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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
3章:帝王とその妻
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花売り娘

 王がいつになく柔らかな表情で自室の椅子に深く身を沈ませていると、その両頬を挟む感触がある。

 うっすら瞼を開ければ、はたして虹色の目がきらめいていた。


 鬼は額の髪を弄りながら、やっぱり優しい調子で語りかける。


「坊ちゃんいい息抜き見つけたネ?」

「まあな」


 今日はそれなりの美人に化けている鬼の形の良い唇がふっと上がる。


「女ってのは可愛い生き物だろ?」

「……ん」

「機嫌損ねたら男より面倒だがネ。思い通りにいかないのがまたいいのサ」

「……うん」

「にぎやかなのも、悪くないネ」

「……そうだな」


 答えは素っ気ないが、サタン王は基本的に嘘をつかない人物であった。

 短くても返事が返ってくると言うことは肯定の証である。

 彼は答えたがらないことにはそもそも返事をしない。

 鬼はしばらく彼の頬をさすっていたが、不意に身をかがめてその額に口づける。


 王が慣れない感触に驚いたように目を開けた。

 パッチリ開いた金色は悪戯っぽく輝く相手のそれを不審そうに眺める。


「何のつもりだ?」

「あたしもうれしくなったのサ、坊ちゃんがうれしそうだからネエ」

「お前は嬉しいとそうするのか?」


 王のそれはまるで何も知らない少年が問いかけるものである。

 鬼はふふっと笑って身を離した。


「ヒトはね、そうするのサ。あたしはヒトの真似っ子が得意だからネ」

「……真似」

「坊ちゃんもうれしさを誰かに分けたくなったら、それやりなヨ」


 笑いながら鬼は出ていこうとする。

 ――あいつもアイツでよくわからない奴だ、と王は再び椅子の中に深く身をうずめ、額を押さえながら静かに目を閉じた。


 鬼はいつも温度を感じさせない奴だった。

 触れた唇も、妙に冷たかった。


「――名前」


 口に出すと、ちょうど部屋の窓からよっこらせと言いながら身を乗り出していた鬼が首だけこっちに振り返る。

 奴は当然のようにそこを出入り口にしている。


 王は目を閉じたまま、向こうがこっちの言葉を待っているのを気配だけで悟って続ける。


「お前の名前、つけてやろうか。人食い鬼は、お前には合わない名前だろ」


 鬼は黙り込んでいたが、やがてふふっと音を立てた。王はそれを了承と捉える。元から拒否されるとは思っていなかったけど。


「それも彼女の教えかい?」

「向こうは勝手に俺の名前つけて呼んでるからな。次会うときまでに、考えておく」

「はは、坊ちゃんが教えないからだァ。それじゃ次回を楽しみにしてるヨォ」


 その声は本当に楽しそうだった。

 ――楽しいと言う気持ちをなんとなくわかるようになった王だから、そんなことも思えるようになっていた。



 ジゼルと知り合ってからの王は、以前よりも笑顔が柔らかくなった。

 アガレプトなどの重鎮はそれに気が付いたし、宰相は当然彼のお遊びは知っていたからなんとなく理由を悟るも、少しだけ確認のようにいくつか聞いてからは何も言ってこなくなった。


 アガレプトはむしろ、好ましいことだと思っていた。

 ――どう考えてもこの夫婦は現状良くならないが、かといって妻の方が歩み寄ってくることはありえないように思えたからである。


 だったら他の女に癒されて、それで王の機嫌がよくなるなら構わないと思った。それで余所に子ができるならそれはそれでとも思っていた。

 政治に口を出したり過度な贈り物を強請ったりするような性悪だったら排除を考えないでもないが、その辺の心配が感じられなかったのもそうだったのだろう。


 要するに、知らぬ人は首をかしげ、知る人もやはり何も知らぬ顔をする。

 それが王の新しい遊びに対する反応であった。



 ――ただ一人を、除いて。



 王が会議のために廊下を歩いていると、誰かと――正確には誰かの一団とすれ違いそうになった。

 一応把握して軽く礼をし通り過ぎようとするも、相手が止まったので仕方なく彼も止まる。


 アリーヤは静かにサタンの事を眺めてから、そっと目を伏せて言った。


「……最近、少しお変わりになられましたのね」


 珍しく声をかけてきたと思えば、とサタンは息を吐きそうになるのをこらえつつ、思った以上に素っ気なく答えた。


「気に入らないか?」

「……」


 押し黙るアリーヤに、彼は周囲にヒトがいるのも構わずすらすらと言ってのけた。

 夫婦の不仲を、夫の方も隠そうともしなくなっていた。


「わかってるよ。君は俺のやることなすこと全部嫌いなんだ。だが最近こうも思う。どうせ全部嫌いなら、もう俺が何をしようと構わないんじゃないか? ――わからないよ、君の気持ちが。嫌いなら無視すればいいじゃないか。どうしてそう、いちいち言ってくるんだ?」


