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『CoolTOKYO2020』降雪実験大失敗の裏側で

作者: 藤屋順一

がんばれ、日本。

 九月某日、十三時二十分、TOKYO2020の酷暑対策のために都職員で編成されたプロジェクト『CoolTOKYO2020』の緊急会議を前に、都庁知事室前廊下を一人の女と三人の男がエレベーターホールに向かっていた。


「競技場に雪を降らせる実験が大失敗だったとの報道が出ているけど、これはどういうことかしら?」


 早足で先頭を歩く女、東京都知事、小沼百々子(こぬまももこ)は焦っていた。開会式まで残り一年を切り、今なお続出する難問に対応する中での手痛い報道だ。


「はい、実験の結果は想定の範囲内で、参加者からは『酷暑の中で雪を楽しめて涼しい気分を味わえた』との高評価を得ております。そもそも、我々は会場の温度を下げるなどとは一言も申しておりません。ただ、『日本が誇る降雪機の技術を使って涼しさを感じてもらおう』というコンセプトをマスコミの連中が拡大解釈して報道した内容に尾ひれがついて独り歩きした結果に過ぎず、我々の関知することではございません」


 小沼の左斜め後ろにぴったりと付いて歩く神経質そうな眼鏡の男、日本最大手の広告代理店『貪通』のTOKYO2020広報担当、地水昂守(ちすいたかもり)が知事の顔色を伺いながら答える。


「ははっ! そうだ、心頭滅却すれば火もまた涼し。最初から気分の問題だと言っているのに、勝手に期待を持たれて失望されてしまって批判を受けては敵わんな! はっはっは……!」


 そして、小沼の右隣を大股で歩く中年男、五輪担当相、錯乱田無孝(さくらんだなしたか)が小沼の憂慮を無遠慮に笑い飛ばす。


「あ〜、しかし、我々の立場で『暑さ対策だ』と大々的に言ったら現実的な効果を期待されても仕方がないのでは……?」


 浮かない顔で三人の後ろに続く青年、東京都職員『CoolTOKYO2020』プロジェクトリーダー、田中優弥(たなかゆうや)が控えめに言うと、前を行く三人がぴたりと同時に足を止め地水が振り返って目を細め、嫌味たっぷりに聞こえるようにため息をつく。


「はぁ…… 君はどこの大学の出身だ? それに、その物言いは理系だな? まぁ、どうせ大した所じゃないんだろう。……良いかな? 大衆というのはつまらない理屈を並び立てて説明したところで聞く耳を持たんし理解できんのだよ。たとえそれがどんなに正しくても納得しないし賛同しない。じゃあどうするか? 心だ。夢を語って心に訴えるんだよ。『歴史に裏打ちされた伝統と優れた技術を受け継いだ我々が、おもてなしの心を尽くし、最新の技術と叡智を結集し、情熱を燃やして、仲間とともに大きな困難に立ち向かう』その結果は? 『大成功間違い無し』だ。だから大衆は我々に賛同するんだよ。たとえそれがどんな無理筋だろうとね。ま、君には理解できんだろうが」


 地水の言うとおり、田中は地方大学の環境科学科出身で、プロジェクトリーダーに選ばれたのもそれが理由である。


「……出身大学は関係ないのでは? え〜と、朝顔のときもそうでしたが、効果が期待できないのに観点をずらして素晴らしいものだと宣伝するのは誤解を生むのでやめた方が良いかと……」

