【七日目 ~七月二八日~】
【七日目 ~七月二八日~】
午前八時半。室西がまんじりとしない表情で、自分のデスクに就いた。
昨夜の九時に京都の新町戸市に戻り、その日は自分の職場には戻らず、そのまま自宅へ帰った。
しかし、全くといって休むことはできなかった。彼は一睡もしないまま、職場に出勤したのである。
既に様助は出勤している様子ではあるが、彼のデスクはからっぽであった。
「ああ、室西君。お疲れ様。昨日はゆっくりできましたか?」
「警部。からかわないでください。休めるわけがないですよ。警部は、今朝は早いですね。何時に来られたのですか?」
「昨日ここに戻って、そのまま朝までいました」
「報告書でも書かれていたのですか?」
「まあ、そんな感じです」
「まめですね。しかし結局、人形が相手では我々人間や国家権力は無力ということですかね。せめて、最後の元少年、鬼居塚の居場所でも分ければ、何とかできたのかもしれませんが……。既に今日が殺害予定の当日。もうどうしようもありませんね。やれやれ」
「事件は防げないかもしれませんが、鬼居塚の所在はわかりましたよ」
「そうですか……、……えっ! 嘘でしょ! いつですか?! どうやって?!」
「まあ、判明したのは今日の未明になりますが……、まあそれについては、お茶でも飲みながらゆっくり語りましょうか」
様助はどこまでも呑気であった。
「それでは、何からお話しましょうか?」
室西が二人分のお茶を用意して、喫煙室の一角を占拠するように座ると、様助はこう切り出した。
「鬼居塚の居場所をどうやって見つけたかです。夜逃げをした鬼居塚は、おそらく住所不定の状態。警部には何か当てがあったのですか?」
「そうですね。そこからお話するのが流れですね。実は具体的に、鬼居塚を見つける手があったわけではありません。所在が分かったことについても偶然です。まず私は、夜逃げをした鬼居塚が、どこに行くかを考えたのです」
「どこへ行くかですか?! 何か鬼居塚にどこかに行く目的でもあったということですか?」
「どこかを目指すという限定的な目的ではありません。むしろ、そのようなものがあれば、逆に探すことは絶対に無理です。
目的の場所ではなく、夜逃げして行くあてのない者が、ホームレスとして生きていける場所は限定されるということです」
「それは、つまり……」
「田舎はまずあり得ません。田舎にホームレスがいるのを見たことがありますか? また、中小規模の地方都市も考えにくい。店は夜九時ぐらいには全て閉まるし、場合によっては、駅すら追い出される可能性が大きいでしょう。
つまり、大都市ぐらいしか、ホームレスなる人々を受け入れることができる場所はないのです。一晩中起きている大都市ぐらいしか。
そう絞っていくとかなり限定されます。鬼居塚の最後の潜伏先の宮城県来呂見町も、そこそこの規模の都市部ではありますが、いかんせん東北地方の冬は寒いです。住居があればいざしらず、ホームレスとして生きていくのは、西日本出身の鬼居塚にとっては、難しいでしょう。
そうやって、南下していけば、先ずヒットするのが、大都市東京。その中でも一番大きな都市を有する西ヶ宮区古安田町。先ずはその町の交番や、警察の苦情処理係に連絡をしてみるところから始めました」
「苦情処理係? 何故ですか?」
「鬼居塚が助けを求めているのではないかと考えまして……、むろん、全て確率論ではありましたので、全くの見込み違いの可能性も当然考えられますが、結果は、最初に古安田町の一つの交番に連絡をとって、鬼居塚がヒットしました」
「鬼居塚が助けを求めているという部分が良く分からないのですが……」
「鬼居塚としては、鮫島、虎児の殺害を知れば、当然、次は自分と考えるはずです。それで殺されることに対して、普通助けを求めるなら警察でしょう」
「警部。それは無理です。おそらくは、警部のおっしゃるとおり鬼居塚はホームレスですよ。そのホームレスが、どうやって鮫島や虎児の殺害を知ることができるのですか? それも我々だからこそ、鮫島と虎児の事件についての関連性を今は分かりますが、ニュースではそれは分からない。それも東京からすれば、京都も愛知もどちらも地方。東京で大々的に報道されているとは考えにくいのですが……」
