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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
1章:伯爵令嬢
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告げられし運命

 その赤子の美貌は、生まれた瞬間から周囲が目を見張るほどのものであった。


 彼女の父、母、兄もまた美しい顔立ちだったが、幼い娘のそれは彼らをも軽く凌駕するであろうことを予感させた。

 夜に溶ける漆黒の髪、輝く翡翠の瞳、肌は汚れ知らずの白。彼女の顔、身体の造形はまだそれこそ物心つかないうちから、常人に世界の違いを叩きつけるほど完璧なもの、言うなれば神々の領域にあった。


 母親は美しい我が子に大層喜び、それに見合ったかわいらしく美しい名前を与えようと提案したが、名門貴族たる父親は彼女にもっと重々しい名を授けた。


 ――アリーヤ。高貴なる者。王位を継ぐ者。


 父は娘を、いずれ冠を抱くことのできる貴婦人に育てようと決意し、その心を名に込めた。

 彼は伯爵、けして同類たち――彼は実に貴族らしく、ヒトと見なすのは同じ貴族だけだった――に誇れるほど豊かではない暮らしだったが、たとえ直系でないにしろ、名のある誇り高き祖先の血に誇りを持っていた。


 しかしその一方で、自らの他者と比べると凡庸なあり方に多少不満もあった。領地にはさしたる問題点もなければこれといった取り柄もなく、自分にも傑出するほどの才はない。

 だが、我が子なら天下を取れる。この子は神に愛されている。いつか、彼女を頂点に。




 というのも、その強い期待と確信の根拠ははるか昔、若い頃の体験に起因していた。


 当時の彼はまだ当主ですらなくやんちゃな若君、無謀に任せてよく一人で怪しげな場所に入り浸ることもあった。


 あれは満月の夜、彼は出先で普段は大敗も大勝もしない賭け事に勝って思いがけず儲け、一気に増えた小遣いにすっかりうかれきっていた。

 だから鼻唄混じりに歩く細道の端に、幾重にも襤褸を纏って座り込むそれに施しを授ける気にもなったのである。


 それはまだ子供のようだった。が、身体のすべてを擦り切れた布切れで覆い隠しているので詳細はわからぬ。――いや、一箇所はわかる。

 襤褸布からはみ出ている痩せ細った足が、なんとも印象に残った。

 白い。あまりにも白い――夜の闇の中でそれは異様な輝きを放っていた。


 彼はふと気紛れに乞食に声をかけた。


「なんぞお前に芸はあるか?」


 襤褸布が反応してごそごそ動く。


「――何用でしょうか。高貴なる御方よ」


 声もか細く弱々しいが、存外品があってしっかりと落ち着いている。若君は反応があったので続ける。


「私を楽しませておくれ。そうしたら、金貨をくれてやろう」


 襤褸の塊はその陰の奥から注意深く、身なりよく恵まれている若君とその手の金貨袋を認めたらしい。


「……金貨は下さっても私の役には立ちませぬ」

「ほう。何ならいい?」

「食べ物と水を」


 若君はその答えに声を上げて笑った。


「では私が上等なパンと綺麗な水を持って来てやるならどうだ」

「充分です」

「他には何も?」

「……清潔な布等があればさらに嬉しゅう御座います」


 貧しき者とはかくも望みが少ないものか、それとも芸がないから要求が低いのか。若君はそう考えながら再び問うた。


「それで、お前は何をしてくれるのだ?」


 しばし戸惑った気配の後、貧しき物乞いは言う。


「……旦那様はご自分の未来にご興味がおありですか」



 望みのものを買って帰ってくると、乞食はまずパンと水を実に幸せそうにたいらげた。そうして、若君から綺麗な布を受けとると、襤褸切れの中の顔を拭っているようだった。満足してほっと息を漏らし、若君に向き直る。


