第二章 1-1
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疲れた体をベッドに任せると、夢を見ることなく熟睡。これが、噂のノンレム睡眠かあ、などと感じた。
彼女に少し近づいたと思った次の日。台風は温帯低気圧に変わり、窓からは日光が差し込んでいた。携帯を見ると二十四時間表示で、十二となっていた。
「うわあ!?」
小説の打ち合わせは午後一時半。ここから、お世話になっている本社までは電車を乗り継いで一時間ほどかかる。それもすんなりと行けたらの話で、いつも一時間半くらいかかってしまう。
「やばいっ」
ぼくは担当の杜酒さんに「遅れるかもしれません」とメールして、準備に取り掛かった。
「すみませんっ」
「いいよいいよー。いつも、こっちが待たせてる方なんだし」
いつもの本社五階のテーブルには短い明るめの茶髪のぼくの担当、杜酒さんが座っていた。手に持っているのはぼくが送った「白い地図を埋めるには」の原稿だろう。
結局、電車でもみくちゃにされて、着いたのは午後二時。受付の方に
「大丈夫ですか?」
と心配されてしまった。余程やつれた顔をしていたのだろう。
「本当にごめんなさい」
上着を脱いで頭を下げる。
「いやいや、いっつも一時間くらい待たせてるときもあるし、OKOK!」
相変わらず口調がチャラい。実際、いつもぼくが待っている方が多いので、もうこれ以上は謝罪をしないことにする。
「じゃあ、始めようか」
杜酒さんはぼくの分のコーヒーを入れてこちらに渡すと、にこやかにそういった。
「白い地図を埋めるには」は、ネットを徘徊しているときにたまたま新人賞という文字が目について、試しに応募してみたら金賞を頂けた小説だ。約二年前から発行して、次に出す第九巻で一応完結になる。
表紙には真っ白の紙にぼくの最大限の綺麗な字で題名とペンネームである、『cocoノ葉』と書き、それを写真に撮ってそのまま印刷されている。当然お店に並ぶ為、自分の本を見ると「うわー恥ずかしい」となるのが常だ。
内容は基本コメディー。ちょくちょくシリアスな雰囲気になる、というよくあるパターンを使っている。結局これがいいと思っているし、一番創りやすい。杜酒さんもたまに爆笑しながら話してるし、ぼく以外にも受けているのかと思うと、買ってくれている読者さんが全員友達みたいな感覚だ。
「まあ、これくらいかな?」
打ち合わせが始まって三時間が経った。自分が好きなことをしているので、時間はあっという間に過ぎてしまう。
「はい。ありがとうございました」
「そんなに畏まらなくていいって」
お辞儀をするぼくに杜酒さんは笑いかけてくれる。高校生のぼくにもわかりやすく説明してくれる杜酒さんは本当にいい人だと思う。
「あっ」
杜酒さんが突然、思い出したように声を上げた。
「どうしました?」
何となく訊かないと、気になってしまう。
「今日さあ、親睦パーティがあるんだけどこない?」
ゆっくりと歩いて、エレベーターのところで立ち止まる。チカチカと光っているのは十階。ここは十五階だからまだ、時間はありそうだ。
「へえ、親睦パーティ……」
「お、興味ある?」
まあ、他の作家さんの話もきいてみたいし、ぼくと年が近いの人がいたら今後の為にもいいかもしれないしなあ。
「はい、ありますね」
「じゃあ――ここに住所と時間が書いてあるから。わからなかったら携帯に電話してね。」
渡された紙を開いて読んでみると、開催場所と午後八時からという文字が並んでいた。
「わかりました。では」
「じゃあ、また後で会おうねー。あ、あとなるべく綺麗めな格好できてね」
「はい」
ぼくはそう返事すると、エレベーターに乗り込んだ。
それから電車を乗り継いで、家まで帰ってきた。家に着いたのは六時前。かなりすんなりと帰れた。十分、時間には間に合う。
がらがらと玄関の戸を開けると、
「おかえりー」
と雪江さんが出迎えてくれた。雪江さんに本社の親睦パーティーに行くことを伝えていると、桜木さんがぴょこっと顔を出した。
「それなら孫も誘われてるわ。一緒に連れて行ったり」
「え、無理なんじゃ――」
彼女は九年間も埃が舞う、あの幻想的な空間に閉じこもっていたのだ。そんな簡単に外に出てくれるはずがない。
「まあ、一回訊いてみて。スーツとかはあっちの衣装室にあるから、使っていいで」
「わかりました、行きます」
桜木さんはクックックと笑った。
「そんなに着るもんに困ってたんかいな」
高校生が綺麗めの服とか持っている訳がない。どうしようかと悩んでいたから助かる。
「じゃあ、もうすぐ行きますね」
「幸運を祈るとしよう」
「そうねえ」
「?」
桜木さんと雪江さんの謎の会話に疑問を持ちながら、ぼくは自分の部屋に鞄の中身を入れ替えた。
「行ってきます」
決して大きくはない声だったのに、
「いってらっしゃい」
と雪江さんからの返事がきた。耳がいいのだろうか。