第2話 説得ミッション
中央高校の体育館は生徒でいっぱいだった。
ここの生徒だけでなく、うちの高校から流れてきた生徒もいるからだ。
「君たちで工業生は最後か?」
「はい。たぶん、生きてるのは……」
定年間近であろう白髪のおじいさん教師が、バツの悪い顔をする。
「怖かったろう。あとは警察が動いてくれるし、ここは四階だ。不審者は来んよ、下で先生たちが守ってくれくれるからね」
先に避難していた工業生はすでに雑談モードへ入っている。
確かに、道路を見下ろすことで状況がわかるという点で、高い位置にあるこの体育館は優れているだろう。
でも、それでも……今のこの状況、未知の化け物が相手で、警察、ましてや一般人である教員が、俺たちを守って戦えるだろうか。
「めっちゃサイレンの音すんな」
「殺人犯一人に対して多すぎね?」
「遠くで救急車……消防車の音も聞こえないか?」
一人の生徒が窓を開けると、ぬるい空気が勢いよく体育館に吸い込まれて、外の音を一緒に運んでくる。
確かにいろんなサイレンの音が遠く、東の駅の方向から聞こえてきた。
一斉に出動したのか。それでも音がたくさん重なって聞こえるからこの現象は結構規模が、被害が大きいのかもしれない。
下手をしたら町中にあの赤い殺人鬼がうろついている、なんてことになってたりして。
外の様子を横田くんたちと窺っているけれど、歩いている人は見当たらない。
「おかしいぞ」
窓の外を見ていた誰かが今更ながら町の異変に気づいたようだ。
「車が走ってない」
窓際に陣取っていた生徒たちが事の異様さ、不気味さに、ざわざわと自分たちの憶測を口にしだす。
「警察の交通規制じゃないか?」
「だったらここは、警察の作戦に巻き込まれる戦場のど真ん中ってことか?」
「戦場ってお前さあ」
「宏前公園で発掘されたやつのパレードやるんじゃね?」
「ゾンビウイルスのパンデミックでもう生き残ってるのは俺たちだけとかな」
「なに? 映画の撮影?」
さっきの赤い化け物を見たばかりの俺からすれば、ゾンビウイルスは冗談に聞こえない。
そういえばなんでアレは赤かったんだ?
最初は長湯でのぼせただけの人、そう感じただけだった。
今思えば、あれは皮膚がない、いわゆる筋肉の色に見えなくもなかった。
間近で見てないからそこのところわからない。
ゾンビか……ますます非日常的だ。
よし、ゾンビだ。あれはゾンビだと思うようにしよう。
そう仮定すると今の状況は全身鳥肌が立つほど最悪ではなかろうか。
「スバル? どこ行くんだ」
「ちょっとトイレに」
ゾンビもので体育館というのは、ただの餌箱みたいに扱われることが多い。
バリケードを突き破ってきたゾンビから逃げる道はなく、詰みなのだ。
「これはヤバい。早くしないと、本格的に手遅れに……」
「なんだスバルのやつ、そんな小便我慢してたのか」
「見ろよ。警察、拳銃撃ってね?」
「うわ! マジだ」
うわー、警官が発砲なんて生まれて初めて聞いた気がする。
発砲音が聞こえたのか、体育館が一層騒がしくなっていく。
急がねば。
ジャージ姿の若い女性、体育の先生かな。
体育館の入り口を見張ってるので間違ってないと思う。
「すいません、お手洗いってどこにありますか?」
「ん? ああ、ここの階段下りたら、第二体育館をまっすぐ突き当りに……」
「ありがとうございます」
なにか言われる前に立ち去る。
「あっ! 待って! 今は緊急時だから、ちょっと君!」
女体育教師を無視して階段を素早く後にする。
む、足音がついてきた。
校内の作りがいまいち把握できていないので、焦りたくないのだけど。
来た時の経路を逆に進めば、入ってきた裏門まですぐだったはず。
「待ちなさい! どこいくの! 外なら今、警察が! 危険よ!」
そうだ、このまま外に出ると警備中の屈強な教員たちと鉢合わせするかも。忘れてた。
正門までの正確な道なんてわからない。
「はいそこまで!」
「グエッ」
学ランの襟を掴まれて、急に後ろに引かれるもんだから、喉で俺の体重とダッシュの慣性を一度に受けてしまう。
一瞬の迷いから生じたロスタイムだけで女体育教師に追いつかれてしまった。
誤算だった、足が速い。
こうなったら……。
「君どうしてこんなことしたの!? もう!」
若さ故か、ぷんぷんと効果音が似合いそうなふくれっ面である。
こういうのは普段、生徒に舐められてそうだ。いけるかな?