「室西君。確かに十年前の時代であれば、君のおっしゃる通りです。でも、今はインターネットがあります。そして、ホームレスでも、インターネットカフェに行けば、簡単にインターネットにアクセスできる。
そして、これは推測の域を出ませんが、鬼居塚と鮫島、虎児はまず間違いなく何らかのアクセス手段を持っており、お互いの近況が把握できたはずなのです。鬼居塚は、十分すぎる情報を持つことができたと思いますよ」
「分かりました。さすがは警部です。しかし、東京都西ヶ宮区古安田町が大都市といっても、偶然とはいえ、運が良すぎます。古安田町一つでも何十という交番があるのですから……、それも鬼居塚というホームレスの話なんて、普通まともに警察は取り上げませんよ。交番に飛び込んだからって、よくその警察官はそんなの覚えていましたね。自分から言わせれば奇跡の域の確率です」
「確かに、西ヶ宮区古安田町は東北から最も近い大都市ということで、かなりの高確率とはいえ、ヒットしたのはラッキーでした。当てが外れれば、別のところを潰していくという地道な作業が始まるわけですから……。
それでもそこさえクリアすれば、交番の数や警察官が覚えているかどうかは、杞憂ですよ。実際に警察官は覚えており、仮に別の交番から始めてもヒットしたでしょう。
実際、鬼居塚は鮫島が殺害された七月二一日から、ずっと古安田町どころか西ヶ宮区の全ての警察関係に、自分は殺されるから助けてくれと言って回ったらしいですよ。それも、同じところに何十回も……。おそらくは、この一週間、一瞬の休む間もなく警察を回っていたのでしょう。
西ヶ宮区の警察の間では、この一週間で誰もが鬼居塚の名前を思い出せるぐらい有名になっていたようですから」
「しかし、鬼居塚は本名を使っていたということですか。偽名なら全く探すことができなかったわけですから……」
「亜麻里千代の手からのがれるためには、警察に全てを洗いざらい話さなければいけなかったわけですから、本名を名乗るしかなかった。
でも、結局は荒唐無稽なホームレスのたわごととして一度もまともに相手にはされなかったようですが……。私が鬼居塚の情報を得た交番勤務の警官の話では、全く警官本人に信じられてはいなかったようですが、驚くべきことに、今日までに、我々が知りえた情報は、その警官は、ほぼ把握していましたね。しかし、警察は事件が起きないと動けない組織ですから、鬼居塚は放置されたわけですね」
「すごい! さすがは様助警部! 今日の未明にそれが分かったということは、今度こそ、亜麻里千代の先手がとれたということですね。それで、今、鬼居塚は警察に保護されているということですね」
「……そこについては、室西君のご期待には沿えないです。鬼居塚は警察に保護されたり、身辺警護されたりはされていないですから」
「えっ! しかし様助警部が事件の真相を語り、口添えしたなら、いかに荒唐無稽に聞こえる話でも、警察は動くのではないですか? 東京でも様助警部の名前は有名ですから……」
「……私はその話を古安田町の警察官から聞きましたが、特にこちらからは何も話さず、連絡先だけを告げて電話を切りました」
「えっ! 何故?! 防げる事件は全力を尽くして取り組むのが様助警部の信条だったのではありませんか? このままでは鬼居塚が殺されてしまいます! 警部!! いくら人ならざるモノが相手であろうと、それに立ち向かわないのは警部とは思えないほどの弱腰です!」
「室西君からそう思われても致し方ないかもしれません。でも、私には深い考えがあってのこと。その釈明の時間をいただけますか?」
「……今は、古安田の警察に連絡をするのが先です。失礼します!」
室西がそう言って立ち上がりかけた時、一人の同僚が、二人のいる喫煙室に飛び込んできた。
「ああ。様助警部。ここにいましたか。警部にお電話です! 東京の古安田町の警察からで大至急ということで、そのまま回線がつながったままです! 急いで、デスクの方に……」
「ああ、まだここにいましたか。室西君」
そう言うと、様助警部は喫煙室に戻ってきた。
