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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
3章:帝王とその妻
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蟠り

 サタン王が魔界を統一して数百年。

 彼は当初の混乱期こそその容赦のなさが目立ちがちだったが、他者とのやり取りなどからうかがえるように、生来の性質は素直な方でヒトの言うことをよく聞くものであった。

 あれほど多くのヒトを殺していなければ聖職者になれたかもしれない、宰相アガレプトはそう彼特有の皮肉っぽい調子で言って見せたこともある。

 それに対して、むしろ多く殺したからこそ聖職者になる意義も出るのではないかと、サタン王は笑いながら返して見せた。

 ――本人は神を信じない男だったから、王として行事に参加はしても、自ら神殿に足を運ぶことはなかったのであるが。


 また、王はヒトの話を聞くしそれを採用するとても、ただ言われたことをそのまま鵜呑みにすることもなかった。彼にとって気に入らないことがあればアガレプトらにその場で反論したし、自分で納得しなければたとえ臣下が、時には自分の側近がどれほど言いつのろうとも無視することもあった。



 サタン王の治世の最初は確かに混乱期であったが、それが過ぎて彼が変貌するまでの500年は、後に奇跡の500年と呼ばれるくらいに、多少の事はあっても安定した平和が続いた時代だった。

 この頃の王の評判はまだ、考えや行動がぶっ飛んでいるすごい王様、そんな程度だったのである。



 その奇跡の500年にアリーヤは泥を塗った。


 帝王が正式に即位した戴冠式で彼の横に立った彼女を初めて見た時は皆、その尋常離れした美貌と洗練された所作に度肝を抜かれ、さすがは頂点に立つ男の配偶と納得した。

 公式舞台でもわかるほど少々夫に冷たい態度は気にならないでもなかったが、アリーヤはそれこそ帝王の妻となるべく叩き込まれて育った女性である。

 それは彼女の気位の高さを表しているように思われた。

 ――ともかく冠を抱く者として、アリーヤは公で完璧にふるまって見せたのだった。


 彼女は夫の政治には参加しなかった。

 女が男の仕事に口を出すのははしたないことと当時の魔人貴族は思っていたし、古風な父の教育を受けてきた彼女とてそれは思っていた。

 彼女自身も小難しい話がそこまで好きな方ではないし、雲の下の有象無象の民草に――それらは当たり前に存在し、当たり前に彼女たちに尽くすものなので――興味を向けることもなかった。

 王も彼女がもし口を出していたのなら耳を傾けていたろうが、興味なさそうにしていることは強いなかった。彼は彼女の好きにさせていた。


 だから妻としてもっぱら彼女が求められたことは、お洒落にふるまったり上品な娯楽を貴族たちに提供することよりも――跡継ぎを産むこと。それに終始していたと言っても過言ではない。



 ところが夫のサタンの方がこのことに関して特に消極的だった。

 彼はもろもろ落ち着いてきたのだからさっさと跡継ぎ作って我々を安心させてくれと言うアガレプトの言葉だけは、いつまでも聞こえないふりをした。


 アガレプトは馬鹿ではなかったから、夫婦の仲がかなり冷え込んでいる(というか妻が夫を毛嫌いしている)事は察しており、だったら別の女でもいいからと紹介したこともある。

 宰相は確かにアリーヤを目の前にしてしまえばその美貌に気圧されそうになることを自覚していたが、別にあれが次代の母でなければいけないとは考えなかった。むしろ彼女が母親だと面倒が増すと思っていた。


