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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
彼女にとっての蛇足
24/25

それぞれの行きつく先

 アリーヤを屠った王はその足で彼女の息子の下へ向かう。


 逃げようとする彼の両足を、わめいて振り回す両腕を切り捨て、母の亡骸とともに彼の飼っていた獣の檻に投げ込ませた。

 檻の中で胴を食まれて絶叫する幼子に、王は言い放つ。


「どうした。何故泣く? お前は余の息子なのだろう。ならば、その程度の痛み、耐えられるはずだ。その程度の苦しみ、いずれ忘れるはずだ。――真に不死身の化け物の血を引く者ならな」


 ライアンは、結局そのままなすすべもなく獣たちに食い殺された。その死は一度で済んだ。


「つまり、獣の血ではなかったということだ」


 ゆえに王はそれ以上心を煩わせることはなかった。


 その実の父が、あまりにも無残な恋人と我が子の最後を苦にして自決したことを聞いても、苦笑しただけであった。


「庇うこともできなければ、生きて償うこともない――そのくせ自分の命を断つ程度の臆病さと勇気だけは持っていたか。まあ、実にお似合いの末路だったろうよ」



 その日を境に、王は変わった。


 ある日は今までのように、皆の意見を取り入れ、願いをかなえてくれる。

 しかし別の日には、無意味に気まぐれに誰かを苦しめ、つまらないと一言のもとに切り捨てる。

 女とあれば見境なく手を出し、その後気に掛けることもない。

 自分の子どもを孕んだと聞けば、必ず生まれた赤子をその手で葬る。



 のちに狂王として語り継がれるサタンの奇行は、その唯一の妻の死とともに始まる。

 一時は、最愛の妻の死が彼を狂わせたのだとささやかれた。


 けれどすぐに、誰ともなく語りだすようになる。


 否。王は彼女を愛してなどいなかった。

 どころか王妃は、自らは男を侍らせながら、王の愛した唯一の女性を惨殺した。

 それゆえに王は狂った。悪妻アリーヤこそが、王を狂わせた元凶。

 死してなお、王を縛る美しき獣。



 王は死ぬ間際の彼女への宣言通りに、アリーヤの死後、一人も妻を娶らなかった。

 愛人は数多くあれど、再婚はしなかった。




 狂った王の所業に周囲が恐れ、反発し、弾圧され――そして狂っているなりの秩序を得始めた頃合いだった。


 私室でまどろんでいる王のもとへ、宰相がやってきた。

 深々と、彼は王に丁寧な礼を取る。


「――陛下。私も、年を取りました」

「そうか」


 即位したときと何ら変わらぬ王に比べ、すっかり身も心も老け込んだ姿を見て、すべてを理解したサタン王は苦笑する。


「後任はどうする。そっちで決めているか?」

「――は。未だ若輩の身ではありますが、必ずやご期待に沿うようになるかと」

「ああ、お前がこの間からしごいていたあいつか。うん、わかった。……しかし若いとより多く苦しむことになるぞ?」

「若いからこそ、得られることもございましょう。変えられることもございましょう」


 老体はしばしそうか、と答えた主の様子を窺った後、何事かを言うか言うまいか迷っているようだ。


「どうした。これでもう最後なんだろう? 言いたいことがあるなら言っておけ。後悔するぞ」


 王が興味深そうに微笑んで視線を寄越し、からかい交じりに声をかけると、ようやく重たい口を開く。


「私は、取り返しのつかない過ちを犯しました」

「……そうか?」

「あなたを――失ってしまった」

「これは可笑しなことを。余はここにいるぞ?」

「陛下。初めてお会いしたあなたは――獣のふりをしていても、ヒトだった」


 老体の曇った瞳が揺れる。


 目の前の男はすっかり衰えきった自分と異なり、初めて会った時と、着ているものは違えどそれこそ姿は全く同じである。

 なのに今は、かつてその瞳にあった――アガレプトが惚れ込んだ輝きが、すっかりどこか褪せていた。

 その代り、その黄金の瞳には歪んで澱んだ暗い光が宿っている。

 老人はそれを目の当たりにすると、言葉を止めることができなかった。


「私が――お守りできていれば。私は心のどこかで――どんな悪妻たろうと妻以外の女に目を移したあなたに、失望していた。いいえ――いいえ、本当はもっとひどい理由で勝手に幻滅したのです! あなたのような突出した方が、あんな凡庸な市井の花売りごときにと、ほんの一瞬でも思ったのです――それが、あれを招いた――結局私もアリーヤ様と、なんら私も変わらなかった! あの時、私が――」

