ヒトでなしの縁
荒んだ心のままに、彼は手をふるう。斬撃。10人切れた。
反対側にも放つ。20人死んだ。
戦場では大体そうだ。最初に主力部隊を叩き潰してから、こうして残党狩りを行う。
月明かりの下、森の中を歩く。意識が暗く昏く、濁っていく。黒ずんだ染みが少しずつ、けれど確実に、広く深く、飲み込んでいく。
横から唸り声が聞こえた。
半狂乱で飛びかかってきたやつに押し倒されて、ぐさっと貫かれた感触。
意識が一瞬で飛ぶが、再び戻ってくる。
血を吐きながら、彼は即座に回復した身体に恐怖の絶叫を上げる男の首に両手をかけ、砕き折った。
死ぬのは痛い。でも、生き返るのはもっと痛い。
呻きながら体を起こすと、耳がまた異音を捉えた。
舌打ちしながら道をそれて木々の中に分け入ると、男が二人走って行こうとする。
一人、足首から下を切り落として倒した。もう一人は自分で転んだ。
彼が追いつくと、泡を吹き泣きながらなおも逃げようと地を掻く男が何事か叫ぶ。
「ゆ、許してくれっ――許してくれ! お願いだ! や、やりたくて参加したわけじゃないんだ! 無理やり、上の命令でっ……」
「だから?」
サタンは抑揚のない声で尋ねる。
主は彼らをなんと言ったっけ。反乱分子。邪魔物。
その意志がどうだろうと関係ない。殺せと言われた時点で彼らの命運は決まっているのだ。
けれど男は、無様にあがく。
「た、頼む、頼むよっ! 妻が――妻と俺、幼馴染で互いに両親もいなくて、俺たちだけが家族なんだ! 死にたくない、死にたくない!」
「――だから、なんだ?」
じりじりと青年は迫り、片手を不穏に揺らす。男は何もかもぐしゃぐしゃにして、絞り出すように嗚咽ごと漏らした。
「お前にヒトの心はないのかっ……!」
青年は一瞬の間を置いてから、高笑いする。
怒りだけで彼に立ち向かっていた男の心が、その後の顔を見て完全に恐怖に染まりきった。
「わかんないよ、ヒトの気持ちなんか。獣に、わかるはずがないだろう?」
青年が手を差し出して、それを拳にした瞬間、男の身体は心臓のあたりから四散した。
彼はそれが終わると、ごしごしと自分の顔をこすり始めた。
「――バカ」
目から出てこようとする何か戻そうとするかのように、滅茶苦茶にそのあたりをかきむしる。
許嫁がと言われた瞬間、何かが頭の中で弾けた。もう命乞いも罵声も聞きあきた筈なのに、その時だけは駄目だった。
誰かの顔がよぎって、それでぐしゃっと今までの事が蘇る。
彼の身体はすっかり若い男のそれになった。
けれど彼の生活は何一つ変わらなかった。
言われるままに殺して、抱いて、殺して――抱いて。それを今日までずっと繰り返してきた。
あの日から、彼女と話せなくなった。
大事にしようと思ったのに、何もできなくなった。
こんなの、望んでないのに。
ああいうことを、したいわけではないのに。
こんなこと、あんなこと――。
「やめろよっ――!」
彼は吠えるように絶叫した――。
「ねえねえ、そこの可愛い坊ちゃん」
暗がりの中から唐突に、かけられる筈のない声がかかった。
血走った目でにらむと、ひどく凡庸な顔立ちの――本当に、凡庸すぎて印象に残りそうにない顔立ちの――どっちだろう、声からして、一応女なんだろうか? なんだかそのあたりもとても曖昧に見えた。
そういう、ちょっと形容が難しいヒトらしい何かが、自分の手に持っているものをもう片方の手で指さした。
足だけ飛ばしてそれきりだった最後の一人。さっきまで喚いていたはずのそれは、今はくったりと力なく女もどきの手にぶらさがっている。まるで何かの薬でもやったような顔になっていた。
「こいつ、いらない? 殺す?」
「……」
「いらないんだったら、食べてもいい?」
「……いいよ、好きにしろ」
少し疲れていたから、あえて自分がやるのは面倒だった。欲しいと言うならどのみち同じこと、くれてやっても大差ないと彼は考えた。
青年が言うと、怪しげな人物はにっこりとほほ笑んで、獲物の首に食らいつく。
