第0章 0-06
尾崎翠『第七官界彷徨』を読みましたが、コスモには目覚めませんでした。というより、すみません、そういう作品ではなかったです。純文学、でいいのかな?
「知性システム自体は、まだ作られていないけれども、明日までに鈴木君が完成させてくれると思います。それで完成度はほぼ100%だと思うわ。その上で、川島君、足りないものは何かわかる?」
川島氏が即座に答える
「バランスっすね。ソレ、そのシステム単独でアリスに組み込むと、たぶん、一瞬で暴走するっスよ」
「え?どうしてですか」
「最初にアリス起動させると、カメラ信号っていうか、映像をコピーしてきて、顔パターン照合して、御代課長がいるとか鈴木代理がいるとか、まず認識するっスよね」
「はい」
「そうすると次は、課長とか代理の動きとか、表情とか、体温とか、脈拍とか、呼吸数とか、推定思考状況とか、もうとにかくシステムの能力限界まで、認識しようとするでしょ」
「はい」
「でもその元になった情報って、起動時してからたった1秒かそこらの知覚情報なんスよ。要するに、起動して1秒でフリーズっス」
「あ、そうか。ど、どうしましょうか」
「んー、何ていうか、知性システム? ソレの外から見える動作って、”知りたい”だと思うっス。だから、”何でもかんでも知ろうとしなさんな”って、ネガティブフィードバックが必要ってこと」
「なるほど」
「でもでも、そのシステムの中に組み込む余地はナッシングっスね。そのシステムの中じゃ、マイナスに働く作用って、性能限界しかないっスから。で、性能限界までリソース使ったら、フリーズか暴走確定」
「すると、別のシステムが必要だと。それが課長のいう残り50%だと。課長、それでいいですか?」
「いいと思うわ、鈴木君。続けて頂戴」
「それ以上、知るな(認識するな)、という制限信号を返すためには、その前にまず、それ以上の”それ”を知る(認識する)必要がありますが、認識は知性システムだけが可能な機能です。しかし、知性システムの中では制限がかかりませんので、”それを知ること”自体を認識することが、新たな暴走の原因となります」
「続けて」
「知性システムとは別に認識可能なシステムを組み込むことも一案ですが、今度はそちらのシステムの認識という問題をどう制限するかという問題が生じますので、問題は堂々巡りのままです」
「続けて」
も、もう勘弁してくれ。
「そうなりますと、別の独立したシステムによって制限するという方法は不可能ですから、独立していないシステムが必要です。けれど、知性システムには制限作用が含まれませんので、制限が不可能、ということになります」
「ええ、では、その不可能を可能にするには? 川島君、どう?」
「チッチッチッ(人差し指のしぐさ付き)、バ・ラ・ン・ス、これで決まり(はぁと)」
「川島君、鈴木君が理解してないみたいだから、少し具体的にお願いね」
「OK、いいかい鈴木っち。方法は何コかあると思うけど、ん~、例えばだけど、知性システム?の認識出力がもし8だったら、マイナス8を返す、みたいな? 12がきたらマイナス12を、的な」
「あーっと、はい、何となくわかりました。知性システムと直結してる裏システムみたいな感じですか」
「超イイネ! それで実装、ヨロシク」
自分でやらないから気楽だなあ。
「課長もそれでよろしいですか」
「いいわね。ただ、こちらもプロジェクトの核心、の裏側だから、こちらも時間をかけてもいいから、確実にしておきたいわね。その裏システムの動作って、どういうものになるかしら」
時間をかけてもいいのに即答を求めるのか。厳しいなあ。
「知性システムの認識に対して、リアクションを返すシステムになると思います。あれは花だ、という認識に対し、好きな花だからもっと見るとか、嫌いな花だからもう見ない、あるいは、御代課長がいるからもっと話したい、鈴木代理は嫌いだから無視する、そういう感じになると思います。実際のフィードバックはネガティブにもポジティブにもなるのではないでしょうか。そして、システムの性能限界に達したとき、アリスは、疲れたからもうやめる、と言うでしょう。ため息を吐くかどうかは、設定次第です」
「いいわね、ではこの裏システムを感受性、いえ、感情システムと名付けましょう」
