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冠を抱く者  作者: 鳴田るな
2章:奴隷と情婦とその主人
13/25

ベリアル

 深夜だった。ベリアルの私室は派手好きの主の趣味に合わせてか、赤いものが多い。それも暗くしてしまえばすべて闇の中に沈む。


 彼は一人で椅子に深く腰かけ、机の上の蝋燭をただじっと眺めている。


 ベリアルは誰もかれも追い払って、たまにこうやって部屋で火を見つめているのが好きだった。

 蝋燭が燃え尽きるまで見つめてから、そのまま椅子で目を閉じて朝まで過ごす。

 そういうことを彼は定期的に行った。


 大体、何か大事の後か前に。


 ――予感のようなものが、あったのだろう。



 誰かが入ってきた気配に、彼はふと顔を上げて振り返る。


 いつものように人殺しを命じて送り出し、手早く済ませて帰ってきたろう青年の様子に、ベリアルは何か言おうとしたが黙った。


 常なら薄く発光している隷属印が光っていない。

 ためしにベリアルが心の中で軽度の仕置きを念じても、何も反応はなかった。

 そこまで確認し、彼の右手にゆらゆら揺れている愛刀を認め、彼はふっと肩をすくめてみせた。


 青年は束の間主の様子を窺っていたが、彼が手を組んで自分の言葉を素直に待っているのを知ると口を開いた。


「――確認したい」


 ベリアルは促すように微笑む。青年はゆっくりと続けた。


「お前、昔竜を食べたな。その竜の名前を、言ってみろ」


「……これは一体どういうことなのかな」


 主は唐突な質問の意味と明らかに様子がおかしい青年の態度と、両方を言っているのだろう。

 ついでに効力を失っているらしい隷属印についてのことも含んでいるのかもしれない。


 しかし青年は無視した。揺れる蝋燭の光に照らされ、琥珀と黄金の瞳が静かに輝く。


「質問しているのはこっちだ。答えろ。100年くらい前の話だ。五英傑が宴を開いて、珍味をとりわけあったと聞いた。――その時にお前は竜を食べたはずだ。まだ生まれてそこまで経っていない、小さな竜だった」


 ベリアルは一瞬だけ真顔になってから、いつも通りふっと口元を緩め、こめかみのあたりに気取って手をやりながら答える。


「――ああ、確かに、そんなこともあったっけ。で、なんだ。名前? そんなもの――食材に求める奴があると思うか?」


 青年は押し黙る。ベリアルもじっとそれを眺めたまま何も言わない。

 しばらくしてから深く深く、サタンは息を吐いた。


「……よくわかったよ、ベリアル」


「呼び捨てか?」


「どうでもいい。――なあ、教えてほしいんだ。どうすればいい? 思いつかないんだ。どうやってあんたを殺したら、俺は満足すると思う?」


 青年はゆっくりと刃物を揺らしながら、何気なく尋ねる。

 ベリアルはその問いに、ふんと鼻を鳴らして再び椅子に深く身をうずめた。


「何をしても満足なんてするものか。吾輩を拷問しようと嬲り殺そうと、お前のこだわっている奴が帰ってくるわけではないのだろうし、お前はそういうことを好む性質ではなかったろう」


「――そうだな。馬鹿なことを聞いた」


 青年は冷たく言って、愛刀を投げ捨てる。

 ベリアルの目は興味深そうにそれを追い、微笑みながら主は尋ねた。


「殺し方は決まったか?」


「あんたも知っての通り、いつも通りちゃんとやるよ」


 少年の手が上がりかけるのを見て、ベリアルは朗らかに提案する。


「まあそう急くな。これで最期なんだ。話を聞いて行く気はないか?」


 青年はゆっくり主を窺う。

 ――ベリアルは妙に落ち着き払っていた。不気味なほどに。

 この男は周到で卑怯で性格が悪い。何か策を講じていて、時間稼ぎでもしているのだろうかとも考えたが、ベリアルは青年が黙っている間に勝手に喋り出す。


「なんとなく、わかっていたよ。お前がこんな風に、吾輩に刃を向ける日が来ることは、わかっていたことなのだよ。あの日闘技場で血濡れのお前を見た、あの時から」


 青年は直感する。ベリアルには抵抗の意志がない。ただ喋りたくて喋っているだけだ。

 ――いつも通りだった。彼はしたいときにしたいことをする。周囲の都合なぞお構いなしに。


 主は懐かしむように目を細めている。

 青年だって覚えていた。――闘技が終わった瞬間に、その時の自分の持ち主に金貨を投げつけて、呆気にとられている自分の手を強引に引いた男との出会いを。


 思えば最初の印象からして、面倒そうな奴だなと思ったものだった。実際、割と面倒な男だった。


「拾えばそこそこ退屈せんとは思ったよ。だが吾輩だってその時すでにベリアルだった。いくら退屈まみれとは言え、自殺志願者の真似事をするつもりはなかったのだよ。

しかし、身体がな。闘技場から出て行こうとしても動かなんだ。まるで吾輩の中の何かが、お前を呼んでいるようだった、呼ばれているようだった。

――だから、それもいいかと思った」


 無意識なのか意識してのことなのか、ベリアルの片手がすっと腹に降りて行った。

 ――青年の瞳が揺らぐ。


 ベリアル公は穏やかに、かすれた低い声で囁くように発音する。


「悔いはない。吾輩はいつだって好きに生きてきたし、まあ退屈ではあったがそこそこ満足した。もう一度同じように生まれてきても同じことをしたろうよ。冥府に行ってもやはり大して変わるまい」


