なくたまご
「キュイ!キュイ!」
「暴れないでくれよぉ」
……またもや思考放棄していた俺だったが、今回は目の前の不可思議生物のお陰ですぐに現実へ戻ってこられた。
今いるのは洞窟の奥にある湖、地下湖と呼ばれる物だ。
昨日は暗いしドラゴンの騒動で全く気がつかなかったが、朝に微かに水の音がしたので奥に行ってみると見事に大当たり。
奥なので暗いとばかり思っていたが、一部の天井に穴が空き光が入ってきてる上、洞窟の所々に光っているキノコがあるのでそこまで暗さは感じない。
リュックを置いて近づいて見ると、とても綺麗で水が透けていた。
――ここで初めて自分の顔を見たが中々に可愛らしい。銀髪の髪や小さい体が更に魅力を際立たせる。
ナルシストみたいだがこれで顔だけが男だったりしたら悲惨極まりないからな。
前世の知識で水が綺麗に見えても微生物がどうのこうのという知識は持っていたが……
ザボォン!!
「ぷはぁっ!」
――我慢なんかできるかぁ!
昨日から何も飲んでいないのだ、そこまで高温多湿ではないにせよ限界に近かったのは間違いない。
駄目だとは思いながら頭を突っ込んで水を飲む……涙が止まらない。
日本では当たり前だった筈の事が、今では非常に嬉しく感じた。
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そして冒頭に戻る。
俺は少し落ち着いてから湖に入り、血や汚れを落とす。
何よりグリフォンの子供を抱えていたので粘液が付着しており、服を着るにあたって非常に邪魔。
粘液まみれのこの子もこのまま抱きつかれるとまたネトネトになるので洗い流そうとしていたのだが。
「キューーーーイ!」
「そんなに嫌なのか……」
水が嫌いなのか洗い流されるのが嫌なのか、水に入れようとすると滅茶苦茶嫌がってきて躊躇する。
腕に必死にしがみついてきて、懇願するように見られると何か非常に良心が傷つく。
「分かった分かったよ……そこで待っててね」
「キュウ!」
――良心とのせめぎ合いの末、諦めて地面に下ろした。
俺の言葉を理解してか知らずかこの子は丸まって勝手に眠り出す。
「これでサイズがもう少し小さければ持ち運びやすいんだけどな」
ぶつくさと文句を言いながら自分の体を洗う。大事な場所は見ないようにしながらなので難航したが、幸い血はすぐに取れたので匂いに悩まされることは無さそうだ。
体を洗い終わったら持ってきたタオルで水を拭いて、この子の隣に座る。
体に大量にあったはずの粘液はいつの間にかほとんど消えており、体の翼も乾いたからか先程よりもはっきりとしていた。
「うーん、名前はどうしようか?」
何か名前をつけないと呼びにくいが生憎ネーミングセンスは皆無。
グリ……駄目だ怒られる。
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「体も乾いたし、着てみるか」
結局名前は決まらなかったので気を紛らわす為に服を着てみる。
子供用でぴったりというのが非常に違和感を感じるが、思いきって頭を突っ込んでみる。
大丈夫。俺は今子供、決してロリコンではない。
抵抗も無くすっぽりと入る、肩は真っ赤だが他は膝丈より上、ふともも辺りまでの白いワンピースで着心地は悪くない。
「スースーする……」
流石にパンツを取るのは何かモラルが壊れる気がしたので止めたが、それが原因で非常にスースーする。
ワンピースが短いのもあって走ってるとナニかが見えそうで不安だが、これしか今着れる物がないので我慢するしかない。
他は全てサイズの合わない服やズボンばっかり。
中には完全に炭化していたり、穴だらけで使い物にならなかったりする服もあるので俺は運が良い方か。
モフモフしているグリフォンを抱えながら入り口近くまで戻ってくる。
ありがたい事に入り口から少し離れた所に横穴と小さい空間を見つけた。
ここならばそもそも見つからないし、捕食者が来ても入り込めない。
難点は煙が溜まるので火を使えないのと、俺でも屈まないと入らないほど入り口が狭い上に夜は真っ暗になること。
……外に出てみるともう日が沈みかけてる。
「夕日はどこでも綺麗なもんだな」
「キュ?」
この子は俺の言葉が分からなかったようで首をかしげながら同じように夕日を見つめている。
太陽を見つめていると、段々地平線に沈んでいき……そして見えなくなった。
周りが真っ暗になってからも暫く眺めていると恐らく人間だと思われる集団の光や、炎の煙が森から立ち上るのが見える。
つい先日ドラゴンに襲われていたはずの場所からも炎が見えた、命知らずなのか何も知らないのか……どちらにせよ相当数の人間がこの地域に集まっているのが分かった。