「分をわきまえろ! 君のような一般職員が気安く意見できることではないぞ!」


 田中は反論を試みるも、遮るように怒鳴りつける錯乱田の態度に言葉を失い、それ以上続けることを諦めるしかなかった。


「はぁ、畏まりました」


 錯乱田に怒鳴りつけられ黙り込む田中を見て地水は満足気に笑い、「行きましょうか」と三人に先んじて歩き始め、四人は再びエレベーターホールへ向かう。


「ですが、彼の言うとおり、結果的に『気分の持ちようで解決しました』ではみなさん納得しませんよ。地水君、何か現実的な対策は用意しているのでしょうね?」

「それはもちろん。それこそが今日の会議の本題ですので。題して『下町プロペラ』プロジェクトです!」


 小沼知事の質問に「待ってました」とばかりに地水がにやりと口角を上げ、小沼と錯乱田の方を向いて両腕を広げながら言う。


「ははぁ、何かよくわからんが期待できそうだね!」


 そういう錯乱田は自分が五輪担当相に選ばれた理由すらよくわかっていない。


「はい、大いに期待なさって下さい。この『下町プロペラ』と言うのはですね、世界が誇る精密加工技術を持つ職人集団である下町の町工場の匠の技を用いて、我が国が品質でトップを行く炭素繊維強化プラスチックに使われる炭素繊維クロスを、我が国の伝統文化である折り紙をモデルとした設計技法で折りたたみ積層成形して作る、まさに革新的なプロペラでして、既存のどのプロペラよりも高効率かつ低騒音・低振動、そのうえ軽量で丈夫という、そういうものを実現させようというプロジェクトでして、その実証機として『下町プロペラ』を使った冷風扇をTOKYO2020に導入しようという計画です。これが成功すれば、『下町プロペラ』の技術は扇風機から船舶のスクリュー、風力タービン、果ては航空産業に向けて回転翼機のローターやプロップ機のプロペラにまで応用でき、近い将来において、町工場を救い、地域経済を救い、我が国に莫大な利益をもたらすことになるでしょう!」


 地水は薄笑いを浮かべて眼鏡を光らせ、二人の顔色をうかがいながら、徐々にテンションを上げていき、最後にはまくし立てるように、一気にプロジェクトの内容を説明する。


「ほう! その第一段階をこのTOKYO2020で実現できるなら、君ぃ、それは大変名誉なことだよ!」


 説明が終わった瞬間、錯乱田がポンと手を打って声を上げた。


「そう言っていただけると大変光栄にございます。実は内々でプロジェクトの下準備が進んでおりまして、我が社の方でもスポンサーを募って来年の開催に合わせてドラマ化することも予定しているのですが、これを機会にぜひともTOKYO2020からもご協賛いただければ、と……」


 小沼は地水の提案に溜飲を下げ、二人の顔を見て口角を上げる。


「ふ〜ん、一考の価値はありそうね」

「ありがとうございます」


 四人がエレベーターホールに到着するとエレベーターはまだ一階に止まっており、錯乱田は「なぜ予め呼んでおかんのだ」とイライラを隠さない。


「そういえば小沼君、例の汚水流出問題の方はどうなっているのかね? 各国の代表選手たちを汚物が浮かぶ海で泳がせたとあっては我が国は世界中の笑いもの。それどころか、私の政治家生命にまで関わってくるんだぞ!」


 錯乱田にとっては選手の命よりも自分の政治家生命の方がよっぽど大事だ。


「えぇと、それは…… 現在解決案を集めている段階でして……」

「ああ、それはちょうど良かった。そちらの方も、我社から提案を用意しておりまして。……よろしいですか?」


 内心では錯乱田を見下しながらも、痛いところを突かれて答えに詰まる小沼に助け舟を出すように地水が笑顔で明るい声を出す。


「ええ、もちろん。あの厄介な問題が解決できるなら、どんな案でも大歓迎よ」


 安堵の表情を見せる小沼に、地水は眼鏡を光らせにやりと笑う。


「端的に言えば、開催期間の一週間前から都心部の一部の家庭のトイレを使用禁止にして、代わりに十数世帯に一台程度の割合で各所に設置した汲み取り式の簡易トイレを使って貰う。という案です」

「はぁ? そんな事が出来るのかね?」


 納得できずに問い詰める錯乱田を地水は笑顔でかわす。


「江戸時代末期の我が国は、当時のパリやロンドンを上回る人口を擁しながら、衛生環境はそれらの都市とは比べ物にならないほど良好に保たれていました。それはなぜか? 肥料にするために下肥を集める専門の業者が存在していたからです。 TOKYO2020でもこの歴史に習い、全国から集まったボランティアに簡易トイレの汚物の回収を任せれば、東京湾の汚水流出問題を解決できましょう。二百年前にできていたことが現代でできないはずがありませんから」

