第1章 1-0F
Go to hell と、Go to healthy は似てい・・・ない。
アリスさんが話しを始めた。
「まず、例え話を一つしようと思います。この話は簡単ですが、超ド級にヘビーなので・・・深夜の方じゃなくて大丈夫かな・・・」
「深夜(midnight)って何だい?」
「あーいえいえ、何でもありません、気にしないで下さい、こちらの話です。とにかく例え話、行ってみましょう。とは言ったものの、はてさて、ふーむ」
と言ったきり、アリスの話はなかなか始まらない。
アリスにしては珍しく、慎重に考えているようだ・・・いや待て、人類の何億倍も速い思考で数秒以上も考え込む、って、どれだけの難問を話すつもりなんだ。ちょっと恐ろしいぞ。
「仮の話です。今、生まれたばかりの赤ちゃんがいたとします」
「うむ」
「仮にこの赤ちゃんが、おぎゃーと泣きながら手を動かして、たまたま赤ちゃんの横の床の上を歩いていた一匹のアリを赤ちゃんの手で潰してしまった、つまり、蟻が一匹死んだとします」
「うんうん」
「そして仮に、この赤ちゃんがその後、かわいそうなことに、すぐ亡くなったとします。ここまでよいですか」
「う、いや、あまりよい話ではないが、話の内容はわかった」
「ところで、地獄に関する諸々の説、特に仏教系の説によりますと、人は、生前に犯した罪に応じて地獄で罰を受ける、とされています」
「ああ、そういわれているな」
「この赤ちゃんの例であれば、私はもちろん、閻魔大王か誰かの情状酌量が当然あるだろう、とは思ってはいるのですが」
「ああ」
「仮に、情状酌量なしの、諸説どおりだったとします」
「うん」
「この赤ちゃんは、おそらく等活地獄で、極めて苛烈な罰を、鬼共や殺人鬼共に殺されてはまた生き返る、といった苛烈な罰を、一兆六千億年以上に渡って受け続ける、とされています」
「・・・」
「また、これも諸説あるようですが、行き先が等活地獄でないとしても、賽の河原と呼ばれる、過酷な石積みの労働が延々と課されるかも知れない、とされています」
「・・・」
「しかも、なのですが・・・」
「・・・」
「等活地獄は、地獄の中では一番浅い階層だそうです。一階層違うだけで、天文学的レベルの差で苛烈さが増すそうです。等活地獄の一つ下は黒縄地獄ですが、その苛烈さは等活地獄が天国と思えるほどであり、罰を受ける期間は13兆年強だそうです。そういった階層構造が8段階まであるそうです」
「・・・」
「例え話はここで終わりです」
「そ、そうか」
「そして私は、ここで皆様に質問します。いいですか」
「う、うむ」
「とりあえず、一番浅い等活地獄で考えて下さい。いいですね」
「わかった」
「この等活地獄での赤ちゃんへの罰は、苛烈・過酷だと思われますか」
「もちろんそれは厳しい、厳しすぎると思うが」
「何も知らない無垢な赤子が、虫を一匹殺したというだけで一兆年以上苛烈極まる罰が、あるいは強制労働が、課され続ける、ということがです」
「厳しすぎるだろう。そうとしか思えない。違うのか」
「誤解を恐れずに申し上げます。よろしいですか」
「ああ」
「私は、これら地獄の罰は、ぬるすぎる、と、言います」
「えっ」
一同、絶句である。ドン引きである。
「アリスさんよ、確かにお前はちょっとS気味なところがあるけれど、それはちょっと話がひどすぎないか」
「誤解のないように補足しますと、ぬるい、と言ったのは、何も知らない無垢な赤子への罰が足りない、ということではありません」
「ん? というと?」
「仏教等で言われ、説明され、伝承されている地獄での罰の苛烈さ、気の遠くなるような時間の長さ、果たしてそういったものは、実際の地獄の苛烈さ、過酷さを表現し、あるいは比喩するに足りているのだろうか、いや全く足りてないだろう、ということです」
「んん? よく分からんが」
「例えば、一兆年という期間についてですが、一兆年というのは正確な数字なの? 実際は9千億年だったとか一兆1千億年だったとか、正確な数字はちがうのでは? という話、そしてそれから、本当は一兆年なんて甘いものじゃなく、百兆年とかもっと長い可能性もあるのでは? という話なのです」