「了解しました。・・・となりますと、いわゆる感情表現をどうするか、という話になってきますが」
「アリスの好みの花にはうっとりした表情をするとか、鈴木君を冷ややかな目線で見る、とかね」
おいおい、いじめか。
「好き嫌いは、アリスの感情のベースになるでしょう。ただ、いままでの設計思想からしますと、知性システムが認識する範囲、たぶんこの範囲が人間で言う意識ですが、意識の範囲を決めるというか、線引きをする要素、関心を払う範囲、それが好き嫌いだと思います。とはいっても、この好き嫌いは、数値などの形で仮想的に存在しているだけですが。それと同じものだということになります。ええと、感情システムが、鏡に映った知性システムの鏡像だとしますと、実像にも鏡像の中にも同じ意識が見える、というところでしょうか」
「唯一のベースかどうかは疑問ありますが、続けて」
「アリスの好き嫌いは、感情システムの中にも仮想的に存在している、というか、今後、発生するであろう指標的なものです。その元の実体は知性システムの中にある、ということになります。もっとも、独立しておらず、連動して並列している2つのシステムに存在している表裏関係にある指標ですから、完全同値ではないにせよ、相関する指標になります。とはいえ、同時存在可能な、違うものではあります」
「続けて」
「感情システムからのフィードバック、つまり、認識の認識も認識となりえます。これは、無限循環を形成するリスクがあります」
「ええ、そうね。一番簡単な事例はこれよ。アリスの起動直後、鈴木君がアリスに、アリス、と呼びかけるわね。するとアリスの知性システムは、自分の名前の音声信号を知覚して、自分の名前だと認識する、その途端、感情システムから戻ってきた認識信号によって、認識しているのは誰だ、と、こう来るわ。そして、認識しているのは誰だと認識しているのは誰だ、以下省略よ。つまり、アリスと呼んだだけでフリーズというわけね。本当は、ここで自我との関連を見たかったのだけれど、さあ、これを回避して頂戴」
もう勘弁してほしい。よし、これも先送りしよう。
「そうですね、認識の認識、これ自体といいますか、この動作は、通常の人間が持ち得る動作である以上、アリスにも禁止はできません。というより、システムの安定のためには是非必要です。アリスの場合、それを早めに中断しないと、誰だと言っているのは誰、の100階層くらい、わずか1ミリ秒で繰り返すでしょう」
「では、中断の方法は」
「認識の認識、つまり、感情システムからのフィードバックは、各種センサーからの実測値、言い換えれば五感情報を参照していません。ですから、五感を参照していない循環認識が発生したときは、アリスに注意を促し、ブレーキを働かせる、ではどうでしょうか」
「ひとつはそれね。それだけで大丈夫かしら?」
「自我回路が既に組み込まれています。そちらからの信号、自分を守れという命令、つまり、自己存在も循環の原因になりますね。自分を守れと言っている自分は誰だ、以下繰り返しです。しかもこちらは、五感信号を参照していませんので、ブレーキがかからず、本当に無限循環に陥ります」
「続けて」
「アリスは、自分を守れとは思うけれども、なぜ自分がそう思うかは理解できない。なぜなら、自我回路から知性システムにそのような信号が送られると、アリスは自分のスペック表を見れば認識できますが、それを直接、知覚できないからです。直接の知覚を参照できなければ、循環を抜け出せません」
「ええ」
「もしかすると、アリスは自分で自分の脳を改造して、自我を直接、知覚しようと試みるかもしれません。現在の制限上、それはやらないでしょうし、やってほしくはありませんが、仮にその改造をしたとしても、アリスの自我の正体は1ビットの0信号ですので、自我はない、としか知覚できません。知覚できませんから、やはりアリスは、自我の循環を抜け出せません」
「では、その回避策は?」
「ポイントは明らかに自我です。カメラで風景写真を撮るのも、鏡に映るカメラ自体の写真を撮るのも、知覚では差がなく、認識でも一段階しか差がない、無限に差があるわけじゃない、と判定させてはどうでしょうか」
「ストップ、鈴木君。私たちが風景を見ることと、鏡に映った自分の姿を見ることには一段階の差がある、というのは本当かしら?」
