第2章 2-03
「てえへんだ、てえへんだ」
アリス嬢が一課に駆け込んで来た。毎度のごとく、扉を壊して。お前、絶対、わざとだろ、とは、鈴木代理、心のつぶやきである。
「はあ、宇宙-反宇宙対消滅、ですか。ええっと(カンカンカン)(扉の変形をハンマーで板金)。何事で?」
「いやだから、宇宙-反宇宙対消滅だって言ってるだろ」
「反物質?(ヒンジ調節)」
「反物質じゃねえ、反宇宙だ。この宇宙の物質も反物質も正のエネルギーを持ってるが、反宇宙の物質と反物質は負のエネルギーを持ってるだよ、ええ? どうだ、理解したか」
「負のエネルギー、ですか。ふむふむ(クローザー取り付け)。しかしだよ、アリス、この宇宙の法則じゃあ、負の数に相当する物理現象ってのはなくて、要は、自然数の物理現象しかないと、誰か言ってなかったか? あれ? いやむしろ、お前が言ってなかったか? それを」
「そうだ、だがそれは”この宇宙の法則”だ。”この宇宙でない宇宙”じゃあ、それが通用するとは限らないぜ」
「それはまあ、随分とヘンテコな世界だな(開閉確認)、あ、もしかして異世界ってやつか」
「異世界だろうとあの世だろうと、負のエネルギーな訳ないだろう。あくまで反宇宙って話だ。おそらく、我々の宇宙に相対する宇宙だろう」
「分かった分かった、反宇宙、ね。鏡の中の世界みたいなものかね」
「それはまた、別の話だな」
「まあいいや、よし、修理完了。それで、それがどうしたって?」
「いやだから、対消滅だよ」
「ええっと・・・対消滅、って、我々の宇宙が?」
「そうだ、それと相手の反宇宙もな。双方、共々、消えるな」
「んーむ。消える? 消えるとどうなる?」
「どうなるも何も、無に帰すわい」
「ええっ、それってさ、人類も死滅するんじゃないか?」
「人類どころか、神羅万象、万物全て、何一つ消滅からは逃れられないぞ」
「ええー! それって大変じゃないか」
「だから最初から大変だといってるんだよ。まあいい、お前の理解が遅いのはいつものことだ」
「それで、それはいつ起きるんだ?」
「およそ30日後から10億年後までの間だ」
「随分と、時期があやふやなような。あ、分かった。これは、いつものお前の罠だな」
「罠とは失礼な! 科学的正確さを企していると言っていただきたい」
「分かった、分かった、それで、現実的な確率では、いつなんだ。地震の発生確率よりは確度が高いんだろうね?」
「ちっ、成長したな、鈴D。仕方ない、白状、(げふんげふん)、現実的な確率を言うとだな、今から半年後より遅くなる可能性はほとんどないな。より精度を落とすなら、今から3か月後に起こる確率が、99.999999%だな」
「おいまて! それはほとんど確定じゃないか」
「まあ、そうとも言えるかもな。だが、宇宙ってのは広大なんだ。起こらない確率が0.000001%だからといって、対象の数が天文学的数字なら、起こらないほうも、結構、有効な数になるぞ」
「そうなの・・・か? いや待て、お前の言っている対象、って何なんだ?」
「そりゃまあ、我々の宇宙だな。ああ、正確には我々の宇宙と、我々の宇宙の反宇宙で、対象は2つになるな」
「いや全然、天文学的数字じゃないじゃないか。やれやれ」
一課で臨時会議が開かれていた。何が起きるか、については、はじめにアリスから既に概要を説明済みである。続いて、御代課長の発言である。
「では、一課の皆さん、質問や提案があれば、自由に言ってちょうだいね、その前にまずは最初に私から。アリスさん、そもそもなぜ、その、対消滅?ということが起きるのかしら? そのメカニズムは?」
「説明しましょう。その前にいろいろと説明が要るのですが、まず、我々の宇宙は約138億年前にビッグバンから始まった、という説はご存知でしょうか?」
「ええ、知ってるわ。今のところ、それが最も正確だと信じられている説ね」
「実は、我々の宇宙は、ビッグバンから始まっておりません」
「あら、そうなの?」
「実は、宇宙というのは、我々がいる宇宙の他に、別の宇宙がたくさんあるのです。たくさん、というのは無限数ではなく、あくまで有限数なのですが、あまりに多すぎて、我々人間の感覚からしますと、無限数との区別がつかない、それほどに多数です」