 ぽつっと青年はつぶやく。


「死後の世界は、この世界ほど享楽に溢れてないだろうがな」


「それはそれで、穏やかな静寂に身を委ねるとしよう。学者でもやるかな。神学なんていいかもしれない」


「似合わないね」


「吾輩にやってできないことはないのだよ。生きているとき同様にね」


 青年が何も言わなくなったので、主も黙り込む。

 けれどすぐに、思い出したように付け加えた。


「なあ、サタン。お前が吾輩を殺すときが来るとしたら、仕打ちに耐えられなくなってのことかと思ったが――それらはどうでもよかったのだな。まさかそんな昔の事を理由に、こうなるとは思っていなかったよ」


「……散々嫌がらせを繰り返したのは、そういうことか?」


「自分を殺す者が、自分に欠片も興味を示さなかったら面白くないに決まっているだろう。まして吾輩はベリアル公だ。お前くらいだぞ、この吾輩にそこまで適当な態度を取ったのは。


――しかし、少なくとも嫌がってくれていたのなら、吾輩のやっていたことにも多少は意味があったな。

ああ、もちろん、嫌がらせ自体が楽しかったこともあるよ。弁明なぞしないさ。必要だとも思わないからな」


「そうだな。俺も、そんなことは求めていない」


 ベリアル公は笑う。青年は主に一歩近づいた。一歩一歩近づいて、目の前までゆっくりやってきた。

 主は座ったまま、今はもう背が伸びて彼とそう大差ないまでに育った青年を見上げる。出会ったときは、こうして腰かけていてちょうど同じくらいの目線だった。


 ――青年がここまで静かな殺意を以て誰かに相対したことは初めてだった。

 迫りくる死の気配に、ベリアルが怖気る様子はない。むしろ若干歓迎しているような気さえした。


 思えば、ベリアルと言う男は最初からどこかおかしかった。

 何をしても、今みたいに少し眠たそうに目を細め、薄く微笑んでいただけだった。


 ベリアルもまた、すべてを持てる者だった。富も、名声も、外見も。およそヒトが一般に欲しいと思うものをすべて有していったと言ってもいい。

 彼の実家は金持ちの名家であり、彼自身も幼い頃から才気煥発な男だった。ヒトの心をつかむのもうまかったから交流にも不自由しなかった。


 彼は生きることに飽きていたのかもしれない。彼にとって生きることは、作業に近いことだった。贅沢な悩みだ。彼には悩みのないことが悩みと言っても良かった。

 心乱れると言う感覚がベリアルにはわからなかった。


 だから彼は、サタンに執着のような感情を抱いたのかもしれない。

 金で奪った少年が一瞬だけ自分に目を向けてからふっとそらしたあの時から、ベリアルはその金色の目に自分を映してみたかった。


 残念ながらついに、嫌悪だけで憎悪は得られずに終わったらしいが。


 そんなことを、なんとなく彼は思った。 


「――その時が来たか? 遠慮はいらないぞ。全力で、来い。吾輩はベリアル公なのだ。その程度の事、受け止めてやろうよ」


 ベリアルはいつも退屈していた。圧倒的に他者を蹂躙し弄び、すべてを支配し手に入れていたはずだったのに、いつだって彼は満たされていない顔をしていた。

 それが今は――完璧に満足している、とでも言いたげな表情だった。


 まるで微睡に堕ちようかというように目を閉じて、ベリアルはもう一言付け加える。


「……ああ、最後なんだし、これだけは言っておこうか、サタンよ。お前もな、きっと吾輩と同じ時がやってくるぞ」


「誰かに殺されるときが来るってことか?」


「いいや。はた迷惑な退屈しのぎをせずにはいられないということだ。――呪縛から解き放たれたお前はきっと、吾輩同様すべて手に入れるさ。だから、吾輩の気持ちだって、その時わかるだろうよ」


 サタンは静かに片手を上げて、ぽつっと漏らす。


「あんたってホント、最期までやなやつだったよ……ご主人様(マスター)


 振り下ろされた瞬間、一瞬だけ激しく強く光り輝いて、そして蝋燭の火はふっと消えうせた。




 静かだった。何もかもとても静かで、青年はその中に立ち尽くしていた。


 隷属印が輝いてから、砕け散る音とともに消失するのを感じる。

 真っ二つになった元主の亡骸を前に彼はため息を落とした。


「……俺は本当に馬鹿だ」


 彼は束の間自分が立ち尽くしていた理由を自覚し、それに自嘲していた。


 ――どこで聞いた話だったっけ。

 可愛い子羊が化け物に食われるけど、母さん羊がその腹を裂くとちゃんと出てきて、親子仲良くその後は幸せに暮らすんだ。

 童話の世界の話、なのに。


 アルの死を、この目で見たわけではなかった。彼は友人の最期については、ヒトから聞かされただけだった。

 自分はまだどこかで、再会を期待していたのかもしれない。


 ぽたん、と何かが落ちた音がした。

 ああ、と青年が吐いた息には悲哀が籠っている。


「……アル。どうして俺は、死ねない身体なんだろうな。これから一体、何をすればいい?」


 ぽたりぽたりと、床に水滴が落ちる。


 彼はそれが自然となくなるまで立ち尽くしてから、一度瞬きして踵を返す。

 背を向けた瞬間に、ベリアルの屍が燃え上がった。


 ――灼熱の大地の主も、その主の一部となった空の生き物も。火葬してやるのがふさわしいと、彼は思ったのだった。

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