室西は様助が、デスクに戻った後も、喫煙室で一人煙草をふかしていた。
室西には、今回の様助の行動は許せなかった。
いや、鬼居塚を放置した件だけでなく、昨日の千代という人形との邂逅でも、様助は全く千代を調べることすらしなかった。
そう言えば、一昨日の亜麻里ふゆ刀自の前でも、この事件は自分の手に負えないと言い切っていた。
完全な敗北宣言だ。いや、不戦宣言に等しい。
無残な殺され方をした亜麻里美紗子への同情か? 確かに室西自身もあの六倉事件には憤りを感じている。
それがきっかけで警察官になった室西にしては、あの三人の元少年は絶対に許せなかった。
しかし、それでも彼らが殺害の対象になっているのであれば、それを未然に防ごうとするのが警察ではないか。
彼らを救って、改めてしかるべき罪は償わせるべきである。
そう感じている室西にとって、今回の様助の行動は、いつもの様助とは思えないものであった。
“もしかして、自分の身に危険が及ぶのを恐れて……”
そこまで考えて室西は、自分の考えの卑劣さをさすがに否定しようとした。
しかし、一度浮かんだその考えは頭にこびりついて離れない。
自分は様助という人物を根本から見損なっていたのであろうか?
優秀な上に人情味溢れ、己の身を顧みず、悪に断固として立ち向かい、決して悪に屈しない。
そのような人物であると室西は、様助のことをずっと敬い、慕ってきた。
しかし、本当は自分の身に危険が及ばない範囲でのみ行動し、自分の身が危うい場合は、それを回避するためには全ての他を犠牲にすることも厭わない卑劣漢であったのではないか。
室西としては、そこがはっきりしない限り、これから様助を信頼することが出来ない自分であることを理解した。
先ほど、様助は釈明したいと言っていた。
まずはそれを聞くべきである。
警部は弁舌もうまい。
もしかすると丸め込まれるのかもしれないが、それでも信念に基づいている自分が、様助の言い訳に丸め込まれないと確信していた。
それが、能力を超えた信念の強さと室西は確信している。
「……」
それでも、様助が室西を喫煙室で見つけて声をかけた時には、返事を返すほどの余裕を室西は持っていなかった。
「昨日、私に対応してくれた古安田町の警察官からの電話でした。端的に申しますと、鬼居塚吉郎が殺害されたことを伝えてくれました。
殺害時刻は今日の未明だったそうです。死因は頸部粉砕によるショック死。首には着物の切れ端が巻かれ、指紋がついた小さな指の跡が五つあったそうです。
その警察官によると、昨日の私の電話のこともあり、私に捜査協力を依頼したいそうです。間もなく、その通達がこちらに届くようですが、室西君もご一緒にいかがですか?」
「警部は……」
室西がポツリと呟いた。
「いわゆる事件をお調べになるのがお好きなようで、事件を未然に防ぎたいとかいうお考えはなさそうですね。今日未明に鬼居塚が殺されたのであれば、対策によっては、鬼居塚を救えた可能性もあるのではと、自分は考えてしまいます。
申し訳ありませんが、自分は警部と一緒にこの事件にかかわる気が失せました。東京へはお一人で行って下さい!」
「……やはりそう言うと思っておりました。室西君のその実直さは、私も好きですが、もう少し周りが見えた方がいいと私は考えます。今の室西君に、私の釈明をお聞きになれる余力はございますか?」
「……分かりました。聞きましょう。警部はお話がお上手ですが、それでも今回は上辺の言葉には騙されません!」
室西ははっきりとそう言った。
「それではお話いたしましょう。でもその前に、先ず私からあなたにお聞きいたします。もし、室西君が私の立場で今日の未明に古安田町の警察に電話をして、鬼居塚の居場所が分かり、事実を知った場合、どういたします?」
「それはもちろん!」
室西ははっきりと答えた。
「古安田町の警察に鬼居塚の身辺警護を依頼いたします!」
「その後、室西君自身は、いかがしますか?」
「パトカーを手配して、すぐに古安田町に向かいます!」
「室西君ならそう答えると思っておりました。しかし、室西君はおそらく事件には、――つまり亜麻里千代の鬼塚襲撃には間に合わないと思えますが……」