「さあ、私の未来を教えておくれ」

「嘘はつけませぬが、よろしいですか」

「構わぬよ」


 若君は別段信じていたわけではないが、時間もあることであったし、戯れを聞くのも悪くない。

 どうせ当たり障りなくこちらに都合のいいことを言って終わりだろう。この手の占い業はそう言ったものだ。

 そんな風に考えていた。


「何からお話ししましょうか」

「では、将来私は出世できるか」

「あなた様はお父君より伯を賜ります。ですが、それ以上を望むと仰るのでしたら期待はできませぬ。特に血を流す争い事はお控えなさいませ。武功はありませぬ」


 おや、と少しだけ若君は驚いた。爵位は教えていないはずだが、身なりから推し量ったのだろうか。それに自分は父ほど武の腕に長けていないことも事実だ。

 まあいい、聞くに堪えず後悔するということはなさそうだ。煽てるだけでない部分も面白い。


「財はどうだ」

「多すぎず、少なすぎず。ただし浪費すれば瞬く間に滅びます」

「寿命は」

「満足するほど生きて、幸せなうちに終えることができるでしょう」


 なるほどなるほど、と若君はにこやかな顔で聞いていた。


「恋は?」

「数人巡り合うでしょう。お一人は伴侶となられます」

「妻か。私の妻は美人か?」

「はい。少々気の弱い部分はございますが、心根も優しいお方でございます。最初のうちは追いかけ、後は追わせるとうまくいくでしょう。家柄もよろしいお方です」

「家名は――いや、いい。楽しみが失せる。自分で探す」

「それがよろしゅうございます」


 すっかり上機嫌の若君だったが、ふと真面目な顔で聞きなおした。


「では、私自身は可もなく不可もない人生を送ると言うことか」

「それが最上でございましょう。油断なされるか享楽にふけるなら滅亡は免れませぬ」


 若君は淡々と答える相手に苦笑する。


「こういう時は、少しは希望を持たせる言い方をするんじゃないのか? 私とて書物に名を残し、語り継がれるような存在に憧れる身だ」

「申し上げた通りでございます。あなた様は御恩のある御方。尚更嘘は言えませぬ。ですが――」

「なんだ」


 物乞いは躊躇したが、若君が話せ話せと促すと重い口を開く。


「――最上の道を行かれた場合、あなた様は御子を二人授かります。うち一人は、あなた様と同じ。道を踏み外さなければそれなりの幸せを手に入れることができます。ですが、今一人は……」

「そこまで話して黙るな。私の子どもはどうなるんだ」


 相手は渋っているが、不意に決意したらしく今まで伏していた視線がきちんとこちらに向いた。

 若君ははっと息を呑む。――影の奥でうっすら浮かぶ白い肌。だがそれよりも目が離せなかったのは、異様に赤い目が月明かりに煌めいていた。どこまでも濁った、血のような――。



 そこから先は、その赤い目に魅入られたせいかふわふわとした記憶になる。だが、語られた内容だけはどの言葉よりも心に残った。


「……あなた様の二人目の方は恵まれすぎている。いっそのこと俗世から隔絶した場に囲ってしまった方が当人には幸せやもしれませぬ。ですがあなた様はそれを望みますまい。あなた様は彼女にあらん限りの愛を与え、そして彼女は出会ってしまうでしょう」

「誰と。何と出会うと言うのか」

「王です。帝王に御座います。彼女の夫は魔界を統一し、その頂点に君臨することでしょう。誰もが恐れ、その名をヒトビトが滅びるまで語り継ぐでしょう」

「わが娘は帝王の王配になると言うのだな? 私の青い血は報われるということなのだな!? ああ、なんということか!」

「……それも唯一の王配でしょうね。彼女亡き後は、王は正室を娶りませぬゆえ」


 興奮しきった若君は、赤い目が悲しげにちらつくのを認識できなかった。

 それゆえか、語り手はそれ以上の事は言おうとしなかった。

 若君はすっかりまた上機嫌になり、何か困ったらいつでも訪ねて来いと自分の名前を物乞いに教えて軽やかに去った。


 幸福に満ちている後ろ姿に、物乞いは一人小さくつぶやいていた。


「ええ――あなた様はそれで幸せでしょう。あなた様は彼女が成人する前、娘を授かって幸せの絶頂にいる間に毒殺される。痛みもなく死に至ります。ですが、それによって彼女は王と出会うのです。しかし彼女は生涯彼と向き合うことはありますまい……。なぜなら、ほかならぬあなた様が呪いをかけるからでございます。玉座は彼女に合いませぬ……彼女の望みはもっと卑近で小さい……。それを叶えられるには、彼女は美しすぎる……」


 ああなんと深い業を見てしまったことか。路地裏に深く物憂げなため息が落ちた。

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