第0章 0-04
遅々として進まない人造人間製造計画。はたして納期に間に合うか。
「課長のご指名ですので、僭越ながら私、鈴木がアリスの心のインストールを担当させていただきます。ではまず、”心”の最も根幹となる自我回路ですが・・・ご意見のある方は? はい、藤木さんどうぞ」
「普通ならここは”3原則”ではないでしょうか。そこは迷う必要はないと思いますが」
当然、そう思うが、何となく課長がダメ出ししそうな雰囲気なのを察知したので、振ってみる。
「私もそう思いますが、課長、それでよろしいですか」
「鈴木君、今我々が作ろうとしているのは?」
「えーと、人造人間ですね」
「そう、だからあくまで作るのは、人間です。ロボットではなくて」
それは、かなり無茶だと思うが。
「えー、では改めまして。アリスさんの、というかヒトの心の中心は何か、そしてまた、それをどういう回路で実現して組み込むかですが・・・課長、まずこれに答えられる人間がいないのではないでしょうか。作られたアリスさんなら答えられると思いますが、彼女はまだ、誕生してません。卵が先か、鶏が先かのような気がしますが」
「あら、そうかしら? 私たちの心の中心は生存本能ではなくて? 心が身体の活動(走っているプログラム)だとして」
「あるいは、自己防衛本能でしょうか」
「いえいえ、これは単に、私たちが言葉遊びをしているに過ぎないわ。生存でも自己防衛でもいいですけれど、ところで、私たちは言葉で話していることの本質を本当に見極めて話しているのかしら? 本質が見えていないならば、代替回路も組めないわね」
「本質ですか。えーっと、すみません、言葉遊びをしているのかも知れませんが、それは”本能”ではないでしょうか」
「おそらくそうでしょうけれども、じゃあ、本能の本質は何か、ということになるね。ほら、また話が最初に戻ったわね。だから私たちは、いままでの会話のなかで本質を見て話してはいない、言葉遊びをしていただけだった、ということに気付いたかしら、OK? このループから抜け出さないと、何周でもしちゃうわよ、5年でも、10年でも、それこそ2,000年でも」
しばらく全員が黙り込む。先ほどの藤木さんが沈黙を破った。
「あのー、正解かどうか分からないのですが、”存在”というか、”自我そのもの”が本能の本質ではないでしょうか。」
「なるほど。藤木さんのその見解は、何か下地があるのかしら」
「もちろん、われ思う故に我あり、ですね」
「いい線ね。では、それを回路で実現すると?」
「そこなんですよね、私は回路屋ですから、実はちょっと考えてみたのですが、要するに”AなのでA”ですから、どちらにしろセルフフィードバック回路になるしかないのですが、そうすると回路は収束か発振するしかないわけで、とてもじゃないですが、システム上で正常な入出力ができるとは思えないのですよ」
「では藤木さん、それを改善するには?」
「ちょっと、アイデアはないですねー、鈴木さん何かないですか?」
うお、こっちに来たぞw
「ええっーっと。だとすると、われ思う故に我あり、が間違いということで、これを直してみましょうか。」
「お願いします。」
俺が直すのかよ。
「えー、あー、じゃあ、”我あり”だけ、というのはどうでしょうか。藤木さん」
「1を出力するだけの回路、ですか。んーそれだと、システムに組み込む意味がないですねえ。入出力があって、はじめてシステムを形成できる訳ですから」
「いや、ちょっと待ってください」
当課の最古参、渡辺さんが発言する。
「どんな入力でも1を出力すればいいのでしたら、0の1ビットのみ書き込んだROMにNAND回路を並列すれば、簡単な回路ですが実現できるのではないでしょうか、藤木さん」
「どれどれ、表を書いてみましょうか。0∧0バーで1、0∧1バーで1、確かに。いいですね、それで行っときますか」
「えーと、渡辺さん、藤木さん。よくわからないのですが、結論として回路というか、アリスの動作はどうなるのでしょうか」
渡辺さんが答える。
「そうだなあ。最終的には、心というか、最後の砦というか、最終判断が必要なとき、アリスは「私は存在します」というだろうね。だから絶対に自殺はしない。付け加えると、アリス本人には分からないが、その”私”っていうのは、実は0だから、本当は存在してないけどね。それはさておき、完成した彼女の精神は、実に健全だろうと思うがね、私は」
「ということは、アリスは自己防衛のために人間を殺すかもしれない、ということですか?」
「そうなるね、極限まで追い詰められれば、ね」
「それは、まずいのでは」
「まずいだろうね。しかし、課長が言ったじゃないか。我々は人間を作るのだと。人間は別段、極限まで追い詰められずとも、他人を殺す生物だったと、そう私は記憶しているが、ちがうかね」
「・・・正しい回路のようです」
「だが鈴木さん、それはあくまで極限状態での動作だ。人間だって、いつも極限状態におかれてるわけじゃない。普段のアリスがどんな女の子になるかは、この自我回路というか本能回路の外側の第2次、第3次の関数だの、これからどんどん加わっていく機能で変わってくるからね。つまり、鈴木さん、あんたが育ての親だ、ってことだから、がんばってくれよ」
「が、がんばります。ところで、ですが」
ちょっと疑問に思ったことを、技術者達に聞いてみる。
「本能、というと、その、つまり、はっきり言えばですね、生殖とか、睡眠、摂食なんかは、どうすればいいのでしょうか」
またも渡辺さんが答える。
「ん? ふーむ、確かにそれらは本能と言われてるな。だが、実際のところは、どうだろうかね・・・そうだな、例えばだが、食道楽なんてのがあるわな。あれはどう見ても、空腹だから、ではないよな。本能じゃなくて、思考の領域の話だろう。こだわりだとか、好き嫌いだとか、要するに経験だわな。しかしだ、もし無人島に漂着してだな、3日も飲まず食わずだ、ってときなら、そりゃどうみても本能の作用だろうさ。ハチがはちみつを集めるのと一緒だろうね」
「なるほど、では、そういった摂食やら睡眠なんかも本能システムに入れておくべきですね」
「そう思う。ただ、あまり根源的なレベルには入れない方がいいだろうよ、例えば、さっきの自我回路のすぐ上とかではダメだ、レベルが違い過ぎるだろう」
「そうでしょうか? 割と根源的な欲求のような気もしますが・・・」
「そうだな、じゃあ、ちょっと考えてみてくれ。我々がメシを食いたいと思うのは、空腹だから、だよな」
「そりゃそうです」
「じゃあ、満腹だったらどうだ」
「何かを食べたいとは思わないでしょう、それこそ、さっきの食道楽の思考で「今度はもっとうまいものを食ってやろう」とか思うかも知れませんが」
「そうだろう。でだ、それを極端にするとだな、もし、胃がなかったらどうなる」
「胃や消化器系に代わる生命維持の方法がある前提ですが、何かを食べたいという欲求は、そもそも生じないでしょう、なにしろ、器官がないですから」
「そうだ。だから極端な話をすれば、ボディに付いている器官の制御系に組んでもいいくらいだろう」
「なるほど。それから逆に考えると、実は人間にとっては、食欲とか性欲って、あまり本能と関係ないということでしょうかね」
「あるいは、そういうことなのかも知れんね」
「わかりました、そのつもりでシステムは組みます。ところで課長、アリスにはどんな器官が搭載されているのですか」
「え? もちろん人間にあるものは全部よ。いまのところ脳以外、だけど。ちなみに人間との生殖も可能で、子供も産めるはずよ」
「はい! すぐアリスに毛布をかけて下さい!! 作業はいったん中断します!」
俺の反応は、絶対、本能だったと思う、たぶん。