「ですから! 古安田町の警察に鬼居塚の身辺警護を依頼するのです! さっきもそう言ったではありませんか!!」
室西が興奮で顔が真っ赤になった。
「室西君! 落ち着いてください。ここから核心部分に入ります。むろん推測の域を出ませんが……。
室西君は間に合わない。亜麻里千代は予定通り、鬼居塚を殺害するために古安田町に現れるでしょう。そして、室西君の依頼した古安田町の警察官が鬼居塚の身辺を警護するために、鬼居塚を探し、彼を無事に殺害される前に見つけたとしましょう。
身辺警護の警察官は、おそらく二人か三人。そんなところですかね。いかがです室西君?」
「ええ。そんな感じです」
室西は様助に騙されないように深く考えながら、それでも流れは警部の言ったとおり、そのような感じで間違いないと思った。
「鬼居塚を殺しに現れた亜麻里千代。鬼居塚を守ろうとする古安田町の警察官。恐らく、鬼居塚が生きている段階であれば、両者は直接接触するでしょう。いかがですか?」
「はい。……そうだと思います」
室西の心の中に何かが引っかかりだした。
「一方は鬼居塚を除こうとする。もう一方は鬼居塚を守ろうとする。両者の利害は相反しているように思えます。話し合いで解決できるのであれば、問題はないですが……。恐らくは、力によりお互いの利益を押し通そうとするはず。つまりは亜麻里千代と古安田町の警察官たちは争うことになる。室西君。いかがですか?」
「はい……」
この瞬間、室西は、とても大事なことを見落としている自分に愕然となった。
「結果は? 室西君の推測で構いません。両者が争った結果はどうなりますか?」
「……警官たちが負けると思います」
室西とは思えないか細い声であった。
さっきまでの正義漢の室西は、そこにはもういなかった。
「負けるとは?……、室西君! これは試合ではないのですよ。負けるとはどういう状態ですか? 室西君! はっきりと君の口で答えを言ってください!」
「警察官は全員、千代に殺されます! そしてそのあとに鬼居塚も……」
室西は大声で怒鳴るように叫んだ。
誰に聞かれるという憚りはこの時の室西にはなかった。
叫ばなければこの残酷な答えは、彼の口からは飛び出すことはできなかったからである。
「……室西君。つらい思いをさせました。ごめんなさい」
様助が室西に頭を下げた。
室西の叫び声に喫煙室にかけつけた刑事たちを様助がさばいた後、室西に優しく諭すように様助は話を続けた。
「室西君。君にそこに気づいてほしかったのです。少し荒療治になりましたが……。つまり、鬼居塚の殺害を阻止するということは、鬼居塚や亜麻里と全く関係のない古安田町の警察官の命を犠牲にするということなのです。
そして、鬼居塚の殺害もその犠牲があってなお、防ぐことができないでしょう。
あるいは、なにかの偶然が重なって奇跡的に鬼居塚が千代によって殺されなかったとします。そしてそれは、鬼居塚をさらに苦しめることになるのです。
これも、あくまでも私の推測ですが、おそらくは真実に限りなく近いでしょう。鬼居塚は千代に殺されることによって、少なくともこの世での生き地獄からは解放されるのですから……」
「……えっ?」
この時の室西の思考は完全に停止していた。
様助の理論が全く理解できなかったのである。
「元少年の三名家。鮫島家、虎児家、鬼井塚家は一族全てが滅びました。病死、事故、自殺等死因は様々ですが、三年以内に元少年から連なる三親等の人々は全て亡くなりました。
私がそれらの死について、六倉の柳井元署長にお願いして具体的に確認したところ、その死に一つとして安らかなものはありませんでした。
中には気が触れて、走行している車の前に飛び出したという事例もありました。表面上は交通事故で処理されていますが……。三年以内に三家の三親等全ての死。それは、どう言い繕っても、人ならざるものによる呪いとしか表現できません。
しかし、真っ先に呪い殺されてもおかしくない元少年の三人だけは例外のように生き残りました。生き残ったといっても、財産は全くなく、やせ細った見た目が老人のようになっていました。おそらく、肉体だけでなく精神的にもかなり追いつめられている状態だったのではないでしょうか?
