第10話 我が家
人気のない住宅地を歩くこと三十分。
制服に飛び散った返り血が蒸発した。
乾いたどころの話ではない。
血痕が跡形も無くなったのだ。
「本当にどこにも血のついた痕跡がないねー」
「そんなことってあるの?」
「先生体育教師でしょ。保健とかで一番こういうのに詳しいんじゃないんですか」
「血の蒸発なんて専門的なことやらないわよ」
俺が先頭に立って、道路の角という角に注意をして進む。
後ろではアカリが俺の制服を興味深そうに観察中だ。
佐々岡先生には後ろで周囲に警戒してもらっている。
ここまでの間、ゾンビには遭遇しなかったけれど、車が何台か俺たちの横を追い越していった。
異変にいち早く気づいて逃げて来たのか、まだなにも知らないで生きているのか。
「そういえばまだサイレン鳴ってるね。ゾンビの鎮圧に成功してるのかな?」
徐々にサイレンの音のする方から離れていっているけれど、それでもまだ聞こえる。
「だったらいいな。思ってたよりもずっと弱かったし」
「弱いとかゲームじゃないんだからさー。まあ、弱いとは思ったよ」
「先生あまり怖い映画とか見ないけど、ゾンビ映画の怖いところってゾンビの圧倒的な数じゃないの?」
「死に難いのも怖いですよ」
「めぐり先生はゾンビの強さは質じゃなくて量って言いたいんだよねー?」
「そりゃあ、たくさんいてしかも増えていくのは怖いですけど。さっきの無気力ゾンビみたいなのがたくさんいてもそんなに恐怖ではないかなぁなんて」
あれならじっとしてれば襲われなさそうだ。
「あの個体だけ反応が鈍いとかだったらヤだなー」
それは本当に困る。
動いているターゲットに一発入れるのは難しい。
「そろそろ着くよ。そこのバイパス道路を渡ったらうちの町内」
信号は普段通りの仕事をしていた。
車の数は……いつも通りくらいなのかな? 土日と比べると少ないけど。
平日の昼間の交通量なんて知るわけがない。
「守藤くん良いところに住んでるのね」
「そうですか? 町の中心からちょっと離れてますけど」
スーパーやショッピングモールも近いようで遠い。
「中心にあるのはお店だから、実質一番中心なのよ、バイパス沿いの住宅地なんて便利だし」
歩行者信号が青になったので渡る。
一気にいつも通りの日常に引き戻されて、違和感で酔いそうだ。
俺の家がある住宅地もどこかのんびりとした時間の流れを感じ、さっきまでのことが嘘だったみたいに思えてきて頭が真っ白になった。
「守藤くん、ちょっとお手洗いに」
「あ、そうですね。まだこっちは平和みたいなんで急ぎますか」
先生に話し掛けられてやっと意識がハッキリとし、思考を再開する。
「先輩、それ死亡フラグだよぉ」
「怖いこと言うなよ」
少し小走りで進むとすぐ俺の家に着いた。
二階建てでサイコロみたいな形の、なんの変哲もないのが我が家だ。
豪邸とかではない。
先生をトイレに案内し、アカリとリビングでテレビを見る。
「どこも普通だー」
この町の事件について触れている番組はやっていないようだ。
同じような事件が起こっているわけでもなさそう。
「それなら次はネットだな」
スマホで検索をする。
「先輩なんかありました?」
少しの沈黙のあと、アカリが探ってくる。
生憎、調べても情報が出てこない。
「全然ダメだ。さっきより入手できる情報が少ない」
「そうですか、アカリは初めて調べてるので比較できないからそういうものかと割り切りそうになったんですけど、やっぱりそうですか。ふむふむ」
「なんだよ。一人で納得してないで俺にも教えろ」
「教えを乞う人の態度ではないですねぇ」
こいつ、本当はなにも分かってないんじゃないか?
ただ俺に頭を下げさせたいだけのように見えるのは……気のせいか?
ようし、そっちがその気なら乗ってやる。
「お願いしますご主人様! どうか私めの幼稚な皺一つない脳みそでは考えもできなかった高尚なご意見を披露してくださいませ」
「い、いきなり何よ……」
どうだ、この完璧なまでの土下座と勢いだけで押した「お願いご主人様」は。
文句は言うまい。
お前がやれって言ったんだぞ?
「まぁ、まあまあまあ。そこまでするなら? 教えてあげますよ」
よし、これでいい。覚えとけよクックック。
「えーとですね。先輩言いましたよね? さっきより情報が少ないって」
「ああ、そうだけど」
「アカリも思ったんですよねぇ。少ないなって」
「だからそれがどうしたんだよ」
「わかんないですかねぇ。意図的に少なくされているんじゃないかってことですよ」
「は?」
そんなことしたら正しい状況判断ができないだろ誰だよ。
「先輩が『誰だそんなことしてるアホは』みたいなアホ面してるのでもう一つ付け加えると……」
なぜわかった……っておい、お前を吠え面にしてやろうか。
「日本政府ですよ! 情報を隠蔽してるのは!」
ソファにドヤ顔でふんぞり返って座っているアカリを、俺は『大丈夫かこのアホは』みたいな顔で眺めたことをここに宣言する。