そのまましばらく啜るような音がただ森の中に響いて、満足したのかそれは獲物を手放した。
干からびて物に成り下がったそれをあっさり放り捨てた割に、ご丁寧に両手を合わせてなんかいる。
うーん、と満足そうに伸びなんてしている光景にぼんやりと目をやって、青年は尋ねた。
「お前、何だ?」
「さあネエ。人食い鬼なんて呼ばれてるけど、自分が何なのかなんて知らないヨ。名前もない。食べたい時に食べる。寝たい時に寝る。あたしはそういうノ。気楽なもんサァ」
女もどきは飄々と言ってのける。声は風に吹かれてカラコロ鳴るような感じだった。
青年の表情が少しだけ弛む。
「奇遇だな。俺も、名無しなんだ」
「嘘だァ。坊ちゃんの名前はサタンだヨ。ふっふ、いい名前だネェ」
悪戯っぽく、けれどどこか妖しい目つきで女は歌うように紡いだ。
青年は特別警戒することもなく、純粋に興味をそそられて少しだけ身を乗り出す。
「どうやって?」
女の目が、答え代わりにか暗がりで光った。それは見たこともない数々の色を発し――最終的に、虹色に輝いて見せた。
青年はそれだけでなんとなく、あのおかしな目で頭の中でも覗いたんだなと納得する。
ただ、ちょっとだけ反抗した。
「でもそれは、俺の名前じゃない」
「名前ってのは大体理不尽に張り付けられるもんだろうサァ。サタンはね、坊ちゃんにもう馴染んでる。いまさら剥がれないヨ」
「……そんなものか?」
「そんなもの。いい名前だから、大事にしなよォ」
サタンはおかしな言葉に束の間笑って、目を細める。どっと疲れた。そのまま目を閉じてじっと木にもたれていた。
――結構時間が経ってからもう一度開けると、まだ女もどきはにやにや笑いながら青年をじいっと見つめていた。
「何か用か?」
「坊ちゃんはネ、とっても美味しそうな匂いなの。あたし実は、それにつられて今夜はやってきたのサ」
サタンは自分の胸元を見下ろした。さっき一回やられた時の血がこびりついている。じっとりした視線の先からして、これのことでも言ってるのだろうか。
「食べるつもりか? どこがいい? 腹か? 胸か? 頭か?」
食べられたら死ねるだろうか、それとも食べられてる途中から生き返って痛いだけだろうか。
青年がぼんやり思っていると、カラコロ鬼は笑う。
「嫌だネェ。あたし人殺しは趣味じゃないのサ」
「人食い鬼の癖に?」
「それも勝手につけられた名前だものォ。普段は殺さないヨ。あの男は、だってもう助からなかったから。吸い尽くすのは、そう言う時だけサ」
女はすうっと音もなく近づいてきて、あまり興味なさそうにしているサタンの足元にちょんと座り、両手をねだるように突きだす。
「一滴、血を舐めさせてくれるだけでいいのサ。さっき十分そこので補給したもの。一口だけでいい、味見させとくれヨ」
「そう言って、俺がいいと言ったら全部食うんだろう、殺すんだろう?」
「あたし約束は守るヨ、ヒトでなしだからサ」
サタンは大笑いすると、口元に右手を持っていき、歯で傷をつける。それを女の両手の上に差し出した。
「お前とは気が合いそうだ。ヒトでなし同士、な」
女はああもったいないネなんて言いながら、そっと優しく――驚くほどやさしく青年の手を包み込み、舌で指をちろりと舐めとる。
舐めたかと思ったら、その眼がかっと見開かれ、叫び声を上げて飛び退った。
サタンは自分はやはり人食い鬼も食えたものじゃない味がするのだろうかと、ちょっと面白く感じた。
女は肩で息をして、自分の両手を呆然と見つめている。
やがて少しずつおっかなびっくり、すぐ貪るように激しく、それらを食み始めた。丹念にそこについたサタンの血をしゃぶっているらしい。
少し警戒体制になって、サタンは注意深く見守る。
ああ、と艶やかな吐息を漏らして、それが再びこちらを向いたとき――その顔は、さっきの凡庸なものとは打って変わって、闇の中でもはっきりとわかる美貌の持ち主になっていた。
「――ねえ坊ちゃん。なんで、奴隷なんかやってるんだい?」