つまり、彼らも千代による呪いを十分に受けていたのです。そしてその呪いは、おそらくは四六時中彼らを蝕んだと思います。彼らはこの六年間、一時も休まることがなかったのでしょう。寝ているときもそうであったと思います。
もしかしたら、一瞬ぐらいは、休まるときがあったかもしれませんが、それも、この状態の元少年たちにとっては地獄でと変わりません。ひたすら続く責め苦の方が、時に気が休まる時間がある責め苦より、心理的に楽なのかもしれないのですから……。
彼らの肉体が老人のようになっていたのは、心身ともにそれほどの苦を受けていたという証でしょう。そんな心身の状況、それも精神的にかなり追いつめられたようになっていたにも関わらず生き残っていたのです。
私も最初は、よく生き延びていると不覚にも思ってしまいましたが、実は生き延びているのではなく、死なせてもらえないのではと考えた時、この呪いの深さに戦慄いたしました。
元少年は人間の世界に身をおきながら文字通り地獄を味わっていたのであると思います。
よく、生き地獄という表現をしばしば我々はしますが、それは表現としては大袈裟な場合がほとんどです。どのような残忍な殺人事件も、人は死ねば、一応はこの世からは解放されます。死体にいくらそのあと、物理的攻撃をしても死体に苦しみを与えられないという意味です。
でも、本当の地獄は、死に及ぶ苦しみを受け、――あるいは全身炎で焼かれるといった状態で、死に至ったとしても、しばらくして涼しい風が吹くと、亡者たちは生き返るそうです。地獄絵巻の八大地獄のうちの等活地獄というところの話らしいですけど……。つまり、死に至る苦しみを何回も何回も味わうのが地獄です。
元少年はそれに等しい苦しみを延々、美紗子の七回忌までの六年間味わい続けたのではないでしょうか? 飢えの苦しみ、気が触れるような苦しみを味わいながら、餓死も自殺も許されず、あまつさえ狂うという状態、一瞬はあったのかもしれませんが、おそらくは千代の力で、また正常な精神状態に引き戻されるの繰り返しだったのでしょう」
「恐ろしい……! それほどの呪いを亡くなった美紗子が抱いていたということですか?」
「幼くしてなぶり殺しにあった美紗子の霊の呪いも当然あるとは思いますが、私はおそらくそれだけではないと考えています」
「……とおっしゃるのは?!」
「亜麻里家と鮫島家の先祖代々の確執。そして、三人の元少年の数々の凶行の被害にあった者たちの度重なる恨みが、全て亜麻里千代の中に蓄積されたと私は考えております。
未だに、六倉には元少年たちのグループに輪姦されて精神的に癒えず自宅に引きこもっている女性や、暴行によって失明した人、聴力を失った人、一生車いすの生活を余儀なくされた方などが、三十人は下らないと聞きました。そして、それらを苦にして自殺した被害者もいたそうです。それらすべての死霊、生霊が亜麻里千代の中に集まったと考えるのが自然かもしれません。
実際に元少年の三人以外の元少年グループの少年や少女たちも、元少年たち三人の家族とは関係ないにもかかわらず、亜麻里美紗子が亡くなってから、おおよそ三年以内に皆、亡くなっていますので……」
「ぞっとする話ですね。それで警部は、香川の法國寺でも亜麻里千代が鬼井塚を殺すために、蔵を抜け出すことを誰にも伝えなかったのですね。そんなことをすれば、法國寺の寺男たちが、亜麻里千代を監視し、千代が動き出すところを目撃し、そしてそれを阻止しようとした場合は、殺されると確信したからですね」