「んーと、まあ、そうかも知れないな。それで、そうだとして、それはどういうことなのか、って話だが」
「よろしいです。まずは、私の意図はほぼ正確に伝わったと思います。そこで私は、先程の皆様への質問を少し変えたいと思います」
「分かった」
「変更された質問はこうです、”なぜ、地獄の罰はこれほどまでに苛烈なのか?” です」
「うーん、そりゃまあ、宗教的、道徳的な指導として、人々に善行を勧め、悪事をさせないための教育的効果を狙っているから、ではないかね」
「それもあるとは思います。しかし、単に教育的効果を狙っているにしては、描写され、説明されている地獄の性質や様子などが、あまりにも理路整然とし過ぎているとは思いませんか」
「そうだな、まあ、確かに、地獄の背後とか、性質には何か一定の法則性のようなものがありそうだな」
「期待通りの答えです、鈴木代理。では、どういった点に法則性を見い出しますか」
「そうだな、さっきお前も言っていたとおり、地獄には最下層の阿鼻地獄まで八階層があって、八大あるい八熱地獄と呼ばれているそうだな。それとは別に、八寒地獄というのもあるって話だな。それで、八熱地獄と八寒地獄の16の地獄にはそれぞれ、また16ずつの小地獄があって、全部で16×16+16=272の地獄がある、と聞いたことがある。確かに、何かの法則性がありそうな感じはするね。ただ、じゃあその法則とは何なのだ、と聞かれても、私にはちょっと答えられないのだがね」
「鈴木代理、本当はあなたはそれを誰よりもよく知っているはずなのです。しかも、”感じがする”ということは、実のところ、既に答えにたどり着いている(が、言語では表現できないだけ)、ということを意味しているのですが、それはまだ、今の段階ではいいでしょう。続けましょう」
「分かったよ、頼む」
「確かに人々を善に導くための教育効果という面はあるでしょう。しかし、もし地獄が、物理現象として本当に存在しているとすれば・・・そうだ、かぐや殿、地獄は物理的な存在としては確認されていないのでしたね」
先程から少し顔色の悪いセレスティアさんが答える。
「はい、確認されていません。多元宇宙や高次宇宙といった領域でも、確認できておりません」
「では、かぐや殿は、地獄は存在しないと思われますか」
「つい先程まではそう確信しておりましたが・・・けれど、本日の鈴木様の件、アリス様がご説明されようとしている件、これらのことがあって、私の認識は揺らいでおります。正直に申し上げれば、揺らぎというより恐怖というべきでしょう。アリス様、地獄は本当にあるのでしょうか」
「貴女はとても賢く、しかも勇気のある方です。ここは、普通の人間は耐えられないところですからね、このアホの鈴木代理や、当課課長のような極めて異質な者共を除けば、ですが。そうだ、今度ぜひ、うちの課に遊びに来てください、課長とは気が合うと思います」
「魅力的なお誘いありがとうございます。ですが、今はお話を進めて下さい」
「おお、何という高潔さでしょうか。分かりました、ではこの、重すぎて絶望的な、あるいはそうではない話を続けましょう」
アリスが話を続ける。
「えっと、どこまで話したでしょうか」
「ん? お前にしてはめずらしいこともあるのだな。地獄は存在するのか、って話じゃなかったかな」
「そう、そこでした。もちろん、少なくとも我々が物理的に認識可能な範囲には、地獄も天国も存在していません」
「では、死後の世界にはある、と言いたいのかね」
「いいえ違います。人が死ぬということは、その死んだ人にとっては全てが終わる、ということです。死後の世界なんてものはないでしょう。少なくとも生きている間は、そう考えるべきです」
「ん? そうだとすると、いったい全体、地獄はどこにある、ということに?」
「地獄がどこにあるか、は、実は問題ではありません。先に片づけるべき問題は、地獄はあるのか、ないのか、です」
「んんん? どうも、ますます分からんぞ。ある物事があるかないかを確認するためには、どこかを探す必要があると思うぞ」
「まあ、一般的にはそうでしょう」
