獣と折れた剣
初めは小さな音だった。
風の音、草が揺れる音、友人の声。
だが、どれも違う。音色などない単調な音。
…おれには分かる。それは『此処にある場所』の音じゃない。
音のする方へと意識を強めれば、その音は次第に音色に変わり、意味を持った。
『助けて』
その瞬間、体は自然と走り出す。
頭に響く…ただ、この『声』が呼ぶ場所へ――
……
……
草木をかき分け、荒い息を吐きながら、ルインは奥へ奥へと進んでいく。
後ろからグレンの声が聞こえた気がするが、響く声が、焦りとなって止まる事を許さない。
(何処!何処にいるってのさ!!)
いくら森の中でも、学園内だ。
それでも、声のする方へ走っているのに、あれから森を抜ける事も、魔物に会うこともない。
グレンの声も、既に聞こえなくなっていた。
「はぁ…はぁ…。本当、何処にいるんだよっ…!」
流石に走る体力も無くなり、そこで一旦足を止めた。
つぅっと頬から垂れる汗を、手で乱暴に拭う。
声が誰なのかはわからない。
自分が行って何になるかもわからない。
ただ言えるのは、見捨てる理由も無いというだけ。
――ふわり。
突然、ルインの目の前を緑の光が横切った。
一つ、また一つと、緑の光は通り過ぎる。
これが何かはわからないけど、己の感が、辿れと言っている。
この先に、この緑の光の行く先に、声の主はいる。
そう思った瞬間、ルインは再び、光の続く場所へと走り出す。
すると次第に景色が変わって、開けた場所へたどり着いた。
視線の先、遠目に見えるのは見たことのない『大きな巨体』。
ぶわりと寒気が肌を撫でる。
不気味な姿のその巨体は、手に持つ棍棒を、足元にいる『それ』に振りかぶった。
「……っ!!"ウィンド"ッ!!!!!!」
ルインは咄嗟に、風の魔法を放つ。
魔力で作られた風がぶわりと舞い、風は『巨体』に当たって、その体を吹き飛ばした。
ズドォオオオンッと大きな音を立て、巨体は地面に倒れる。
倒れた衝撃で地面は割れ、足元にいた『それ』がルイン目掛けて吹き飛んできた。
「ぐふぅっ!?!?!!」
ルインは咄嗟に身体強化を使い防御力を上げたが、『それ』は盛大に自分のお腹へとぶち当たり、口から呻き声が漏れた。
それでも、落とすまいと、そのまま『それ』を抱え膝を折る。
「ぐぅっ………」
なんとか痛みを堪え、腕の中に収まる方へと視線を下げる。
「っっ…これ、は……狐…?」
小さな体は、小型犬くらいの大きさで、一般的な狐の姿をデフォルメしたような見た目。違うのは長めの尻尾が2つに分かれている。
土埃と血が滲む体は傷だらけで、元の毛色の判別はつかない。
所々裂けている場所からは、ぽたぽたと血が流れ、浅い呼吸を繰り返し、今にもピタリと止まってしまいそうだ。
腕から垂れる頭を抱え直そうと体をずらすと、カランッと何かが地面に落ちる音がした。
音の方へと視線を向ければ、そこには刃がポッキリと折れた剣が落ちている。
この狐が咥えていたのだろうか、持ち手には歯形の様な痕があった。
「……と、とにかく治さねーと!"ヒール"!!!!」
未だ流れる血が手に伝い、ハッとしたルインは、ゆっくりと狐を地面に下ろして聖属性の回復魔法を使う。
だが、傷が深いのか治りが遅く、中々血は止まらない。
「治れよ!早く!!!"ヒール"!"ヒール"!」
何度も何度も、効果が切れるたびに魔法をかけ直す。
ようやく何度目かで血が止まっていき、それに合わせて、ゆっくりと体の傷も治っていった。
浅かった呼吸も落ち着きを取り戻し、すうすうと息を吸い始める。
「………よかっ、た。治った…」
だいぶ魔力を使ったのだろう。ルインは肩で息をする。
そこで、ほっ…と、胸を撫で下ろした時、背中からゾクリと悪寒が走った。
咄嗟に身を前に屈めると、その背中を横薙ぎに振った棍棒が、ブオンと音を立てながら通り過ぎた。
ルインは直ぐに後ろを振り向くと、そこにはあの巨体が、空を切った棍棒を見つめていた。
不意を突いたと思ったのだろうか。
目の前のルインと、自身の持つ棍棒を交互に見て固まっている。
――鬼だ。
遠目でみた巨体は、目の前にいると余計大きく見える。
全身を纏う赤黒い肌に、厚い筋肉に覆われた体。
長く、ずっしりと重そうな腕。
口から伸びる尖った牙に、天高く伸びる一本の太いツノ。
「どう見ても下級の魔物じゃねーよ…」
ぼそりと口にした声に、目の前の鬼がギョロリとルインを見返した。
