてきたうさぎのぴょん太をフルボッコにしても気持ちは落ち着かなかった。肩で息をしながらベッドに腰掛け頭を抱える。とんだ災難だ。災難ってレベルじゃねーよ。もうなんだ。あれだよ。地獄だよ。生き地獄だよ。

 どうすればいいのかわからなかった。正直本気で恐ろしい。だがまあ、冷静に考えてみれば、はは、なんてことはない。ただちょっと、愛情も頭も行きすぎちゃってる女の子に片思いされてるだけじゃないか! 俺モテモテ! 俺自重!


「そうだよ、俺モテモテじゃん……俺カッコイイじゃん……。へへ、へへへへ……っ」


 一人でブツブツそんな事を呟きながらゆっくりと顔を上げると、部屋の扉の隙間から俺を見ている両親と目が合ってしまった。音も無く扉が閉まり、静寂が訪れる。そのまま俺は立ち上がり、頭をかきむしって絶叫した。

 壁に頭を強打しまくっていると、突然空気を読まずにケータイが鳴った。視線を向けるが、ディスプレイに浮かんだ番号には見覚えが無い。苛立ちながら電話を手に取り、開口一番に怒鳴りつけた。


「今急がしいんだよ!! どこのどいつかしらねーけど、電話かけてくんじゃねえボケエエエエッ!!」


 そして即、切る。我ながらなんという悪い子……。だがお陰で少し気持ちがスッキリした、そうだ、明日からは通学路を変えてみよう。家の裏口から出て、遠回りをすればきっと夢野に見つからない。そんな事を考えていると再び電話に着信があった。さっきの奴がかけなおしてきたのだろう。でもめんどくさかったので俺は電話に出ずにケータイを放置する事にした。ベッドの上に身を投げ出し、大の字に寝そべる。目を瞑ると直ぐに眠れそうだった。そうしてぼーっとしていると、再び電話に着信が……。流石になんか、妙じゃないか?

 ゆっくりと身体を起こし、ケータイの画面を見やる。やはり同じ番号だ。生唾を飲み込む。なんだ、これは……。嫌な予感しかしねえ。怖くなって俺は電源を落とし、うさぎを被って毛布に包まった。誰からの電話だったのかなんて、確認したくもなかった――。

 翌朝、俺は予定通り裏口から出て全くの遠回りをして学校に向かった。しかし何故だか知らないが、夢野はしっかりと今日も追尾してきた。何故だか判らないが俺はとても静かな気分だった。とても全てが穏やかだ。


「……夢野、さ」


 背後にピッタリくっついているであろう夢野に向けて声をかける。振り返ると案の定、彼女は俺の直ぐ後ろに立っていた。その距離は1メートルもない。当然だ。今までずっと後ろにぴったりくっ付いていたんだ。彼女の方が、足が速いんだから――。


「今日、放課後時間あるか……? ちょっと話したい事があるんだけど……」


 夢野は無言で頷いた。そうして俺は彼女と共に登校し、クラスメイトから色々な野次を受けた。だが俺は全部をスルーして一日を過ごした。何故かその間、夢野も俺に付きまとう事はなかった。

 放課後になり、あの日の焼き直しのような情景が広がる。俺と夢野、二人だけで夕焼けの光が差し込む教室で向かい合っていた。俺からどんな話があるのか、彼女は楽しみにしていたに違いない。だがしかし、俺は楽しい話なんかするつもりはなかった。


「……あのさ、いい加減にしてくれないかな!」


 開口一番俺はそう呟いた。声は小さくとも、口調は威圧的だったろう。夢野は小さく肩を震わせ、驚いたように目を丸くして眉を潜めていた。明らかに俺は怒っている。それは判るんだろう。でも、何で怒っているのか判らない……そんな様子だった。


「もうウンザリなんだよ……! 毎日毎日纏わりつかれるのはっ!! 俺が何したっていうんだよ! なんもしてねーじゃん! ただのクラスメイトだろ!? 喋った事だって一度だってなかった! 何で俺なんだよ!! 何で俺なんだよォッ!!」