 アリーヤは何も言わない。ただ、その翡翠の瞳がいつになく揺れていたので彼は束の間待つ――待とうとしている間にぽつりと思わず一言漏れた。


「……それともそんなにまで、君は俺が――嫌いなのか」


 アリーヤは何か言おうとしたのかもしれないが、結局周囲をちらりと見ると顔を伏せてしまった。

 用は済んだとばかりに通り過ぎようとする夫を、一度だけ呼び止める。


「サタン」


 くるっと振り返った彼の顔に――彼女は自身の身体が粟立つのを感じた。


「……なんでもありません」


 動揺を押し殺して言えば、振り返りもせずに歩いて行く。

 彼女はそっと、両手で自分を抱きかかえた。


 いつからだろう。彼が自分の事を窺わなくなったのは。

 まるでもう、気にしないとでも言いたげ。



 ――嫌よ。

 あなたはわたくしだけを見ていなければいけないの。


 嫌よ。

 わたくしの知らないあなたなんて。


 契約したじゃない。あなたのすべてはわたくしのもの。たとえわたくしがどう思っていようと。



 ――どう思って、いようと。



 ……どう思っているの、アリーヤ?



 腹の底から上がってくる何かどす黒い塊を戻そうとするかのように、つばを飲み込むと妙に大きくごくりと喉が鳴った。




 ジゼルはあの夜以来ふらりふらりと時折訪ねてくる不思議な男の事を、暫定的にデヴィッドと呼ぶことにしたらしい。


「デヴィッドったら本当に変なヒトね」


 彼女はしょっちゅうそんな風に言っていた。

 ジゼルは街角の花売り娘だった。と言っても、本当に植物の花を売るだけで特に色目を使ったりすることはないらしい。なんでも日雇いの仕事の方が本職で、うまくそれにありつけなかった日に花売りをやっているんだとか。


 デヴィッド(仮)は彼女が仕事中の時は基本的に現れようとしないが、一度厄介な客に絡まれてどうしようかと思っていると、またいつかの時のようにふらっとあらわれて追っ払ってくれたことがあった。

 そのくせ追っ払ったら用は済んだとばかりに帰ろうとするので、その服の裾を引っ掴んで引き留めることになった。


「あの、なんで助けてくれるの?」

「なんとなく」


 一緒に仕事をしている仲間たちからにやにやした顔とともに思い切り冷やかされたのが恥ずかしくて、その日の仕事は切り上げ、二人で公衆用の椅子に腰掛けていた。

 鳶色の瞳(彼女の気のせいか光の反射か、なぜかたまに金色に見える気がする)は面白そうに輝いている。

 ……そう言えば額布を巻いている頭の方も、至って普通の魔人の茶髪に見えるのに、たまに日の光のような金に見えてしまうことがある。ごしごしこすって見直すと元の一般人色に戻っているのだが。つくづくおかしな男だと思う。

 ともかく、ジゼルは思い切って気になっていたことを聞いてみた。


「な、何度も会いに来るのはどうして?」

「面白いから」

「……それはあたしが?」

「ん。嫌ならやめるが?」

「嫌なんて誰も言ってないじゃない! 別にいいわよ、会いに来ることくらい!」


 慌てて答えると、男は無邪気な笑顔になる。

 この、躊躇なく人殺しができるような境遇か職業にあるであろう男のくせに、折に触れて妙に子どもっぽい笑顔になるのが狡いとジゼルは思う。

 おかげで調子が狂うし、何故だか顔が赤くなってしまう。


「そうか。なら両思いだな」


 さらりと言ってのけるところはタラシなのかとも思うが、聞けば思わぬ衝撃発言が返ってきた。


「女は妻が一人。それ以外は知らん。抱いたこともない」

「……っていうか、あなた妻帯者だったの!? 何しゃあしゃあと答えてるのよ!」


 それなのによくもまあ、こんなうら若き乙女の心を弄んでくれたわね! と怒る前にやっぱりさらりと彼は付け加える。


「仮面夫婦だがな。あっちは俺を心底毛嫌いしているから」


 デヴィッド(仮)の表情は、いつも通りよくわからない笑顔のままだが、なんだか冴えない。

 妻がいると言う事実もかなりの衝撃だったが、その姿にジゼルは無性にどうしようもない寂しさを覚えた。


「奥様、愛していないの……?」

「さあね。あっちが俺をそうじゃないことだけは確かだろうよ。俺からは……よくわからない」


 ジゼルが泣きそうな顔になると、目が零れるぞと彼は苦笑した。

 ……友達からもあなたの目は大きくて吸い込まれる、と評されたことはあったが、デヴィッド(仮)は本気で彼女の目がころんと転がり出てくるんじゃないかと心配しているらしい。