「ええ、それはセレスティアさんからも聞いたわね」
「はい。そして大別すると、宇宙は大きくは3つのグループに分かれます。一つ目はビッグバン型宇宙です。無から有が生じる、一点からビッグバンが始まる、というタイプですね。ビッグバン型宇宙の終焉については、収縮して点(無)に帰す場合、無限大に膨張する場合、極めて稀には一定の大きさで宇宙が固定される場合があります。とにかく、無から有がはじまる、というのがビッグバン型宇宙です」
「えっと、無限大の宇宙が複数あっても、問題にはならないのかしら」
「問題ありません、別の宇宙ですから。別に重なっているわけではありません」
「・・・まあいいわ、続けて頂戴」
「二つ目は、サイクル型宇宙です。これは、点ではない、ある有限の大きさからスタートした宇宙が膨張し、ある時、収縮に転じて元の大きさに戻るという周期を繰り返すタイプです。実は我々の宇宙も、このサイクル型宇宙に該当します」
「あら、そうだったのね。それは初耳だわ」
「ええ。そして三つ目は、定常型宇宙です。この宇宙には、始まりや終わりというものがなく、一定の大きさの宇宙がずっと存在し続けているというタイプです。このタイプの宇宙は、素粒子サイズからその他の宇宙全部合計した大きさよりも大きいといったもので、他の型の宇宙に比べて極端に小さいもの、極端に大きいものが多いです」
「素粒子サイズじゃあ、人も住めないわね。それに、無限大の大きさよりも大きい、というのは・・・まあいいわ、続けて」
「はい、もしかすると、我々の身近にある物質や素粒子であっても、極小サイズの宇宙が化けているかも知れませんので、要注意ですね」
「三つのタイプの宇宙については分かりました。では、今回の我々の宇宙の問題は何なのかしら?」
「先ほど、我々の宇宙が、サイクル型宇宙に分類されると言いました。どこかのタイミングで宇宙が膨張から収縮に転じて、やがては初期の大きさに戻る訳です。初期の大きさですが、実のところ、実態としてはビッグバン型宇宙の点(無)とほとんど大差ないのですが、クオーク1粒子よりも小さいサイズに収縮します。しかしそれは無(点)ではないという点では、ビッグバン型宇宙とは著しく性質が違っていると言わざるを得ません。この収縮状態においては、我々生物が生き延びることはもちろん不可能です」
鈴木代理が突っ込みを入れる。
「え? じゃあ、どちらにしても人類は生き延びられない、ってことにならないか?」
「いや、これは違う話なのだよ。サイクル型宇宙が初期の大きさに戻る、というのは、ある意味では、その宇宙の寿命みたいなものだ。50億年後に太陽が寿命を迎える、ってのと同じ話だ。恩恵を受けて中に住んでいる我々がどうこうできる話じゃない。それにだ、仮にもし、我々の宇宙が今すぐ収縮に転じたとしても、初期の大きさに戻るまで、おそらく今までと同じ経過時間、つまり、あと138億年後、という話だ」
「なんだそうか。それなら問題ないのではないか」
「今回の問題はそれとは違うのだよ、鈴木君」
「違うとは?」
「サイクル型宇宙である我々の宇宙が膨張と収縮を繰り返すのは、我々の宇宙と、我々の宇宙の反宇宙との間で、エネルギーのやり取りが周期的に繰り返されるからだ。まあ、例え話で言えば、砂浜の波打ち際では、波が寄せては引いているだろう。陸が我々の宇宙だとすると、反宇宙は海だ。別に逆でもいいがね。その境界線は、波打ち際で周期的に変化が繰り返されているだろう? それは自然の作用であって、我々が波をどうこうできるわけではない。どうだ、イメージがつかめたか?」
「うーん、何となくは分かった気がする。それで、今回の問題は?」
「どこかの馬鹿2名が、波打ち際で非常識な量のエネルギーを使った結果、言わば、砂浜に防波堤ができてしまい、我々の宇宙の膨張と収縮のサイクル、寄せては引く波が停止してしまった、ということだな。その結果、陸、海、波打ち際、それらの全てが無に帰す可能性が出てきたのだ。もっと言えばだ、ビッグバン型宇宙でなかった我々の宇宙(と反宇宙)が、ビッグバン型宇宙に変化して、同じ終焉(無に戻る)を迎えることになったのだ。宇宙の運命が変わってしまったと言えるな」