「あのですね、えーっと……すいませんお名前は?」
「へ? あ、ひゃい……さ、佐々岡ですけど。言っておきますけど私は先生ですからね? 他校の生徒といえど、ちゃんということ聞いてください」
「佐々岡先生、俺はさっき殺人犯を見ました。人が殺されるところも見ました」
あれは致命傷だろう。本当にゾンビだったらどうしよ。
「それは……大変だったでしょう。でも」
「そしてその犯人が化け物、人ではないなにか、例えばゾンビや吸血鬼みたいな奴らだってこともわかりました」
「あなた、なにを言って……」
あっ、しまった。人って混乱すると考えることを止めちゃうやつ多いんだよなぁ。
「先生は映画を見たりしますか? ゾンビもののやつです。パンデミック系のものでも、初期段階での迅速な判断、行動が生死を分けるんです。わかりますよね? これは映画なんかじゃない、そんなことわかってます。だから俺はなおさらあの化け物たちから生き延びるために最善の行動をしたい」
「みんなでいるのが最善でしょ?」
「そうですね、みんなで生きるため動くなら」
「わかってくれた?」
あれぇ……なんか伝わってないぞ。妄想みたいに、こちらの意思を的確に汲み取ってくれることなんてないのね。
演説とか向いてないんだろうな俺。
「ですから、俺は生きるために動くならと言ったんです。黙って待つのとは違う」
「どうして? 待ったほうが安全だと思うのだけど……」
「待つと危険なこともあるってことですよっと」
「ちょっ、こらあ!」
もう俺に説得は無理です。スキル不足です。
話しながら中央高校の正門の位置を記憶の中から手繰り寄せて、大体の方向だけを脳にインプットして二回目の脱走を試みる。
正門は東側にあるけれど、おっさんが引き連れてきた赤い奴……ゾンビがいた方角なんだよなぁ。
でも、乗り越えられる柵とか塀のある可能性が残ってるのが正門側だ。
お堀沿いの道路は裏門を横切るとすぐ坂になってるせいで、警察がいるほうと逆に逃げるなら、道路と敷地の高低差がビル二階分くらいあって無理だと思う。
こんなにこの町の地形に悩まされたのは初めてだ。
今日すでに二回目、これが城下町になった理由なんだろうか。敵が攻めにくいとか。
「オイ! 止まれ!」
野太い声が俺を呼び止めたのかとビックリしたが、どうやら違うようだ。外かな。
校舎と校舎を繋ぐ二階の渡り廊下に差し掛かると左右の窓からちょうど正門と裏門を見渡せる。
状況は一目瞭然だった。
というか絶望的だった。
「ひゃ! なにあれ」
先生は俺に続いて外を見ると、反射的に気持ち悪い虫から距離を置こうとするように腕を引く。血の気も引く。ドン引きだなこれ。
「あれがさっき言った化け物ですよ」
その化け物が正門側には三体、裏門側には……多いなパッと見てもわからないなぁ。
警察どこ行った。いた、あの服は警官だろうが赤い奴になってる。
これもう本当にゾンビじゃないか!
「赤いのは血なの?」
佐々岡先生が赤い奴の謎の一つを口にする。
さっきより近いけど、やっぱりあれが何の色なのかはわからない。血はもっとどす黒い赤だと思うけど、新鮮な血はあんな色なんだろうか。
おっと、また物思いにふけるところだった。早くここから脱出せねば。
中から正門側が見渡せたことでどこに逃げればいいか目処が立った。
このまま向かいの校舎の一階、一番奥の教室の窓から出ると駐車場だ。隣の家との間に木が植えてあるから、そこにすぐ隠れれば気づかれないはず。
校舎の突き当りの階段をなるべく音を出さないよう、それでいて素早く下りる。
「ラッキー、完璧だね」
一階の廊下は突き当りに避難口が設けられてた。
ここから出れば完全に校舎の陰になって、ゾンビの視界に入ることはないな。
「あなた、本当にいくの?」
ここまで着いてきたのか。
「俺一人より体育館の生徒を心配しなきゃいけないと思うよ。センセイ?」
我ながら腹立つトーンが声帯から出た。
職務放棄だよ。ほら戻って。
「体育館には私以外の先生がいるの。あなたは違うでしょ? あなたが行くなら私も行きます」
ああ、そうなる? のか。
体育教師みたいだし行動範囲が狭まることもないかな。
迷ってる暇はなさそうだしいいか。
「守藤昴です。よろしく」
「へ? ど、どうも佐々岡めぐりです。よろしく……?」
俺が差し出した右手を困惑気味に握ってくる佐々岡先生。
もしかして俺を留めようと、説得のつもりだったのかな? お邪魔虫が付いてくぞ的なニュアンスで。
この人も言いくるめスキルが乏しそうだ。
宏前中央高校
・公立進学校
・何年か前まで女子校だった
・スバルの中学の同級生には「女子が多いから」という志望動機で入学した男子がいるらしい