【三日目 ~七月二四日~】
【三日目 ~七月二四日~】
「わざわざお越しくださりご苦労さまでございます」
広島県六倉町にある小さな警察施設の一室に、様助警部と室西警部補は通された。
「しかし、昨日の電話には驚きました。まさか、あの鮫島敏夫が殺されたとは……、具体的なお話を聞きたいものです」
「もちろん全てをお話しさせていただきます。あなたがこの町の警察署長さんということで……」
「これは失礼いたしました。署長の柳井元と申します。よろしくお願いいたします。京都の様助警部とおっしゃれば、警察業界で知らない者がいないぐらいのお方。わざわざこんな田舎町までお越しくださり恐縮です」
柳井元と名乗った署長はニコニコと笑いながら、様助警部に握手を求めてきた。それから十分程度は、様助警部から柳井元警察署長へのこれまでの経緯がかいつまんで話された。
「……それで、こちらの布きれが被害者の首に巻き付けられていたのですが、この布を柄が何かはおわかりになられますか?」
「もちろんです。これは、六倉町に昔から伝わる六倉織の柄です」
「やはりそうでしたか。私も六倉織は少し調べさせていただきましたが、江戸時代中期に、この町の領主である六倉三左衛門が、各地の織物職人を城下に招いて織らせたもので、この地域にしか伝わっていない織物だそうですが、全国に愛好者も多数とのこと。お恥ずかしい話、昨日調べるまで私も六倉織は知りませんでした」
様助警部はそう言うと頭をボリボリとかきながら苦笑いをした。
「いえいえ、知らないのも無理はございません。六倉織は、その技術が六倉町外に広がるのを恐れて、町の中の限られた職人しか作ることができません。全国にいらっしゃる愛好者の方々にも注文してから三年は待っていただいている有様です。
それより、今日は実は愛知からも来客がございます。不思議な話ですが、昨日様助警部と電話で話してから二時間程度後に私の元に電話があり、先ほどこちらに到着したばかりです。様助警部殿もご一緒に会っていただけますか?」
様助警部と室西警部補は一瞬、お互いに顔を見合わせた。
「署長殿。その愛知からの来客というのは?」
「愛知県法組市の警察の方です」
「ああ、貴方が様助警部ですか? お噂はかねがね。私は愛知県法組市警で警部をしております米増と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。私が様助で、彼が同じ京都の新町戸市警察の室西です」
柳井元署長の紹介で、様助警部は愛知の米増と名乗った警部と初対面の挨拶を交わした。
「今、様助警部に引き合わせた米増警部もある殺人事件に関わっており、真相を探っているうちに、この六倉町に辿り着いたというわけです。その殺人事件の被害者は……」
「六年前の六倉事件の容疑者であった少年の一人ですね」
「さすがは、様助警部ですね。お噂通りだ! その通りです。愛知県法組市警管内でおきたその殺人事件の被害者も三人の少年の一人、虎児文武ということなのです」
「そうですか。それは興味深いですね。これでこの事件は、六倉事件が大きな鍵を握ることがはっきりとしました。柳井元署長。詳しく六倉事件の真相をお聞かせ下さい。事件としての詳細は、ここに来る前に一通り報告書なるものを読みましたが、どうやらそこには記載されていない事実が多々ありそうですね」
「分かりました。私も子供の頃から六倉町にいた人間として、真相をお話ししましょう」
柳井元署長は重い口を開いた。
「まず、六倉町は全く事件のない穏やかな町ということで当時報道されておりましたが、実はそうではございません。実は窃盗や恐喝、器物破損や、ぼや程度の放火、傷害や強姦など多くの犯罪が日常茶飯事的に起こっておりました。
そして、それらの事件は全て三人の少年とそのグループの仕業であり、――むろん三人の少年とは、六倉事件の三人の少年、鮫島敏夫と虎児文武とあと一人、鬼居塚吉郎の三人のことですが――彼らの犯罪は、死者が出ないものの巷の凶悪事件となんら変わるものではなかったのです!」
温厚そうに見える柳井元署長の憎しみへの怒りがその表情と声色に宿っていた。
「しかし、これらの多くの犯罪は一つとして事件として扱われなかったのです。なぜなら、三人の少年――、鮫島敏夫は、江戸時代、六倉町の領主であった六倉家の末裔。虎児文武の父親は、六倉町の産業を一手に引き受けている『ことら建設グループ会社』の会長。そして、鬼居塚吉郎の祖父の鬼居塚新八はその当時の六倉町の町長で、七期二十八年勤めている大物でした。つまり三人のその少年たちは、身分は少年かもしれませんが、地元の警察組織すらおいそれと手を出すことのできない治外法権的な存在で、町の者は誰も彼らの行為に逆らうことができなかったのです。
そのような中で起きたのが、亜麻里美沙子の拉致及び殺害事件です。当初は鮫島たち三人も美沙子を拉致して強姦するまでが目的だったようですが――むろんそれも凶悪な犯罪ですが――、あまりに乱暴に扱ったために、か弱い美沙子は死に至ったようです。
当時の彼らの供述から、それは事実だと確信していますが、その後、さすがに彼らも殺人に発展してしまったことに動揺したのか、それぞれの家からバールやハンマー、あるいはのこぎりとかを持ち寄って、被害者の顔を潰して、本人と特定できないようにし、身体をバラバラにして、死体が見つからないように犯罪を隠ぺいしようとしました。しかし、さすがにそれは失敗したようで、亜麻里美沙子が拉致された祭りの翌日、少女は無残な姿で発見されたのです」
柳井元署長の話は続く。
「さすがに六倉町民並びに六倉警察もその残忍性と、今までの事柄へ対する堪忍袋の緒が切れたのか、この時は鮫島たちをすぐに容疑者として検挙しました。しかし、権力の力は絶大です。彼らの親たちは優秀な弁護士などを雇い、偽の証拠をでっち上げ、ついにはどのような卑劣な手を使ったかは分かりませんが、美沙子の十二歳上の兄である悟に美沙子殺害の自白をさせてしまったのです。
その三日後に悟は首をつって自殺しますが、――むろん誰もそれを自殺とは信じていませんが――、とにかく真犯人が出てきたことによって、三人は不起訴となったのです。
不起訴にはなりましたが、さすがに彼らと彼らの親も、このまま三人が六倉町に居ては、どんなことが起こるか分からないため、それぞれ理由を付けて、数日の間に三人の少年は、六倉町からこっそりと離れました。これが六倉事件の当時は報道されていない裏の真相です!」