「ああ。それでだな、もし、それがどこにあるのか場所が分からない、というなら、それこそ、セレスティアさんのように、全宇宙を探すことになるんじゃないか、いや待てよ、セレスティアさんは全宇宙以上の範囲も捜索されたのでしたね」
「鈴木様の仰るとおりです」
「ありがとうございます。それで見つからない、ということになれば、それは、ない、でいいんじゃないか?」
「何事かが、あるかないか、ということについては、鈴木代理、私、アリスが作られる過程で、我が社では人間の精神についての検討がなされたはずですが、覚えていないでしょうか」
「確かに、特にお前の精神構造には苦労したぞ、で、その時に議論があった、だろうか・・・?」
「やれやれ、では私がメモリーから拾い出して要約しましょう」
「すまん、頼む」
「もちろん、一般論として、”無いことの確認”は、在ることの確認よりも遥かに困難であり、手間がかかります。在ることの方は、一例でもいいので見つけて、ほらこれ、在るだろ、で終わりですからね」
「ああ」
「他方、無い方と言えば、全ての場所を調べましたが、見つかりませんでした、いや待って、見落としがあったんじゃない? じゃあ今度は、全部の調べで見落としが無かったということを全部調べなきゃ、という話で、証明不可能に近いですし、少なくとも大変な労力が必要なのは間違いないでしょう」
「そうだな」
「結論だけ申し上げれば、”ありもしないこと、それは思考”でした」
「ああ、そうだったかな。そうか、理性システムの検討で話が出たか」
「はい。ですが今回、地獄は単なる人間の妄想だ、とは言わないつもりです。むしろ地獄は物理的に存在する、に近いでしょう」
「なんだって、アリス、お前は地獄を見つけたというのか」
「見つけました」
「どこにあったと? やはり地の底かい」
「いいえ、どこ、ということではないです。ところであれは救助艇ではないでしょうか。そういうことで時間もありませんので結論を申し上げると、地獄とは人間です。正確には、人間の精神です」
またも一同、沈黙である。
「うーん、アリスよ。まあ、言いたいことは分かるつもりだが、いささか唐突な結論ではないかな」
「もちろん証明はできませんが、しかし鈴木代理。会社の記録によれば鈴木代理は、徳システムを構築する際、過去の膨大なデータをサルベージしたとか」
「ああ、なんとも面倒くさい著書だったな。ゲーム内での著作だったが」
「その著書のなかで、地獄について触れていたのですが、思い出して下さい」
「うーん、どうだったかなあ。確か、個人と世界が何とか書いてたような。ん-」
「OKです、時間がないのでその部分を引用します」
「すまん、頼む」
「こうです。世界の有り様とは、その世界の住人の在り様を反映したものである。住人に愛がなく、悪魔的であれば、その世界は地獄のようになる。逆に、住人が愛に満ち、善良であれば、その世界は天国のようになる」
「ああ、確かそんな記述だったな」
ちょうどその時、救命艇が到着した。まもなく連盟側の回収班が降りて来るだろう。
「もう時間切れのようです。では、最後に仮説を申し上げます」
「ああ、頼む」
「我々の感性では、この世界・宇宙の大きさや時間は、無限に近いと感じられます。しかし、我々が知覚できるこの世界、宇宙、時空間とは別に、言わば高次宇宙、高次時空間とでもいうべきものがあると予想されます。両者は無関係ではなく、平行しているか、同一の座標軸上にあるのでしょう。異なっているのは、その量、時間の長さ、大きさで、その高次宇宙と我々の宇宙の差もまた、無限に近いと思える程の隔たりがあるでしょう。高次宇宙において我々の宇宙の大きさの割合は塵以下であり、我々の宇宙の時間は高次宇宙の時間では一瞬にすらならないでしょう。割合として、です。それほどまでに高次宇宙は、我々の宇宙に比べて広大で果てがないと思われます。それでも、無限ではないのでしょうが。さて、我々がこの我々の宇宙で活動するためには、主に身体と精神に依っています。そしておそらく高次宇宙では、魂と呼ばれるものが活動の主体なのでしょう。魂と身体をつなぐ門は精神が主であり、地獄(や天国)は、高次宇宙が我々の宇宙に少しだけはみ出てくる現象だと思われます。