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第一章 3-1

 3


 視界がぼやけている。知らない天井に、古びた本棚。背中には硬い感触。どうやら寝てしまったみたいだ。

「ふぁう……」

 比較的小さい声で欠伸をする。起きたばかりだけれど、とりあえず時間を確認しよう。そう思い、起き上がろうとしたとき、何か温かいものがお腹の上に乗っていることに気づいた。自分のお腹に目を向けてみる。

「えっ……?」


 Q:お腹の上には何が?


 A:黒髪の同い年の女の子が寝ています。


 Q:どうしたらいいのでしょうか。


 A:こっちが訊きたいんですけど。


 はっ! 驚き過ぎて、小説とかでしか見たことがない脳内会議してた。いや、でも起こすのも悪いし……。どうしよう。

「ん」

 突然、もぞもぞとお腹の上で動いた。や、やばい!


 Q:起きたら、異性のお腹の上で寝ていました。


 A:最悪の場合→恥ずかし過ぎて、今後喋れなくなります。

   イコール

   桜木さんに恩を返せない。


 というかまず、異性で体温感じてるこの状況がすでに駄目だし! 色々!

「えっあの、あ……」

 言い訳をして最悪のケースを避けようと思ったけれど、ばっちし視線があってしまった。

「お、おはよう?」

 テンパリ過ぎて、疑問系になってしまう。彼女は

「おはよ……」

 と応え、またぼくのお腹に顔を埋めた。ちょ、ちょっと待ってよ。え、何? 気にしないの? ねえってば!

 ぼくの心の中の叫びなどきこえるはずもなく、一向に起きようともしない。しかも、一番近い右手が細い指で絡められていて、動かせないし……。ぼくは左手で、彼女の肩を軽く揺らした。カーディガンを羽織っていたから気づかなかったんだけれど、かなり細い。いや、全部見ちゃったんだけれど、触ってみると「細過ぎる」って思った。ご飯とかちゃんと食べているのだろうか。何か怖い。

「……」

 ぜ、全然起きてくれない! どうしよう!

 ぐるぐる考えていると、とても弱い力でお腹が押され、彼女は顔を上げた。眠たげな目をぼくに向ける。

 それから、何秒か経った。ぼくにとってはかなり長かった。実質そんなには経っていないかもしれない。まったく使い物にならない頭で、今どうすればいいか考えていると、

「ぐー」

 と、可愛らしい音が彼女のお腹からきこえてきた。彼女とは目線があったままだ。

「お腹、空いた」

 彼女はごしごしと目を擦りながら小さな声で言った。色々悩んだことは無駄だったのだろうかと疑いながら、

「わかった。何がいい?」

 と訊いて、ぼくはゆっくりと体を起こす。

「……」

 悩んでるなあ。何だか、こっちまでほんわかしてしまう。見えているのはさらさらな髪と細い体だけで、顔が見えないのが残念。

「美味しいもの?」

 彼女は視線をこちらに向け。上目遣いで答えた。その目は光が眩しそうで、少し細かった。

「ざっくりきたね」

 悩んでたのは何だったのだろうか。意味はあったのかな。

「何が好き?」

 流石に『美味しいもの』だけでメニューは決められない。この世には沢山の美味しいものが存在している。和食・洋食・フレンチ・イタリアン。どの国のものかによってもかなりの種類があるしなあ。しかも、今も『アレンジ』を重ねて数多くの料理が生み出されているし。

「美味しいもの?」

「難題だね……」

 疑問系なのが愛らしく、保護欲をかきたてた。

「とりあえず、キッチンでも行こうかな。何があるかわからないし」

 それから考えよう。しかし、ぼくが立ち上がろうとしても彼女は一向に動いてくれる気配はない。いや、お腹から膝に移動はしたのだけれど、「今すぐにでも寝ます」みたいな雰囲気を醸し出している。

「えーっと、退いてもらえるかな」

「いや」

「えー」

 何か、駄々をこねだしたよ。本当に同い年の女の子だろうか。ぼくという異性に全く躊躇いがない。まず、女の子同士でもこんなことをしているのは稀だろう。何か、慣れてきたし……。

 慣れって怖い。

「じゃあ、ご飯作るから一緒にこようか」

 お兄さんの気分になってきた。

「わかった」

 返事だけはいいのになあ。ぼくはそう思いながら彼女の体を真っ直ぐに起こしてから立ち上がり、彼女がまた寝ないように背中を支えながら前に回ってきて、彼女の手を引っ張った。彼女は難なく立ち上がり、ぼんやりとぼくを見つめている。

「じゃあ、行こうか」

「わかった」

 本当に、返事だけはちゃんとしてくれる。

 ぼくは握られているままの右手に微かな温もりを感じながら、キッチンへ向かう。無造作に置かれた本を避けながら、早くも馴染んできた通路へと入って一番手前の右手にある部屋に入る。テーブルの椅子に彼女を座らせて、冷蔵庫の中身を確認。