「室西君のおっしゃるとおりです。あるいは、鬼居塚殺害前なので、目撃しただけでも殺されたかもしれませんね。このことは法國寺の最も高位の住職には、私が話をしているので、ご存知ではありますが、そのご住職もそのことは誰にも話していないようですね。
実際に香川から東京まで一瞬にして移動でき、片手で成人男性の脛骨をへし折る怪力の持ち主ですから。
あっ! それからまだお伝えしていない事実がありました。なんせ、室西の興奮が半端なかったので……」
「警部。それは、反省しております。警部の深い洞察にも気づかず……。ところでまだ自分に伝えていない事実とは……」
「鬼居塚は、サバイバルナイフを所持していました。恐らくは、亜麻里千代に対抗する武器として入手したのかもしれませんが、そのナイフの刃がありませんでした」
「千代によって、へし折られたのですか?」
「いいえ、溶かされていました。そのサバイバルナイフは、ステンレス製だったようですが、殺害現場近くの道にまだ半分液状化のステンレスの塊があったそうです。原型は全くとどめていなかったようですが、刃渡り五十センチ程度の刃の形成する量ぐらいの塊だったようです。
ステンレスの融解温度は、私も詳しくは知りませんが、おそらくは千から千五百度程度。そのような超高温も亜麻里千代は操れるということです」
「……。警部、最後にもう一つお聞きしたいのですが……」
「何でしょう?」
「警部は亜麻里千代の元少年たちに対する殺害が、彼らの生き地獄からの解放という意味合いを持っていることについて確信がおありのようですが、それはなぜですか?」
「それについても推測の域を出ませんが、六倉の七回忌について少し調べたところからの結論です」
様助が続ける。
「六倉の七回忌は、亜麻里家の当主ふゆ刀自のおっしゃったとおり、命日から前後七日の十五日間行われるそうですが、そこには深い意味がありました。
つまり、十五日間祈り続けることによって、どんなにこの世に未練を残してこの世にとどまっている霊も、気持ちを鎮めることができ、次の世に転生できるという考え方から来ているようです。
これはかなり信憑性のある伝統行事のようですから、亜麻里美紗子の霊も、今日の七回忌の最終日をもって、救われるということになります。
もともと亜麻里千代の中に集まった霊たちは亜麻里美紗子の霊を中心に添えての怨霊の集合体です。亜麻里美紗子の霊がこの世から消失すれば、さすがに千代の中に留まり続けるわけにはいかないでしょう。
……であるからの千代による最後の仕事が、生き残らせていた元三少年の殺害だったのでしょう。そして、さすがの怨霊たちも六年間の彼らの苦しみを存分に堪能したことによって、徐々に恨みが薄れていったと思われます。
まあそうは言っても、彼らのこの世での地獄は全て終わったかもしれませんが、来世でも償い続けることになるのではないかと私は思っています。来世があればのお話ですが……」
様助の悪に対する厳しさがこの言葉に溢れていた。
「先ほどは、最後の質問と言いましたが、細かい事柄なのですが、もう一つ気になったことが……」
「なんでしょう? なんでも構いませんよ」
様助がニコッと笑った。今までの言葉の厳しさとのギャップを感じさせるほどの、屈託のない笑顔であった。
「それでは……、愛知の虎児文武殺害現場を訪れた際、部屋に全く陽射しが差し込んで来なかった、あの現象は何だったのでしょうか?」