 しかし当初のサタン王は、それらの女性に手を出すこともなかった。後の事を考えれば同一人物かと疑いたくなるほど、彼は妻に誠実だった。


 何のことはない。サタンは約束を守る男だった。

 だから彼は、妻に尽くす、妻にすべて捧げると言う約束を守っていたに過ぎない。


 もう一つ。彼は子どもに興味がなかった。むしろいらないと思っていた。

 ――自分のような獣は一匹で十分。そう何人もいてたまるものかと思った。

 それをアリーヤに孕ませ、死ぬほど痛い思いをさせてまでこの世に生まれ出でさせる意義が感じられなかったのである。



 一方のアリーヤは夫の悪評が薄れ、帝王、名君としての評判が上がっていくのに比例するように、表では変わらず帝王の妻としてふるまいながら裏で素行不良になっていく。

 ――男漁りを始めたのである。


 最初はヒゲの騎士の、そして次にベリアルが彼女にしたことは、彼女の心にも身体にも深い深い傷を残していた。

 彼女の身体は彼らとの繋がりが断たれた後も、時折何かの衝動を求めてひどく激しく燻った。

 ――男を求めて、彼女に訴えかけた。


 そんな時、彼女は自分が王子様に焦がれているのだと認識した。

 王子様に癒してもらえれば、この胸の燻りも収まると思った。


 彼女は適当に目に留まった一人の見目麗しい騎士に微笑みかける。

 日ごろから胸をときめかせている美しい王妃に意図的な誘惑を受けて拒むことは難しかった。



 最初は、そんな風にして始まった。


 そのうち、夫にそのことを隠しもしなくなる。明らかに気が付いた彼が咎めなかったせいもあった。



 アリーヤは夫の顔を見るたびに覚えるざわめきを、彼を嫌っているから、憎んでいるからだと思いこもおうとした。

 だから夫が自分のすることに困ったような顔や悲しそうな顔をするのを見ると、溜飲が下がる思いだった。

 けれど何も言わない夫を見ると、さらに苛立ちが募って身体は悲鳴を上げた。



 サタンの方はずっと、アリーヤのすることを知らないふりをし続けたし、露骨に男が部屋から出てくるところに鉢合わせても何も言わなかった。どころか周囲に口止めさえした。


 彼は彼女がいまだ王子様を探していることを知っていた。自分がその王子を殺したことに相変わらず負い目のようなものを感じていた。それが彼女を狂わせ、おかしな行動をさせる一因だと思っていた。

 だから、それが彼女の幸せなら王子様探しも致し方ない、見つかったのならその男と幸せになればいいと彼は言った。


 そのうちに彼も、だんだん妻の悪癖に慣れてくるようになる。表情をゆがめることさえなくなっていった。



 アリーヤは別の男たちを寝室に引き入れるようになり、それを明らかに見逃している夫に度々尋ねてみた。


「どうして何も言いませんの?」


 彼は困ったように――何度もそのやり取りを繰り返すと次第にいつもと変わりなく無表情に、やがて億劫ささえ滲ませて素っ気なく答える。


「約束したじゃないか。俺はそれを守ってるだけだ。――それが君の幸せなんだろう? 好きにすればいいさ」


 そんな夜は、アリーヤは不機嫌そうにサタンに自分に尽くすことを命じる。

 彼はすっかりその頃には立派で上品な男の振る舞いを身に着けていた。アリーヤはどの男よりも彼に触れられると身が火照るのを感じた。


 それでも毎回アリーヤは自分で言い出して、途中でもういいと布団の中に隠れてしまうのだった。

 サタンは中断されても怒ることもなく、息を吐いてから身支度を整え、静かに寝室を出て行った。


 彼は知らなかった。彼女が出ていく足音を聞きながら、手が白くなるまでシーツを握りしめ形の良い唇を噛みしめていることに。

 密かに彼が戻ってくることを待っていたことに。



 彼女自身にもわからなかった。

 自分は帝王の妻になった。帝王は自分の望んだヒトではなかったけど、きちんと使命は成就されたはず。


 それなのになぜ、この胸はいつまでもすうすうと穴の開き風が通っているかのように冷えるのか?

 なぜ、どの王子様も自分を満足させてくれないのか?


 なぜ、形だけのはずの夫を――自分の身体はこんなにも、求めているような反応を見せてしまうのか?