「うわあ」

 中を見るなり、ぼくはいやそうな声を漏らした。本来なら感嘆の声のはずなんだけれど、何をつくるか迷っているこの状況では逆に嫌がらせに近かった。冷蔵庫には何をつくろうとしても困らないくらいに、多種多量の飲食物が入っている。少なかったら、悩みは解決しただろうに……。確かに、あっても困ることはないけどね。

 ぼくはバタッと冷蔵庫を閉めて、

「ねえ、今暑い?」

 と訊いてみた。この質問で、かなり候補が絞ることができる。つまり、「暑い」と答えたら冷たいものをつくる。

「蒸し暑い?」

 また疑問系だ……。自分の意見に自信がないのだろうか。

「わかった」

 とりあえず、冷たいもので決定しよう。そうとなれば、食べれないものとかも訊いておいたほうがいいかな。

「食べれないものとかはない?」

「ない。けれど、嫌いなものはある」

 何が嫌いなのかな? まあ、ぼくにも嫌いなものくらいあるけれど、頑張って食べてもらおう。

「よし」

 冷たい水で手を洗うと。ぼくは調理を始めた。


 数分後。


「はい、どうぞ」

 ごとんと彼女の前に昼食を置くと、彼女はじっと中を見た。ぼくは彼女の反対の席に座って、

「いただきます」

 といってから、箸を使ってちゅるちゅると吸っていく。ぼく好みに少し堅くした麺の歯ごたえが最高で、味付けもいい感じに涼しく感じる。

 今日の昼食はうどんだ。しかし、ただのうどんではない。ぼくなりにアレンジを加えたもので、酢橘すだちを主体としたものだ。さっぱりとした味が舌に広がる。

「……いただきます」

 しばらく、うどんを見つめていた彼女もようやく食べる気になってくれたようで、箸で少量うどんを掴んで、口を開けた。ぼくのように吸い上げるのではなく、箸で麺を折るようにして入れていく。不思議な食べ方だ。その一口がきっかけとなり、どんどん食べ進めていく。体があまりにも細いから一玉は無理だと思い、少なめにしてある。その代わり、ぼくのうどんが多い。

「ごちそうさまでした」

 考え事をしていると、彼女が食べ終わったようだ。コトッと白い箸を器の上に置くと、真っ直ぐぼくを見つめて、

「美味しかった」

 と感想をいってくれた。ぼくは

「ありがとう」

 感謝の意を込めて、返しておいた。

「……」

「……」

 沈黙が流れる。空気が痛い……。

「ねえ、さく――」

 ぼくの声は掻き消された。何故なら、

「下の名前で呼んで」

 彼女がぼくの言葉に被せてきたとしか思えないタイミングで、要求を提示してきたからだ。

「え、えーっと」

 し、下の名前!?

「何で?」

 とりあえず、鼓動が速くなる心臓に時間を与える為にも理由を訊いてみる。

「苗字だと御爺様が居るから」

 ああー。そういえば、この人はぼくが通っている学校の校長のお孫さんだった。どちらも「桜木さん」呼びでは聞き分けが出来ない。

「か、なで?」

 呼び慣れない名前に、つい戸惑っていまう。

「もっと大きな声で」

 彼女は無表情のまま、つまらなそうに言った。最早、命令に近いような気がする。

「かなで……さん」

 ううう、やっぱり恥ずかしい。

「さん付けはなし」

 きっぱりと言い切られる。

「わ、わかったよ。――かなで」

 体が何となく熱いような気がする。これは何だろうか。この熱さは何故あるのだろうか。


――ねえ、下の名前で呼んでみて!


 あのときの『彼女』の言葉が思い出として蘇ってくる。

「ねえ」

 彼女が話しかけてくる。

「何?」

 頭の中の声を振り切り、ぼくは訊いた。

「貴方の下の名前は何?」

「覚えてないの!?」

 ことごとく酷い。あのメモはやっぱり読んでもらえていないようだ。

「竜也だよ」

「りゅうや……」

 彼女はしっかり覚えておくという風に呟いた。彼女が自分の名前を呼んだのかと思うと、なんだか恥ずかしいというか、落ち着かない。

「よろしく」

 無表情のままの彼女にそういわれ、ぼくは

「こちらこそ」

 と笑顔で返したのだった。


 このときにはもう、『彼女』のことは思い出していなかった。



 あの後、ぼくは雨風が収まった為、家へと帰った。彼女にはその日の夜ご飯と次の日の朝食、昼食までつくりおきをして、きちんと説明をしておく。彼女は返事だけはいいのだけれど、その返事だけのことができているのかといわれれば、そうではなかった。

 何かこう、『危うい』という感じだろうか。一人にするのも何だか怖いが、泊まる準備もしていない高校生男子には勇気がなかったというのも、理由の一つでもある。

「明日も来る?」

 と訊く彼女に、

「絶対来るよ」

 といいきった程に一人にするのが怖い女の子だ。

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