「なるほど。確かにその通りだ」

「それは一つの案だけど、私達も簡易トイレを使わなければいけないということかしら?」

「はっ!? そうだ、そうじゃないか! この私に臭くて汚い簡易便所を使えと言う気かね! そんな案は認められんぞ!」


 一度は納得した錯乱田が自らのトイレ事情を心配する小沼の質問に色めき立ち、再び地水を問い詰める。


「まぁまぁ、お聞き下さい。この案は各戸の敷地が広い高級住宅地やセキュリティの厳しいタワーマンションなどに適用するには難しい案ですので、専ら下級…… おっと、一般都民の家庭を対象に適用しようと考えております。この案とは別に、高級住宅地やタワーマンション、商業施設や官庁などには専用の下水処理システムを新たに導入する計画も考えておりますので、どうぞご安心を」

「そう、それならいいわ。一部から不満の声は出るでしょうけど、短い期間だけのことです。これもTOKYO2020の成功と我が国の名誉のため。我慢して受け入れてもらうしかありませんね」


 地水の提案によって自らの憂慮が全て解消することに確証を得た小沼にとって、下級都民の生活上の不便など些細な事に過ぎない。


「そもそも、一人あたりにかかる社会基盤の維持費用を下回る税金しか収めていない都民が、桁違いの税金を納める我々高所得者層と同等の扱いを受けようなどと思うことが不平等で烏滸がましいことなのです。それなのに、そんな都民にまで心を砕かれるとは、知事も五輪担当相も、本当にお優しい為政者様でいらっしゃいます」

「はっはっはっ……! まさしくそのとおり! 良いこと言うね、君は。今からのプレゼンが楽しみだ」

「ええ、期待しているわよ。地水君」


 懸念が払拭された錯乱田の高笑いがエレベーターホールに響くと、小沼と地水からも小さな笑いが漏れた。

 そして、エレベーターが到着し、黙って話を聞いていた田中がボタンを押して三人に声をかける。


「どうぞ中へ。今日の会議では暑さ対策の効果を実感し選手や観客の皆様との一体感を感じていただくために、特別な会場を用意しています」

「そんな話、聞いていないわよ」

「申し訳ありません。今回は、今現在取り沙汰されている各種の問題への取り組みを周知するために、プレスや各所のオブザーバーも招待して『CoolTOKYO2020』からのサプライズとして特設会場で会議を行うことになりました」

「私の許可も得ないで勝手なことをしないでちょうだい」


 知らない間に行われた部下の行動を訝しみ、小沼は静かに声を上げて田中を睨みつける。


「まぁまぁ、小沼君。そう怒らずとも良いじゃないか。地水君がさっき言った解決案をサプライズでバーンと打ち出せば、事態はこれにて一件落着! めでたしめでたし! そうだろう?」

「ふむ、そうですね。プレスも来ているんなら『下町プロペラ』のPRにも丁度いいですし、これは逆に好都合というものですよ」

「……お二人がそう言うなら、まぁ良いとしましょう。ですが、田中。この責任はきっちり取ってもらいますからね」

「はい、そのつもりで」


 そのうちにエレベーターが一階に到着し、田中の先導で三人はエレベーターから降り、エントランスホールから都庁の裏に出て都民広場へと案内される。

 その途中、エントランスホールの出口に待機していた『CoolTOKYO2020』のメンバーである女子職員、鈴木美笑(すずきみさき)が田中の合図を受け、三人を明るい笑顔で出迎える。


「みなさま、お疲れ様です! 暑い中私達のサプライズにお付き合いくださって大変感謝しております!」

「今日は生憎の快晴ですので、どうぞこれを使って下さい。鈴木さん、お渡しして」

「はい、どうぞ!」


 明るく元気なだけが取り柄の平凡な女子職員である鈴木の満面の笑顔の圧に押され、三人は思わず渡されたものを確認せずに受け取ってしまう。


「被る?」


 小沼は訝しみながらそれを見つめ、


「なんだこれは!?」


 錯乱田はあちこちをつまんだり引っ張ったりし、


「これはもしや……」


 地水はじっくりと構造を確かめる。


 渡された物を不思議そうに扱う三人の目の前で、田中も鈴木からそれを受け取って開いて被り、鈴木も同じように開いて被る。


「はい、『被る傘』です。小沼知事オススメの」

「みなさま、きっとお似合いになられますよ!」


『被る傘』を被った田中と鈴木の後ろを、三人は被る傘を手に持ったまま浮かない顔で歩き、直射日光の元でパイプテントが立ち並ぶ都民広場の一角に到着した。


「ここが今回の会議の議場になります。プレス席とオブザーバー席には側面に葦簀を張ったパイプテントを立てて直射日光を防ぎ、凍らせたペットボトルを配布してミストシャワーと業務用扇風機を使って暑さ対策をしています」