 思わず感情的になり叫んでしまった。静寂の中、声が響き渡る。全てが鳴り止んだ時、静寂は何倍にもなって俺たちの肩に圧し掛かった。

 夢野は視線を反らし、震える瞳で小さく口を開いた。何を言い出すのかと期待していたのだが、俺が馬鹿だった。理由とか言い訳が飛び出すならよかった。なのにコイツは……。


「……檜山君は、わたしが好き……」


「じゃ、ない!」


「檜山君は……わたしと付き合って……」


「ないっ!!!! 何言ってんだよお前えええええっ!! 日本語で会話しろよおおおおおっ!!!!」


 余りにも頭に来たので誰かの机を蹴倒してしまった。金属音が鳴り響き、呼吸が荒れる。夢野は俯き、肩を震わせていた。なんだか少しだけ悪い事をしたような気がして気後れしたが、でもこれくらい言わなきゃ理解出来ないんだろう、こいつは。


「…………わか、った」


 やがて搾り出した言葉だけが小さく教室にこだまする。彼女はそのまま俺に背を向けとぼとぼと去っていってしまった。その捨てられた子犬のような背中を見送り、何故か俺は余計に苛立っていた。

 それから一時間くらい教室でボケーっとした後、俺も送れて家に帰った。響はもううさぎをイジメ抜く事も無い。大人しく飯を食って、大人しく風呂に入って、大人しく眠りに着いた。でも何故だろうか。何となく腑に落ちないような、胸にトゲが刺さったままのような――そんな違和感が心のどこかを支配しようとしていた。




 あれから一週間が経過した。しょんぼりして帰って行った翌日から夢野はもう俺につきまとわなくなった。学校でも、通学路でも、もう夢野の気配を感じる事はなくなっていた。

 ああ、それならそれでよかったんだ。だったら何故なんだろう。どうか笑って欲しい。放課後、俺は校門の前で草むらに隠れていた。その姿は文字通り変質者以外の何者でも無いだろう。

 もう俺は三十分以上こうしている。途中、背後から笑われたり指差されたりもしたがもう関係ねえ。ようやくやってきた待ち人は俺の気なんか知らないで相変わらず眠たそうな目でぼんやりと歩いて行く。

 そう、是非笑って欲しい。俺はもう何日もこうして、何故か夢野刹那の後をつけまわしているのだ。何故? そんな事はもう何日も考えていた。だが、何故だか判らないがそうしてしまうのだ。

 毎日毎日二十四時間のように感じていた彼女の気配が消えた途端、俺の世界は平穏に戻ってしまった。それでよかったはずだったのに、何故か俺はもうそれでは満足出来なくなってしまっていたのかもしれない。彼女の後を続いて歩く。丁度10メートルくらいの距離。電柱から電柱へと身を隠し、移動する。尾行だってもう慣れたもんだ。

 二十四時間彼女の事が気になっていた。他の事に全く集中できなくなってしまった。勉強も遊びも逆に手につかないのだ。暇を持て余すということが、ここまで恐ろしい事だったとは――。


「夢野刹那、か……」


 ふと、どうして彼女が俺の後をつけていたのか、その理由が気になった。結局その辺を確かめる事は出来ないままだったわけで。訊いて見たいけれど、彼女を突き放したのは俺の方なので話しかける度胸もなかった。

 そんな日々が何日か更に続き、俺はもう我慢が出来なくなっていた。ある日の放課後、三度目の景色が広がっていた。たまたま偶然、教室に最後まで一人で残って読書をしていた彼女の席に近づき、座ったままの肩を掴んで強引に振り返らせた。

 二人で見詰め合い、ただ無言で時間が過ぎる。夢野の瞳は綺麗だった。無邪気にキラキラ輝いていた。その瞳が陰り、まるで俺の心を見透かすように黒く輝いた時――我慢出来ずに俺は最後の言葉を口にしていた。