 サタンは獣。彼女が心を許していい相手ではない。

 ――彼が帝王になっても、いや帝王になって周りが認めるようになったからこそ余計に、アリーヤは意地を張った。

 そしてアリーヤが意地を張れば張るほど、サタンは彼女の矛盾に混乱し、けれどその本心には気が付くことはなかった。



「煮詰まってるネエ、坊ちゃん」


 サタン王がアリーヤに追い出されたある夜、またもどこからかするりと鬼がやってきた。

 この頃の――これ以降もそうだったが、鬼は侍女の格好をしていることが多かった。

 特にどうということもない凡庸な顔立ちの女の目だけが妖しく虹色に輝く。


「今度は何の用だ?」

「坊ちゃんが帝王になった責任はあたしにもあるから、アフターケアまで怠らないのサ」


 相変わらずおかしなことばかり言う奴だとサタンが苦笑いすると、鬼はすわり心地のいい椅子に深く腰掛けている彼のところまでやってきて、上から覗き込む。

 額の髪を弄られて、王は苦笑の形に口元を緩めたまま目を閉じ、鬼の好きにさせていた。


「いいこと教えてあげようネ。お出かけするといいヨ」

「どこに?」

「どこでもいいヨ。ちょいとこの城の空気悪くなってるからネ。入れ替えサ、入れ替え」

「帝王はどこに行くのも大げさで面倒だぞ」

「変装してお忍びすりゃいいのサ」


 ぱちりとサタン王が目を見開く。思わぬ至近距離にあった虹色と視線が交錯した。


「そうだヨ、坊ちゃん。坊ちゃんはしたいことをすればいいのサ。あの女にはもう十分尽くしてやってるって」

「でもアリーヤは不満そうだ」

「だったらなおさら自分で色々探しなヨ。どのみち今のまんまじゃどん詰まりサ。いい結果なんて得られないヨ」

「俺が城にいないと皆大変なんじゃないか?」

「あたしが代打してあげるヨ。座ってるくらいだったら普通にできるからネ。どうしても坊ちゃん必要な時が来たら呼びに行くヨ」


 そう言った直後に、鬼の姿はサタンのそれと服装まで全く同じものに変じる。

 自分に覗き込まれるとさすがに王は顔をしかめた。


「やめろ。俺の見てないところでやれ、気持ち悪いから」

「坊ちゃん自分の姿は嫌いかい?」

「声まで同じにしやがって……知ってるだろ。この姿で良かった思い出があんまりない」

「あたしは好きだけどネ、坊ちゃんの金の髪も金の瞳も、使えない翼もネ」


 サタンは鼻を鳴らして身を起こした。鬼も同時にさっと弄っていた手をどけて元の姿に戻る。


「――まあでも確かに、最近退屈していた。いい案だ、早速明日実行する。唆したんだからお前もしっかりフォローしろよ?」


 鬼は言いつけられてにっこりほほ笑んだ。


「もちろんだとも。坊ちゃんの言うことだったら、あたし何でも聞いてあげるヨ」



 後に有名になるサタン王の忍び遊びはそうして始まった。

 けれど彼が不在の期間を募らせれば募らせるほど、妻の機嫌は悪くなり素行は悪化する一方だった。


 悪循環である。アリーヤが嫌がると、サタン王は出て行った。夫が出て行くと、妻はますます機嫌を悪くした。


 それでも口を開けばあなたなんて大嫌い、わかってる、大嫌い、わかってる――。


 だから彼らの時は止まったまま、進展するどころかますます離れていった。



 ――時は巡る。運命の歯車は廻る。



 その日サタン王は別人に姿を変えてふらふらと、すっかり広く雑多になっていた城下を彷徨っていた。


 彼はそこまで治安のよくない場所やさびれた場所をうろつくのが好きだった。

 ヒトは長ずれば幼い頃や若い頃に戻りたがると聞く。だからなのか、整いすぎている場所や綺麗すぎる場所はどうにも自分が異物である気がしてならなかった。

 自分で作った王城に魔改造を加えて混沌とさせたのも、この辺りの感覚に起因していることなのかもしれない。


 ともあれ、口笛を吹きそうな勢いで(その日は近くの賭場に足を踏み入れ、そこそこ勝って帰ってきた。本気を出せばもちろん大勝できるが、それでは面白くないので適度に負けるのが楽しかった)機嫌よく月明かりの下、人気のない路地を歩いていた彼は、耳に異音を捉える。


「――さい!」

「――――!」

「――しろ!」

「――いや!」


 それは一人の女と、複数の男の声。

 女の声はどこか懇願するようであり、男たちは下卑た調子だった。


 くるっと王は踵を返し、音のする方に歩いて行く。

 彼はお忍び中、厄介ごとがあれば積極的に首を突っ込んだ。

 退屈しのぎや気分転換なのだから、普段と違う体験ができそうなら機会を逃さずにしようと思ったのだ。


「嫌です、誰か、誰か助けてっ――」

「うるせえ、黙らねえと殺すぞ!」


 パンッと乾いた音が響く。すぐそこだ。

 荒事の気配に、彼は心躍らせてしまう自分を自覚する。――獣は、闘争に飢えていた。

 角を曲がり、ひゅうっと鋭く音を鳴らして見つけた彼らの注意を引く。


 ぎょっとしたように振り返った見るからにならず者3名――しかも魔人だ、嘆かわしい。


「――んだ、お前ェ!」


 男の一人がすぐにドスをきかせた声で吠えたが、王にとっては子犬がキャンキャン喚いているのと同じこと。いつも通り、笑ってないようにも見える笑顔で答えた。


「暇人さ。面白そうな気配がしたから、邪魔しにきただけ」


 彼はそう言いながら、ふっと視線をずらして男たちが囲んでいる路地の奥の女に向けた。

 半裸状態で片方の頬を赤くして押さえている彼女は、縋るように彼に涙を含んだ目を向けてくる。

 妙にその大きな瞳が印象に残った。



 ――時は巡る。運命の歯車は廻る。

 王はそうして彼女と出会ってしまった。

 アリーヤとの離別を決意させることになる、二人目の女と。

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