クリスマスプレゼント
俺はクマのヌイグルミ。クリスマスにどこかの子どもに貰ってもらって、何不自由なくずーっとのんびり暮らしていくつもりだった。
でも、どうやらサンタのじいさん、俺を間違えて配達してしまったようで、俺はいまものすごく慌てている。なんで、間違えたところに配達されたと気がついたか。それは簡単、ここは犬小屋だから。じゃあ、なんでサンタのじいさんが普通の家と犬小屋を間違えたのか。それは俺にもよくわからないけど、この犬小屋はちょっと大きく作られているようで、子どもなら三、四人は入る位の大きさだ。だからといって間違えるものかという疑問も湧いてくるけれど、あのじいさんも毎年毎年、世界中を飛び回って色んな家に配達に行っているから、たまに間違えることはあるんだろう。でも、犬小屋と家を間違えるというのはどうだろうか。
そして、俺はいまそんな犬小屋の一番奥で壁にピッタリと張り付いて目の前の脅威からどうやって逃げようか考えているところだった。目の前には鼻息を荒くして、今にも俺に噛みつかんとしている犬がいる。俺は何も犬に噛まれるためにクマのヌイグルミになったわけではない。もしかしたら、俺はこの犬のためのクリスマスプレゼントだったのかもしれない。一瞬そう考えたけど、俺の手首についているタグを見ると女の子の顔写真がついている。
このタグ、子どもが多い家庭や施設なんかでクリスマスの朝に子どもたちが一目散にプレゼントに群がってきた時に、俺たちオモチャが子どもを間違えないようするためについている。大抵は包装紙やラッピングバッグに名前が書いてあったりするものだが、子どもっていうのはなかなか本当に欲しいプレゼントが決められないもの。だから、ギリギリで決まったプレゼントには名前を書いてあげられない場合もある。そして、同じようなプレゼントの場合、子どもが間違えて違う子どものプレゼントを持って行ってしまうこともあるから、そんな時は、俺たちオモチャがこのタグを事前に見ておいて子どもの顔を確認しておく。もし、間違えて持って行かれてしまう場合は、俺たちがこっそり子どもたちの意識に直接話しかけてあげる。「これは君のオモチャじゃないよ。君のオモチャはあっちのオモチャだよ」といった具合に。それで子どもは、どれだけオモチャの山があっても必ず自分が欲しかったオモチャにたどり着くことができる。このタグは子どもたちには見えないし、無事にお目当ての子どもに貰われていったら、このタグは俺たちにも見えなくなる。そうサンタのじいさんは言っていた。
でも、いま目の前にいるのは、俺が貰われるはずの女の子でもなければ人でもない。犬だ。それも、結構な大きさの犬だった。噛まれてボロボロになるのはもちろん嫌だったけど、なにより俺を貰うはずだった女の子のクリスマスの朝を台無しにしてしまうのがたまらなく嫌だった。朝起きて、ツリーの下に走って行って俺がいなかったら? 朝起きて枕元の靴下が空っぽだったら? 女の子はサンタのじいさんのことなんてこの先ずっと信じないし、クリスマスが大嫌いになってしまう。そんなのは絶対にダメだ。
だから、俺はどうにかしてこの犬から逃げないといけないし、女の子が眠っている家までいかなくてはいけないんだ。それも、女の子が目を覚ます前までに。
目の前の犬は、不思議そうな目で俺のことを見ている。動いているヌイグルミが珍しいんだろう。俺たちオモチャが動けるのは、クリスマスイブの夜だけ。クリスマスの朝になれば子どもたちに貰われていくから動く必要がない。でも、クリスマスイブの夜だけはサンタのじいさんが言うには奇跡というやつで自分で動くことができる。動く必要なんかないのにな。と思っていたけど、こういうことがあるからなんだろうなと俺は思った。
俺が今いる壁から出口までは二メートルほど。俺の歩幅は十センチ程度。多分走っても犬に追いつかれてしまうだろう。それに、走れば犬っていうのは追いかけてくるっていうことを聞いている。走ったりしたらそれこそ、犬のためのクリスマスプレゼントになってしまう。ここは落ち着いてゆっくりと壁沿いにそっと動けば何とかなるかもしれない。そう考えた俺は、壁沿いにそっと足を伸ばした。二、三歩進んだところで何かにつまづいて転びそうになった。中は暗くて何につまづいたのかよくわからなかった。俺はつまづいた何かを犬を刺激しないようにゆっくりと跨いでまた壁沿いを行った。