「教えてくれ、夢野……。どうして、俺だったんだ……?」


 それは俺の中で白旗にも近い意味を持っていた。もう彼女が気になって仕方が無かった。そんな俺の心を知ってか知らずか、彼女はゆっくりと微笑を浮かべる。


「何が?」


「もったいぶるなよ! 気になってしょうがないんだよ! なあ、教えてくれ! どうしてだ!? なんでなんだよ!?」


 大声で詰め寄る俺を見て夢のは小さく笑っていた。そうしてずいっと身を乗り出し、顔を近づけてくる。


「教えて欲しい?」


 その距離は限りなくゼロに近くなった。俺の興味関心は今、彼女の瞳の中だけに集中している。それ以外の事は、どうでもよくなりかけていた。


「教えてあげようか?」


 自分の唇が震えるのを感じた。泣きたくなった。俺はなんでこんな事をしているんだ? 何でこんなやつに哀願しているんだ? でも、仕方ないじゃないか。気になっちゃうんだから――!


「頼む、教えてくれ……。気になって、夜も眠れないんだ……。俺を……助けてくれ……っ」


 縋りつくようにして膝を着いた。もう、なるようになればいいと思った。すると彼女は俺の手を握り締め、語り始めた。驚愕の真相を――。


「檜山君の事を、ずっと見てたから。最初は別にどうでもよかった。でも見てたら気になった。毎日見てたらもっと気になった。檜山君のことばかり一日中考えるようになった。檜山君の事が知りたくなった。檜山君はわたしの事を嫌ってない。檜山君はわたしが窓の向こうを見ると一緒に見ていたから檜山君はわたしが紅茶を飲んだら一緒に飲んでいたから檜山君はわたしが授業中に居眠りしていたら一緒に居眠りしていたから何となく視線を向ければ目が合ったから使っていたシャーペンが同じ種類だったからいつも同じ徒歩通学だったから――」


 一息に、彼女はそう語った。それは物凄く長くて、そして物凄く難解なメッセージだった。くだらない、実にくだらない……思い込みのような話が延々と続く。真顔で、笑顔で、そんな事を語り続ける彼女の存在に思わず恐怖した。頭がどうかしているとしか思えなかった。

 でも、こんなに夢野刹那が喋っているところを見た奴は多分この世界で俺一人だろう。それだけで俺は物凄く満たされた気持ちになった。泣きそうになった。彼女の手を強く握り締めて、俺は目を閉じた。


「――――だから、檜山君はわたしを好きになった。わたしの事が好きだと思った。でも、確信を得たのはつい最近」


「最近……?」


「檜山君が、わたしのケシゴムを肌身離さず持ち歩いていたから」


 それで俺の中の何かがぶっ壊れた。ケシゴム――。あの日拾ったケシゴム。そうだよ。“めんどくさくてズボンのポケットに突っ込んだまま”、だ……。


「だから、両思い。わたしも、“檜山君の家の合鍵”ずっと肌身離さず持ってるから――」


 にっこりと微笑む夢野。それは、俺の家の扉の前にある花壇にこっそり隠してあった予備の合鍵だった。結構前になくなっていた。でももうそんな事はどうでもよかった。

 そんなくだらない事で両思いだとかいって、ほんとくだらない事で幸せな気分になって……。日々過ぎて行く下らないと見下していたもの全てで満たされている彼女が羨ましくて仕方が無かった。そしてやっぱり、もっと彼女が知りたいと思った。


「はは……。駄目だ、俺……。俺の人生、マジ、終わった……」


 こんな奴に魅了されてしまった。泣きながら片手を額に当てる俺に彼女は優しく微笑み、鞄の中を漁りながらとんでもない事を口にした。


「“引いて駄目なら押してみろ”……」


「え……?」


「気になって仕方が無いでしょう? わたしの事が――」


 その時俺は唐突に全てを理解した。“やられた”――。俺は、罠に引っかかったのだと。でもそれさえもどうでもよかった。何故なら彼女が鞄から取り出したのは――彼女の小学校、中学校の文集や卒業アルバム。それに……変な機械がワンセット。


「なに、これ……?」


「わたしの部屋についている盗聴器の受信機。それと、監視カメラの保存データ」


 俺はそれを強く握り締めて目を瞑った。ナニソレ? ドユコト?