 田中が説明するとともに手のひらで指し示す先にある葦簀の張られたパイプテントの中では既に数十人のオブザーバーや記者、カメラマンたちが詰めており、報道の準備や雑談などでざわめいている。


「早く来られた方にはもう一時間近く待機していただいていますが、それなりに快適に待っていられるとのご評価をいただいています!」

「そ、そう…… それなら良いのだけれど……」

「さ、では、会議の席へどうぞ」


 三人は呆気にとられたまま立ち並ぶテントに近づくと、報道陣が気付いて一斉にフラッシュが焚かれ、あちこちからそれぞれを呼ぶ声がかけられ、その間を通って会議の席の前に出る。


「こっ、これは、一体どういうこと!?」


 直射日光が当たる中でコの字型に配されたテーブルの周りには鉢植えの朝顔が並べられ、席にはパネリストの名前が書かれたプレートの横に溶けかかって汗をかいた小さな雪だるまが一つづつ置かている。


「はい、パネリストの皆様には少しでも涼しい気分を味わっていただこうと、テーブルの周りに鉢植えの朝顔を配し、各席上に鈴木特性のミニ雪だるまを置かせていただいています。それでは会議を始めますので、席について下さい」


 席にはもう既に何名かのパネリストが座っており、全員が『被る傘』を被り、それぞれがうちわで仰いだり、席に突っ伏してぐったりしていたり、雪だるまをつついて現実逃避したりしている。

 多くの記者やオブザーバーが詰める中、三人は『被る傘』を被り、田中の言葉に従うしか無かった。


 そして……


「地水さん、地水さん」

「すみません、ちょっとお時間をよろしいですか?」


 会議が始まる直前になり、あちこちに汚れの染み付いた作業服を着た男性が議場に現れて地水を呼び出し、少し離れた場所でコソコソと小声で話し出す。


「遅かったじゃないか。資料はちゃんと用意できたんだろうな?」

「そのことでちょっとお話が……」

「なんだ? 早く言え。今は気が立っているんだ」


 地水は口ごもる作業服の男を鋭く睨みつけ、高圧的に発言を迫る。


「『下町プロペラ』のプレゼン用のデータの件で…… 実のところ、なかなか芳しい成果が出せていなくてですね、今日のためにも今朝まで夜通しで試作機の改良とデータ取りをしていたのですが、その……」

「なんだと!? このプロジェクトにはすでに億単位の金がつぎ込まれているんだ。今更『できませんでした』では通用しないぞ。 さぁ、どうするんだ?」

「え〜と、そのぉ…… 急場しのぎではありますが、正式な実験結果を示した資料の他に、データを、こう、ふわぁ〜っとさせた感じの資料を用意しておりまして、あともう少しお金と時間をかければですね…… なんとか…… それより、お約束の開発費の方は……? こちらももう既に五百万近く持ち出しで設備投資しておりまして……」


 作業服の男は両手をふわぁ〜っとさせるジェスチャーをしながら資料の内容を地水に説明し、言いにくそうに自身の窮状を告げる。


「わかった、もう良い。早く資料をよこせ!」

「え〜と、正式な方か、ふわぁ〜っとさせた方か、どちらのですか?」

「そんなもの、決まっているだろう」


 地水は作業着の男を冷たくあしらい、片方の資料を奪い取って会議の席に戻った。


 そうして、『CoolTOKYO2020』緊急会議がはじまるのであった。

最後までお読みいただきありがとうございました。


創作のコメディではありますが、もしかしたら現実で起こったこと、これから起こることの方が面白いんじゃないかと危惧しております。


よろしければご評価、ご感想などいただければ嬉しく思います。

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[一言] 実は汚水問題に関しては東京とというよりIOCが悪かったり。汚水が湾に流れるのは最初から言われてたことなのに、由比ヶ浜やらなんやらでは「映えない」とやらで...
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