真っ暗な小屋の中、犬は俺の姿がよく見えていないようで、さっきまで俺がいたところをまだ見たり嗅いだりしていた。これはチャンスだとばかりに俺は壁沿いを小屋の角まで走っていった。だがそのとき、急に犬が俺に向かって手を伸ばした。走ったことで小さな音をたててしまったのか、犬は暗い中でも俺の方に向かって来た。俺は小屋の角に追い込まれてしまった。どうにかして逃げられないか。辺りを見渡してみると、犬が少し動いたおかげで俺がいるところまで外の光が入ってきていた。俺はさっきつまづいた何かに目を向けてみると、そこには何かのヌイグルミが転がっていた。何かのというのは、ボロボロになって何のカタチをしたヌイグルミなのかわからないということだ。この犬に捕まったら、あのヌイグルミのようになってしまう。俺は恐怖に感じるとともに、心細くなった。
犬は俺の匂いを嗅ぎはじめた。鼻息が俺のフワフワの毛を揺らす。まわりを見ても使えそうな道具も何もない。もう、どうすることもできない。朝が来れば女の子を悲しませてしまう。目の前の大きな犬に俺は、ついに腰が抜けて崩れ落ちてしまった。犬が舌を出し息遣いがさらに荒くなり、俺の顔に口を近づけてきた。もうダメだ。俺は誰のことも喜ばすことができない。そう思うと悲しくなってきた。もう祈ることしか出来なかった。
お願いだ助けてくれ。俺のことを噛まないで。俺は女の子に貰われるヌイグルミなんだ。お前のオモチャじゃないんだ。お前のオモチャはそこにあるヌイグルミだろ。
必死だった。壁に張り付き、しゃがみ込み、体中が小屋のホコリや土で汚れてしまっていたけれど、この場所から逃げたかった。まだ見ぬこの手首のタグの女の子に思い切り抱きしめられたかった。女の子の幸せそうな笑顔が見たかった。ただそれだけなのに。
俺は恐る恐る顔を上げて犬を見ると、犬は転がっていたあの何かのヌイグルミを必死に嗅いでいた。何かのヌイグルミを舐めて、手で弄んで、噛んで、咥えて小屋から出て行ってしまった。そして、小屋を出て行く犬を俺はただ見送るだけだった。
助かった。これで、女の子が待っている家に行くことができる。俺は急いで小屋を出た。出るとそこは芝生の広場のような場所だった。いや、大きな家が目の前にあるからきっとこの家の庭なのだろう。でも、この家が俺が行くはずの家だったのかどうかはわからない。俺は家の前まで行ってみたが、ドアを開けることなんてできない。もしドアを開けることができたところで、この家じゃなかった場合、結局女の子を悲しませてしまうことになる。俺はどうすることもできずにその場で座り込んでしまった。
鳥の鳴く声が聞こえる。もうすぐ夜が開けてしまうだろう。そんな座り込んで項垂れている俺の目の前に何かが近づいてきた。もしかして、またあの犬が来たのかと思い俺はとっさに身構えた。
「すまん、すまん。お前を間違えて犬小屋に置いてきてしまったことに気がついたんじゃが、ほかの家もまわらないといけなかったから、来るのが遅くなってしまったよ」
サンタのじいさんが目の前にいた。何で犬小屋なんかと間違えたんだよ。犬に噛まれてボロボロになるところだったんだぞ。そんな思いでじいさんに対してむかついたけれど、じいさんを見ると申し訳なさそうな顔で、でもやっぱり優しい顔をしている。そんな顔をされると怒りの感情よりも、さっきまでの怖くって心細かった思いが一気に溢れてしまった。俺は走ってじいさんの足に抱きついていた。
「どうした、どうした。わしがお前を貰うんじゃないぞ。ほらほら、もう泣くのをやめなさい。お前を待っている子の家に行くぞ」
じいさんはそういうと俺を抱え上げてくれて、ソリに乗せて飛び立った。
空は随分と白んでしまっていた。
「じいさん、もう朝になるけど間に合うのか」
「間に合わすんじゃよ。子どもに悲しい思いはさせられんよ」
「じいさんが、間違えなきゃこんなことになってないんだけどな」
「そりゃ、そうじゃな」
クリスマスの明け方、サンタのじいさんと俺の笑い声が響いていた。
―了―