第四話「こんな暴風雨の中、お孫さんの心配ですか」
2
賑やかな商店街を抜けると、ぼくが住まわせてもらっている家がある。二階建てで、敷地も普通の家よりちょっと広いくらいだ。桜木さん曰く、「広過ぎると使いにくい」らしい。純和風でとても落ち着くが、一部屋一部屋がぼくにとっては広過ぎる為、一番狭い部屋を使わせてもらっている。
「ただいま」
ぼくががらがらと戸を開けて靴を脱ぐと、奥から明るい声が聞こえてきた。
「お帰り! 聞いたわよ、かなでちゃんの世話をしてくれてたんだって?」
突然の質問に少し戸惑う。
「あ、ええ」
「ありがとねえ。難しいだろうけど、頑張って」
こんな笑顔をされたら、断れるものも断れなくなってしまう。現にぼくは、この笑顔で何度お願い事を断れなかったか。
「頑張ります」
笑みを浮かべてから、階段に右足を乗せた。
「ご飯、もうすぐできるからすぐに下がってらっしゃい」
「わかりました」
と振り返って返事をして、ぎしぎしなる階段を一歩一歩踏みしめた。
右手の『竜也君の部屋』というプレートが掛けられている部屋に入る。鞄をベッドの上に無造作に置き、肩を回してみると変な音が鳴った。
「……じゃあ、やろうかな」
ぼくはノートパソコンを開いて、サインインした。立ち上がるとすぐに、いつものソフトをクリックする。そこには何万と言う文字が連なり続けていた。別のアイコンをクリックして、メールが受信されているか確認してみると、受信件数は一軒。
きっとあの人だろう。
かちっと、「開く」というボタンを押した。
HELLO、神宥君(*ロ′∀`b)・゜☆$,
今日は神宥君が書いている小説、「白い地図を埋めるには」の打ち合わせの連絡だよ/(。△。*)
今回のも凄く面白かったよ! でもまあ、今回も何か所か話し合いたいところがあるんだよねー!
やっぱり会って話す方がいいし、六月十四日の午後一時三十分から打ち合わせをしたいんだけど、予定は空いてるかな? 無理だったら連絡ちょうだい! ちゃんと、日にちを改めるから安心してねd(*⌒▽⌒*)b
じゃあ、返信を待ってマース*:゜☆ヽ(*’∀’*)/☆゜:。*。
杜酒
……例によって、不必要に絵文字が多いなあ。凄くフレンドリーなのは、ぼくが初めて会ったときにお願いしたからだけど、それにしても絵文字が多い。
なんというか、チャラい。
ぼくは心の奥からやってきた、モヤモヤした気持ちを深呼吸でどこかに追いやり、キーボードで文字を打っていった。
こんにちは、杜酒さん。
その日は何も予定が入っていないので大丈夫です。
ところで、休みの日に暇だったので短編を一作書いたのですが、読んでいただけないでしょうか。
いつもの短めの文章を一度見直し、誤字がないことが確認できると、送信ボタンを押した。
ぼくは小説家をしている。といってもまだ二年目なのだけれど、長期休暇の際に書き溜めるので、三ヶ月に一冊発売を続けることができている。何となく、目についた新人賞に投稿して、金賞というありがたいものを頂くことができたのは本当に良かったと思う。
そしてこうして毎日、学校に帰ってから小説を書いている。もちろん、桜木夫妻には知らせてあるし、迷惑をかけないように、愛用のノートパソコンも金賞を取った賞金で購入した物だ。
しかし、今日からはそうは行かない。桜木さんのお孫さん、桜木奏の“引きこもり”をなおさなければならないからだ。九年も外の世界に触れていないらしい彼女は、かなり手強そうだけれど、桜木さんに恩を少しでも返せるなら、必ずやり遂げるしかない。
とりあえず今日はこれから、執筆に専念するとしようかな。
ぼくはメール画面を閉じ、集中し始めた。
次の日。目が覚めると外は大雨だった。大きな水の粒が窓に打ちつけ、雷と共に大合唱が執り行われている。ぼくはその声に耳を澄ませ、「やっぱり雨はいいなあ」と思った。