 妙な部分が抜けている男だ。


 ジゼルはぐいっと顔をこすると、花かごの中をごそごそ漁ってせっせと何かかき集めている。

 何が始まるのかとデヴィッド(サタン)が興味深そうに見ていると、瞬く間にその場で掌に収まるような小さな一つの花冠が出来上がった。


「――はい、デヴィッド!」

「なんだこれは」

「お花をもらってうれしくない女性はいないわ。奥さんに、あげてみて。できれば、お好きなお花とか色とか知ってると、それに合わせた花束を作って差し上げられるんだけど」

「花か。花は確かに贈ったことがなかったかもしれない」

「嘘、一度も!?」

「お高い相手だから、なんかそう言う高そうなものを大体渡してたな。喜ばれたことはないし、機嫌が悪いと突き返されるんだが」


 ……聞けば聞くほど、ジゼルは気がめいるような話の予感がしてきた。

 ともかく、花冠を押し付けて立ち上がる。


「デヴィッドは良くしてくれた人だもの。あたし、あなたの役に立ちたい。――奥様の話をするときのあなた、とっても寂しそうなんだもの」


 デヴィッドは目を瞬き、苦笑する。

 ――この男は基本的に自分の感情を笑顔でしかあらわそうとしないのだと、ジゼルはなんとなく感じる。そのことでまた、どうしようもなく悲しい思いに駆らせられる。


「奥様、喜んでくださるといいんだけど。……あっ、絶対に女から渡されたって言っちゃだめよ!? あくまでもこう、自分で選んできましたよって感じに」

「わかったわかった。有難いアドバイスだ」


 彼はそう手をひらひらさせると、花冠を大事そうに抱えて去っていった。

 ――きゅんと痛んだ胸は、気のせいだとジゼルは思うようにした。



 けれどその晩、急にやってきた寒さのせいか目が冴えて眠れずにいた彼女の部屋のドアを叩く者があった。

 ――普段の彼女なら、夜中の訪問者なんて警戒してまず開けない。その時は妙にぴんときた。


 走って行って開けてみると――はたして、デヴィッドだった。

 だけど、その笑顔は空虚に見えた。彼女は一瞬、彼が泣いているのかと思った。


「悪い……ダメだった」


 彼はそう言って、苦笑する。ひゅっとジゼルは自分の喉がおかしな音を立てたのを聞いた。


「こんな――安っぽいもの、贈るなってさ。炉辺の花の有り合わせじゃないかって。こんな冠、いらないって」


 デヴィッドはそう言って、彼女にそっと花冠を返す。

 ――ぐしゃっと乱雑に扱われたのか、形の良かった花はすっかりしおれてしまっていた。


「……わかんないんだ、あいつの事。もう全然。何しても怒るし。この頃特にひどくて――」


 ぐっと涙がこみ上げてきたが、堪える。――だって、彼の方がずっと、笑っていたけど苦しそうな顔をしていたから。


「……何が悪かったんだろう」


 ふっと彼が息を吐いた。それはきっと、今回の事だけでなく、ずっと前からの事も含んでいるのだと思った。――そんな重みが、言葉に乗っていた。

 その腕に思わずそっと触れてはっとする。向こうもその眼を見開いた。


「――あなたは悪くない」


 口をついて、その言葉が出てきた。


「あなたは、何も悪くない――!」


 そのままその胸に縋り付いて、大泣きしてしまう。

 ただただ悲しかった。深い事情はわからないけれど、そんなことがあっても途方にくれたように微笑するこの男がとても悲しかった。

 デヴィッドはなだめるようにジゼルを抱きしめて、ぽんぽんとその背を叩いてくれる。


 一歩、二歩。ジゼルが下がると彼が入ってきて、扉が閉まる。

 十分泣いてからふと身を離してもう一度彼を見上げると――そこには、金の髪に金の瞳のデヴィッドが立っていた。

 一瞬ぽかんとするが、すぐにジゼルは濡れた目のまま微笑んだ。


「昼間のあれは……幻覚じゃなかったのね。こっちが本当のあなたなの?」


 ジゼルは自分の身体が震えていることを感じる。手をそっと頬に持っていくが、男はさせるままにしている。


「――あなたの目も髪も、とても綺麗な色ね。その翼も、角も、不思議な形だけど――あたしは好きよ」


 彼は一瞬だけ目を丸くして、そして頬に触れるジゼルの手にそっと自分のそれを重ねた。


「そう言われたのは、初めてだ」


 ポロリとジゼルはまた涙が零れ落ちていくのを感じた。



 デヴィッドと呼んでいる男の顔が額に降りてくる。前髪をかきあげられて、ちょっとだけ緊張した。

 ジゼルは抵抗しなかった。すぐそこに温もりを感じた。

 彼はそっと口づけて、それから彼女の身体を両手で包み込む。


「――嬉しいことがあると、ヒトはこうするんだと聞いた」

「あなただってヒトだわ、デヴィッド」


 彼女の目を見て、彼は察してくれたらしい。屈みこんだ彼の額に、ジゼルも心を込めて軽くキスをした。

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