「知覚には差がないでしょう。認識には差があると思いますが。たしか、鏡を見たことのない動物が初めて鏡を見て、やがてその像が自分だと分かって、とかなんとか」
「分かったわ、つまり私たちはまた、ことば遊びに陥っていたということね、OK。じゃあ、認識とは何かしら? アリスにとっても、私たちにとっても、これはどう?」
「何かを見聞きしたとき、それと記憶を参照して、名称でシンボル化することではないでしょうか」
「知らないものや知らない音を聞いたときは?」
「知覚に差はないでしょう。知覚の差は、あくまでセンサーの性能差のみです。知らない物だからゆっくりしか見えない、なんてことはないでしょう。ガラスのように透明で見にくいから形が分かりにくいのような話は、知っている、知らないとは別の話です」
「それは正しいわね。では、物を見たときのアリスの認識過程は?」
「それが丸い物か三角の物かは分かりませんが、まず、その映像の輪郭が映像の変曲点ですから、その、丸か三角、あるいは立体補正された物体の範囲が決められ、または複数の物体の範囲がグループ化されます。次に、その物体や物体群と、アリスが有する映像や色やX線スペクトルの記憶か知識が照合されます」
「ええ」
「その物が分かりやすい特徴的なものでしたら、すぐにあれは鉛筆だとか、消しゴムだとか、課長だ、ということになって、シンボル化されます。以後、アリスの内部ではシンボルによる簡略化された処理が進みます」
「ええ」
「もし、該当するものがなければ、例えばですが、塩みたいなもの、のような仮シンボルになります。アリスが塩と砂糖を間違えることはありませんけれど」
「そうね」
「もし、まったく経験にも知識にもない、正体不明の物、となりましたら、正体不明と仮シンボル化され、おそらく警戒態勢に移行するでしょう」
「そうなるわね、ところで、いままでの鈴木君の説明で、認識には差があったのかしら」
「・・・シンボル化までの時間に差は生じますが・・・認識には差がない、ですか。」
「そうなるわね。アリスだって、初めて鏡を見れば戸惑うでしょうけれど、自分の姿だと認識するのには何も支障がないということね。むしろ、動物や人間より、はるかに短時間で認識するでしょう」
「では、鏡を見たからといって、アリスが自我を獲得する訳ではないと?」
「断言はできませんが、そうだと思うわ。自我の障壁形成は比較、つまり、鈴木君のいうところの認識の差によって発生し、その段差というか、等高線をなぞって線を引いていく、そうすると、世界から切り離された自分という姿かたちが確定する、こんなプロセスだと思うわ」
「ええと、どうして我々は、アリスに自我を獲得させようとしていたのでしたっけ」
「自我という制限がなければ、知性と感情と本能が際限なく拡大するから、ね。アリスには、人間になってもらわないと困るわ。神とか化け物は不要です」
「分かりました。ですが、現状の設計のままだと、アリスの認識に差が生じる要素がありません。そうなりますと、自我も生まれません」
「ええ、そうね。でも、自我については、もう一度、保留にしましょう。先に片づける必要があるのは、感情システムのあと半分、全体のあと25%ってところね。それが何か、分かる?」
「え? これで全部ではないのですか。好き嫌いは入っていますから、アリスは恋愛すら可能と思いますが・・・」
「川島君はどう?」
「オレっちもわかんないっスね、長野っち、どう?」
「感情システムでしたっけ? そうですね、ああ、そういえば、芸術ってどう処理されるのでしょうか」
「ナイスフォローよ、長野君。じゃあ、鈴木君、続けて」
た、助けてくれ~。
「はい、川島さん、長野さん、よいアイデアをありがとうございます」
すまん、課長。時間稼ぎをさせてもらいます。
「原理的には、芸術は五感すべてであり得ると思われます。絵画や音楽はもちろん、味や匂いである料理や香の類、ああ、そういえば料理は味と香り両方ですか、他には、触覚芸術もあるでしょう。触覚の方は、純粋に触覚だけでなくて、絨毯を触った感触だとか、複合的な要素の芸術もあるでしょう」
俺は何を言っているのだろう。だんだん分からなくなってきた。
