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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
1章:伯爵令嬢
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勝者の驕り

 美貌の幼子は何不自由のない幼少期を過ごした。


 父は彼女にさまざまな芸事を積極的に習わせたが、彼女はそれをするすると、まるで乾いた木の根が必死に水を吸い込むかのように――実際にはさして苦も無く吸収していった。

 ただ、彼女は実に一般の少女らしく、勉強よりは遊びを好む性格だった。

 彼女は好きな習い事――たとえば歌や楽器、ダンスや刺繍、お菓子作りなどのいわゆる「女らしい手習い事」はあまり苦もなく取り組んだが、いわゆる座学――神学だとか歴史だとか地理だとか算数だとか、そういったいかにも「勉強」というものはしょっちゅう教師を言いくるめて抜け出してしまっていた。


 彼女は自分がほほ笑むと、大抵の大人は一も二もなく従うのだとすでにわかっていた。

 何せ、女神のごとき美貌である。彼女の姿を一目見てインスピレーションを得たいと言う芸術家も後を絶たなかったし、噂の絶世の美少女を目当てにやってきた目の肥えた貴族たちとて、必ず二度目以降も父親に再会をねだった。


 しかし、父は娘をけして安売りしようとしなかった。アリーヤはいつも、それこそ言葉の意味が分からない時代から繰り返し父に言われていた。


「お前は帝王の妻になるのだ」

「その辺の男に軽々しく身をやってはいけない」


 何のことかはよくわからない時でも彼女は、はいお父様、とはにかむように微笑んで見せた。

 アリーヤと言う女は、天性の魔性を兼ねていたと言って差し支えない。彼女は笑うだけで自分がヒトを動かせることを、どれだけ多くのヒトの心を惑わせ、言いなりにできるかを、無意識のうちに知っていた。

 母も兄も彼女の喜怒哀楽に一喜一憂し、一見厳格に見える父親でさえもが、彼女が子犬のような眼差しでおねだりをすれば、たいていは折れるのだった。


 アリーヤはだから、彼女も知らないうちににひどく傲慢な性格になっていた。

 しかし、それを責められるものではない。

 何度も言うが、アリーヤはあまりにも美しすぎた。平民ならばそのまま埋もれたかもしれないが、彼女はそこそこ名のある伯爵家の娘だったのである。周囲は彼女の愛くるしさに酔いしれ、傅き、賛美した。

 一体誰が彼女を責められたのか。これほどにまで恵まれて、驕るなと言うことこそ驕りではないのか。


 色にも才にも恵まれた彼女だが、たった一つ平凡なものがあった。それは望むものである。


 彼女は多感な少女らしく、夢見がちでとても憧れが強いところがあった。

 アリーヤは権力にも財にも富にも、終ぞ興味を示せなかった。彼女はけして贅沢が好きだったわけではない。ただ、ちやほやされるのが当然だとは思っていた。

 一方で、不特定多数の判子のような賞賛の声に、少女のアリーヤは早くもうんざりしていた部分があった。


 それでだろうか、彼女は空想に恋した。

 母が与えてくれた物語の、姫に献身的な愛を捧げる騎士に酔いしれた。

 彼女はいつしか、父親が繰り返し言い聞かせるその帝王こそが、自分の王子様なのではないかと思い始めた。

 否、帝王でなくても構わない。誰か、自分を愛してほしい。この、どうしようもなくうつろでひやりとする心の内を、情熱で満たしてほしい。


 アリーヤの望みはそれだけだった。

 ただ一つ、自らのたった一人の王子、たった一人の騎士が、いつかこの退屈な鳥かごから、二人だけの楽園へと連れ出してくれるのだと信じてやまなかった。


 そう、彼女は愚かではあったが馬鹿ではなかった故に、自らの境遇だって理解していたのである。

 美しい外見だけに惹かれ、鬱陶しく言い寄ってくる男たち。自分より劣っているくせに、妬みや嫉みでさらに醜くなっていく女たち。

 自分は彼らとは違う生き物のはずなのに、なぜ同じ場所にいるのだろう。


 彼女はそれを、王子が迎えに来てくれるまでの修行なのだと解釈した。ちょうど、けなげな姫が、自らの境遇に文句一つ言わず耐え忍ぶように、待っていれば必ず王子様は現れると信じていたのである。


 アリーヤは、姫らしく振舞うことには惜しみなかった。美貌はさらに磨き、女らしい振る舞いとやらも他の誰の追従をも許さなかった。大した努力もせず、ただなんとなくで、彼女はそれをやってのけたのである。

 これも繰り返しになるが、彼女はあまりにも恵まれすぎていた。努力や失敗とは無縁の世界で、いつしか少女は、背筋が凍るほどの高嶺の花へと長じた。


 そして、あっという間にやってきた、初めての社交界の日。その出会いは訪れた。


 一つは彼女の初恋。漆黒の髪、褐色の肌、赤い瞳の若い貴公子だった。

 彼はアリーヤと同じくデビューしたばかりで、年も近い彼らは瞬く間に打ち解け、自然と恋を芽生えさせていった。

 若くて美しくたくましい青年に情熱的に口説かれ、嬉しくない淑女などいない。二人が互いに秘密の言葉で囁き合うようになるのも時間はそう要らなかった。


 だが、アリーヤが理解することができなかったことがある。社交界の日に出会ったのは、彼だけではなかった。

 初めて彼女を見初めた者、前々から待ち望んでいた者、参加者すべてが彼女に熱のこもった目を向けていたのである。


 しかし、彼女は常に勝者であった。彼女のために犠牲が出るのは当然のことであるが、そう言った血なまぐさく下品なことは、彼女のあずかり知らぬ部分で収まるのである。勝者であるが故、アリーヤには同じ勝者しか映らない。その他の幾多の有象無象など、彼女にとっては取るに足らぬ者。


 ゆえに、二人の若者が情熱的に視線を交わす場面に居合わせた、背景である独りの壮年の男が自分に夢中になっても、気にも留めなかった。

 その男が何度も足蹴く求愛しても、名前すら覚えようとしなかった。


 父は娘は帝王の妻となるのだと信じてやまなかったため、どの男にも彼女を認めようとしなかったが、アリーヤの気持ちは完全に、若いさる侯爵家の次男に傾いており、親を出し抜いて逢引きを重ねるようにすらなっていた。



 これが、最初の彼女の過ちである。彼女は敗者であるところの壮年のヒゲの騎士には見向きもしなかったし、その心もわからなかった。

 一度だけ、彼が決死の覚悟で庭に押し入ってきたとき、彼女の愛らしく柔い唇は残酷に宣告した。


「だって、オジサマは王子様にはなれないでしょう? わたくし、あなたのような方の妻なんて嫌よ。ぞっとするわ」


 アリーヤは生まれついての勝者である。ゆえに、敗者の気持ちなど知りうるはずもない。

 男が去り際に、いつか屈服させてやると復讐の鬼に変じたこと。それが彼女の滅亡の始まりであったのかもしれない。

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