「「……………」」
一瞬の間、先に動いたのは鬼の方。
棍棒を持たない逆の腕を、大きく、ぐわりと振りかぶる。
「…っ!!ですよねっ!!!」
ルインは未だ意識の無い狐と、折れた剣を抱えて、直ぐさまその場を飛び退いた。
間一髪の所で、振り下ろされた腕を躱す。
ルインが先程までいた場所がドゴォオッと音を立てて爆ぜた。
土煙を上げながら、ゆらりと鬼がこちらを向く。
「……バッカじゃねぇの!?何でこんな奴がこの森にいんだよ!おかしいだろ!」
つい勢い任せに口が悪くなる。
夢中で助けに来たはいいが、誰がこんな予想を出来ただろう。
ここは学園内で、管理された森の中で、魔物は出ると言っても下級の魔物。
こんな大きくて、どう見てもヤバそうな雰囲気しかしない魔物がいる方がおかしい。
……でも、嘆いていても仕方ない。
とにかく鬼から距離を取る。
抱えていた狐と剣は、草陰に隠してルインはその場を離れた。
自分に注意が向く様に、鬼に魔法を当ててヘイトを上げる。
そして、一定の距離が鬼と出来たところで、魔法で火の矢を作り出した。
「"ファイヤーアロー"!!」
何本もの火の矢が、こちらに向かっていた鬼目掛けて飛んでいく。
「んでもってー…"ウィンド"!!!」
風の魔法を火の矢に纏わせ、威力と速度が上げる。
ビュンッと風を切る音共に放たれた矢は、鬼の足へと命中した。
「ゴガアアアアァッ!!!」
矢が当たった痛みか、それとも怒りか。
大きな叫びと共に、鬼が突進して来た。
見れば、足には数カ所の傷と共に血が流れている。
無傷じゃ無いだけマシだと思いたい。
「あーもうっ!!おれは前衛職じゃないんだっての!!」
悪態を吐きながら、水の矢を作り出し、雷を纏わせる。
「"ウォーターアロー"!"サンダー"!!」
今度は鬼の顔目掛けて矢を放つ。
鬼は矢を避ける事なく腕を顔の前に構え、矢が当たった場所から煙が上がった。
煙で鬼の姿がよく見えないが、突っ込んでこない辺り、効き目があったという事だろう。
……そう思った瞬間、
ブワッと煙から、鬼の持っていた棍棒がルイン目掛けて飛んで来た。
「……っっ!?」
咄嗟に身を捻った。…が躱しきれず、棍棒はルインの左腕をかすめた。
「………痛ってぇ…」
ただ掠っただけのはずなのに、腕からは血がだらりと流れ出る。
すぐに自分の腕に手を立てて、ヒールを唱えた。
狐の時とは違って、すぐに血は止まり傷が塞がる。
ルインは立ち上がり、また鬼との距離を離すために走り出そうと足を動かした瞬間、ぐらりと視界が揺れ、バランスを崩して地面に倒れた。
「……何、だって、こんな時に…!」
またすぐに立ち上がり動こうとするが、ぐらぐらと視界が揺れ、立っているのも気持ちが悪い。
これは魔力切れ寸前の警告だ。
後2、3回、軽い魔法を使っただけで気を失ってしまう。
慣れない魔法を使いすぎたせいだろうか。
でも、今気を失ったらどうなるかわからない。それだけは避けなくては。
こみ上げる吐き気を抑えながら、ルインは少しでも鬼と距離を取るべく体を動かす。
そこで、ルインの頭上にフッと影が刺した。
これはまずい!と、本能が警鐘を鳴らす。
身を構える体制を取った瞬間、ルインの足は地面から離れ、体は一瞬にして後方へと吹き飛んだ。
バキィッと鈍い音が鳴る。
吹き飛んだ先、体が木にぶつかった衝撃で、強制的に肺から空気が吐き出される。
一瞬、意識が飛び、そのままずるりと崩れ落ちた。
「……っぅ…ゴホッゴホッ…」
…体が痛い…息が苦しい。
……あぁ、おれは何て馬鹿な奴だろう。
後先考えずに飛び出して、助け出したところで結果はこの通り。
だけど、それでも尚、この性格は治りそうもないと、こんな状況で考えている自分に苦笑する。
鬼が、ゆっくりとルインの元へ歩み寄る。
もう、動かないと思っているからか…
吹き飛ぶ瞬間、身体強化をしたが、それを上回る衝撃に、体は痺れ、思う様には動かない。
ふと、横を向くと、近くの草陰にあの狐が横たわっていた。
息はある。どうか…このまま見つからずに、逃げ切って欲しい。
目の前に、鬼が立つ。
その顔を見れば、鬼はニイッと不敵に笑う。
……こいつは、笑うだけの知恵と余裕があった。
(ごめんな、狐。助けきれなくて)
鬼が両腕を上げ、頭上目掛けて振り下ろす。
そこでルインは、ぎゅっと目を瞑った。
……ごめん、グレン




