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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
3章:帝王とその妻
19/25

はがれるかお

胸糞・微グロ展開注意。

 男は言ってしまえば大勢の一人だった。


 彼は騎士として非常に優秀だったらしい。

 武に長け、礼節を重んじ、仲間と婦女子にやさしかった。

 王に忠義厚く、よく仕えていたらしい。



 ただ、残念ながら一人の人間としては、非常に愚かでかつ貧弱な人物であったと言わざるを得ない。


 アリーヤの一人目の王子様に、その性質も容姿も境遇も、男はそっくりだった。

 だからアリーヤもちょっとだけ、ほかの大勢より選びやすかったのかもしれない。

 思い出すか迷うと彼女は彼を選んだ。

 彼は拒めなかったし、次第に望むようにすらなっていった。平凡であったゆえに。


 そのことは些細な勘違いを招き、恋を招いた。そして恋は嫉妬を招くものである。



 つまり、自分が特別な人間だと思いあがった男は、彼女の気を惹こうと、みんながわかっていてあえて彼女から遠ざけていた話題を囁いた。


 王の――新しい女について。

 それが、なんという名前なのか。

 それが、どんな女なのか。

 どれほど――王が彼女に惹かれているのか。


 男は愚かだった。

 ただ、ほんの小さな若気の至り。

 そうすれば、もっと彼女が自分といてくれるのではないかという些細な願望。


 恋は時として人を盲目にする。

 盲人が賢者たれば、暗闇をつつく真似はしない。



 だが残念なことに、この舞台に立っていた役者は、全員が揃いも揃って愚者であったのだ。





 いつも通りジゼルが街角で花を売っていた時の事だった。


「お前がジゼル=ヴァイオラか」


 どう見ても平素なこの街角に立つには場違いな、きらきらしい騎士が立っていた。

 彼女は驚き、恐縮する。

 周りを見ても、傍観者として興味深く観察しているか、さっさと面倒事の気配を察して逃げてしまっていたかだった。


 仕方ないので、彼女は訝しげに眉根を寄せながら答える。


「はい、そうですけれど……あの?」

「我が主が、お前にお会いしたいと仰っている。一緒に来てもらおう」


 女のジゼルよりもずっとずっと顔の整った男は、そう言って問答無用に彼女の腕をつかむ。


「え――あの、何かの間違いじゃ!?」

「お前で間違いないはずだ。とにかく来い。あの方をお待たせするな」


 ジゼルは一瞬だけ抵抗しようとしたが、男の思わぬ力の強さと冷たい眼光に思わず身を竦ませた。


 彼女のいなくなった街角に、花籠と無残に踏みつけられた花束が散っていた。



 少し歩かされたかと思ったら、窓が覆われている馬車に引き込まれる。

 さすがに抵抗を試みたが、やはり所詮一角の花娘、訓練を積んだ騎士に睨まれてはかなわない。


 それに、男が再び口にした「あの方」にジゼルは十分すぎるほど心当たりがあった。


 ――女の勘だろうか。当たらずとも遠からずと言ったところか。




 長い長い、ずいぶん長い間馬車に行く先もわからず揺られ、ようやく降ろされたかと思ったらまた急かされる。

 近くの小さな小屋に入れられる前にちらっと見えた周りはすっかり暗く、先の様子が全くわからない。

 ――静かなところだと、思った。


 彼女が突き飛ばされるようにして入れられたのは、どうやら人里離れたところにあるらしい。

 誰かが時々泊まるのか、多少人の形跡が見られるし、数泊しても大丈夫そうだ。


 そんなことより、ジゼルはその小屋の真ん中の椅子に――その椅子だけ妙になんだか高そうな布で仰々しく飾られているのだけど、そこに座っている女に目が行く。

 いや、目が離せなくなった。


 女は顔を隠しているし、けして気取った豪奢な格好をしていないが、これが気品というものだろうか、一目でジゼルのような小汚い娘とは格が違う存在なのだと知れた。

 おまけに、顔の下半分をうす布で覆っていてなおそれとわかる、奇跡のように整っている造形である。

