懺悔
わたくしは、頂点に立つ女。
わたくしは、高貴な姫。
冠を抱くもの。
だから、うるさいことを言うお前なんて嫌い。
わたくしがわたくしであろうとするたびにわたくしを責めるお前なんて嫌い。
いらない、いらない、いらない――お願いだから黙って! でなければ、わたくしは――。
――いいえ。
いらないのは、アリーヤ。あなたの方。
わたくしこそ、本心。わたくしこそ、真実。
冠なんて、最初からいらなかった。
――そう、今こそ、わたくしの言葉で語るとき!
「――サタン!」
王妃失格を言い渡され、崩れ落ちて自失していたアリーヤが声を上げる。
用は済んだとばかりにその横を通り過ぎようとした王の服の裾を彼女はしっかりつかんでいた。
王は面倒そうにそちらを向いて――珍しく、驚いたような顔になった。
「わたくしの、サタン――」
彼は王妃と長い間――それこそ1000を越える月日をともに過ごしてきた。
しかし、こんな彼女は初めて見る。
彼の知っている王妃は、造形だけは凝っているが中身はからっぽな、そんなお飾りを思わせる人物だった。
彼女という人物はある種自我が薄く捉え所がない。上っ面だけだから周囲に流されるままなのだ。
そして流されるたびに、ただただ自分を流す周囲が悪いと嘆いて見せる。
自分の足で立とうともしないくせに。
そんな風に王は彼女を解釈していた。それで今までは間違いなかったはずだった。
ところが、今この裾を逃がすまいと握っている女はいったい誰だ。
輝く翡翠の瞳。上気した白桃の肌。その顔は――アリーヤとは程遠い、生気に満ちたヒトの顔。
王は自分が驚いていた理由を悟る。
王妃という女は、自分がヒトで夫が獣だということを繰り返し強調したし、彼もそう理解しているつもりだった。
だが、実際には王妃もヒトではなかった。ヒトとは違う――神のような、高い場所に在る。それが王妃だった。
だから、これは――アリーヤがもしもヒトであったなら、こんな顔をしていたのかもしれない。そんなことを思わせる女だった。
それはけして侵されぬ高嶺の花よりもずっと――より顕著に、ヒトを操り、惑わせる力を持っていた。
王はその全力が、自分に向けられているのを感じる。
彼は思い出した。――これほど完成された女が、他にいないと言うその事実を。
けれど彼の芯は、なお凍えきった真冬の水底のように、暗く冷たく、澱んで翳っていた。
世界は二人を中心に、二人だけで展開される。
周囲は今やただの観客だった。
この舞台に必要とされているのは、一人の女と別れたい男と、その男をなんとしても離したくない女。
やがて張りつめた空気の中――彼らは言葉を交わし始めた。
「ああ、許してください。すべては、わたくしがアリーヤだったゆえに――冠を抱くものであったが故の、罪! サタン、愛しています。愛していました、ずっと。けれどアリーヤは、それを認めることができなかったのです」
アリーヤだった女は、宝石の粒のような涙を流しながら、どんな楽の音よりも美しい調べを奏でる声でそう言い募る。
王の表情が、ほんの少しの驚きを隠すための無表情な笑顔から、ぴくりと不快を浮かべる笑顔に変わる。
「これはいったい、どういう冗談だ? お前の趣味がそこまで悪いとは思っていなかった」
「ええ、ええ。あなたがわたくしに冷たいのも当然。けれどあなたに冠を奪われた今なら――冠のない、ただのわたくしである今なら――今こそ、真実を話すことができる! わたくしは愚かな女です。すべてはただただ、あなたに愛してほしくて――あなたに気にしてほしくて、やってしまったことなのです。どうか、どうか許してください――」
「……すべて?」
王が言うと、美しい女は――おもむろに彼に跪き――さながら懺悔のように語りだす。
「はい。すべての過ちをわたくしは認めます。冠も名もないただの女のわたくしは、すべてをあなたにお話しします。ああ、サタン王よ――わたくしは最初からずっと、あなた様をお慕い申し上げておりました」
王の顔から笑みが剥がれかけている。彼は心を落ち着けようとでもしているのか、一度息を大きく吸って、吐き出すように尋ねた。
「――ならば、順にたどっていこうか。お前はベリアルを愛していたのではなかったか」
「あのころのわたくしは、恋に恋をしていました。わたくしは本当は、あなた様が獣でないことを知っていました。最初の夜に、優しくしてくださったあの時から。けれどアリーヤは貴族の姫――矜持を守るためには、あなた様に心移りするわけにはまいりませんでした」
「だが、余はお前を無理やり抱いた。それを許せるはずもない」
「仕方のないことでした。あなたはわたくしから無残に初めてを奪ったあの男とは違った。いつだって、わたくしをいたわって、気遣ってくださいました。――アリーヤは認められなくても、わたくしはずっとそれを知っていた」
「余はベリアルを殺した。お前の王子様を、奪った」
「アリーヤならば確かに途中で認めるわけにはまいりませんでしたが、わたくしは気が付いておりました。あの男は、王子なんかではなかった。悪魔だった。むしろあなたは、わたくしを救い出してくださったの!」
王のそれはもはや問いではない。自分の行ったことの確認。
女はそれに対して王の知らなかった――全く知らなかった、心を、物語を奏でている。
「ならば、他の男に身を任せたのは。お前はあれらの王子様を好いていたのではなかったのか。余のことを嫌っていて、あれらを好いているのだからそうしていたのでは?」
「それも貴族の矜持故。あなた様に心奪われたことを自覚したとき、アリーヤは自分が壊れてしまうと恐れていました。でもわたくしの本当の心は、たとえどなたの下に在ろうと、あなた様だけに預けておりました。それに貴族ですから、所詮あれらのことは一時の戯れでございます」
場外で、一人項垂れていた男がはっと顔を上げ――みるみるうちにそれが絶望に染まる。だがそれはどうでもよいことだ。
二人は続ける。
「余は獣だ。それは紛れもない事実だ。これほど多くの命を奪った者はいない。お前も――お前が、ずっとそう言ってきたことだ」
「ほかの人なんてどうでもいいの――あなたが一緒にいてくれれば、わたくしはそれでよかった! たとえ、あなたが何をしようと、何者であろうと――」
「――何をしようと?」
瞬間、王の顔に笑みが戻る。――それは今まで彼が浮かべていた幾多の笑顔の中でも特に、ぞっとするほど残酷な光を宿すものだった。
「なら、なぜジゼルは死んだ」
愛を訴えていた女は押し黙る。王はもう一度言葉を重ねた。
「冠を抱くアリーヤ。もしくは名もなきお前自身でも構わん。余は一度もお前の遊び相手に手を出したことはなかった。だが、お前はどうだ。一時の戯れの相手とて、余に許さなかった。それはなぜだ。それとも知らぬと申すか。……どうなんだ。真実を話すと言っただろう。お前は、あれを殺した。それは真実か。だとしたら、なぜ? ――答えてみせよ」




