第2章 2-08
さっきから肉体とか精神って言ってるけど、そもそもそれらは何なのだ。肉体がなければ、精神も存在しえない、ええ、それは分かった。分かったけれども、二人の鈴木氏の行動をどう説明すればいいのか。では、角度を変えてこう訪ねてみる。
洗髪したときに抜け落ちた髪の毛は肉体か?
→ まあ、洗髪する前まではそうだった。
血液は肉体か?
→ ええと、まあ、その一部ではあるだろう。
吸った息(空気)や吐いた息(二酸化炭素・水蒸気多め)は肉体か?
→ そろそろ肉体の境界線を越えそうではないだろうか。
衣服は肉体か?
→ さすがに肉体の線は超えただろう。
では、君の衣服に、君の意識は働いていないのか?
→ え、まあ、知覚・認識はしているけれど、さすがに肉体かどうかというと、どうなんでしょう。
初めに戻って、抜け落ちる前の髪の毛と、抜け落ちた後の髪の毛では、物理的な差があるか?
→ まあ、ないな。変わったのは私の認識だ。知覚はほとんど変わってない。
では、肉体かそうでないかは、認識次第だと?
→ 自分の精神においては、まあそうだ。物理的にそれが正しいかは知らんが。
事実として言えることは、両鈴木氏はどうも死んではいないらしいこと。また、一見して肉体は残ってはいないようだったが、死んではいないらしいという観測結果、事実から、どういう状態かは分からないが、どうやら肉体は残っているらしい、ということになる。
では、話を進めよう。
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(うろだこどはこここはどこだろう)
「ここは、どこだろう?」
(れこだんないざうあだあうざいなんだこれ)
「だー! うざい、なんだこれ?」
(・・・ねのあのね・・・)
「あのね・・・」
(***(省略)***)
わかった、これ、自分の思考だ。わかったけれど、どうなってるんだ、これ。
(「知覚と思考を過去や未来に散らすな。未練も希望も捨てよ。この刹那だけを見よ」)
ひとつの非常に明確なメッセージが光のように届いた。近くなのか遠くなのか分からないが、どこかにいるもう一人の私、鈴木(女性)もこのメッセージを理解したようだ。
それから私、鈴木(男性)は、この場所でまともなコミュニケーションをする技術(精神が過去や未来に散らない在り方)を3か月かかって習得した。鈴木(女性)は3年かかったようだが、この場所で時間は意味を持たないので、別段、問題は発生していない。
そして今に至った。
そして、この話が終わるのにここからあと1秒もかからないのだが(プランク時間未満)、それでは何が起きたか、誰も分からないだろう。いや、分からなくて正しい、分かる方がおかしい。
だが、会社に提出する報告書は文章にする必要がある。
今となってはきわめて面倒に感じるが、それが生物の権利であり義務でもある。生き物って、素晴らしい。
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(私は隠居した先代の銀河神です)
(鈴木(男)(女)です)
(ここでは時間も空間も溶けて混ざって詰め込まれています)
(理解しました、先ほど(3年前)はご指導ありがとうございます)
(ご用件は)
(こちらの宇宙と反宇宙の一つが対消滅しそうです)
(おまちください、外を見ます、なるほど)
(アリスとアルスの仕業です、回避策を知ってますか)
(お二人ともすでに会得されています)
(なるほど、そうします)
(さようなら)
(ありがとうございました)
(帰る時間と空間を少し調節)
(さすがです、そうします)
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両鈴木がブラックホールに落下した直後、銀河中心に半径0.5光年、無色透明の球が出現した。この球の内側に閉じ込められたエネルギーは、どんどんブラックホールに吸収されているように見えた。しかし実際に起きていたことは、以下のとおりだ。
事象の地平面の境界に近づいたエネルギーは2倍になってブラックホール内側に落ちた。同時にそれと同量の反エネルギーが、鈴木の宇宙のブラックホール表面からその宇宙全体を壊滅させかねない、膨大なエネルギーとして放出されたが、そちらの宇宙にも1光年の球が出現し、その表面に到達したエネルギーは鈴木女史の反宇宙に、正のエネルギーとして変換され、球の内側に戻された。
つまり、2つの宇宙全体で見ると、エネルギー保存則は守られているから、別に何一つおかしな現象は起きていなかった、というよりも、何も起きていなかったと言える。ところが、二つの宇宙を一つずつ見ると、片方のブラックホールのみエネルギーが、つまり質量が増加したという結果に見えることになった。あれ、まてよ? 本当にエネルギーが保存されていただろうか?
その後、アリス・アルス両氏より、球の生成とエネルギーの変換に消費されたエネルギーが計算から抜けているのではないか、とツッコミが入った。
そっちに突っ込むのか! でも、エネルギー保存の方はツッコミなしでよかったよかった。
あれ? いや待てよ、そもそもそれをやり始めて、今回のような危険な事態を招いたのも彼らだったような気がするが…まあいい。
ちなみに、AAコンビのツッコミに対する両鈴木の反論はこうだった、上から見ればエネルギー、下から見れば反エネルギーなのだから、視点だけの問題であって、視点の変更にエネルギーは不要ではないか、また、球については、球があると思っただけであり、生成はしていないから、やはりこちらもエネルギーは不要ではないか、と。
この曖昧な回答に対し、AAコンビからは非常に疑わしい、とのコメントが発表されたが、これ以上の議論は無意味と見たか、アリス嬢が話を締め括りにかかった。
「では、最終確認に移ろう。両鈴木氏の間に恋愛感情が発生したのか、どうなんですか? そこのところは」
「え、それが最終の内容なの? まあいいか。いや、それはないだろ。何しろナルシストではないから」
「よし、鈴木男子はそれでよしとして、鈴木女史はどうですか。今の発言で、少し胸がチクっとしたりしませんでしたか」
「ないねえ。戦友としては面白い男だと思うが。男性としてはねえ~。ダメダメだよ、この男(ブーメランで自分に帰ってくるから辛いんだが)。それに私は御代課長(男性)一筋だし」
「よし、作戦は順調、すべて終了だ、撤収! ほれ、鈴木代理、さっさと元の宇宙に帰るぞ」
「撤収はいいとして、アリスよ。アルス君が落ち込んでいるようだが」
「ああ、鈴木女史に義母以上の感情を抱いているからだろうな、まあ、知ったこっちゃない、放置でいいだろ」
「なんだか、今の発言で一層、落ち込んでしまったように見えるのだが」
「子供じゃないんだ、自分で立ち直ることだな」
すまないアルス君、私にできることはなさそうだ。それとアリスよ、君らが生まれてまだ数年しか経ってないぞ。子供じゃないのか。あ、そういえば生まれて5分で親離れしたんだったな、あれはひどかった。
「それから、かぐや殿はこちらの宇宙に残るそうだ。こちらのヒカル氏も我々の宇宙に残るそうだ。引継ぎはもう終わったらしい」
え、それはびっくりだ。ほんと、恋に生きる人達なんだなあ、感心するわ。
「それより鈴木代理、あと鈴木女史も。あなた達の身体組成がおかしい。時空も微妙に歪んでるし。健康診断を受けた方がいい、注射が嫌いなんて言い訳はだめだからな」
すでに物質体ですらなくなっている君におかしいと言われてもな。いや、まあ、確かに注射はちょっと怖いが。