 女であるジゼルすら、思わず呆然と見入ってしまったほど――今まで見た何よりも美しく、そしてこれから見る何よりも美しいのでもあろう、そんな女がいた。


 花売り娘は直感する。彼女に逆らってはいけない。

 この女は、持てるものだ。絶対的な、支配者側の人間だ。


 騎士は少し女に何か言いたそうだったが、その宝石のような翡翠に見つめられると渋々といった感じで扉を閉める。


 所在なく、居心地悪くしばらくジゼルがそわそわ自分のつぎはぎのあるスカートをいじりながら突っ立っていると、女が――やはり声も並々ならず美しい――つぶやいた。


「ジゼルと言うのはお前?」

「はっ、はい、そうですが……」


 答えると、女は上から下まで、静かに娘を見つめる。

 ジゼルはそのあまりに冷たい視線に、ぞっと芯が凍える気がした。


「……ただの、小娘じゃない」


 言葉からも、彼女がこちらをよく思っていないことはよくわかる。

 女はそれきり黙りこむ。長い間立たされて、ジゼルは思わず声をあげそうになる。


「あの……」

「どうやって陛下を誑かしたの」


 ジゼルは一瞬言われた言葉がわからずに、目を大きく見開いた。


「――え」

「とぼけないで。お前のような下賤な女に、あの方が惹かれるなんてありえないわ。お前から誘惑したんでしょう。……そのどんくさい見た目からは想像できないけれど、さぞかし卑しいことをしたんでしょうね」


 女の冷ややかな声と吐き捨てるような調子に、花売り娘はおろおろと、混乱しつつも答える。


「お、お人違いではございませんか? あたし、その……」

「心当たりがないとは言わせない。何度も陛下はお前のところに足を運んでいる。――あの花冠も、お前がやったことでしょう。わたくしの事を、コケにして――」


 瞬間、ジゼルの脳裏に映像が走った。


 くしゃくしゃになった花。月明かりの下で、困ったように微笑む彼。



 ――ああ、デヴィッド。すべてつながった、気がする。


 ジゼルはぎりっと、自分が噛みしめた歯の音を聞いた。握りこぶしの爪が手のひらを傷つけるのを感じた。


 いけないと、彼女の理性は警告する。

 けれど彼女の感情は――一瞬にして湧き上がった怒りは、言葉となってあふれ出る。



「――じゃあ、あなたがデヴィッドの奥方様なんですね」

「……デヴィッド?」

「一体どんな御方なのかと思っていたら……本当に、見た目ばっかり……」


 今度は、女が――アリーヤが血相を変える番だった。

 翡翠の瞳が、揺れる。


「――それは、誰が言ったの?」

「デヴィッドは確かに言っていたわ。美人だけど気位が高くてちっともデヴィッドを愛そうとしない冷血な奥様――ええ、イメージ通りだわ」


 二人の女が震えている。

 どちらも、怒りに瞳を燃え立たせて、今はもう互いに対する不満を隠そうともしない。


 ゆっくりと、アリーヤは椅子から身を起こした。


「よくも、そんなことを――」

「そうよ。あたしもね、もしもあなたに会ったら言ってやりたいこと、いっぱいあったの。――ええ、そっちから来てくれて好都合! デヴィッドが一体、どれほどあなたに――」


 王の妻はついにかっと目を見開き、叫んだ。


「デヴィッドなんておかしな名前で呼ばないで! わたくしの夫はサタン王――あの方はサタン王! この国の頂点の男です! その身をわきまえなさい、小娘!」

「あたしにとっては、ただのデヴィッドだった。いつか本当の名前を明かしてくれるときが来るとしても、その時までは。身をわきまえろ? 下賤? あなたにだけは言われたくないわ、あなたにだけは! あたし、全部知ってるんだから――」

「――何を?」


 騒ぎを聞きつけたのか、外で待機していたらしい騎士達が飛び込んでくる。

 ジゼルは構わず、すっと息を吸って――言ってしまった。


「知らないの? 言っておくけれど、デヴィッドの言ったことじゃないわ。でも、あなたにとっては取るに足らないでしょう、一般人は皆知っているのよ。あなたが夫を見下して、しかも他の男と寝てることを――ええ、皆が思っているのよ。アリーヤ様、あなたがどんなに美しかろうと、貴き血を引いているのだろうと、王妃の器なんかじゃない! 女としてのあなたは最低だわ!」