これ以上はこちらも危ないので洞窟の小部屋に戻る。入り口は出っ張った部分に引っ掛けた黒い布で塞いでおいたので光は漏れないはずだ。
―――ここが地球ではないのは今抱えているこの不思議生物からも明らかだが、その事実に気づいて動けているのは何割だろう。
いや、ファンタジーでの転移物はスタンダードなので理解している人の方が多いかも。
今まで人に会わなかったのは運が良かったが、これを見る限りそのうち接触するのは避けられない。
そもそもこの洞窟に誰かが水があると気づけばここに我先と集まりだすかな。
まだそれよりも食料を考えなければならないが、いずれこれからの事も考えないと駄目。
「なーんか、前途多難って感じだね」
缶詰めを食べているグリフォンを見ながら独り言を呟く。
「食料はどうしようか……この子は狩りとかできるかなぁ」
「キュイ?」
考えた俺が馬鹿だった。
こんな生まれたばかりの赤ん坊が狩りなんて普通は無理だ。
どんな肉食生物だってまず狩りを親から教えられるが、この子に教えられる狩りって……
「ああもう!」
考えててもイライラしてくるばかりだ、もう寝よう。
―――毛布も何も無いがこの子が隣に寄り添ってくれて、とても暖かかった。
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「ハァ……ハァ……」
「急げ!捕まるぞ!」
時間は真夜中。
暗闇にすっかり包まれた森を駆け抜けている彼らの顔は、恐怖に歪んでいた。
この森の脱出を試みて元いたグループを分離し、奥地に入って早3日。
50人近くのこの集団は既に10人近くまで数を減らした。
残りは散り散りに逃げたか、‘やつ’に食われたか。
……この世界に呼ばれて既に5日目。
つい先日にドラゴンに襲われて無我夢中で走り逃げ切ったと、そう思い込んだ時には既に‘やつ’の領域へと迷い混んでしまっていた。
大学の修学旅行でバスが崖から転落したと思えば、次に目が覚めたのは見覚えがない森。
最初は異世界であるとはほとんどの人間が当然信じるわけがない。
待っていれば救助が来る、そう誰もが考えていた。
……だが一向に来ない救助、繋がらない電波に減っていくばかりの食料。既に集団内では仲間割れが起こりドラゴンの襲撃が無くても自然と空中分解していたと誰もが認めている。
そして地球では見たこともない生物や植物にくわえて――
「ギエエエエエエ!」
「くそっ!【ライトニング】!!」
突然真横から伸びてきた植物に対して一人の男…祐司が言葉を叫ぶと、その言葉は意味の通り雷となって植物を焼き払う。
そう。
これこそがここを異世界であると認識させる事になった何よりの証拠。
元の世界では【魔法】と呼ばれる力だ。
力の大小はあれど全ての人間が何かしらの魔法を使える事が今まで接触した他の集団からも分かっており、魔法の種類は様々で今分かっているだけで優に70種類を超える。
「へっ、ざまぁ見ろ!」
「祐司!森の境目までもう少しだ!」
暗闇ではあるが、異様な雰囲気のこちら側とは明らかに違い静かな森。その境目まで後数十メートル……だが。
「ギュエエエエエエ!!」
「なっ……」
「何で入り口にこいつらが!?」
横に逃げようとするが、時既に遅し。
気がつけば上下左右、その全てが触手に囲まれていた。
「ふぁっ、ファイアーボーr」
ズガッ!
呪文を唱えようとした女が崩れ落ち、その首からは鮮血が勢いよく吹き出す。
「キャアアアアアア!!!」
「ギエエエエエエエエ!」
悲鳴を上げた女の声が引き金となったのか、更に興奮した触手が一斉に襲いかかり、悲鳴を上げる暇もなく蹂躙される。
「いっいt」
「やめ…」
止めろと言われて止めるような存在ではない。
グチャグチャグチャグチャと不快な音を立てて肉を咀嚼し続ける。最初は呻いていた彼らもいつしか声が聞こえなくなり、最後にはリーダーの祐司だけが残った。
「ごめんなさとみ…ひとし…皆…」
自分自身も既に右手と左足を食べられて動けない。
……そんな無力感に包まれていると体が浮き上がる、とうとう天からの迎えが来たのかと錯覚したが――神様は甘くないようで。
「おいおい、勘弁してくれよ」
浮遊感を感じたのは当然だった、何故なら持ち上げられているのだから。
既に5~6メートルは浮いているが、まだまだ上へと持ち上がる。
「――ははっ…そういう事かよ…そりゃ逃げられるわけないわな」
ここよりもっと上、数十メートルは上に行きハハハッ…と諦めた様に笑う。
彼は今全てを納得した、してしまった。
「皆、今そっちへ行くよ」
全てを諦めたように、何かを受け入れたように笑顔で目を閉じる。
(嗚呼。どうか俺と同じ目に合う奴がいませんように……)
そうして彼は暗闇に覆われ……森はいつもの静けさを取り戻した。