「私にもあの現象は推測しかできませんが、おそらくは千代による超自然現象の一つではありましょう。それほどの力を千代は持っていたことになりますが、そこから考えられるのは、鮫島、虎児、鬼居塚の三人には、美紗子殺害以来、陽射しを全く浴びることが出来なかったのかもしれません。
それであれば彼らの、黒ずんで老人のように枯れ果てた肉体も納得できます。しかし本来ならば陽射しを浴びなければ、人は生きていけませんが、彼らはそれでも死ぬことが許されなかったのでしょう。恐ろしい話です」
「……」
「さあ、室西君。これから東京に参りましょう。鬼居塚の事件について、しっかり調べ、ふゆ刀自と柳井元署長に全てを伝えなければいけません。これが、我々に課せられた使命で、亜麻里千代は、その真実が亜麻里家と六倉町に代々伝わることを我々に託したのであると、私は確信しています。
今日、何度目かの確信ですね。ついては、同行していただけますか? 室西君」
「はい! 本当に警部の心証をお疑いして申し訳ございませんでした。自分はどこまでも警部についていきます」
室西は本来の晴れやかな顔に戻り、喫煙室から自分たちのデスクへと戻ろうとした。
「ところで室西君」
「はい、警部。まだ何か?」
「総務課の三津山君から、今回の一連の出張について詳しい説明を聞きたい旨の申し入れがありました」
「ユミちゃんからですか! 出張の復命にはまだ時間があるはずですが……」
「どうやら、個人的に興味を持った感じでしたね。……しかし、私には三津山君に真実を伝える使命はありません。そちらは、室西君。あなたにお願いいたします」
「……け・警部。じ・自分でいいのですか?」
室西の顔がみるみる真っ赤になった。
「わ・分かりました。じ・自分から、ユ・ユミちゃん……、じ・じゃない、み・三津山さんに、お・お話させて、い・いただきます」
「そうですか。それは助かります。しかし、かなり複雑な内容ですから、一時間や二時間じゃ終わらないかもしれないですね。食事にでもお連れしてじっくりお話するのがいいと私は思いますね。いかがですか。室西君!」
様助と室西が自室に戻った時に、様助のデスクの電話がちょうどなった。
様助が電話に出ている間、室西は自分の椅子に腰かけていたが、半ば放心状態であった。
様助から言われた後半部分の言葉をひたすら頭の中で反復していた。
「室西君!」
様助のこの言葉に室西はハッと現実に引き戻された。
「香川の法國寺の住職から今、電話がありました。我々を千代の元に案内した寺男が、昨夜の我々の言動が気になって朝方、千代のいる蔵に入ってみたそうです。そしてその寺男の目の前で千代が崩れ去ったそうです」
「えっ!」
「亜麻里千代は、寺男が目撃した最初はかろうじて原型はとどめていたようですが、大半はボロボロの土くれのようになっていたそうです。そして、寺男の見ている目の前で、みるみる完全な土くれと化したそうです。
千代の着ていた着物はその場で燃え上がり、やはりひとつまみの灰と化したそうです。目撃した寺男はそのまま、寝込んでしまい、うわ言のようにそれを呟いていたそうです。住職が寺男に代わって私に報告してきました。
これでどうやら、証拠の品は全て失われてしまったようですね。まあ、これで、東京の次に香川に回ってから、広島の六倉に行かなくてはいけなくなりました。さあ、室西君。先ずは総務にそのことを伝えてきていただけますか? お昼前には、出立したいので……」
「わ・分かりました!」
室西がうきうきした足取りで、総務課に向かった。
それを様助はクスッと笑いながら、ずっと見守っていた。
(完)