 アリーヤが叫び声をあげてよろめく。

 ジゼルを引っ張ってきた騎士が慌てて彼女に駆け寄り、そのほかの男にジゼルは取り押さえられた。

 殴られて床に押し付けられるが、ジゼルは歯をくいしばって耐えた。

 それよりもずっと強い、激しい怒りに支配されていた。


 一方のアリーヤは蒼白である。彼女を支える騎士の腕に喘ぐように爪を立て、はらはらとその瞳から涙をこぼす。


「――この女は言ってはいけない事を言ったわ」

「悔しい――なんであなたみたいな人がデヴィッドの奥様なの?」

「――罰を与えないと。あの方を、わたくしを、汚した罰を」

「デヴィッドはね、あんたのために、あたしを抱かなかった! それなのにあなたと来たら――!」


 泣いているのはアリーヤだけではない。ジゼルもまた、押し付けられた床に、頬から落ちる雫が染みとなって広がっていくのを感じていた。


「でも、あたしはそれでもよかった。ほんの少しでも、あのヒトの深い深い悲しみを、分けてもらえるなら。それであのヒトが、ちょっとでも楽になれるのなら――!」

「……そう。お前は処女なのね」


 空気が凍る。

 ジゼルの頭は女のつぶやいた言葉の意味を理解することを拒否した。

 けれど彼女は、――布で隠れていてもわかる。うっすら唇をゆがめて、言葉を重ねる。


「これから死ぬのに、それでは可愛そうね」


 彼女の視線がすっと、ジゼルを押さえている男たちに、確信的な媚を含んで向かう。

 ――彼女の下僕しもべたちは、正確にその意図を読み取る。


「――あなたって、本当に最低だわ!」


 もはや、このような小娘の遠吠え、聞くに値しない。

 傷ついた哀れなアリーヤは、王子様の慰めを受けながら小屋を出る。


 すぐに中から悲痛な叫び声が聞こえてきたが、彼女は知っている。

 それは獣のものだ。

 獣だから――吠えたって、気にしなくていいのだ。

 どころか、あの獣は彼女に爪を立てた。


「――お願いがあるの」


 アリーヤはうっとりと呟く。

 一生懸命働いてくれるこの男が、自分のどんな言葉も聞き逃さないと知っているから。


「あれを、飛び切り痛めつけて。苦しめて苦しめて、殺して。特に、顔を潰して。でないとさっきの恐ろしい様子が蘇ってきて、わたくし怖くて眠れないわ」


 男は何度もうなずき、彼女の望みは必ず果たされる。

 その腕に包まれながら、一瞬だけ小屋を振り返る。



 ――お前に、何がわかると言うの?

 何も持たずに、何も知らずに出会えたお前に――わたくしの何がわかると言うの?



 瞳を閉じる。

 彼女は知っていた。もう、まぶたの裏の金色を払うことはできない。



 ――嫌よ。

 嫌です、嫌です、嫌です――。


 あなたは、わたくしだけの方。わたくしだけの獣。そうだったはずでしょう?


 だから、余所見なんてダメなの。

 わたくしだけを見ていなければ。



 ――でないと、気が狂ってしまいそう。



 勝利の予感に酔いしれながら、彼女は思考を手放した。




















「デヴィッド」


「ごめんね」


「あたし、がまんするべきだったね。しんじゃったら、もうあえないんだもんね」


「……いつでもこれるわけじゃないって、ちゃんといってくれてたのにね。あぶないことはするなって」


「ああ」


「こんなことなら」



 ――バリッ。



 メリメリメリメリ――。




 ……これじゃもう、言葉も出せないわ。


 デヴィッド。心から、あなたを、あなただけを愛していた。この死の瞬間も、思い浮かぶのはあなたのことばかり。

 時々会えるだけで、抱きしめてくれるだけで、話せるだけで、それでもよかったけれど。


 ――本当はね。あたし、言えなかったけど、本当は。

 一度でもいいから、額じゃなくて、唇に――。

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