布団の中から上と思われる方向に手を伸ばすと、硬いものにあたる。形からして目覚まし時計だ。それを掴んで、布団に入れると暗闇の中で針だけが浮かんでいた。
これ、夜に見たらちょっと怖いんだよなあ。
そう思いながら、裏にある目覚まし設定をオフに切り替えた。
恋しい布団に別れを告げ、ベッドに乗ったまま足を床につけた。フローリングの冷たさが裸足に伝わる。しばらくぼーっとしてから、ゆっくりと腰を上げた。ベッドから程近い机に置いてあるパソコンを開き、電源を付ける。ログイン後、気象庁のホームページにアクセスしてみると、警報発令中の欄にぼくが住んでいる地域が表示されていた。これで今日は休み決定だ。
やったー。
回らない頭でとりあえず喜んでおき、スリッパを履いてドアノブを捻る。そして、手すりを掴みながら、だらだらと階段を降りて行った。降りる度にぎし、と音が鳴る。
和室に入ると、既に桜木さんと雪江さんが座っていた。
「おはよう。今日は休みじゃな」
「そうみたいですね」
桜木さんに返事をして腰を下ろす。リビングといっても、机が低く、旅館等の雰囲気と似ている部屋だ。テレビがついており、豪雨のことについて報道していた。
「あらおはよう。朝ご飯ならできてるわよ」
「ありがとうございます」
振り向いた雪江さんは笑顔だ。この人はいつも笑みを浮かべている。凄く幸せそうだ。
「なあ、竜也君」
雪江さんが台所に消えると、桜木さんが話しかけてきた。
「何ですか?」
「怒らないでくれくれるかのう」
「怒るようなことでなければ」
前置きをしなければならないようなことなのだろうか。面倒なことだったら嫌だな……。そんな憶測だけが頭の中で飛び交った。
「孫の様子を見てきてはくれまいか」
「……は?」
ど、どういうことですか?! 大雨警報出てるんですけど!
とはいえず、呆然と桜木さんの方を見つめる。桜木さんは罰の悪そうに目を逸らした。
「だって、心配なんじゃもん」
注意していないと聞こえない程だった。理解できずに、言葉を返さないでいると、
「いや、お手伝いさんも全員やめさせちゃったし、わいが行って『誰?』みたいな顔されたら死んじゃうって」
「ええっ! お手伝いさん、やめさせちゃったんですか?!」
というか、お手伝いさんなんかいたんですか!?
「いや、竜也君がぱぱっと解決してくれるかなって」
過度な期待だ……。うう、でも恩を返すにはそれに答えなくては。
「い、行きますよ。その代わりビニール傘貸して下さいね。ぼくの傘、気に入ってるんですから」
前にビニール傘を差していたら、雪江さんに「もっと良いの使いなさい」といわれて渋々選んだ傘は、当初思っていたより気に入っている。
「そうかそうか! ビニール傘だったらなんぼでも貸したるわ!」
いきなり元気になったし。
「あら、何を盛り上がられているのですか?」
そのタイミングで雪江さん登場。
タイミングが良過ぎて心臓が少し高鳴る。手のお盆の上には美味しそうな鮭の塩焼きと、味噌汁、白米と言う日本人らしい朝食が乗せられていた。
「なんでもない。な、竜也君」
桜木さんが焦った顔でこちらに目線を送ってくる。成る程、雪江さんには知られたくないから今だったんだ。
「こんな雨の日は読書に励むのが一番、という話で盛り上がっていたんですよ」
「そうなの。私はあまり読まないからわからないわ」
雪江さんは机にお皿を並べていった。こんな人に少しとは言え、嘘をついた事実が心に突き刺さる。桜木さんも同じようで、急いでお茶を飲んで咳き込んでいた。なんだか早々に気づかれそうだ。
ぼくは美味しい朝食を食べ終わると、制服に着替えて誰もいない学校へと向かうことになった。
図書館にいる、桜木奏のために。
意気込んだのはいいけれど、怖い……!
