第3話 佐々岡めぐり先生
「先生そこは……あ……」
自分より小柄な彼女に、なぜか抗うことができない。
薄暗い部屋の中、壁まで追いやられてへたり込むと、彼女の体が、俺の脚を押し広げながらさらに近付いてくる。
「いいじゃない。ほら、君もこんなになってるんだし」
服の上からでも感じる、細く滑らかな指。
最初は膝を撫でていたのが、ゆっくりと焦らすように内腿へ、指の先や手のひらで俺の反応を楽しんでいるようだ。
年上の余裕を感じる。
それでも、童顔の効果で実年齢をあやふやにしてしまう。
「ん……!?」
その幼い顔が不意に俺との数センチの空間を埋めた。
柔らかい感触、匂い、音。
脳味噌が溶け出しそうな感覚に陥る。気持ちがいい。癖になりそうだ。
「もう先生だからって我慢できないの」
先生はおもむろに服を……。
――『若い女教師と男子生徒』
なんて字面をセットでイメージすると、どうしてもこんな感じでえっちぃ妄想をしてしまう。
混ぜるな危険的な言葉って確かに存在するよね。
そう、例えば『活発なドジ』とか。
元気が有り余ってもう鬱陶しいレベルで行動力があるのに、その勢いのままドジを踏むから、踏み続けてしまうからとても厄介極まりない。
「ごめんなさい……」
背中から佐々岡先生が元気のなくなった声で詫びを入れてくる。
靴下だけになった先生の足を地面に落とさないよう腕にしっかりと力を入れ抱え直す。
年上(六つ上)を子ども扱いしてるみたいで気が引けるな。
俺はもちろんちゃんと靴を履いている。
「ほんと置いてけばよかったです」
女の人をおんぶなんて初めてだ。
男子同士で力比べでならやったことがあったけど。
それでも俺は決して背中に神経を集中させたりなんかしていない。
そもそも、制服と中に着ているワイシャツが厚い壁となっているのだ! 柔らかい感触を楽しんでなんかいないってば! ほんとうだ! そんな大きくないし。……ッハ?!
「だって守藤くんがいうこと聞かないんだもん」
「あんな解りにくい説得で断念するわけないじゃないですか」
「これしかないと思ったんだけど」
ちょっとカッコつけて「よろしく」なんて言っちゃったから「やっぱ来なくていい」とは恥ずかしすぎて口に出せなかった。
最初のうちは。
だけどドジっ子を次々と発揮していく先生を見てるうちに、恥なんてゾンビにでも食わせとけばよかったなんて後悔の念に駆られている。
中央高校の避難口前の柵から脱出した俺は逃げ出した方向――北にすぐ広がる住宅地、そこの武家屋敷が保存されている地帯を目指すことにして、新たな仲間となった佐々岡先生と民家の敷地を横切っていった。
先生がその家の住民に許可を取りながら……。
外出していて無人の民家を通る時もわざわざインターホンを鳴らして確認するし、縁側で話し込んでるおばあちゃんたちには外は危険だと注意して回るしで時間がかかった。
俺は普通に無視して突っ切って進もうとしていたので何件目かで痺れを切らして「非常時なんだからそんなことしなくても」と、ちょっと諭してみたら「そうだった!」って忘れてたんかい!