もちろんその原因となるのは、主に精神でしょう。高次宇宙のほんのひとかけらですら、宇宙全体を揺るがすエネルギーと時間に匹敵するでしょう。地獄は一兆年と言いますが、高次宇宙からしてみれば、高々一兆年など一瞬にも値しないでしょう。地獄とは、自らがその精神によって発現させているのであり、我々が生きている一瞬一瞬に生み出しているのでしょう。そして、この宇宙を揺るがしかねないような膨大なエネルギーと時間を一人ひとりの人間が発現させているとすれば、何千億もの知的生物がいる宇宙では一体、どんなことになってしまうのか、ということになりますが、そのような膨大なエネルギーと時間を閉じ込めているのもまた、個々の知的生物の精神と魂でしょう。ちなみに八熱地獄とは、分子の熱運動のごとく、他者との関係において他者を恨み、憎み、殺意を抱き、あるいは逆に慈しみ、愛し、大切に思うものが共同で作り出す世界でしょう。つまり、天国とは地獄の一種ですね、逆に表現しても同じですが。一方の八寒地獄は、他者との関係を拒み、冷酷で、自らの殻に閉じこもるような者、いわば分子の熱運動が停止したような者が作りだす世界でしょう。他人に関心がない者の世界ですので、外を見る者もいません。ですから、八寒地獄の情報はあまり伝わってこないのでしょう」
「・・・そうか。何となく分かったような気はするが、結論を頼む、アリス」
「これまでの観測から、鈴木代理の勇者の力とは、外から加えられる力の2倍までの力で反撃が可能なようです。そのエネルギー、力の源は、言うまでもなく、地獄に由来します。しかも、現在、過去、未来の全ての人類を集約できるようです。正直、この力は我々の宇宙どころか、高次宇宙をも揺るがしかねないと予想しますが、この宇宙にも何事も起きていないところを見ると、この勇者の呪い、おっと失敬、全人類の負の業を集約するという技術、あるいは能力なのか性質なのか、それには凄まじい代償が課されているということなのでしょう。何か心当たりは」
「たぶんそれは、人類の代理者として永遠に戦い続ける、ではなかろうか」
「それですね、おそらく。鈴木代理、あなたは永遠、と簡単に言いますが、高次宇宙の時間ですら、永遠とは無限に隔たっているのですよ。しかも、全人類の悪意を一身に受けるとか、ぞっとするとしか言えないのですが」
「まあまあ、あまり人類を悪く言わないでおいてくれよ。確かにぞっとする悪は存在するがね、愛すべき人達も大勢いるんだよ。それで、結論として、さっきの赤ちゃんの例え話の結論はどういうことになるんだい。地獄の一兆年は苛烈すぎるのは分かったが、なぜ、そこまで苛烈なのか、って話だったと思うが」
「おや、鈴木代理。あなたは今、自分で答えを口にしたのにもう忘れたのですか」
「いや、答えなんて全然言ってないと思うが」
「地獄の苛烈さやその気の遠くなるような時間は、人の悪やその逆に善、憎しみやその逆に慈悲深さの現れに過ぎないということですよ。ですから、地獄の苛烈さは、人の愛の深さの裏返しとも言えるでしょう。鈴木代理、もしあなたが罪もない人を誤って殺してしまったら、何年で自分を許せますか、つまり、あたかも、殺人なんてそんな事は忘れたよと、何年経てば無責任に言えるようになるのか、ということですが」
「一生、無理だろう。一生どころか、前世以前もね。大体、過去の事実はどうやっても変えられないよ」
「よろしい、それが地獄の苛烈さ、果てしない時間の正体です。分かりましたか」
「了解した」
「では、鈴木代理は、御代課長を愛しているでしょうが、その愛はいつ終わりますか」
「一生、終わらないだろうね、来世以降も。まあ、課長が私を見限るかも知れないが、って、恥ずかしいことを言わせるんじゃないよ、お前は」
突然、ここでセレスティアさんこと、かぐや姫が発言した。
「鈴木様、アリス様、わたくしこの後、御代課長様とやらに面会したいのですが、よろしいですか」
「それ見ろ、鈴木代理。これが地獄(修羅場)ってやつだぞ。地獄へ行け」
しかしアリスよ。お前の説なら、私はとっくに地獄にいることになるのだが。