部屋を一歩出てから気づいた。
この家は階段を下りると、真っ直ぐ玄関だ。でも、そのままなんの気なしに戸を開けると、がらがらと昔ながらの音が鳴ってしまうと雪江さんにばれる。ぼくの身を案じてくれる雪江さんは必ず、大雨警報が発令されている今、ぼくをとめるに違いない。一回失敗したら、もう外へは出られないと考えていいだろう。
桜木さん、ぼくはどうすればいいですか?
湿った空気がぼくの冷や汗へと変わっていく。とりあえず、階段を降りてみる。
ぎし、ぎし。
やっぱり音は鳴った。無理だ、不可能だよ……。
そうだ、メールで桜木さんに助けを求めればいい。すぐに文字を打ち、送信。すると、一分もしない内に、「頑張ってみるわ」という文面が送られてきた。一体、何をしてくれるのだろうか。
ドキドキしながら階段を降り終え、そこでじっと待つ。すると、
「雪江さんやあ、わいが最近はまってる『ウロウクマン』とやらを試してみんかあ?」
不自然なくらいの大声だ。
ちょっと! それで大丈夫なんですか?!
「あら、そんな大きな声出して。じゃあ、その『ウイロウマン』と言うものを貸して下さいな」
全然違ってますよ、雪江さん。たぶんそれ、『ウォー○マン』ですよ。第一、桜木さんも間違ってるし。何ですか、『ウイロウマン』って。ぷるぷるしてそうですね。
頭の中でツッコミを入れてしまう。やはり、お年寄りの人は知らないみたいだ。
「雪江さん、このミヤホンをつけてみぃ。したら、音楽が流れてくるわ」
「そんなことありえないでしょう。……あら、本当に流れてきましたよ」
今だっ!
ぼくはがらがらとなるべく音を最小限に抑えるように開け、ビニール傘を差した。レインコートも着て、鞄もビニール袋に入れて完全装備だけれど、雨風が酷すぎて前があまり見えない。いつもなら十五分程度の道が果てしなく遠く感じる。プランターが倒れて土がこぼれていたり、どこからか傘が飛んできて間一髪で避けたり……。
ぼく、かなり危ないことをしているんじゃないか? うわー、今すぐ家に帰りたくなってきた。
雨風が家を出た時より一層酷くなる。そして、やっとのことで校門の前までこれた。
というか、入ったら立派な不法侵入者じゃないだろうか。そこんとこ、どうなんですか桜木さん!
そんな心の叫びは届くはずもなく、ぼくは校門をガラガラと開けた。いつのまにか、ビニール傘がなくなっている。自分の傘じゃなくて良かった。一体、どこでなくしたのだろう。敷地内に入るとまた校門を閉めて、迷うことなく進んでいく。流石の教師たちも、この雨の中で学校に行く勇気がなかったのか、職員室の電気は消えていた。ぼくにとってはかなりの好都合だ。
建物などの大きいものがない図書館までの道はかなり風が強かった。気を抜くと体ごと飛ばされそうだ。目が全然開かない。ちゃんと真っ直ぐ歩けているのかと不安に煽られて瞼を頑張って上げると、一瞬だけ図書館を捕らえてすぐに雨水が目に入った。それを繰り返しながら足を進めると、やっとのことで目的地に着いた。
今日も昨日と同じく、二つ目の自動ドアが開かずもう一つのドアから入った。入ってから自分がびちょびちょなことを思い出して、とりあえずはレインコートを玄関の方に置いていくことにしておく。靴も脱ぎたいところだけれど、流石に土足で歩いている場所なのでやめておこう。
沢山の本の横を通り過ぎ、階段を登る。昨日、帰るときに階段を登っていくと、穴があった、もう少し右の本棚の後ろに出た。図書館自体が円形だから隙間が多い。
ぐるっと進むと、階段の近くに出られてほっとしたんだよなあ。
昨日出てきた本棚の間に入ると、そこから昨日歩いたところと同じところを通り、ドアを開けると中は真っ暗で何も見えない。
じゃあ携帯電話――って大丈夫かな、雨酷かったし。
しかし、そんな心配は不要だったようで、ちゃんと電源が付いた。その事実にほっとして、携帯電話の光を頼りに降りていく。かつん、かつんと自分の足音が響き、何だかか怖い。しばらくすると、ドアが目の前に現れた。現れたというか、見つけた。