善意が先行して自分も窮地に立っているということを忘れているパターンだ。
体育館での説得ミッションみたいに時間を余計に食うと思ってあえて黙ってたのに的が外れた。
「私重くない?」
「大丈夫ですよ。俺より小さいんだし。ほら、ここで砂利道も終わりますし。そこの屋敷に入りましょう」
「小さくないですよ、一六〇センチあります!」
先生の靴は最後のお宅訪問先で焦って忘れてきたみたいだ。
なんですぐに気づかなかったんだよ。
民家を抜けると、武家屋敷の一帯へまだ整備されていない砂利道が続いていた。
ここで靴下だけの足に気づいた先生を石が痛くて歩けないからおんぶということになったのだ。
まさに『活発なドジ』っぷりである。
「ありがとう。それで屋敷に入ってなにするの?」
先生を降ろして目当ての武家屋敷にお邪魔する。
「作戦会議ですよ」
「まだそんなに学校から離れてないじゃない」
「こうするんです」
屋敷の重々しい木の門を閉め、鍵は……この板を引っかけるのだろうか。
観光スポットとして保存されているここは、昔のままの板塀で囲まれている。
「これで外からは入って来れないし、塀が遮ってくれるので中も見えません」
「そうだけど、よじ登ってくるかも」
「そこまでゾンビの知能と索敵能力が高くないことを祈ります」
「ゾンビ? あの人たちが?」
「まあ、それも含めて話します。というか俺もよくわからないんで一旦情報を落ち着いて整理したかったんですよ」
どうしてこうなったのか。
※
『宏前城跡地からまた人骨が――』
「あー、早く帰りたいねぇ」
これから患者が運び込まれてくるなんてついてない。
十八時の定時で終わって今から帰るって時に限ってこうだ。
休憩室でテレビなんて見て立ち止まらければよかった。
「そんなこと言わないでくださいよ。私たちもいますからね?」
それがなんの励ましになるのやら。
成田くんはいつもそうだ。
「このあと成田くんが慰めてくれるなら何も言うことないんだけどなぁ」
「セクハラですよ先生」
「なんのことかな」
相変わらず仕事中は堅物だねぇ。
ギャップ萌えってやつ? 狙ってるのかな。
「先生、そろそろ気を引き締めてください。先程お伝えした通りですが……」
「はいはい、患者は出血多量で意識不明、外傷は首の噛み傷だっけ? 吸血鬼のシリアルキラーでも湧いたのかねぇ」
「先生、隠語を……」
「関係者しかいないんだからいいだろ? あれめんどくさいんだよね」
救急車が到着した。
こっちの準備は万端だぞさあこい。
とは意気込んだものの死亡確認中。
僕は結構頑張ったんだけどなぁ。
ここに着いた途端に心肺停止、来る途中に輸血をしていたのに容態が悪くなったとか、毒でも盛られたのかと頭をフル回転して原因追及に努めたが結局わからなかった。
「時間は?」
「えー、十九時……」
体感で二時間ぐらいは格闘したと思ったがそんなもんか。
ごめんな……。救えなくて。
少し患者の青白い手が動いた気がした。
ちょっと待て、指が動いてる。
「おい! 今すぐ――ッ!?」
あっぶな! なんだいきなり!
心臓マッサージに移ろうとしたら患者の手が目の前にすごい速さで伸びてきて、尻餅をついてしまった。
死亡確認したあとに息を吹き返したなんてたまにある話だ。
それでもいきなり動き出すなんて……。
「聞こえますか!? 落ち着いてください! ここは病院です!」
助手がフォローに入ってくれる。
「ゥグ!?」
は?
信じられない勢いで助手は突き飛ばされた。
寝たままの患者の振った腕に。
部屋が一瞬静かになる。
誰も、なにが起きたのか理解できなかった。
壁まで飛んだ助手を見ると腹部から出血している。
噛み傷、心停止、怪力、原因不明の……。
やばい、こいつはもしかして。
「君は今すぐ彼女を手当てしろ! おい! 君らも押さえろ! 君は安部さん呼んで来い!」
救急室は大忙しになった。
麻酔が効かなかったので普通なら使わないほど強くし、怪我を負った娘を診て、また患者が暴れないよう拘束。大学病院だからいろんなものが揃っててなんとか助かった。
「先生、あれはいったい……」
成田くんが指しているのは心電図のことだろう。
患者が動き出した後でもノイズしか検出されていなかった。
つまりだ、心臓は止まっている。
「あれはね、吸血鬼さ」
「こんな時にふざけないでくださいよ。もう」
「ふざけてなんかないさぁ」
研究室で成田くんとじゃれあっていたら安部さんがご到着なされたようだ。
「入るぞ」
「どうぞどうぞ。安部さんは許可なんか取らずに入っていいんですよ?」
「女といるところに気を使ってやったんだ」
「まあ返事する前に入ってきましたけどね」
「そろそろ呼び出した経緯を聞かせろ。例の件なんだろ? どこにいる」
成田くんだけ話に置いてけぼりだ。
困ったような顔が可愛いなぁ。
「はは、通達を受けた時は映画のパンフレットかと思いましたよ。でもホントに来るなんてねぇ。今は拘束してますよ。この奥です。市長さま」
佐々岡めぐり先生
・身長159cm
・体重XXkg