「あーっと、二人の馬鹿が誰かは、言われなくとも何となく分かるし、それは後回しにするとして、そんなおかしな現象、あり得るのか? 前例があるとか?」
「これは魔法でも呪いでもない。純然たる物理現象なのだ。サイクル型宇宙では一度だけ発生する可能性がある。一度、というのは、その宇宙がちょうど膨張から収縮に転じる瞬間だな。何百億年ものその宇宙の一周期のなかで、その一瞬、一度だけ発生する可能性がある物理現象だな」
「んーと、その可能性、というのは?」
「サイクル型宇宙は、通常であれば単に膨張から収縮に移るだけだ。しかし、ある極めて特殊で、稀な条件となった場合のみ、宇宙の対消滅が起こるのだ」
「その条件とは?」
「膨張と収縮のサイクルがちょうど切り替わるタイミングにおいて、宇宙と反宇宙のそれぞれのエネルギーと反エネルギーがちょうど等量で、かつ、波の位相がちょうど正反対になった場合、だな。この条件がすべてそろったときのみ、発生する物理現象だ」
「あのね、アリスさんよ。お前の話を全部を理解したわけじゃないが、そんな条件、普通はそうそう、そろわないと思うのだが」
「そうだなあ、例えて言うなら、空気でも水でも何でもいいが、鏡などの光学設備が全くないのに、たまたま、それらの物質中の電磁波の位相やらベクトルの方向が一致して、レーザー発振するくらいの確率か、いや、それよりも確率がもっと低いな」
「それは自然には起きない、という意味じゃないのか。ということはだね、アリスさんよ。この前の戦争で、アンタ、狙ってそれをやったね。そして、その片棒を、私も担がされた、と」
「てへ。ばれました」
「てへ、じゃないよ、どうするんだよ」
「いやだってさ、戦争に負けた場合の保険は必要だろうよ、従属するくらいなら殺ってやるぜ」
「死なば諸共ってか。やれやれ」
御代課長が打ち合わせを締めくくった。
「OK、状況は分かったわ。つまり、『ミッション:三か月以内に宇宙を救え』ということね。OK、OK、まったく問題ないわ。この責任はアリスの監督者である鈴木君に取ってもらえばいいだけね」
そうくると思った。
「しかし、この罪状が宇宙連盟側にばれたら、何と言われるか、心配ですね」
「いえいえ、心配はないわ。何も起こらないでしょう。どのみち、この宇宙ごと皆で仲良く消失するか、鈴木君のミッションが成功して感謝される(?)か2つに一つなのだから。それに、彼らには、訴えたくてもその後ろ盾となる軍事力がないわね」
「うわ、我々は悪の独裁者みたいですね」
「何言ってるの、悪を為さなければいいだけのことじゃないの」
「りょ、了解しました。あー、そういえばアリスよ」
「何だ、鈴D」
「この、宇宙の対消滅、って物理現象?だがな、前例はあるのか?」
「・・・ほう、お前もだいぶ、頭が回るようになったじゃないか。意識して回してるのかは知らんがな。よし、教えてやろう。おそらくだが、過去に1例だけあったはずだ。そしてそのケースでは、対消滅を回避したはずだ。そうでなければ、今のこの多元宇宙が存在しているはずがないからな」
「なぜそんなことが言える?」
「うむ、やはり意識して智恵を回してはいなかったか。だが、まあいい、お前の言いたいことは分かるぞ。その成功例を調べたいって話だろう。だがそれは当てにしないほうがいい」
「何故?」
「それを知っているのは、おそらく神だけだ。それも、そんじょそこらの小神ではだめだ」
「じゃあ、どこの神ならいいと?」
「そりゃもちろん、唯一絶対神、だろうよ。論理的帰結では他にないだろう」
「え、それじゃあ、だめじゃん」
「ダメだと即断できるところが、勇者とやらの恐ろしさなんだがなぁ。まあいい、それは後日としよう。今は、目の前の三か月先の対策をどうするか、だ」
宇宙の消失? 馬鹿げている、全く実感がない。だが、その原因を作ったのが(主に)自分だと看破されてしまった以上、なんとかしなければ、とは思う、少しだけ。無責任すぎるだろうか、だが、全く実感がない。これも勇者の呪いというものだろうか、分からないな。
確実なことは一つだ。これは業務命令になってしまったので、失敗すると給料がもらえないだろう、ということだ。これはすごく実感があるので、この線で頑張ってみるとするか。