女がくらりとするような甘ったるい猫なで声を上げた。
サタンは両腕を組むと適当に明後日の方向を眺めていた。
「別に。他にやることもないから」
「主の事、好きじゃないんだろう? 可愛い奥さん、いるんだろう?」
ちょっとだけ嫌そうな顔をしてから、青年は答える。
「見ればわかるだろ。俺は奴隷だ。どうにもならない。それとその奥さん、本命は主様の方で、俺の事嫌いだから」
「坊ちゃん綺麗な目をしてるのに、それじゃただのお飾りの宝石だネエ。勿体ないネエ」
「さっきから、知ったような口をきく」
青年が多少機嫌を損ねた顔になると、美貌の顔に変化した女はふざけた調子から一転して真面目な顔になった。
「坊ちゃん、理由をあげよっかい」
「なんの?」
「あんたをあの悪魔から解き放つ理由だヨ。あたしはね、ヒトの心を読む、夢を渡ることができる。坊ちゃんの上質な力をもらった今は特にね、いろんなことが見える」
「……知ってるのか、ベリアルの事?」
「まああいつは有名なのと、たまたまちょっと。――でもねえ、これもきっとそう――運命なのサ。坊ちゃんとあたし、そういうご縁なのサ」
鬼の声は歌のような独特な抑揚がついている。おどけるように、彼女は両手で口元を覆った。
――目元だけ見ると誰かに似ている気がして、無意識にサタンは目をそらす。
くっくっと、女の笑うのに合わせて音が鳴る。
「嬉しいネエ。あたし、坊ちゃんを解き放つ鍵になるんダァ。坊ちゃん、あの男の言いなりで終わるタマじゃないもの。あたしが何もしなくてもどうせいつかは飛び立つだろうけど、せっかくだからあたしも一枚その輝かしい飛翔に噛みたいネエ」
「――仮にお前がよくわからない戯言を言ったとて、俺が素直に信じるとでも?」
「あたしは坊ちゃんの事、すっごく気に入ったのサ。だから是非、信じてほしいネエ。坊ちゃんには嘘つかないよォ。これからもお付き合いしてほしいし、嫌われたくないからねェ。それにあたしの言うことを聞いたら納得するはずサ――なんで自分が、あんな男の言いなりになんかなってきたのかネ」
金の瞳と虹の瞳が交錯する。
青年が目を細めると、しいんと静まり返っていた森がにわかにざわめきだし、女の髪が風に揺られて舞い上がる。
煌々と森を照らす月は急に湧いた雲に隠れ、一気に辺りが闇に包まれる。
けれど女は目をそらさなかった。たとえ突風でその辺の小枝や石が巻き上がって身体にぶつかっても、瞬きすらしなかった。
――全身傷だらけになっても、女は突っ立っていたまんまだった。どこか恍惚とした顔で、虹色に輝く目をかっと見開いて、彼女は言う。
「ヒトでなしのよしみサ。坊ちゃん殺したいならそう、今あたしを殺してもいいよう。坊ちゃんならいいよう、それもいいよう――」
風がやみ、青年はもたれかかっていた木から身を起こす。
「良いだろう。ヒトでなしのよしみとやらに免じて、聞くだけ聞いてやる」
女の唇がくいっと上がった。いつの間にか真紅に染まっているそれは妙に印象に残る。
「100年くらい前のこと。あたしがフラフラ遊んでたら、何人ものお偉いさんが集まって珍味を食べるって騒いでた。あたし珍味と聞いて興味が湧いたから、こっそりまぎれて見に行ったのサ。そこにはネエ、魔界の五英傑なんて呼ばれてる男たちがいてネ――あんたの主もその一人だったヨ」
――勘のいい青年は、既に表情を凍りつかせつつある。
女は息を吸って、静かに言った。
「そうとも。彼らは珍味の竜をね。皆で切り分けて、食べたのサ。
ああ、そうとも――あんたがアルって呼んでた、ちっちゃな子竜を、あんたの主は殺して食べたのサ。
坊ちゃん、可愛い坊ちゃん。あの男にどんなひどいことされても、なぜか憎めなかったろう? なぜか嫌いになりきれなかったろう?
坊ちゃんはねえ、あいつの中のアルを感じ取ってたのサ。――あいつのおなかの中に納まっちまった可愛そうなアルに、あんたは今まで一生懸命尽くしてたのサァ」