「大丈夫。君の部屋にもついてるから、“おそろい”だよ――」


 そう微笑む彼女の笑顔は、やっぱり殺人的なくらい可愛らしかった――――。




「お前ら二人って、ほんっと相思相愛のお似合いのカップルだよな〜!」


「ほんとよね! まるでお互いの考えてる事が全部判ってるみたい! 憧れるわ〜!」


 それから、俺は彼女と付き合う事になった。気づけば彼女を好きになっていた、とでも言うのだろうか。順序は正反対だけど、まあそういうのもアリかと最近は思うようになった。

 俺たちはお互いにお揃いのヘッドフォンをつけて毎日生活している。俺たちは相手と直接言葉を交わす事は少なかった。一般的なカップルに比べれば、本当に些細なやりとりしかしていない。

 でも、それでよかった。俺たちは手をつなぎ、話しかけてくるクラスメイトに笑いかけた。そのタイミングも、笑顔の作り方も、全ては二人一緒だった。

 そうして俺はあえて見せびらかすように夢野――いや、刹那を抱き寄せて唇を重ねた。周囲から野次が飛ぶ。俺たちは誰から見てもお似合いのカップルだった。

 でも彼女の優しく浮かべた笑顔が俺に語り掛けている。俺たちはお互いを監視している。お互いの全てを知り尽くしている。過去も今も未来も全部、俺たちは共有しているのだ。興味は満たされる事は無く、しかし今はお互いの関係に納得しているし、満たされても居る。こんな今が幸せだと感じる以上、俺は立派な変態なのだろう。

 それでも別にいい。刹那と一緒にいると成績も上がって見た目もかっこよくなって行く。何でか判らない。でもあいつはどうしたら俺のセコい頭に勉強を詰め込む事が出来て、どんなお洒落をすれば俺をイケメンに出来るのかを知っているのだ。俺以上に、俺の事を知っている。俺もまた彼女以上に、彼女の事を知っている。

 笑顔でヘッドフォンを外す。そこから聞こえている音は漏れていたかもしれない。でも笑顔と喝采の中で俺は何も気にしなかった。


『明日、教室で抱き合う。クラスメイトに見せ付けるようにわたしたちはキスをする。皆が拍手喝さい。檜山君は、笑顔でそれに応える――』


 耳元で聞こえる声。彼女の声に従っている。だが、別にそれでいい。それ以上も、以下も無く――。


『檜山君は、わたしが好き。わたしは――檜山君の事が、大好き……』


 耳元から聞こえる録音された声に目を細める。ああ、知ってるよ。そんなのはもう、ずっと前から――。

 彼女がつけていた日記を読み返し、これからつけて行く日記を共に刻んで行く。その関係がおかしいって? ああ、だったら笑うがいいさ。それでも俺は、満たされているのだから――。


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― 新着の感想 ―
[一言] 夢野さんこえーーーーーっ そして主人公終盤まで行くと すっかり異常に適応しててすごいっすね いつまでもお幸せに〜 自分は多分耐えられない生活だろうな…… 追伸 今日が響になっている部…
[一言] 更新された時には気付きませんでしたが、たまたま見つけたので感想を書いてみたりします。 先生の作品はディアノイアから見始めたので、まともじゃない主人公ってどんな感じかな〜と思いましたが、これ…
[一言] 読ませていただきました。凄くおもしろいです。 これをヒロインにした長編も読んでみたいです。
2009/07/11 13:04 退会済み
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