「アガレプト。たぶん、遅かれ早かれ同じことだったと思うよ」


 さえぎって上げられた王の言葉は驚くほどやさしい。老人が目を見開くと、そこから決壊した関を越えて塩水が頬を伝い落ちていった。


「ジゼルは凡人だった。だから、いずれは――まああそこまで苦しく凄惨な最期ではなかったのかもしれんが、それでも何かの形で余の前からいなくなっていたと思う。そしてその段階で、余は気が付いた。俺はヒトでないのだから、ヒトを求めるのは間違えていたのだと――」

「違う――あなたはヒトだった――最初から、ヒトだったんだ!」


 アガレプトは叫んだ。しわがれ、裏返った醜い声で。


「ヒトだったあなたを獣にしてしまった――私を含めた、ヒトの方こそが――けだものだった! そして私は、それをあなたに伝えてくれていた彼女を――伝えようとしていた彼女を――死なせて、しまった」


 元宰相はそのまま床に突っ伏す。


「彼女が死んでからのあなたは耳を閉ざしてしまった。もう、どんなに心を、言葉を尽くそうと届かない――」


 王は彼の好きにさせていたが、やがて立ち上がるとその横を通り過ぎようとして、


「アガレプト。だが、俺はお前に少なくとも一つは感謝しているよ」


 その眼がどれほど濁っていても、王の声は変わらず凛とよく響く。


「市井のしがない花売りにぴったりな、目立たず綺麗で静かな場所に墓を作ってくれたじゃないか。そこに毎日花をたむけてくれたじゃないか。……ヒト心のわからない、俺にはできない配慮だったよ」


 立ち去る王の耳に、かつての友のむせび泣きが届く。

 申し訳ございません、申し訳ございませんと――アガレプトは王が立ち去った後もずっと、涙も声も擦り切れ枯れ果てるまで、繰り返し続けていた。




 王は、一人で歩いている。

 ヒト払いして誰もいない静かな廊下を、一人でゆっくりと歩いている。

 不意に窓のある場所で立ち止まると、はたしてすぐに慣れた感触が身体を覆う。


「……坊ちゃん。相変わらず、悪夢を見ているのかい」


 普段は侍女の格好で城内を好き勝手にうろついている、怪しげな悪夢と名付けられたそれは囁いた。

 虹色の瞳が暗がりでよく輝く。

 抱きしめるように後ろから首に回された腕に手をやった王の顔が緩む。


「お前も変わらないな。出会った時からずっと」

「あたしは悪夢だからね。ヒトのいる間、ヒトが夢見る間ずっと、生き続けるのさ」

「では、お前にはいつまで経っても終わりが来ないのか?」

「坊ちゃんが望む時が、あたしの終わるときサ」

「そんなものは望まないよ」

「じゃあ、いつまでも生きてみようかね」

「そうするといい」


 沈黙が――どこか穏やかな沈黙が、しばらく続く。

 王は女の腕を撫でた。


「悪夢」

「ン?」

「ヒトでなし同士の縁でここまで来たが――俺は、お前と結ばれていればよかったのかな」


 ふっと耳元で女が笑った――たぶん苦笑した気配がした。


「あたしを抱いても、坊ちゃんは幸せにはなれないだろう? そもそもあたしが相手じゃタたないサァ、あんた真正の()()()だから、ネェ」

「……それもそうか」


 今度は王が苦笑したらしい。悪夢はまるで睦言を喋っているときのように、抱きしめてあやすようにゆらゆらと体を揺らしながら、耳元で甘い優しい言葉を王にささやく。少しだけくすぐったそうに彼は首をすくめた。


「坊ちゃん。何が変わっても誰がいなくなっても、あたしはだからずっと、変わらずにあんたのそばにいるヨ。あんたを一人ぼっちにだけはさせない。なんならその死も見届けて、時々墓参りもしてやろうサ」

「――どうせ止めたって無駄だろうな。お前の好きにするといい。俺の墓参りなんて、できる日が来るとは思わないがな」

「まあ来ないんなら来ないに越したことはないんだけどネェ」

「そうか?」

「そうだヨ」

「――そうか」


 悪夢の冷たい指先が、なだめるように王の頬をなぞり、その背に顔をうずめる。

 王もそのまま背中を貸して、それが再びふらりと離れていくまで好きに寄り添わせていた。






 さて、冠をめぐる物語は、その冠に触れた脇役たちの物語も含め、ここで終わるべきである。

 そもそもこの話自体が蛇足であると言えるのかもしれない。



 しかし、あと一つだけ語ることを許してほしい。


 彼女にとっての不要な、けれど彼にとっては必要だった物語を。

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