「もっとも、料理で特に顕著ですが、芸術には文化的な側面だけでなく、日常生活での実用という側面も極めて重要で、これを否定すべきではありません。人の生活に全く役立たないとなりますと、社会的にも経済的にもあまり認められないでしょう。だからダメだとは言えませんし、逆にそういった社会的に認められないものに価値を見出す人もいるにはいるでしょうが、ごく限られたものになるでしょう」
「では、芸術の特徴は何かしら?」
「そう言われてみますと、そういえば、芸術は認識作用ではないように思いますね。美味しい食べ物を食べたとき、美味しいと感じるのは、直接知覚でしょう。世の中で美味しいと言われている食べ物に味が似ているから美味しいと感じるわけではないでしょう」
「例を挙げてみて頂戴」
「例えば、個人の嗜好はさておき、コーヒーや紅茶は美味しいですが、コーヒーと紅茶を混ぜたから美味しさが2倍にはならないでしょう、というか、おそらくマズいでしょう。おいしい混合比率はあるかも知れませんが」
ん。そういえば、子供の頃、この実験をしたことを思い出した。
確か、最終段階では、緑茶、コーヒー、紅茶の三種混合で、割とおいしい比率があったように思う。
だが、その比率を覚えてないし、その後の人生で、混ぜる飲み方をしてないから、極端に美味しかったのではないと思う。
たぶん結論は、単独で飲むよりもおいしくはならない、で、不味さを軽減できる比率は存在する、だったのだろう。
「とにかく、芸術全般について、知覚による直接作用のように思われます。ああそうか、だとしますと、アリスの各種センサーからの信号といいいますか、五感の信号は、知性システムに入力するだけでは不足で、同じ信号を分岐して、感情システムにも同時に入力する必要がある、課長、どうでしょうか」
「いいわね、続けて」
「えーと、それが人間でいう右脳と左脳への同時入力に相当するかどうかは分かりません。ですが、アリスについては、五感の信号が知性システムに入力されたとき、その出力は、物性と名称によるシンボル化、つまり認識、それから感情システムへの伝達ですね。他方、感情システムの方ですが、感情システムが知性システムの鏡合わせの裏システムだとしますと、やはり、認識に相当する出力と、知性システムへの伝達が必要になると思われます」
「双方向のやり取りをするというわけね。いいわ、続けて」
そ、そろそろ、俺の脳が限界だ。
「ここまでで、残っているのは、感情システムのレスポンスと、あとは自我との関係です」
「自我はしばらく放置しましょう」
「感情システムのレスポンスですが、その基準は、まずは経験と記憶に基づく好き嫌い、快・不快です。そして、後から追加となりました、音楽や絵画など、芸術を基準とする快・不快でしょう」
「続けて」
「問題は、アリスに持たせる芸術の基準、これをどうすればいいかよく分からない、ということです」
「あら、それって難しいかしら? アリスに好きに音楽を聞かせて、自由に判断させればよいのではなくて? 人間の子供だって、そうやって育つのではないかしら」
「そうですが、それはアリスが、ある程度の経験を経た後になるでしょう」
「そう? 赤ちゃんから音楽を聞かせてもダメってことかしら?」
「ダメではないです。むしろ、ダメでないことが問題です」
「ああ、なるほど、そういうことね。音楽などの芸術には、感情よりも根源的な、本能的と言えるレベルの基準があるのではないか、と、こう疑っているわけね」
「そうです。もし、そういうものがあるなら、そういったものは感情システムの中ではなく、自我回路の周辺に組み込んで、そちらと知性―感情複合システムとのやり取りもさせる必要が生じます。あー、そうか、この組み込み位置は確定ですね。アリスは、夏の酷暑下、わざわざ外に出るよりもクーラーの効いた室内を好むようにすべきですね。だた、この種の好みは、芸術からはかなり遠いです。芸術はもっと直接的なものですから」
「確かにそうかも知れないわね。赤色と青色でどちらが落ち着くかといえば、個人差はあるにしても、青でしょうね。青のイメージは空、海、水ですから、生命維持に必要なものをイメージさせる。逆に赤は、火炎、流血、荒廃した大地のイメージだとすれば、危険とか死をイメージする、といったところね」
「ええ、それで一番の問題は、音楽といいますか、音だと思うのです」
と、自分で仕事を増やしてしまったことを意識しつつ、次の検討に移ることにした。